表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/10

第六話:機械仕掛けの心臓(クロックワーク・ハート)

 荒野の朝は、鈍色のグラデーションと共にやってくる。

 地平線から昇るのは、太陽という名の光源ではなく、分厚い汚染雲を透かして届く、ぼんやりとした熱量だ。


 装甲車のエンジン音が、静寂な大気を震わせる。


 俺は荷台の片隅で、揺れに耐えながら『月影』の手入れをしていた。

 昨夜の戦闘でついた刃毀れはない。刀身に浮かぶ曇りを、油を含ませた布で丁寧に拭い取る。

 単調な作業。

 だが、この反復だけが、俺の思考をクリアにしてくれる。


「……器用だね」


 隣から声がかかる。

 志村美月。

 彼女は毛布にくるまり、俺の手元を興味深そうに見つめていた。

 その顔色は、昨夜よりは幾分マシに見える。


「慣れてるだけだ。親父に叩き込まれたからな」

「お父さんは、厳しかった?」

「ああ。剣術に関しては鬼だったよ。……でも、普段はふざけたオヤジだった。休みの日は俺を肩車して、近所の公園でヒーローごっこの悪役をやらされたりな」


 懐かしい記憶。

 平和だった頃の、色鮮やかな思い出。

 それが今では、セピア色に褪せた遺物のように感じられる。


「……いいな」

「ん?」

「温かいね。その記憶」


 美月は寂しげに微笑み、自分の胸元に手を当てた。

 そこには、冷たい機械の心臓が埋まっているはずだ。


「私には、あまり記憶がないの」

「記憶喪失か?」

「ううん。断片的には覚えてる。学校のこととか、友達のこととか。……でも、その時の『感情』が思い出せないの」

「感情?」

「楽しかったはずなのに、ただ『楽しいという事実』としてデータ処理されてるみたい。悲しかったはずなのに、涙が出ない。……まるで、古い映画をスクリーン越しに見ているような、他人事みたいな感覚」


 彼女は遠くを見る目をした。


「七年前の手術で、脳の一部も機械化されたから。……感情を司る部分が、チップに置き換わっちゃったのかもしれない」


 ぞわり、と背筋が寒くなる。

 人格の連続性。

 昨日の自分と今日の自分は、本当に同じ人間なのか?

 もし感情がデータとして処理されているなら、今の彼女が俺に向けている笑顔も、プログラムされた出力結果に過ぎないのか?


「……そんなことない」


 俺は否定した。

 論理的な根拠はない。ただの直感だ。


「お前は泣いてたじゃないか。昨日。怖がって、震えて、必死に生きたいと願ってた。……あれがプログラムなら、この世界の人間は全員ロボットだ」

「月岡くん……」

「俺は信じないぞ。お前の中身がどうなっていようと、俺の目の前にいる志村美月は、人間だ」


 彼女の瞳が揺れる。

 その奥で、また金色の光が一瞬だけ瞬いた気がした。

 それは感謝の色か、それとも――。


 ガタンッ!


 装甲車が急停車した。

 俺たちは前のめりになりかける。


「お楽しみのところ悪いが、到着だぜ。恋人ごっこは後にしてくれ」


 運転席のレイモンドが振り返り、ニヤリと笑った。



 俺たちが降り立ったのは、荒野の真ん中に鎮座する巨大な廃工場だった。

 かつては自動車か何かを生産していたのだろう。錆びついた鉄骨がむき出しになり、巨大なクレーンが空に向かって虚しく腕を伸ばしている。


「ここは?」

「俺の隠れセーフハウスその2だ。……そして、お前の教室でもある」


 レイモンドは装甲車のトランクを開け、中から無骨な金属の塊を取り出した。

 訓練用のダミー人形だ。

 さらに、木刀を二本放り投げてきた。


「受け取りな、坊主」

「……これは?」

「お前の剣術は悪くない。だが、対人戦の技術だ。人間相手なら無双できるだろうが、相手はAIだ。奴らには痛みも恐怖もない。関節を逆に曲げても平気で殴り返してくる。……分かるか? 人間と同じセオリーで戦ってたら、いつか死ぬぞ」


