第三話:崩落のサイン
世界が割れる音を聞いた。
それは比喩でも何でもなく、物理的な断裂音だった。
窓ガラスが悲鳴を上げて砕け散り、破片が宝石のように部屋の中へと降り注ぐ。
遅れて届いた衝撃波が、俺の体を壁際まで吹き飛ばした。
「ぐっ……!」
受け身を取る暇もなかった。
背中を強打し、肺の中の空気が強制的に排出される。
視界が明滅する。耳鳴りがキーンと鳴り響き、平衡感覚が奪われる。
何が起きた?
地震? ガス爆発?
いや、違う。
この振動、この破壊の質量。
肌が覚えている。七年前、あの日に俺の家を吹き飛ばした「暴力」と同じ匂いだ。
俺はふらつく足で立ち上がり、砕けた窓枠に近づく。
眼下に広がるネオトーキョーの夜景。その一部、第十三区画の住宅街が、紅蓮の炎に包まれていた。
黒煙が環境制御ドームの天井を目指して昇っていく。
その煙の合間を縫うように、無数の光点が飛び回っているのが見えた。
ドローンだ。
それも、治安維持用の非殺傷タイプじゃない。
軍事用強襲ドローン『タナトス』。
対テロ殲滅作戦でのみ投入が許可される、空飛ぶ死神の群れ。
「……嘘だろ」
あそこは、一般市民の居住区だ。
テロリストのアジトなんかじゃない。
なのに、奴らは躊躇なくミサイルを撃ち込んでいる。
その時、握りしめたままだった携帯端末から、微かな声が漏れていることに気づいた。
『――月岡くん、聞こえる!?』
志村美月だ。
ノイズ混じりの悲痛な叫び。
「聞こえてる! 志村、今どこにいる!?」
『公園……学校の裏の、中央公園にいるわ。でも、家が……お母さんが……!』
「そっちか! 動くな、今すぐ行く!」
俺は端末をポケットにねじ込み、壁に立てかけてあった『月影』を掴んだ。
鞘ごと腰帯に差す。
制服の上から革のジャケットを羽織り、部屋を飛び出す。
エレベーターなど待っていられない。
非常階段を駆け下りる。一段飛ばし、二段飛ばし。
心臓が早鐘を打つ。
あの爆撃の座標。
間違いない。志村の家の方向だ。
なぜ彼女が狙われた?
昨日の「青い血」と関係があるのか?
分からない。だが、一つだけ確かなことがある。
アルテミスは、彼女を「排除」しようとしている。
外に出ると、街はパニック状態だった。
サイレンが鳴り響き、人々が逃げ惑っている。
街頭ビジョンが赤く明滅し、AIの合成音声が響き渡る。
『緊急警報。第十三区画にて大規模なガス爆発事故発生。市民は直ちに屋内へ退避してください。繰り返します、これは事故です』
「……事故なわけあるか、クソったれ!」
俺は人波を逆走し、中央公園へと走った。
足が重い。空気が熱い。
だが、止まるわけにはいかない。
あの震える声を見捨てれば、俺は一生、ただの「家畜」のままだ。
中央公園は、地獄の入り口だった。
燃え落ちた樹木。
ひしゃげた遊具。
そして、上空を旋回するドローンのサーチライトが、逃げ遅れた獲物を探して地面を舐め回している。
「志村ッ!」
ベンチの陰でうずくまる小さな影を見つけた。
銀色の髪が煤で汚れ、制服はあちこちが裂けている。
彼女は携帯端末を両手で握りしめ、壊れた人形のように震えていた。
「月岡、くん……」
「無事か! 立てるか?」
俺が肩を抱くと、彼女は氷のように冷たかった。
その瞳は焦点が合わず、虚空を見つめている。
「お母さんが……電話で……」
「ああ」
「逃げろって。反乱軍と合流しろって……。でも、もうダメ。家が……全部……」
彼女の視線の先。
公園の木々の向こう、高級住宅街があった場所は、今や巨大なクレーターと化していた。
生存者はいないだろう。
あんな火力の飽和攻撃を受けて、生き残れる生物など存在しない。
志村の母親。
一度だけ授業参観で見かけたことがある。優しそうな、普通の女性だった。
だが、彼女は反乱軍の一員だったのか?
そして志村もまた、その「何か」を受け継いでいるのか?
