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第二話:青い血の少女

 第一三環境保全都市、高等教育機関。通称「学園」。

 白を基調とした無機質な校舎は、まるで巨大な病院のようだ。


 午後の訓練場。

 広大なアリーナには、選抜試験を受ける生徒たちが整列していた。


 空気は張り詰めている。ここで良い成績を残せば、将来のキャリアは約束される。逆に失敗すれば、一生ドローン整備の下請け作業員として終わる。

 それがこの世界のルールだ。


「次、IDナンバー2045、月岡蓮」


 教官のアナウンスが響く。

 俺は列から進み出る。


 視線を感じる。

 嘲笑、あるいは憐憫。

「あいつ、座学の成績はボロボロだぜ」「筋肉だけが取り柄の野蛮人バーバリアンか」

 聞こえてくる囁き声を、俺は意識の外へと追いやる。


 センターサークルに立つ。

 対面には、軍事用自律訓練ドローン『アイギス・マークⅣ』が三機、不気味な浮遊音を立てて展開していた。


 丸みを帯びたボディに、単眼のカメラアイ。

 その瞳が赤く明滅する。

 戦闘モード起動キリング・モード・オン


 俺は手渡された訓練用の電磁警棒スタンバトンを構える。

 重心が悪い。軽すぎる。

 いつもの『月影』とは違う、魂の入っていない工業製品。

 だが、これで十分だ。


「試験開始」


 ブザーと同時に、空気が爆ぜた。

 速い。

 三機のドローンが、それぞれ異なる軌道を描いて殺到する。


 正面からの突撃。

 左側面からの回り込み。

 そして、上空からの急降下。


 一般人の動体視力では、残像すら捉えられないだろう。

 すべてが計算された、完璧な連携攻撃キル・プロセス


 だが――


(……遅い)


 俺の視界の中で、世界が泥のように変質する。

 時が引き伸ばされる。


 ドローンの推進器が噴射する微細な予備動作。

 装甲板が軋む音。

 カメラアイが俺の急所をロックオンする電子的な気配。


 すべてが、手に取るように分かる。

 思考はいらない。

 1+1の答えを出す前に、俺の体は答えを知っている。


 一歩、踏み込む。

 床を蹴る摩擦音が、銃声のように響く。


 正面のドローンの突撃を、首の皮一枚の動きで回避。

 通り過ぎる瞬間、ドローンの装甲の継ぎ目――一番脆いセンサー部分に、バトンの先端を叩き込む。


 ガガンッ!


 硬質な破壊音。

 一機目が制御を失い、壁へと吹き飛ぶ。


 残り二機。

 奴らは即座に再計算を行う。

『脅威度修正。包囲殲滅モードへ移行』

 動きが変わる。直線的な動きから、変則的な機動へ。


 無駄だ。

 お前たちの動きは「正解」すぎる。

 最短距離、最小コスト、最大効率。

 だからこそ、読める。

 人間の殺意カオスを持たない刃など、俺には届かない。


 上空からの急降下に合わせて、俺はあえて棒立ちになる。

 隙を見せる。

 機械はそれを「好機」と判断する。

 馬鹿め。それは「餌」だ。


 ドローンが俺の頭蓋を砕こうと迫る。

 あとコンマ一秒。

 ここだ。


 俺は膝を抜き、体を沈める。

 同時に、腰の回転だけでバトンを振り抜く。

 居合の要領。


 横一文字の閃光が、二機目のドローンを両断……はできないが、メインスラスターを粉砕する。


 回転の勢いを殺さず、そのまま背後へ跳躍。

 三機目が俺の背中を狙って放ったスタン弾を、空中で身を捻って回避。

 着地と同時に、踏み込み。


「終わりだ」


 俺はバトンを逆手に持ち替え、三機目のカメラアイへと突き入れた。


 バヂヂヂヂッ!


