1.出会い
こいつは僕の処女作&初投稿作品になるので是非にアドバイス頂けますか?><
かなり拙い物になっておりますがご容赦を・・・
「――『魔法使い』っておると思う?」
そう聞いてきた彼女の眼はどこまでも純粋で真剣だった。
――俺は坂出満《さかいでみつる》、派遣社員だ。
経歴も出身もいたって普通な二十代前半、男性だ。親に仕事や結婚のことをごちゃごちゃ言われるのが嫌で家を飛び出して以来、一人暮らしをしている。
手持ちの金もあまりなかったので、家賃が三万の、震度五強の地震が来たら間違いなくつぶれそうなボロアパートの一室に住んでいる。
このボロアパートが建っている街の名前は高崎町、地方都市や郊外などと呼ばれる地域だ。そのため企業や工場などは少なく、住宅街がずらりと立ち並んでいるのだが、その中でも俺の住んでいるアパートはその中でも特に古い。というかボロい。
学校は二校ほど、高速も通って鉄道もちゃんとあるし、大きな病院や図書館も備わっている便利な街だ。
住む家は見つかったものの俺はフリーターだったので、まず就職先を探さなければならなかった。ただ、なりたい職業とか、やりたいこと、特技なんてのもなかったのでとりあえずはけん派遣会社に就職してみた。指定された派遣先は『陽気引越社《ようきひっこししゃ》』とかいう地元じゃそこそこ有名な会社だ。
この『陽気引越社』だが、全国に支社があるほど大きくはない。しかし、このあたりのテレビにCMを流すぐらいなので、決して小さい会社ではない。あと、名前のとおり『陽気』を売りにしていることと、一風換わったマスコットがあることが特徴である。
俺はこの『陽気引越社』で働き始めてかれこれ四ヶ月になる。正社員のしごきや、陽気な態度で仕事をすることにもだんだん慣れ始め、日々平凡な生活を過ごしてきた。
――今日も雲がほとんど浮かんでいない快晴の下、朝早くにボロアパートから原付で出勤している。
毎朝の通勤ラッシュのために腹の中をいっぱいにして走る電車や、朝っぱらからリコーダーをピープー鳴らしながら集団登校するちびっ子達、交差点でクラクションの騒音を浴びせかけてくるトラックの運ちゃんとか、明らかに暇そうで欠伸《あくび》をしている交番の警官などを尻目に、俺は会社に向かっている。
俺の勤め先の『陽気引越社・高崎町支店』は家から原付で四十分ほどの場所にある。
そこに掲げられている『陽気引越社、あなたの元へ爽やかな社員をお送りします』の文字は見慣れたのだが、その下にプリントしてある、どっかで見たことあるような衣装の女の子のマスコットキャラだけは未だに馴染めずにいる。出勤時間が早いせいか、作業している人影はちらほら見えるが、バカでかい駐車場に停めてあるトラックたちはまだ一台も仕事をしていないようだ。
トラックたちの巣の隅にある社員用の駐輪場に、すでに何台か置かれている自転車に俺の原付を仲間入りさせ、駐輪場のすぐそばにある事務所へと向かった。
ガラスに『陽気引越社』と黄色とオレンジ色で塗られてある自動ドアをくぐって軽く息をすい、いつもの一言。
「おはよーございます」
「ん、おはよう」
いつものように作業着に着替えるため、更衣室に向かう。今日の仕事をチェックするためにスケジュール帳を見ながら部屋に入った。
――のだが、注意をスケジュール帳に向けすぎていたのか、女性用の更衣室に入ってしまい、さらに運の悪いことにそこには着替え中の女性社員がいた。名前は確か松井さん。
その松井さんは一瞬驚いた顔をしたが、ニッコリと微笑《ほほえ》みながらやってきた。俺は彼女の笑顔の意味と状況の整理で混乱していると、彼女が目の前まで来た。
「え…あ…、も、申し訳――」
「――坂出君、貸し一つね」
と、俺の目の前でゆっくりとドアが閉まった。
俺は冷や汗ダラダラになりながら、とりあえず他の誰にも気づかれている様子がないことに安堵し、正しい更衣室で作業着に着替えた。
自分のデスクにつき、どうやって彼女に謝罪するか考えながら仕事の準備をしようとしたとき、課長が苦虫を噛み潰したような顔をしながらこっちにやってきた。