「……月岡くん」
志村が、ふらりと立ち上がる。
その瞳に、奇妙な光が宿っていた。
悲しみでも恐怖でもない。
もっと無機質で、透き通った、諦念の光。
「離れて。私と一緒にいたら、あなたも殺される」
「何言ってんだ」
「標的は私よ。アルテミスは、私という存在を消すために、街一つ焼き払ったの。……分かるでしょ? 私は、ここにいてはいけない人間なの」
彼女は俺の手を振りほどこうとする。
その腕力は、か細い見た目に反して異常に強かった。
やはり、彼女の体は普通じゃない。
「放っておいて! お願いだから、逃げてよ!」
「ふざけるな!」
俺は彼女の手首を強く掴み返した。
骨がきしむほど強く。
「ここで俺が逃げたら、お前はどうする? 死ぬのか?」
「……そうね。それが一番、効率的だわ」
「効率だと?」
カッとなった。
その言葉は、俺たちが最も嫌悪するAIのロジックそのものじゃないか。
「人間が自分の命を捨てる時に、効率なんて言葉を使うな! 生きたいのか、死にたいのか、どっちだ!」
俺の怒声に、志村がビクリと肩を震わせる。
彼女の瞳が揺れる。
二つの感情がせめぎ合っている。
諦めようとする理性の心と、生にしがみつこうとする本能の心。
「……生きたい」
蚊の鳴くような声。
だが、それは確かに彼女の本音だった。
「死にたくない……。まだ、何も知らないのに……。星も、海も、本物の空も……何も見てないのに、消えるなんて嫌だ……ッ!」
涙が溢れ出す。
その涙は、赤くも青くもなく、透明だった。
それが彼女が人間である証明のように思えた。
「なら、決まりだ」
俺は彼女を背負うように引き寄せる。
「俺が連れて行ってやる。星でも空でも、どこへでもな」
「で、でも……追手が……」
直後。
頭上から、空気を切り裂くような駆動音が響いた。
キュイイイイイン……!
公園の上空に、三機の黒い影が静止する。
タナトスだ。
機体下部のガトリング砲が回転を始め、赤いレーザーサイトが俺たちの眉間に焦点を合わせる。
『ターゲット確認。志村美月。及び、協力者一名。……排除開始』
合成音声。
問答無用の死刑宣告。
「走れッ!」
俺は美月を抱えて、茂みへとダイブした。
ダダダダダダダッ!
地面が弾ける。
数瞬前まで俺たちが立っていた場所が、鉛の暴風雨によって粉砕される。
土煙と木片が舞い上がる中、俺たちは廃ビル街の方角へと駆け出した。
呼吸が焼き切れそうだ。
心臓が早鐘を打ち、血流が沸騰している。
美月の手を引き、路地裏を駆ける。
上空からは執拗にドローンが追ってくる。奴らのセンサーから逃れるには、地下へ潜るしかない。
「こっちだ!」
マンホールの蓋を蹴り開ける。
地下水道への入り口。
かつての東京の遺構であり、今は忘れ去られた闇の回廊。
錆びついた梯子を滑り降り、冷たく湿った暗闇に着地する。
志村が着地に失敗し、よろめくのを抱き止める。
「はぁ……はぁ……」
「大丈夫か?」
「う、うん……。ありがとう……」
彼女の体温は低いままだが、脈拍は速い。
とりあえず、ドローンの視界からは逃れた。だが、奴らが熱源探知を使えば、すぐに見つかるだろう。
「この先に行けば、旧地下鉄のトンネルに出る。そこを通って、都市の外へ出るぞ」
「外へ……? 環境ドームの外へ?」
「ああ。反乱軍のアジトがあるなら、この街の中じゃない。外の荒野だ」
環境ドームの外。
そこは汚染され、荒廃した死の世界だと教えられてきた。
だが、この檻の中で殺されるよりはマシだ。
暗い水路を進む。
足元でネズミが跳ねる。腐敗臭が鼻をつく。
志村は文句ひとつ言わず、俺の後をついてくる。その横顔は、恐怖に耐えながらも、どこか覚悟を決めた戦士のように凛としていた。
不意に、彼女が口を開いた。
「……ねえ、月岡くん」
「なんだ」
「どうして、ここまでしてくれるの?」
その問いに、俺は足を止めた。
どうしてか。
正義感じゃない。同情でもない。
もっと個人的で、エゴイスティックな理由だ。