 火花が散り、ドローンが墜落する。

 静寂。

 三機の鉄屑が転がるアリーナの中心で、俺は息一つ切らさずに立っていた。


「……終了。評価、Aランク」


 教官の声には、称賛よりも困惑が混じっていた。

 周囲の生徒たちがざわめく。

「見たか?」「あいつ、機械の動きを先読みして……」「まるで野獣だ」


 俺はバトンを放り投げ、汗を拭うこともなく出口へと向かう。


 手応えはあった。

 だが、心は冷えたままだ。

 所詮はプログラムされた人形遊び。

 本物の殺し合い、命のやり取りにあるはずの「熱」が、ここにはない。


 俺が斬りたいのは、こんなオモチャじゃない。

 もっと巨大で、傲慢で、空から俺たちを見下ろしている「神様」の首だ。



 放課後。

 俺は喧騒を避けるように、旧校舎へと足を運んだ。


 今はもう使われていない、七年前の震災ザ・コレクションの爪痕が残る廃墟同然の建物。

 ここだけはAIの監視カメラも少なく、埃っぽい空気が妙に落ち着くのだ。


 渡り廊下を歩いている時だった。

 夕陽が差し込む窓辺に、人影があった。


 銀色の髪。

 西日を受けて、それは燃えるような黄金と、冷たい白銀が混ざり合った不思議な色合いを見せていた。


 志村美月。

 同じクラスの女子生徒。


 成績は常にトップ。数学のテストでは満点を取り続ける、俺とは対極の存在。

 容姿端麗で、どこか近寄りがたい雰囲気を纏っていることから「氷の令嬢」なんて呼ばれているが、俺にとっては「住む世界の違う人間」でしかなかった。


 だが、今日の彼女は様子がおかしい。

 窓枠に手をかけ、肩を震わせている。

 泣いているのか?

 いや、違う。


 彼女の足元に、何かが滴っていた。

 窓ガラスの破片が散らばっている。

 怪我をしたのか。


「……おい、大丈夫か?」


 関わるつもりはなかった。

 だが、口が勝手に動いていた。

 彼女は弾かれたように振り返り、その大きな瞳を見開いた。


「――っ!?」

「月岡、くん……」


 彼女は咄嗟に右手を背後に隠した。

 だが、遅い。

 俺は見てしまった。


 床に落ちた液体。

 それは、赤くなかった。


 青い。

 どこまでも澄んだ、まるで月光を液状化したような、鮮やかな青色サファイア・ブルー

 それが、彼女の指先からポタポタと滴り落ちていた。


「え……?」


 思考が停止する。

 血じゃない。

 人間じゃない。

 じゃあ、目の前にいる「彼女」は何だ?


 漂ってくる匂い。

 それは鉄錆の匂いと、微かなオゾン臭。

 そして、甘く冷たい、人工的な芳香。


 彼女の顔色が、恐怖に染まる。

 それは痛みのせいじゃない。

 「見られた」ことへの、根源的な恐怖。


「……来るな」


 震える声で、彼女が言った。


「月岡くん。……見なかったことにして」

「お前、その指……」

「お願い! 私のことなんて忘れて! 関わらないで!」


 悲鳴のような拒絶。

 彼女は俺を突き飛ばす勢いで横をすり抜け、走り去っていった。

 廊下に残された青い染みだけが、今の光景が幻覚ではなかったことを告げている。


 俺はその場に立ち尽くしていた。


 志村美月。

 ただの優等生だと思っていた。

 だが、今のあの瞳。

 怯えの奥に隠されていたのは、人間離れした冷徹さと、ガラス細工のように脆い儚さ。


 ざわり、と肌が粟立つ。

 予感がした。

 今日まで続いてきた、退屈で平和な日常。

 それが音を立てて崩れ去っていく予感が。


 俺は足元の青い液体を見つめる。

 それは夕陽を反射して、不気味に、けれど美しく輝いていた。

 まるで、落ちてきた空の欠片のように。



 帰宅したのは、日が暮れてからだった。

 部屋の明かりをつけず、俺はソファに沈み込む。


 『月影』を抱き抱える。

 鞘の冷たさが、火照った思考を冷やしてくれる気がした。


 あの青い血。

 志村美月の正体。

 そして、俺自身の中に巣食う、満たされない破壊衝動。


 すべてが繋がっているような気がしてならない。

 窓の外を見上げる。

 環境制御された夜空には、ホログラムの星々が瞬いている。

 偽物の星座。

 計算されたロマンチシズム。


「……くだらない」


 俺は目を閉じる。

 瞼の裏に焼き付いているのは、あの鮮烈な青色だ。


 明日になれば、また灰色の日常が始まるはずだった。

 数学の追試を受け、AIに従い、死んだように生きる日々。


 だが、俺の予感は正しかった。

 世界は、俺たちが眠っている間に、唐突にその形を変えようとしていたのだ。


 携帯端末が震えた。

 ニュース速報ではない。

 非通知の着信。


 胸騒ぎがした。

 この電話に出れば、もう二度と「こちら側」には戻れない。

 そんな確信めいた恐怖を感じながら、俺は震える指で通話ボタンを押した。


 そこから聞こえてきたのは、ノイズ混じりの、助けを求める少女の声だった。


『――助けて。月岡くん』


 それは、あの日屋上で聞いた、志村美月の声だった。

 そして同時に、遠くの空で爆音が轟いた。

 窓ガラスがビリビリと震える。

 俺は弾かれたように立ち上がり、カーテンを開け放った。


 街の向こう側。

 第十三区画の住宅街から、紅蓮の炎が上がっていた。


 日常が終わった。

 いや。

 ようやく、俺の戦争が始まるのだ。

お読みいただきありがとうございます。

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