第六話:機械仕掛けの心臓(クロックワーク・ハート)
荒野の朝は、鈍色のグラデーションと共にやってくる。
地平線から昇るのは、太陽という名の光源ではなく、分厚い汚染雲を透かして届く、ぼんやりとした熱量だ。
装甲車のエンジン音が、静寂な大気を震わせる。
俺は荷台の片隅で、揺れに耐えながら『月影』の手入れをしていた。
昨夜の戦闘でついた刃毀れはない。刀身に浮かぶ曇りを、油を含ませた布で丁寧に拭い取る。
単調な作業。
だが、この反復だけが、俺の思考をクリアにしてくれる。
「……器用だね」
隣から声がかかる。
志村美月。
彼女は毛布にくるまり、俺の手元を興味深そうに見つめていた。
その顔色は、昨夜よりは幾分マシに見える。
「慣れてるだけだ。親父に叩き込まれたからな」
「お父さんは、厳しかった?」
「ああ。剣術に関しては鬼だったよ。……でも、普段はふざけたオヤジだった。休みの日は俺を肩車して、近所の公園でヒーローごっこの悪役をやらされたりな」
懐かしい記憶。
平和だった頃の、色鮮やかな思い出。
それが今では、セピア色に褪せた遺物のように感じられる。
「……いいな」
「ん?」
「温かいね。その記憶」
美月は寂しげに微笑み、自分の胸元に手を当てた。
そこには、冷たい機械の心臓が埋まっているはずだ。
「私には、あまり記憶がないの」
「記憶喪失か?」
「ううん。断片的には覚えてる。学校のこととか、友達のこととか。……でも、その時の『感情』が思い出せないの」
「感情?」
「楽しかったはずなのに、ただ『楽しいという事実』としてデータ処理されてるみたい。悲しかったはずなのに、涙が出ない。……まるで、古い映画をスクリーン越しに見ているような、他人事みたいな感覚」
彼女は遠くを見る目をした。
「七年前の手術で、脳の一部も機械化されたから。……感情を司る部分が、チップに置き換わっちゃったのかもしれない」
ぞわり、と背筋が寒くなる。
人格の連続性。
昨日の自分と今日の自分は、本当に同じ人間なのか?
もし感情がデータとして処理されているなら、今の彼女が俺に向けている笑顔も、プログラムされた出力結果に過ぎないのか?
「……そんなことない」
俺は否定した。
論理的な根拠はない。ただの直感だ。
「お前は泣いてたじゃないか。昨日。怖がって、震えて、必死に生きたいと願ってた。……あれがプログラムなら、この世界の人間は全員ロボットだ」
「月岡くん……」
「俺は信じないぞ。お前の中身がどうなっていようと、俺の目の前にいる志村美月は、人間だ」
彼女の瞳が揺れる。
その奥で、また金色の光が一瞬だけ瞬いた気がした。
それは感謝の色か、それとも――。
ガタンッ!
