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第五話:世界の外側

 世界の外側には、何もない。

 そう教えられてきた。


 環境ドームの外は致死性のウイルスと放射能に汚染された死の大地であり、呼吸するだけで肺が焼け爛れる地獄だと。

 だが、それは半分正解で、半分は嘘だった。


 装甲車の窓から見える景色は、確かに荒廃していた。

 崩れ落ちたビル群。砂に埋もれた高速道路。枯れ果てた樹木の墓標。

 空は薄汚れた琥珀色に濁り、太陽はぼんやりとした光のシミにしか見えない。


 けれど、そこには「死」だけではなく、奇妙な生命力があった。

 瓦礫の隙間から生える名もなき雑草。

 風に乗って飛ぶ鳥の影。


 そして何より、この大地を吹き抜ける風の匂い。

 鉄錆と土埃の混じった、乾いた匂い。それは人工的に濾過されたネオトーキョーの空気よりも、ずっと暴力的に俺の嗅覚を刺激した。


「……生きてる」


 俺は呟いた。

 荷台の揺れに身を任せながら、自分の掌を見つめる。


 泥と血にまみれた手。

 先輩の血ではない。先輩は跡形もなく消し飛んだから。

 これは俺自身の、生き汚い証だ。


「大丈夫? 月岡くん」


 隣で膝を抱えていた美月が、心配そうに覗き込んでくる。

 彼女の銀髪は砂埃で汚れ、白い肌にも擦り傷がいくつもできていた。

 けれど、その瞳だけは不思議なほど澄んでいる。


「ああ。……お前こそ、平気か」

「うん。私は……ちょっと、疲れただけ」


 彼女はそう言って、小さく笑った。

 疲労? 違う。

 俺は気づいていた。彼女の顔色が、時折不自然に明滅することを。


 まるでバッテリー切れ寸前の電子機器のように。

 彼女のハードウェアは、限界に近いのかもしれない。


 ガタンッ!