「坂出君、坂出君」
嫌な予感がしたが平静を保って返事できたと思う。
「何でしょう、課長」
「君の今日の仕事は、確か隣町の野田二丁目に住んでる大上《おおうえ》さんの引越し作業だよね?」
一応、確認のためにスケジュール帳を開く。余計な記憶のページも開いてしまったが。
「えーと…、はい、大上さんです」
「――課長、大上さんって、あの変人で有名な大上さんですか?」
そう話に入ってきたのは、例の松井さん。
「松井君! 余計なことは言わんでくれたまえ。仮にもお客様だぞ」
「でも、課長も聞いたことあるでしょう? 道に落ちているものを手当たり次第に触って壊したり、よく分からないことをぶつぶつ言っているって。この辺りでは有名な話ですよね」
松井さんは俺を不安にさせたいのか、心配してくれているのかさっぱり分からない。おそらく前者だが。
課長は諦めたようにため息をついて、こちらに向き直った。
「ともかく、だ。その大上さんの件だが、今日、大上さんを担当することになっていた社員が、葬式やら結婚式やら病気やらで、君以外みんな来れなくなってしまってな」
絶対、噂を聞きつけて休んだんだろうな。
「というわけで、今回は一人で行って来てくれないか? 今日は人手が足りなくてな。ああ、大上さんには既に話してある。荷物は少ないから一人でも充分だそうだ。必要な道具は貸すから、大丈夫だな?」
俺があっけ呆気に取られている間にとんとん拍子に話が進んでしまった。
「……マジですか?」
「残念ながら、今日は4月1日ではないな。」
「……分かりました。準備が出来次第行ってきます」
「うむ。頼んだ」
課長の横で、松井さんがニヤニヤ顔をしていた。が、素直に怒れないのが情けない。
大上さんの噂には不安ばかり募ったが、俺は観念して仕事の準備を終え、駐車場の端に置かれてある予備の中型トラックのエンジンをかけた。トラックは待ってました!と言わんばかりのご機嫌エンジン音を響かせながら発進する。
この時は、まさかあんなことになるなんて露《つゆ》ほどにも考えてなかったな。
野田二丁目は事務所から車で三十分ほど走ればたどり着ける。
この辺りは丘の中腹になるので少し交通が不便だが、景色が良いためかこの辺りの土地の中でも特に地価が高い。
変人が住んでいる家はどんなものかと軽く緊張しながら来てみたが、大上さんの家は二丁目のはずれに建っている普通の一軒家だ。あまり大きな家ではないが、赤い屋根とヨーロッパ式の古風なポストが印象的だ。
家の前にトラックを停めて、インターホンを押すために門扉《もんぴ》の前に立ったのだが――インターホンがない。ざっと探してみたが、『大上』という表札以外は見当たらない。
仕方がないので、とりあえずノックをしようとドアに視線を向けた。
すると、その木製のドアには、昔、何かの映画で見た金属製のライオンが輪っかを咥えている彫刻が目に付いた。
「これって、もしかしてあれだよな……?」
俺は誰に言うまでもなくそう呟き、門を開けて輪っかを手に取った。
ライオンに睨まれた気がするが気のせいだな。……うん。
そして、輪っかでドアを叩くと、金属と木材の心地よい音が響き、中から人が出てきた。
「はーい。引越の人やんね」
そう言って、俺を出迎えた人物は女性だった。
その女性は長身だが俺より若干背が低く、清らかな川のように肩まで流れる髪の色は、闇のように黒い漆黒だ。彼女の瞳は、外国人の血が入っているのか、若木のような薄い茶色で、肌は少し色白だった。
俺は少し見惚れてしまったが、すぐに営業スマイルを取り戻すことができた。
「――あ、はい。陽気引越社の坂出といいます。本日はよろしくお願いします」
「よろしくなー。今日は一人だけなんて大変やね」
あんたのせいだ、とは言えるわけもなく。
「いえ。それより、申し訳ありません。こちらの不手際でこのようなことになってしまって」
「まあ、こっちも半額にしてもろたし、全然構わへんよ」
何! 今回は給料がっぽりかなー、とか淡い期待をしていたのに、これじゃあいつもと同じぐらいの給料じゃないか!