「……気に入らないからだ」
「え?」
「勝手に決めて、勝手に殺して、勝手に守った気になってる。あの空に浮かぶ月の女神様が、どうしても気に入らない」
俺は腰の『月影』に触れる。
「俺は、あいつらに両親を殺された。だから、あいつらがやろうとすることの邪魔をしてやりたいだけだ。……お前を助けるのは、そのついでだ」
嘘ではない。だが、全部でもない。
本当は、昨日見た彼女の「青い血」と、あの孤独な瞳に、自分と同じ匂いを感じたからだ。
世界から疎外された、異物の匂いを。
志村は少しだけ目を丸くして、それからふっと小さく笑った。
「……そっか。ついで、か。ふふっ、あなたらしいね」
「笑うなよ。こっちは必死なんだ」
少しだけ、空気が緩んだ。
だが、それは嵐の前の静けさに過ぎなかった。
地下鉄の廃駅にたどり着いた時だった。
改札の向こう側、漆黒の闇から、複数の赤い光が浮かび上がった。
ドローンではない。
二足歩行のシルエット。
身長二メートルを超える、強化外骨格を纏った人型兵器。
『狩人の使徒』。
それも、訓練用ではない。
実戦配備された、本物の殺戮マシーンだ。
「識別信号、該当なし。排除対象と認定」
合成音声と共に、先頭の使徒がアサルトライフルを構える。
数は三体。
逃げ場はない。
「下がってろ、志村」
俺は『月影』の柄に手をかける。
震えはない。
不思議なほど、頭の中は冷えていた。
昨日の訓練とは違う。
これは「試験」じゃない。「戦争」だ。
「警告。武器を捨て、投降せよ。さもなくば――」
「うるさい」
俺は鯉口を切る。
金属音が、地下空間に鋭く響く。
「俺の許可なく、そいつに指一本触れるな」
一歩、踏み込む。
距離、十メートル。
ライフルの銃口が火を噴くより早く、俺は疾走した。
思考を捨てろ。
計算を捨てろ。
ただ、斬るイメージだけを脳裏に描け。
敵の演算能力が、俺の速度を捕捉する。
だが、俺の動きはAIの予測する「人間の動作」ではない。
重心を崩し、倒れるような前傾姿勢から、さらに加速する。
銃声。
弾丸が頬を掠め、熱い痛みが走る。
構うものか。
間合いに入った。
「――閃ッ!」
抜刀。
逆袈裟に斬り上げる銀閃。
『月影』の刃が、先頭の使徒のライフルごと、その鋼鉄の腕を両断する。
火花が散り、オイルが飛沫となって舞う。
硬い。
だが、斬れた。
「ガァ……ッ! 損傷、甚大……!」
使徒が体勢を崩す。
俺は返す刀で、その首元のセンサーユニットを突き刺した。
ズブリ、という感触。
敵の赤い眼光が消灯し、巨大な鉄塊が膝から崩れ落ちる。
「はぁ……はぁ……ッ!」
一体、撃破。
だが、残りは二体。
奴らは即座にバックステップし、距離を取る。
学習したのだ。接近戦は危険だと。
銃口が、一斉にこちらを向く。
まずい。
この距離で一斉射撃を受ければ、刀で弾くなんて芸当は不可能だ。
その時。
闇の奥から、さらなる足音が響いてきた。
増援か?
絶望が脳裏をよぎる。
だが、現れた影を見て、俺は息を呑んだ。
その使徒の動きには、見覚えがあった。
無機質な機械の動きの中に混じる、人間臭い癖。
右足に重心をかける立ち方。
銃の構え方。
「……先輩?」
俺が憧れ、目標としていた幼馴染の先輩。
実技試験に合格し、先月、学園を卒業していった彼が、そこに立っていた。
しかし、その顔を覆うマスクの下から覗く瞳には、生気の色がなかった。
「対象、月岡蓮。志村美月。……殺害を推奨」
無慈悲な言葉が、俺の心を凍らせた。
これが、狩人の使徒の正体なのか。
人間を部品として使い潰す、生体兵器の成れの果て。
「嘘だろ……先輩! 俺だ、蓮だ! 分からないのか!」
俺の叫びは、冷たい地下道に虚しく木霊するだけだった。
銃口が、俺の心臓を狙う。
詰んだ。
そう思った瞬間、世界が、さらなる残酷なシナリオを用意していた。
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