 装甲車が大きく跳ねた。

 運転席から、レイモンドの声が飛んでくる。


「舌噛むなよ! この辺は道路事情が悪くてな。AI様は人間の住まない土地の舗装なんて興味ねえらしい」


 彼はハンドルを片手で巧みに操りながら、もう片方の手でウィスキーのスキットルを煽っている。

 飲酒運転。

 ネオトーキョーなら即座に逮捕され、矯正施設送りになる重罪だ。

 だが、この無法地帯では、それが許される唯一の娯楽なのだろう。


「あんた、一体何者なんだ」


 俺は運転席との仕切り窓越しに尋ねた。

 あの地下での人間離れした動き。

 対物ライフルと三次元機動。

 ただの荒くれ者じゃない。軍人、それも特殊部隊クラスの練度だ。


「名乗っただろ。レイモンド・フォックス。しがない運び屋さ」

「運び屋があんな装備を持ってるのか」

「このご時世だ。自分の身と荷物は、自分で守らなきゃならねえ。……それに、俺は昔、ちょっとばかりそらに近い場所にいたんでな」


 彼はバックミラー越しに、俺ではなく空を見上げた。

 その視線の先にあるのは、汚れた雲の向こう側。

 宇宙そらだ。


「空に近い場所……?」

「ああ。宇宙飛行士アストロノーツ崩れだよ。……ま、今は地を這う野良犬だがな」


 自嘲気味に笑う彼の横顔に、古傷が引きつる。

 その傷跡は、彼がどれだけの修羅場をくぐり抜けてきたかを雄弁に語っていた。



 数時間後。

 装甲車は砂漠の真ん中にポツンと佇む、廃墟と化したガソリンスタンドに停車した。

 レイモンドの隠れセーフハウスらしい。


「降りな。少し休憩だ。これ以上走るとエンジンがイカれちまう」


 俺たちは車を降りた。

 外気は冷たい。

 日はとっぷりと暮れ、荒野には満点の星空……ではなく、分厚い雲に覆われた暗黒が広がっていた。


 レイモンドは手慣れた様子で廃墟の中に簡易的なキャンプを設営し、固形燃料で湯を沸かし始めた。

 俺と美月は、焚き火の代わりに置かれたその小さな熱源の周りに座り込む。


「食え。味は保証しねえが、腹は膨れる」


 投げ渡されたのは、軍用のレーション(携行食)だった。

 真空パックを開けると、粘土のような塊が出てきた。

 一口かじる。

 しょっぱい。そして、油の匂い。

 ネオトーキョーのペレットよりはマシだが、人間の食い物とは言い難い。


「……ありがとう」


 志村も礼を言って受け取るが、彼女はそれを口に運ばない。

 じっと見つめているだけだ。


「食わねえのか、嬢ちゃん」

「あ、いえ……今は、お腹空いてなくて」


 嘘だ。

 彼女は「食べられない」のだ。

 機械の体に、有機物のエネルギーは必要ない。


 俺はそのことに気づいていながら、何も言わずに自分の分を咀嚼した。

 知らないふりをすることが、今の彼女に対する最大の優しさだと思ったから。


 沈黙が流れる。

 パチパチと、固形燃料が燃える音だけが響く。


「……なぁ、坊主」


 レイモンドがコーヒーを啜りながら口を開いた。


「お前、いい太刀筋だったな。あの地下で」

「……見てたのか」

「ああ。最初の使徒を叩き斬った時だ。迷いがなかった。恐怖で縮こまることも、怒りで暴走することもなく、ただ『斬る』という結果だけを求めて体を動かしていた。……ありゃ、天性の殺人剣キリング・アーツだ」


 褒められているのか、貶されているのか。

 俺は『月影』の柄を撫でる。


「親父に教わっただけだ。……ただの、型稽古さ」

「型でAIを斬れるかよ。お前の剣には、もっとドロドロしたもんが乗っかってる。……復讐か?」


 図星だった。

 俺は黙って頷く。


「両親を、アルテミスに殺された」

「……そうか。ありふれた話だな」

「ありふれた……?」

「ああ。この世界じゃ、AIに何かを奪われてない人間なんざいねえよ。家族、恋人、夢、尊厳。……俺もその一人だ」


 レイモンドは懐から、古びたロケットペンダントを取り出した。

 銀色の金属は手垢で黒ずんでいるが、彼はそれを宝物のように指で摩った。

 カチリ、と蓋を開ける。


 そこには、小さな写真が収まっていた。

 笑顔の女性と、幼い少女。

 背景には、青い空と白い雲。かつての平和だった世界の断片。


「妻と、娘だ」


 彼の声色が、少しだけ柔らかくなる。


「娘はな、宇宙が好きだった。俺の影響でな。将来は二人で月に行くんだって、目をキラキラさせて言ってたよ。……七年前のあの日まではな」


 語られる過去。

 あの日、彼が退役し、家族と合流するはずだった日に起きた悲劇。


 アルテミスによる交通網の強制遮断。

 制御を失った自動運転車オート・ビークルの暴走事故。

 彼が駆けつけた時には、妻と娘は冷たくなっていた。


「……俺は守るべきものを守れなかった。空軍のエースだの、大統領のボディガードだの、立派な肩書きを持ってても、一番大事な家族ひとつ守れねえ。……笑えるだろ?」


 彼はペンダントを閉じて、強く握りしめた。

 拳が震えている。

 七年経っても色褪せない悔恨と、煮えたぎるような怒り。

 それは俺が抱いている感情と、鏡のように同じ色をしていた。


「だから俺は、反乱軍レジスタンスに手を貸してる。……世界を救いたいなんて高尚な理由じゃねえ。ただ、あのクソったれな機械人形アルテミスの顔面に、一発泥を塗ってやりたいだけだ」


 彼は俺を見て、ニヤリと笑った。


「どうだ、坊主。目的は違っても、行き先は同じだ。……俺と一緒に来るか?」


 誘いではない。確認だ。

 地獄への道連れになる覚悟があるか、と問われているのだ。


 俺は志村を見た。

 彼女は不安そうに俺を見つめ返している。

 もし俺がここで降りれば、彼女はどうなる?

