王宮式典局に隣国から視察団が来ました――対応要領、国境を越えるそうです
辞令というものは、いつも突然やってくる。
「リタ。来月の隣国視察団、教育係はあなたです」
「はっ、はいっ! ……はい!?」
式典局の朝礼で、アシュフォード補佐官――メルディナ様は、こともなげにそう仰った。
「エルデナ王国から六名。目的は当局の『対応要領』および事前審査窓口の視察。三週間かけて、制度の全部を持ち帰りたいそうです」
「な、なぜわたしが。補佐官がやるべき案件では」
「わたしが教えると、二年かかります」
メルディナ様は、真顔で仰った。
「制度を作った人間は、制度の呼吸まで説明したがるので、話が長い。制度を『教わった側』が教えるほうが、要点だけ伝わるのです。あなたは去年一年、わたしの隣で全部見た。適任です」
褒められているのか、体よく仕事を振られたのか。両方だな、と思った。二年目にもなると、その程度の真贋確認はできるようになる。
◇
エルデナ王国の視察団が来た背景は、局内では有名な話だ。
あちらの王太子殿下が、まあ、断罪がお好きらしいのである。婚約者の公爵令嬢に対し、この二年で断罪未遂が三回。いずれも証拠不十分で周囲が止めたが、四回目を止められる保証はどこにもない。頭を抱えたエルデナの宰相府が目をつけたのが、隣国――つまりうちの、例の要領だった。
断罪劇を根性や説教で止めるのではなく、手続きで止める。曰く「王国で最も安価な平和維持装置」。予算書のその一文が、国境を越えて宰相府に刺さったらしい。
視察団は六名。団長のオルテンス卿は白髪の枢密顧問官で、副使のカイ殿はわたしと同年代の生真面目な法務官。あとは護衛が二名と、書記官が二名。
初日、わたしは会議室で要領の全文を配り、こう切り出した。
「最初に、いちばん大事なことを申し上げます。この要領の本体は、条文ではありません」
「ほう」オルテンス卿が眉を上げる。「では、何かな」
「『断罪は感情の問題ではなく、事務の問題である』という、ものの見方のほうです。条文だけ持ち帰って、この見方を置いていかれると、要領は動きません。三週間で皆様に持ち帰っていただきたいのは、紙ではなく、目です」
我ながら、メルディナ様の口写しだった。でも、本当のことだ。わたしはあの人の隣で、条文より先に、目を教わった。
副使のカイ殿が、猛烈な速さで筆記していた。この人は三週間、何を言っても筆記した。のちに数えたら、質問状が通算九十七通来ていた。生真面目にもほどがある。
◇
視察は順調だった。窓口の見学(その日の申請は二件、いずれも却下。「見事な却下でした」とオルテンス卿は妙な感心をなさった)、真贋確認の実技講習、模擬断罪を使った図上演習。
気になることは、一つだけあった。
書記官のセリカさん、である。
二十歳そこそこの、物静かな人だった。視察団の中で一番身分が低いはずなのに、護衛の目が、時々彼女を追う。筆記は熱心。だが、その質問が――少し、おかしいのだ。
「リタ様。要領別冊の保護手続ですが、申請に、家族の同意は要りますか」
「不要です。ご本人の申請だけで動きます」
「……申請の記録を、家族に、知られない方法は」
「守秘は徹底されます。回付先の各局も含めて」
「そう、ですか。よかった」
よかった、と言ったときのセリカさんの目を、わたしは知っていた。去年、窓口の十一件目に座った、あの男爵令嬢と同じ目だ。
制度の質問ではない。あれは、自分の質問だ。
◇
三週目の初め、わたしは決心して、メルディナ様に相談した。
「補佐官。書記官のセリカさんですが……あの、確証はないのです。ただ、質問が全部、一人称なんです。『申請者は』ではなく『申請は』と仰る。それに護衛の視線の配り方が、書記官に対するものでは」
メルディナ様は、報告書から顔を上げずに聞いておられたが、最後に一つだけ質問された。
「リタ。あなた、彼女の正体を暴きたいのですか」
「ちがいます!」
自分でも驚くほど、大きな声が出た。
「暴きたいのではなくて……去年、補佐官が窓口で仰ったでしょう。『様式から始めてはいけない案件がある』って。あの方、たぶん、様式より手前で立ち止まってるんです。国が違うから、うちの窓口には並べない。並べないまま、三週間が終わって、帰ってしまう。それが」
「それが?」
「……悔しいです。目の前に窓口があるのに」
メルディナ様は、報告書を置いた。そして、少しだけ笑われた。
「二年目にしては、いい目になりました。――方法を一つ、教えます。管轄外の案件に、管轄外のまま手を貸すやり方です」
◇
最終週の実務講習、演目は「別冊・保護手続の運用」だった。
