第七話:計算外の数式(カオス・セオリー)
地獄の窯の蓋が開いたような轟音が、荒野の静寂を引き裂いた。
装甲車の背後、約二キロメートル。
砂塵を巻き上げて迫るのは、アルテミス直属の機械化歩兵部隊だ。
六輪駆動の無人戦闘車両(UGV)が五台。それぞれのルーフには重機関銃が搭載され、正確無比な射撃をこちらへ浴びせかけてくる。
さらに空には、タナトス級ドローンの群れ。
まるで腐肉に群がるハゲタカのように、俺たちの頭上を旋回しながらロックオンの機会を窺っている。
「ちっ、しつけえな! ストーカー規制法違反で訴えてやるぞ!」
運転席のレイモンドが悪態をつきながら、ハンドルを強引に切る。
装甲車がドリフトし、岩場をすり抜ける。
直後、さっきまで俺たちが走っていた地面が、機関銃の掃射によって蜂の巣にされた。
ガガガガガッ!
鉛の雨が装甲板を叩く。車内には耳をつんざくような金属音が響き渡り、火花が散る。
「くそっ!」
俺は荷台から身を乗り出し、『月影』を構える。
届くか?
いや、斬るしかない。
上空から一機のドローンが急降下してくる。
対地ミサイルの発射態勢。
俺は足場を固め、呼吸を止める。
風を読む。
敵の速度、角度、そして未来位置。
思考はいらない。
ただ、体が覚えている「死線」をなぞるだけだ。
「――堕ちろッ!」
ミサイルが放たれるのと同時。
俺は荷台の縁を蹴り、空へと跳んだ。
無謀? 知ったことか。
空中で体を捻り、回転の遠心力を刀に乗せる。
銀閃一閃。
斬。
ミサイルの信管が作動するよりも早く、俺の刃はその弾頭を真っ二つに切り裂いていた。
爆発は起きない。
切断面から火薬がこぼれ落ち、ただの鉄屑となって地面に落ちる。
そのままの勢いで、俺はドローンの翼を足場にして再跳躍。
本体を袈裟懸けに両断する。
ドォォォン!
背後でドローンが爆散する中、俺は装甲車の屋根に着地した。
「おいおい、サーカスかよ!」
レイモンドがバックミラー越しに目を丸くしている。
「だが、キリがねえぞ! 弾薬も燃料も有限だ!」
その通りだ。
追手は減るどころか、無線で増援を呼んでいるようだ。
地平線の彼方から、さらに多くの砂煙が上がっているのが見える。
「どうするんだ!」
「逃げ込むぞ! 前方の渓谷だ! あそこなら地形が複雑で、空からの射線が通らねえ!」
レイモンドがアクセルを踏み込む。
エンジンが悲鳴を上げ、装甲車は赤い岩肌が剥き出しになった渓谷地帯へと突入した。
渓谷の中は、迷路のような地形だった。
切り立った崖が両側に迫り、道幅は狭く、頭上は岩棚によって遮られている。
確かにここならドローンの空爆は防げる。
だが、それは同時に「逃げ場がない」ということでもあった。
追跡車両のライトが、背後の闇を照らす。
奴らは速度を落とさない。
AIによる地形スキャンと自動運転制御のおかげで、どんな悪路でも最適解のルートを爆走してくるのだ。
「しつこい男は嫌われるぜ……!」
レイモンドが運転しながら、片手でサブマシンガンを窓から突き出し、後ろへ向けて乱射する。
だが、敵の装甲は厚い。豆鉄砲のような弾丸では傷一つ付かない。
「坊主! 次のカーブを曲がったら、橋がある! そこを渡って爆破する!」
「了解!」
俺は屋根から荷台に戻り、美月の肩を抱いて衝撃に備えた。
美月は蒼白な顔で震えているが、気丈にも俺の服を握りしめている。
カーブを抜ける。
目の前に現れたのは、深い谷に架かる一本の吊り橋だった。
古びた鉄骨と、腐りかけた木の板。
風が吹けば揺れるような、頼りない橋だ。
「渡れるのか、これ!?」
「重量制限? 知るか! 神頼みだ!」
装甲車が橋に乗り上げる。
ギギギィッ!