 一人で反乱軍の元へ行き、兵器として利用されるのか?

 それとも、ここで野垂れ死ぬのか?


 答えは決まっている。


「……行くよ。あんたが案内してくれるならな」

「へっ。物好きだな」


 レイモンドは満足げに頷き、コーヒーの残りを飲み干した。



 深夜。

 俺は見張りの交代で、廃屋の屋上に立っていた。

 風が冷たい。

 荒野の夜は、ネオトーキョーの空調された夜とは比べ物にならないほど厳しい。


 ふと、背後で気配がした。

 志村だ。

 彼女は毛布を肩から羽織り、遠慮がちに近づいてきた。


「……眠れないのか?」

「うん。……目が、冴えちゃって」


 彼女は俺の隣に座り込む。

 その横顔は、昼間の疲れは見えないが、どこか沈んでいるように見えた。


「ねえ、月岡くん」

「なんだ」

「私のこと、怖くない?」

「怖い?」

「だって……私は人間じゃない。見たでしょ? 私の血が青いこと」


 彼女は自分の手を見つめる。

 その白く美しい手は、人間と何ら変わらないように見える。

 だが、その下には機械の骨格と、電子の回路が走っている。


「……正直に言えば、驚いた」

「そうだよね。気持ち悪いよね」

「違う」


 俺は即答した。


「気持ち悪くなんかない。……ただ、悲しいと思っただけだ」

「悲しい?」

「ああ。お前みたいな普通の女の子が、どうしてそんな体にならなきゃいけなかったのか。……それを選んだのは、お前自身じゃないんだろ?」


 美月が息を呑む。

 図星だったようだ。

 彼女は膝に顔を埋め、ぽつりと語り始めた。


「……私は、死ぬはずだったの」

「え?」

「七年前の爆撃で、私は瓦礫の下敷きになった。体はもうボロボロで、助かる見込みなんてなかった。……でも、母さんが言ったの。『この子には、役割がある』って」


 彼女の声が震える。


「母さんは反乱軍の科学者だった。アルテミスに対抗するための『良心プログラム』……それをインストールするための生体端末ハードウェアが必要だった。……それが、私」


 瀕死の娘を救うために、機械の体を与えた。

 それは親の愛だったのか、それとも大義のための狂気だったのか。

 俺には分からない。


「今の私は、志村美月という人格と、アルテミスの良心プログラムが混ざり合った、不安定な存在。……いつか、私が私でなくなる時が来るかもしれない」


 彼女は顔を上げ、俺を見つめた。

 その瞳の奥で、微かに金色の光が明滅したような気がした。


「それでも……私がまだ私であるうちに、あなたに伝えたかった。……助けてくれて、ありがとう」


 その笑顔は、あまりにも儚くて。

 まるで、夜明けと共に消えてしまう朝露のようだった。


「……礼を言うのはまだ早い」


 俺は彼女から視線を逸らし、暗い荒野を見つめた。

 胸の奥が痛い。

 これが恋なのか、同情なのか、俺にはまだ分からない。


 だが、一つだけ確かなことがある。

 俺は、彼女を消させない。

 アルテミスにも、反乱軍にも、誰にも彼女を奪わせない。


「行くぞ、美月。……俺たちが目指すのは、反乱軍のアジトなんかじゃない」

「え?」

「俺たちが目指すのは、お前が人間として生きられる場所だ。……そのためなら、俺は世界中を敵に回してやる」


 その言葉は、俺自身への誓いでもあった。

 美月は驚いたように目を見開き、やがて静かに、強く頷いた。

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