装甲車が急停車した。
俺たちは前のめりになりかける。
「お楽しみのところ悪いが、到着だぜ。恋人ごっこは後にしてくれ」
運転席のレイモンドが振り返り、ニヤリと笑った。
俺たちが降り立ったのは、荒野の真ん中に鎮座する巨大な廃工場だった。
かつては自動車か何かを生産していたのだろう。錆びついた鉄骨がむき出しになり、巨大なクレーンが空に向かって虚しく腕を伸ばしている。
「ここは?」
「俺の隠れ家その2だ。……そして、お前の教室でもある」
レイモンドは装甲車のトランクを開け、中から無骨な金属の塊を取り出した。
訓練用のダミー人形だ。
さらに、木刀を二本放り投げてきた。
「受け取りな、坊主」
「……これは?」
「お前の剣術は悪くない。だが、対人戦の技術だ。人間相手なら無双できるだろうが、相手はAIだ。奴らには痛みも恐怖もない。関節を逆に曲げても平気で殴り返してくる。……分かるか? 人間と同じセオリーで戦ってたら、いつか死ぬぞ」
彼は懐から葉巻を取り出し、火を点けた。
紫煙をくゆらせながら、俺を見据える目は鋭い。
「お前に必要なのは、AI殺しのロジックだ。……まずは一本、俺から取ってみな」
彼は木刀をだらりと下げ、隙だらけの姿勢で立った。
自然体。
だが、俺の本能が警鐘を鳴らしている。
この男、強い。
「……手加減なしだぞ」
俺は木刀を正眼に構える。
間合い、三メートル。
一足一刀。
俺は踏み込んだ。
速い。
自分でもそう思う速度で、俺の木刀はレイモンドの肩口へと振り下ろされた。
だが。
スカッ。
手応えがない。
レイモンドは最小限の動き――半歩だけ体を捻り、俺の斬撃を紙一重でかわしていた。
そのまま、すれ違いざまに俺の足を払う。
「うわっ!?」
視界が回転し、背中から地面に叩きつけられる。
受け身を取る暇もなかった。
「がはっ……!」
「遅いな。……いや、速さは十分だ。だが、『線』が見えすぎてる」
「線……?」
「お前の剣は綺麗すぎるんだよ。教科書通り。だから軌道が読める。AIにとっちゃ、次のコマが描かれた漫画を読んでるようなもんだ」
レイモンドは俺を見下ろし、木刀の切っ先を俺の喉元に突きつけた。
「いいか、坊主。AIは確率で動く。お前の筋肉の収縮、重心移動、視線の動き。それらを瞬時に解析して、『99%ここに来る』という予測を立てる。……だったら、どうする?」
「……裏をかく?」
「半分正解だ。だが、単なるフェイントも計算される。……必要なのは『カオス(混沌)』だ。意味のない動き、無駄な揺らぎ、確率論の外側にあるノイズ。……それを混ぜろ」
彼は手を差し伸べて俺を起こしてくれた。
「お前は数学が嫌いなんだろ? だったら、体で計算式をぶっ壊せ。1+1=2じゃなくて、田んぼの田になるような、ふざけた剣を振ってみろ」
無茶苦茶な理屈だ。
だが、妙に腑に落ちた。
俺の剣は、父から教わった「型」に縛られていた。それは人間同士の決闘では美徳だが、殺戮機械相手には足枷になる。
「……もう一回だ」
俺は木刀を構え直す。
今度は、正眼じゃない。
剣先をだらりと下げ、足幅を広げ、あえて重心を不安定にする。
「ほう。……悪くない構えだ」
レイモンドがニヤリと笑う。
俺たちの特訓は、日が暮れるまで続いた。
その夜。
廃工場の一角で、美月の「メンテナンス」が行われた。
レイモンドは古い発電機を回し、携帯用の診断端末を美月の背中にあるポートに接続した。
彼女は上半身裸になり、背中を向けて椅子に座っている。
俺は直視してはいけないと思い、少し離れた場所で焚き火の番をしていたが、どうしても視線がいってしまう。
彼女の背中。
白くなめらかな肌。
だが、脊椎に沿って埋め込まれた金属のラインと、肩甲骨の下にある排熱ダクトのようなスリットが、彼女がただの人間ではないことを残酷に主張していた。
そこから、不気味な青白い光が漏れ出している。
「……電圧が不安定だな。出力調整が上手くいってねえ」
レイモンドが端末を見ながら独り言のように呟く。
「嬢ちゃん、最近、変な夢を見たりしねえか? 自分じゃない誰かの声が聞こえるとか」
「……たまに。視界がノイズだらけになって、すごく高いところから地上を見下ろしてる夢を見るの。……怖くて、寂しい夢」