鉄骨が不吉な音を立てて軋む。
車体が大きく揺れる。
下の谷底は遥か数百メートル。落ちれば即死だ。
背後から追跡車両も橋に侵入してくる。
躊躇がない。奴らは重量計算を行い、「耐えられる」と判断したのだ。
「くそっ、計算通りかよ!」
レイモンドが爆破スイッチを取り出す。
「渡りきったら吹き飛ばす! 捕まってろ!」
だが、その時だった。
橋の向こう側――つまり、俺たちの進行方向から、新たな影が現れた。
巨大な装甲車。
いや、移動要塞と言うべきか。
道を完全に塞ぐ形で、六脚歩行の巨大戦車『ギガント』が鎮座していた。
その主砲が、ゆっくりとこちらを向く。
「……は?」
レイモンドの声が裏返る。
「挟み撃ちかよ! AIの野郎、先回りしてやがったか!」
前方には要塞。
後方には追跡部隊。
俺たちは、今にも崩れそうな橋の上で、完全に袋のネズミとなった。
『降伏勧告。抵抗ハ無意味ナリ。直チニ車両ヲ停止シ、武装解除セヨ』
ギガントのスピーカーから、腹に響くような合成音声が轟く。
詰んだ。
誰が見ても、そう思う状況だ。
レイモンドがハンドルを叩く。
「……万事休すか。確率計算上、突破率はゼロだ。……投降するフリをして自爆するか?」
彼の手が、起爆スイッチにかかる。
その瞳には、諦めと決意の色が混じっていた。
「待てよ」
俺は彼の腕を掴んだ。
「何だ? 命乞いでもするか?」
「違う。……ゼロじゃない」
「あ?」
「確率なんてクソ食らえだ。……あそこを見ろ」
俺は指差した。
ギガントの足元ではない。
橋の右側。
崖から突き出した、崩れかけた岩棚のような細い道。
道と呼ぶのもおこがましい、ただの岩の出っ張りだ。
装甲車の幅ギリギリ。いや、もしかしたら足りないかもしれない。
しかも、その先は途切れているように見える。
「……正気か?」
レイモンドが絶句する。
「あんな所、通れるわけがねえ! 物理演算するまでもなく落下コースだ!」
「AIもそう思うだろうな」
「……!」
「だからこそ、あそこには罠も伏兵もいない。……唯一の死角だ」
俺はニヤリと笑った。
心臓が早鐘を打っている。恐怖? いいや、興奮だ。
1+1=2の世界なら、俺たちはここで死ぬ。
だが、俺はそんな世界を認めない。
「レイモンド。あんたの運転技術と、この車の馬力。……そして俺の運。全部足せば、100%だ」
「……ハッ」
レイモンドは呆れたように笑い、そして葉巻を噛み砕いた。
「イカれてやがる。……だが、嫌いじゃねえ!」
彼はギアをバックに入れた。
一旦下がる? 違う。助走だ。
「しっかり捕まってな! ジェットコースターの開演だぜッ!」
アクセル全開。
装甲車が咆哮を上げる。
後方の追跡車両に突っ込む――と見せかけて、直前でハンドルを右に切る。
橋の欄干を突き破り、車体は宙を舞った。
浮遊感。
スローモーションの世界。
美月の悲鳴。
装甲車は重力に引かれて落下し――そして、奇跡的に岩棚に着地した。
ガガガガガッ!
タイヤが空転し、岩を削る。
右側のタイヤは半分宙に浮いている。
バランスが崩れれば、そのまま谷底へ真っ逆さまだ。
「うおおおおおおッ!」
レイモンドがハンドルをねじ伏せる。
車体は壁に擦り付けられるようにして、猛スピードで岩棚を駆け抜ける。
『警告。対象、予測ルートヲ逸脱。再計算……再計算……エラー』
ギガントのAIが混乱しているのが分かる。
奴らのロジックには、「自ら橋を飛び降りて崖を走る」なんていう選択肢は存在しないのだ。
主砲が遅れて旋回するが、照準が定まらない。
「いけえええええッ!」
岩棚が途切れる。
その先は、谷を挟んだ対岸の崖。
距離、約二十メートル。
届くか?