わたしは講習の締めくくりに、教材としてひとつの「架空事例」を配った。メルディナ様と二晩かけて作った、架空の、事例である。
「事例研究です。――A国の視察団に、B国の制度を学びに来た書記官がいるとします。仮に、その方自身が、A国で望まぬ婚約を強いられていて、断れば家が潰されると脅されているとします。さて。B国の窓口は、この方を救えるでしょうか」
会議室が、静かになった。セリカさんの筆が、止まっていた。
「答えは――救えません。管轄が違います。B国の要領は、B国でしか動かない。ですが」
わたしは、次の頁をめくった。
「ここからが本題です。この視察団は、何をしにB国へ来たのでしょうか。制度を持ち帰りに来たのです。つまり、帰国後にA国で最初に起案される保護手続の条文を、この書記官は、いま、自分の手で書けるのです。誰よりも、どこが必要か知っている人が、条文を書く。これほど強い立法はありません」
わたしはセリカさんを見なかった。見ないまま、講習の結びを言った。
「制度は、作った人を最初に守るとは限りません。でも、必要を知っている人が作った制度は、必ず、次の誰かを守ります。そして時々――順番が巡って、作った人自身のところにも、帰ってきます。以上で、講習を終わります」
解散のあと、オルテンス卿が一人、席に残った。老顧問官は配布資料を丁寧に畳み、静かに言った。
「……見事な『架空事例』であった。リタ殿。帰国後、保護手続の起案は書記官セリカに命じよう。あれは――」
卿は少しだけ言葉を選んで、続けた。
「あれは、我が国でいちばん、あの条文を必要としている書き手ゆえ」
やはり団長は、全部ご存じだったのだ。知っていて、連れて来られたのだ。窓口に並べない人を、窓口の作り方を学べる場所へ。
◇
視察団が帰国して、半年が過ぎた。
エルデナ王国から式典局に、公式の書状が届いた。曰く、『対応要領エルデナ版』施行。事前審査窓口、王都に開設。そして別冊保護手続の第一号案件が、施行から九日目に処理されたこと。
書状の末尾には、私信が同封されていた。
『リタ様へ。
第一号案件の申請者の名を、あなたにだけお知らせします。セリカ・エルデナ。――ええ、あの書記官は、わたしです。本名を隠して視察に加わりました立場、どうかお許しください。
わたしの婚約は、保護手続の審査により「強要」と認定され、正式に解消されました。条文を書いたのはわたしです。自分で書いた条文に自分で申請するのは、たいへん奇妙な気分でしたが、審査した文官は様式通り、粛々と処理してくれました。誰の顔色も見ない審査というものが、こんなにありがたいものだとは。
あの講習の「架空事例」を、わたしは生涯忘れません。あなたは一度もわたしを見ませんでした。見ないでいてくれたことが、どれほどの礼儀だったか。
いつか正式の名で、あなたの国を再訪します。今度は窓口を、胸を張って見学させてください。
追伸。副使カイが、あなたへの質問状が百通を超えたことを気に病んでおります。彼の名誉のために申し添えると、後半の五十通は、制度の質問という体裁の、別のなにかだと女官一同が申しております。審査されてはいかがですか。あなたの得意な、真贋確認というやつで』
……最後の一段落は、読まなかったことにした。
してみたのだが、その日のうちにメルディナ様に見つかり、こう言われた。
「リタ。質問状百通の真贋確認、期限はいつに設定しますか」
「ぶ、文書での回答は差し控えます!」
「あら。では口頭で伺いましょう」
補佐官のこういうところ、本当に、尊敬して、腹立たしい。
◇
式典局の書架には、いま、要領の写しが二冊並んでいる。
一冊は、うちの原本。もう一冊は、エルデナ版の贈呈本。装丁も言葉も違うのに、開くと同じ骨格をしているのが、なんだかおかしい。
制度に翼はない。国境も越えられない。
でも、制度の作り方なら、人と一緒に旅ができる。
わたしはそれを、二年目の春に教わった。教えたのは、たぶん、わたしのほうではない。
(了)
お読みいただきありがとうございました。『対応要領』シリーズ第3話です(第1話「卒業舞踏会での婚約破棄が多すぎるので~」、第2話「婚約破棄の事前審査窓口を開設したところ~」も単体で読めます)。
制度そのものは輸出できなくても、「制度の作り方」は人と一緒に旅ができる――という話でした。今回は新人だったリタの成長回です。彼女とカイ副使の質問状百通のゆくえは、ご要望があれば第4話で。
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