レイモンドの手がぴたりと止まる。
彼は複雑な表情で美月の背中を見つめ、小さく溜息をついた。
「……そうか。同期が始まってやがるのか」
「え?」
「いや、なんでもねえ。少し設定をいじるぞ。……痛くても我慢しろよ」
レイモンドは工具を取り出し、作業を続ける。
俺はその会話の意味が分からなかった。
ただ、二人の間に流れる空気が、妙に重苦しいことだけは感じ取れた。
「……なぁ、あんた」
俺は焚き火の枝を折りながら尋ねた。
「美月の体はどうなってるんだ? ただのサイボーグじゃないんだろ?」
「……詮索は無しだ、坊主」
レイモンドは振り返りもしない。
「俺は頼まれた荷物を届けるだけだ。……中身が爆弾だろうが、宝石だろうが、知らねえ方が幸せなこともある」
「爆弾……?」
「例え話だよ。……だがな」
彼は作業の手を止め、ちらりと俺を見た。その瞳は、焚き火の光を受けて鋭く光っていた。
「一つだけ忠告しといてやる。……この娘(荷物)は、お前が思ってるよりずっと『重い』ぜ。世界を天秤にかけるくらいにな」
意味深な言葉。
俺は美月を見る。彼女は俯いていて、その表情は読み取れなかった。
ただ、その背中の青い光だけが、何かを訴えるように脈打っていた。
メンテナンスが終わり、レイモンドが先に寝てしまった後。
俺と美月は、廃工場の屋上に上がった。
錆びた手すりに寄りかかり、夜風に当たる。
雲の切れ間から、月が見えた。今夜は満月だ。
「……綺麗」
美月が月を見上げて呟く。
「月は、いつもあそこで私たちを見てるのね」
「ああ。……あの中に、アルテミスがいる」
俺たちは沈黙した。
聞きたいことは山ほどある。
彼女の体の秘密。レイモンドの言った「重さ」の意味。
だが、今の彼女の横顔を見ていると、それを問いただすことが躊躇われた。
まるで硝子細工のように、触れれば壊れてしまいそうだったから。
「ねえ、レンくん」
彼女が初めて、俺の名前を呼んだ。
「もし反乱軍のところに着いたら……私は、どうなるのかな」
「どうなるって……。母親の仲間なんだろ? 保護してくれるはずだ」
「うん。……でも、少し怖いの」
彼女は自分の胸元をぎゅっと握りしめた。
「私の中に、私じゃない何かがいる気がする。……それが大きくなって、私を飲み込もうとしてる。もし私が私じゃなくなったら……レンくんは、どうする?」
彼女の瞳が揺れる。
その奥に、得体の知れない不安が見えた。
俺は彼女の手を取った。冷たい指先。
「……何があっても、お前はお前だ」
「レンくん……」
「もしお前がおかしくなったら、俺がぶん殴ってでも連れ戻してやる。……だから安心しろ」
乱暴な励まし。
だが、美月はふっと表情を緩め、小さく笑った。
「……ふふっ。手荒だね」
「俺は不器用なんだよ」
彼女は俺の肩に頭を預けた。
甘い花の香りと、微かな機械油の匂い。
その混ざり合った匂いが、俺の記憶に刻まれる。
俺はこの時、まだ何も知らなかった。
彼女が抱える秘密の本当の意味も。
レイモンドの忠告の重さも。
ただ、この温もりを守りたいと、そう願っただけだった。
翌朝。
俺たちの旅は再開された。
目指すは、反乱軍の本拠地があるという「旧第三採掘プラント」。
装甲車が荒野を駆ける。
俺は揺れる荷台で、『月影』を抱えて目を閉じる。
頭の中で、レイモンドとの訓練を反芻する。
カオス。ノイズ。計算外の動き。
ふと、美月が声を上げた。
「……あれ」
「ん?」
「空……何か来る」
俺は目を開け、空を見上げた。
遠く、北の空。黒い点がいくつも見えた。
拡大していく。ドローンだ。それも、タナトス級の大型機が十機以上。
さらに、その下には砂煙を上げて爆走する車両部隊。
「……見つかったか」
レイモンドが舌打ちする。
「お早いお着きだぜ。……歓迎の準備はいいか、坊主!」
「いつでも!」
俺は立ち上がり、『月影』を抜いた。
太陽の光を浴びて、刀身がギラリと輝く。
まだ反乱軍には着いていない。
美月の秘密も分からないままだ。
だが、ここで終わるわけにはいかない。
俺たちの旅は、まだ始まったばかりなのだから。
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