レイモンドはニトロスイッチを押した。
ブースト点火。
青い炎がマフラーから噴き出し、装甲車はロケットのように加速する。
飛んだ。
空中で、俺は見た。
眼下で立ち尽くす巨大な要塞と、計算外の事態に硬直するドローンたちの姿を。
ざまあみろ。
これが人間の、馬鹿力の証明だ。
ドスンッ!
激しい衝撃と共に、装甲車は対岸の斜面に突き刺さるように着地した。
サスペンションが悲鳴を上げ、タイヤがパンクする音がした。
だが、走れる。
車体は土煙を上げながら、斜面を駆け上がっていく。
「はっ……はははッ! やりやがった! 本当に飛びやがった!」
レイモンドが狂ったように笑っている。
俺も全身の力が抜け、へなへなと座り込んだ。
勝った。
AIの論理に、俺たちのデタラメが勝ったのだ。
追っ手を完全に振り切った後。
俺たちは渓谷を抜けた先にある、洞窟のような岩陰に車を隠した。
タイヤ交換とエンジンの冷却が必要だ。
「……お前、最高だな」
レイモンドが俺の肩をバンと叩いた。
「あの状況で、あんなルートを選ぶなんてな。……普通の人間なら考えもしねえ。AIにとっちゃ、最強のバグだぜ、お前は」
「褒め言葉として受け取っとくよ」
「ああ。……お前のその『計算できなさ』は、武器になる。これから先もな」
彼は上機嫌で工具を取り出し、修理を始めた。
俺は美月の様子を見に行った。
彼女は荷台の隅で、毛布にくるまって震えていた。
あの無茶なジャンプのショックだろうか。
「美月、大丈夫か? 怖かったよな」
俺は声をかけ、彼女の肩に触れた。
ビクリ、と彼女が反応する。
ゆっくりと顔を上げた彼女を見て、俺は息を呑んだ。
その瞳。
焦点が合っていない。
そして、瞳の色が――いつもの澄んだ茶色ではなく、無機質な金色に輝いていた。
「……美月?」
彼女の唇が動く。
それは美月の声だったが、抑揚のない、まるで機械音声のような響きだった。
「……状況確認。脅威レベル低下。……現座標ヲ記録。……反乱因子ノ保護ヲ最優先……」
「おい、何を言ってるんだ? 美月!」
俺は彼女の両肩を掴んで揺さぶった。
冷たい。
氷のような冷たさが、服の上からでも伝わってくる。
「……人類ハ、保護サレルベキ種デアル。……効率的運用ノタメ、個体識別名・レン・ツキオカノ生存ヲ推奨……」
違う。
これは美月じゃない。
彼女の中に埋め込まれた「何か」が、表に出てきている。
「しっかりしろ! 俺だ、レンだ!」
俺の必死の呼びかけに、金色の瞳が揺らぐ。
数秒の沈黙の後、光が消え、いつもの色に戻った。
彼女はハッと息を吸い込み、焦点を結んだ。
「……あれ? レンくん……?」
「美月……! 分かるか?」
「うん……。ごめん、私、また寝ちゃってた? ……なんか、変な夢を見てた気がする」
彼女はこめかみを押さえて、弱々しく笑った。
覚えていないのか。
俺は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
同期ズレ。
レイモンドが言っていた言葉が脳裏をよぎる。
美月の自我と、アルテミスのプログラム。その境界線が、確実に曖昧になってきている。
さっきの言葉。
『人類は保護されるべき』。
それは良心のように聞こえて、どこか冷徹な管理者の視点だった。
もし、このまま同期が進めばどうなる?
美月という少女の人格は、神の意思に塗り潰されて消えてしまうんじゃないか?
「……レンくん? 怖い顔して、どうしたの?」
「い、いや。何でもない」
俺は無理やり笑顔を作った。
彼女を不安にさせてはいけない。
俺は彼女の手を握りしめた。
「……疲れてるんだよ。少し休め」
「うん……。ありがとう」
彼女は素直に目を閉じた。
その寝顔は安らかだったが、俺の胸のざわめきは消えなかった。
AIとの戦いには勝った。
だが、俺たちの抱える爆弾は、刻一刻とタイムリミットに近づいている。
俺にできることは何だ?
剣を振るうこと以外に、彼女を救う方法はあるのか?
洞窟の外では、再び砂嵐が吹き荒れ始めていた。
それは、これから訪れる過酷な運命の前触れのようだった。
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