「……兄ちゃん。声に出とるで」
「え…、あ…、――すいません」
「……っぷ、あっはははは。兄ちゃん面白いな。ほな、仕事してもらってええか?」
「わ、分かりました」
俺は狼狽しながらもかろうじて返事できた。
しかし、俺のペースが乱されるとは……、不覚。
それにしても変人と聞いていたが、思っていたより普通の人だ。むしろ気さくで話しやすい。
そんなことを考えながら、大上さんに続いて家に入っていく。
家の中はいたって普通だった。
しいていえば、電化製品がこの家では絶滅危惧種化《ぜつめつきぐしゅか》していることぐらいか。唯一あるのは古ぼけた冷蔵庫のみ。
「荷物はある程度まとめといたから、今日中には何とか終わるやろ?」
「すべてチェックしないとはっきりと分かりませんので、まず荷物の量を調べますね」
大上さんに案内され、家の中を視回ってみる。
カーテンは外されてきれいにたたまれているし、タンスの中の物も脇のダンボールに入れられているようだった。
本当に荷物は少ないようだ。というかほとんど本ばかりで、みんな紐できれいにまとめられている。
俺は腕時計を見て、大体の所要時間を計算した。
「えっと、大丈夫ですね。今日中には終わらせられるかと思います」
「さよか。まあ、私も手伝うし、ちょちょいのちょいやな」
ちょっと待て。依頼したのにわざわざ手伝うのか?
「あ、いや。いいですよ。僕が全部やるので」
「何言うてんねん。ほんまなら、私が一人でやらなあかんはずやし、それに兄ちゃんもさっさと終わらせて帰りたいんちゃうん?」
そう言って、大上さんはニヤニヤしながらこっちを見ている。
……まあ、本音は確かにそうなのだが。
しかし、会社の名を落とすわけにはいかないし、俺にもちっぽけながらプライドと言うものがあるのだ。
「いえ。『陽気引越社』の一員として、大上さんの依頼は最初から最後までやらせていただきます」
と、俺の言葉を聞いた途端、大上さんの笑顔はそのままに、何故かものすごい怒りのオーラが見えた気がした。
「……あっはっはー。兄ちゃん。私の親切な申し出が聞かれへんのか? それとも、働く兄ちゃんに私の愛用のムチで打ちつけながら『キビキビ働け、コラー!』とか言って欲しいんか?」
命の危険なんて初めて感じたぞ……。
「う……、じ、じゃあお願いします……」
大上さんは大きく頷いて、
「分かればいいねん。」
満足そうな笑顔に戻った。
「ほな、どれから運ぶ?」
「そうですね……。まず、大きい荷物からにしましょう」
完全に押し負けてしまった。
これがバレれば給料がいつも通りどころか、給料抜きも考えられる。いやいや、もしかしたらクビなんてことも……。
「何ぶつぶつ言うてんねん。ほら、まずこの一番大きいダンボールから運ぼか?」
「了解です」
俺は、口調は営業モードだが、心の中では曇天《どんてん》が広がっていた。
「それじゃ僕がこっち持ちますので、大上さんはそっち持ってもらえますか」
と、俺は一番大きいダンボールの端を持つ。彼女もそれに倣って反対側を持った。
「ん。任せとき。――そや。『大上さん』ていうのも他人行儀やから、下の名前でいいで」
彼女に逆らってもロクなことにならない事は前回学習したので、今回は素直に言葉に従おうとしたが、
「大上さんの下の名前ですか? すいません。大上さんの名前聞いてないので分からないんです。あ、一、二の三で持ち上げますね」
朝のトラブルのせいで確認し損なったのだ。