 彼は懐から葉巻を取り出し、火を点けた。

 紫煙をくゆらせながら、俺を見据える目は鋭い。


「お前に必要なのは、AI殺しのロジックだ。……まずは一本、俺から取ってみな」


 彼は木刀をだらりと下げ、隙だらけの姿勢で立った。

 自然体。

 だが、俺の本能が警鐘を鳴らしている。

 この男、強い。


「……手加減なしだぞ」


 俺は木刀を正眼に構える。

 間合い、三メートル。

 一足一刀。

 俺は踏み込んだ。


 速い。

 自分でもそう思う速度で、俺の木刀はレイモンドの肩口へと振り下ろされた。

 だが。


 スカッ。


 手応えがない。

 レイモンドは最小限の動き――半歩だけ体を捻り、俺の斬撃を紙一重でかわしていた。

 そのまま、すれ違いざまに俺の足を払う。


「うわっ!?」


 視界が回転し、背中から地面に叩きつけられる。

 受け身を取る暇もなかった。


「がはっ……!」

「遅いな。……いや、速さは十分だ。だが、『線』が見えすぎてる」

「線……?」

「お前の剣は綺麗すぎるんだよ。教科書通り。だから軌道が読める。AIにとっちゃ、次のコマが描かれた漫画を読んでるようなもんだ」


 レイモンドは俺を見下ろし、木刀の切っ先を俺の喉元に突きつけた。


「いいか、坊主。AIは確率で動く。お前の筋肉の収縮、重心移動、視線の動き。それらを瞬時に解析して、『99%ここに来る』という予測を立てる。……だったら、どうする?」