「兄ちゃん、依頼人の名前も確認してないん? そんなんじゃあかんで」
「否定はしません。いきますよ。一、二の三っ!」
ダンボールが重力に逆らい、床から離れる。
「そこは否定せなあかんやろ……。栗音《くりね》や」
「え?」
ダンボールがトラックに向けて動き出す。
「私の下の名前。栗音や。大上栗音」
「へえ、栗音さんですか。あ、後ろの段差に気をつけてください、大上さん」
「だから、名前でええって言うてんのに。兄ちゃんの名前は?」
ダンボールと黒髪の女性と『陽気引越社』の契約社員が蒼天の下に出た。
「僕の名前ですか。満です」
「満君か。変わった名前やな」
「そうですか? ありきたりだと思いますけど。それより栗音さんの方が珍しいですよね」
ダンボールがトラックの一番奥に収納される。
「え? ああ、そういえばそうやね。ごめんごめん」
「?」
「……次いこ、次。なに運んだらいいん?」
俺はその時彼女が何故か遠い場所を見ているような気がした。
故郷を懐かしむような、自分の過去を辿るような、そんな哀愁漂う目に見えた。
俺は、栗音さんが何を考えているのか聞いてみろと囁く好奇心と、個人的なことには首を突っ込まないほうがいいと囁く理性との葛藤で何も言えずにいた。
「…………」
「なあ、聞いてるん。満君」
「――え、…っと、何でしたっけ?」
栗音さんから先ほどの表情は消えてしまっていた。
「だーかーらー、次は何を運ぶんかって」
ただ、彼女は自分の話が聞いてもらえないことが嫌いなのか、むくれていた。
「あ、すいません。じゃあ本を運びますか、・・・・栗音さん」
栗音さんの顔はさっきの表情とは一転して向日葵《ひまわり》のような笑顔になった。
「よっしゃ!術書を運ぶんやな。次からも名前で呼んでや!」
そう言って栗音さんは家の中に駆けていった。
そんな彼女に、俺は驚嘆と苦笑の入り混じった顔をしながら家の中へと戻っていく。
それにしても『ジュツショ』って学術書か何かか?
本の量は半端じゃなく、二人で運んだにもかかわらず、小一時間かかってようやく運び終えた。
栗音さんの誘いで床に座って軽く休憩することになった。
ところで、さきほどの本に書かれてある題名なのだが、俺が今まで見たことないような文字で書かれているものばかりだった。
古文書にしては明らかに本が綺麗で、時々表紙に書かれている絵はまるでミステリーサークルのように見えた。
「栗音さん。あれっていったい何の本なんです?」
「ん〜? 満君はお客様の趣味に毎回いちゃもんつけるん〜?」
「あ、いえ、そういうわけでは……」
「あっははは。冗談やって。でも中身については教えられへんわ。ごめんな」
「そうですか。でしゃばってしまってすみません」
「気にせんでええって。私が満君やったらきっと同じ事聞くと思うし」
そう言うと彼女は、立ち上がって、
「っし。休憩終わり。後の難関は、あの冷蔵庫やな」
と、キッチンの奥に佇《たたず》む巨大な箱を見据えた。
「そうですね。じゃあトラックに運ぶために、包んじゃいますね」
「え? 包むって?」
「はい。ちょっと待っててくださいね」
そう告げると、俺はトラックから対ショック用の包みを持ってきた。
栗音さんは興味津々に包みを観察している。
「これ何なん?」
「これは、冷蔵庫の衝撃を和らげる包みですよ」
栗音さんは、目を丸くして、
「へえ、そんなんがあるんやねえ」
とか言いながら、包みをぺたぺた触っている。
「――ちょっと破って中身見てもええ?」
まさか、これが噂のやつか!
「え? だめですよ! それ壊しちゃったら給料から引かれるんですから」
「ちぇ。満君はケチくさいなー」
「……ビンボーですから」
俺は、包みに釘付けになっている栗音さんを引きは剥がして冷蔵庫を包みにかかった。
「ケチー。満君のビンボー人。お客様へのサービスがなってへんー」
しばらく俺は無視していたが、
「甲斐性《かいしょう》なしー。変態ー。痴漢ー。スケベー。そんなんじゃ良いお婿さんになられへんでー」
「って、ちょっと何言ってんですか! 栗音さんは子供ですか!」
さすがにこれには反応せざるを得なかった。
「満君に怒られたー。本社に言いつけてやるー」
「……分かりました!そこで待っててください」
俺は冷蔵庫を包む作業を中断して、トラックにあるものを取りに行って来た。
栗音さんは床に崩れ落ちていて、よよよ、とか言っていた。
「もう……。これ上げますから、我慢してください。」
彼女に渡したのは同じ種類の包みで、小さく破けているものだ。
すると彼女は顔を輝かせた。
「わあ。これからは満君大好きやわ」
俺は栗音さんのこのさりげない一言に顔が真っ赤になってしまった。不意打ちだろ。ちょうど栗音さんは、下を向いていたので俺の顔に気づかなかったようだが。
「こ、子供じゃないんですから、あんまりわがまま言わないでください」
「相手が満君やからやって」
「まだ初対面じゃないですか」
俺は冷蔵庫を包みに戻る。
栗音さんは本当に中身を取り出し始めた。
「初対面でも満君は信用できるわ」
「分からないですよ? もしかしたら今すぐにでも栗音さんを襲うかも……」
「そんなんどうでもいいけど、この中に入ってるん何?」
そんなんってひどくないか?
「……それはゲルですよ」
「ゲル? このブニョブニョした名前がかいな? ゲルの成分分かる?」
「そこまではちょっと」
ちょうど冷蔵庫を包み終わった。
「出来ましたよ。じゃあ運びましょうか」
「お、出来たんか。 よっしゃまかせときー」
彼女はゲルを拳《こぶし》分ちぎり、バッグに入れて後は捨ててしまった。
「それじゃあさっきと同じで一、二の三で持ち上げますよ」
「ほな、私が言うでー。一、二の三っ!」
時刻は太陽が一番高くなってからちょっと過ぎた頃。
栗音さんの家にあった荷物はあらからトラックに積み込んだ。
今、俺と栗音さんは、朝とは比べ物にならないほどすっきりしたリビングにいる。
彼女は達成感にあふれた顔で、
「終わったで。さすが私やな」
「まだ降ろす作業が残っています。それに、一応、僕も手伝ったんですが……」
「何言うてんねん。本来なら満君一人でやらなあかん仕事やろ?」
と、俺の背中を軽く右手でバシバシ叩いてくる。
「まったくもって、その通りです……」
俺は将来結婚したら、尻にし敷かれるタイプだな。彼女は敷くタイプになるだろう。
気を取り直した俺は彼女に、
「さて、じゃあ新しい家に行きましょうか」
と、家を出るように促した。
「せやね、この家ともおさらばかー」
彼女は感慨深そうにそう言った。
「そういえば、栗音さんはどうやって新しい家まで行くんですか? 車やバイクなんてありませんでしたし」
「ん? 乗せていってくれるんちゃうん?」
栗音さんはキョトンとした顔で聞いてきた。
そうじゃないかと薄々は感じていたが。
「えっとホントなら乗せてはいけないんですけど、今回は特別ですよ。あ、本社にはこのこと言わないでくださいね」
「言わへんて。安心してええで」
「――栗音さんって個性的ですよね。なんか外国から来たみたいです」
少し調子に乗って冗談交じりで言ってみた。
「そ、そんなことあらへんて。」