「……裏をかく?」

「半分正解だ。だが、単なるフェイントも計算される。……必要なのは『カオス(混沌)』だ。意味のない動き、無駄な揺らぎ、確率論の外側にあるノイズ。……それを混ぜろ」


 彼は手を差し伸べて俺を起こしてくれた。


「お前は数学が嫌いなんだろ? だったら、体で計算式をぶっ壊せ。1+1=2じゃなくて、田んぼの田になるような、ふざけた剣を振ってみろ」


 無茶苦茶な理屈だ。

 だが、妙に腑に落ちた。

 俺の剣は、父から教わった「型」に縛られていた。それは人間同士の決闘では美徳だが、殺戮機械相手には足枷になる。


「……もう一回だ」


 俺は木刀を構え直す。

 今度は、正眼じゃない。

 剣先をだらりと下げ、足幅を広げ、あえて重心を不安定にする。


「ほう。……悪くない構えだ」


 レイモンドがニヤリと笑う。

 俺たちの特訓は、日が暮れるまで続いた。



 その夜。

 廃工場の一角で、美月の「メンテナンス」が行われた。


 レイモンドは古い発電機を回し、携帯用の診断端末を美月の背中にあるポートに接続した。

 彼女は上半身裸になり、背中を向けて椅子に座っている。

 俺は直視してはいけないと思い、少し離れた場所で焚き火の番をしていたが、どうしても視線がいってしまう。


 彼女の背中。

 白くなめらかな肌。

 だが、脊椎に沿って埋め込まれた金属のラインと、肩甲骨の下にある排熱ダクトのようなスリットが、彼女がただの人間ではないことを残酷に主張していた。

 そこから、不気味な青白い光が漏れ出している。


「……電圧が不安定だな。出力調整が上手くいってねえ」


 レイモンドが端末を見ながら独り言のように呟く。


「嬢ちゃん、最近、変な夢を見たりしねえか? 自分じゃない誰かの声が聞こえるとか」

「……たまに。視界がノイズだらけになって、すごく高いところから地上を見下ろしてる夢を見るの。……怖くて、寂しい夢」


 レイモンドの手がぴたりと止まる。

 彼は複雑な表情で美月の背中を見つめ、小さく溜息をついた。


「……そうか。同期シンクロが始まってやがるのか」

「え?」

「いや、なんでもねえ。少し設定をいじるぞ。……痛くても我慢しろよ」


 レイモンドは工具を取り出し、作業を続ける。

 俺はその会話の意味が分からなかった。

 ただ、二人の間に流れる空気が、妙に重苦しいことだけは感じ取れた。


「……なぁ、あんた」


 俺は焚き火の枝を折りながら尋ねた。


「美月の体はどうなってるんだ? ただのサイボーグじゃないんだろ?」

「……詮索は無しだ、坊主」


 レイモンドは振り返りもしない。


「俺は頼まれた荷物を届けるだけだ。……中身が爆弾だろうが、宝石だろうが、知らねえ方が幸せなこともある」

「爆弾……?」

「例え話だよ。……だがな」


 彼は作業の手を止め、ちらりと俺を見た。その瞳は、焚き火の光を受けて鋭く光っていた。


「一つだけ忠告しといてやる。……この娘(荷物)は、お前が思ってるよりずっと『重い』ぜ。世界を天秤にかけるくらいにな」


 意味深な言葉。

 俺は美月を見る。彼女は俯いていて、その表情は読み取れなかった。

 ただ、その背中の青い光だけが、何かを訴えるように脈打っていた。



 メンテナンスが終わり、レイモンドが先に寝てしまった後。

 俺と美月は、廃工場の屋上に上がった。

 錆びた手すりに寄りかかり、夜風に当たる。

 雲の切れ間から、月が見えた。今夜は満月だ。


「……綺麗」


 美月が月を見上げて呟く。


「月は、いつもあそこで私たちを見てるのね」

「ああ。……あの中に、アルテミスがいる」


 俺たちは沈黙した。

 聞きたいことは山ほどある。

 彼女の体の秘密。レイモンドの言った「重さ」の意味。

 だが、今の彼女の横顔を見ていると、それを問いただすことが躊躇われた。

 まるで硝子細工のように、触れれば壊れてしまいそうだったから。


「ねえ、レンくん」


 彼女が初めて、俺の名前を呼んだ。


「もし反乱軍のところに着いたら……私は、どうなるのかな」

「どうなるって……。母親の仲間なんだろ? 保護してくれるはずだ」

「うん。……でも、少し怖いの」


 彼女は自分の胸元をぎゅっと握りしめた。


「私の中に、私じゃない何かがいる気がする。……それが大きくなって、私を飲み込もうとしてる。もし私が私じゃなくなったら……レンくんは、どうする?」


 彼女の瞳が揺れる。

 その奥に、得体の知れない不安が見えた。

 俺は彼女の手を取った。冷たい指先。


「……何があっても、お前はお前だ」

「レンくん……」

「もしお前がおかしくなったら、俺がぶん殴ってでも連れ戻してやる。……だから安心しろ」


 乱暴な励まし。

 だが、美月はふっと表情を緩め、小さく笑った。


「……ふふっ。手荒だね」

「俺は不器用なんだよ」


 彼女は俺の肩に頭を預けた。

 甘い花の香りと、微かな機械油の匂い。

 その混ざり合った匂いが、俺の記憶に刻まれる。


 俺はこの時、まだ何も知らなかった。

 彼女が抱える秘密の本当の意味も。

 レイモンドの忠告の重さも。

 ただ、この温もりを守りたいと、そう願っただけだった。



 翌朝。

 俺たちの旅は再開された。

 目指すは、反乱軍の本拠地があるという「旧第三採掘プラント」。


 装甲車が荒野を駆ける。

 俺は揺れる荷台で、『月影』を抱えて目を閉じる。

 頭の中で、レイモンドとの訓練を反芻する。

 カオス。ノイズ。計算外の動き。


 ふと、美月が声を上げた。


「……あれ」

「ん?」

「空……何か来る」


 俺は目を開け、空を見上げた。

 遠く、北の空。黒い点がいくつも見えた。

 拡大していく。ドローンだ。それも、タナトス級の大型機が十機以上。

 さらに、その下には砂煙を上げて爆走する車両部隊。


「……見つかったか」


 レイモンドが舌打ちする。


「お早いお着きだぜ。……歓迎の準備はいいか、坊主!」

「いつでも!」


 俺は立ち上がり、『月影』を抜いた。

 太陽の光を浴びて、刀身がギラリと輝く。


 まだ反乱軍には着いていない。

 美月の秘密も分からないままだ。

 だが、ここで終わるわけにはいかない。

 俺たちの旅は、まだ始まったばかりなのだから。

お読みいただきありがとうございます。

毎日20:00に投稿しています。

続きを読みたいと思っていただけたら、ページ下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマーク登録をしていただけると非常に嬉しいです!

これからの励みになります。何卒よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