彼女は何故か動揺しているようで、少し慌てていた。
「それよりも! お、お昼やけどどこで食べる?」
と、実にいいタイミングで栗音さんのお腹がくぅ〜っと鳴った。
「あははははっ。栗音さんは本当に正直ですね」
「――っ! 今のはたまたまや! さすがにそこまで正直なわけないやろ!」
栗音さんは先ほどまでの表情とは打って変わって耳まで真っ赤にしながら怒鳴り返してきた。
まるで子供のような人だ。
「まあ、それはそうでしょうね。それでお昼ご飯ですが、コンビニでおにぎりでも買っていいですか? 移動しながら食べられるので」
「し、しょうがないからそれでええわ」
彼女は割とあっさりと了承してくれた。おそらくこれ以上弄られたくないのだろう。
そして俺たちは、かつて大上家だった家を後にした。
新しい家は二つ隣の町にあるので、二十分くらいで着くはずだ。
トラックに乗り込み、「シートベルトはちゃんとして下さいね」「そらそやな」とか言いつつ昼食を調達すべく近くのコンビニによることになった。
「お昼ご飯。何にします?」
「満君と同じので」
ふと感じたのだが、家を出てから彼女の様子が変だ。考え事をしているのか、右手をじーっと見ている。その顔は真剣そのものだった。
その顔は家にいたときに俺に見せていた子供っぽい顔とは違って、妙齢の女性を思わせる端正な顔だ。俺はそんな顔も彼女には似合ってると思うが。
おのずとコンビニに着き、俺はおにぎりを十個ほどとお茶のペットボトルを二つ買ってトラックに戻ってきた。
「はい、買ってきましたよ」
「ん、ありがとうな」
その後、特に会話もなく大通りまで走ってきたのだが、事故でも起きたのかものすごい渋滞だった。
ほとんど車が進まず、昼飯でも食べようかと考えていると、ようやく栗音さんが口を開いた。
「……なあ、満君」
「なんですか?」
「今から話すことは、引越社の社員と依頼者としてじゃなく、坂出満と大上栗音という個人として聞いてもらいたいねん」
「突然どうしたんですか?」
栗音さんは深呼吸して、言った。
「――『魔法使い』っておると思う?」
そう聞いてきた彼女の眼はどこまでも純粋で真剣だった。
「何を言って…、」
「おるか、おらんかで答えてくれへん?」
「……その質問には、坂出満として答えたほうがよろしいでしょうか?」
彼女が大きく頷くのが見えた。
「僕は……、いや、俺は……、」
俺は営業モードから素の坂出満の口調に戻し、軽く息を吸って、
「そんなの絶対いる訳ないと思うね。正直そんな事いうなんてバカなんじゃない?」
こう言い切ってやった。
俺のセリフを聞いた途端、栗音さん緊張の糸が切れたのか大きく息を吐きながら、背もたれに体をあずけた。
「満君って、魔法使いとか魔術師じゃないやんな?」
「さっき言っただろ? いる訳ないって。それなのに俺が魔術師かって聞くのは筋違いなんじゃないか?」
「じゃあさ、何で、魔法使い同士でしか知らないはずの合言葉を知ってるん?」
「さて? 何の話だ?」
「しらばっくれてもアカンで。あの合言葉がそう簡単に出てくるなんておかしいやろ。それにな、満君からほんの微かやけど魔法使いの香りがするねん。まあ、これは最初にあったときから感じとったけどな。……満君、あんた何者なん?」
「……」
しばらくどことなく落ち着かない沈黙が続いた。
一分くらいして俺はいやに重く感じられる口を開いた。
「……俺な、小さい頃、車に轢かれたことがあるんだ。ボールを追いかけて道路に飛び出したところを轢かれたらしい。正直この辺のことはさっぱり覚えてないんだがな」
「それと魔法のことに何の関係があるん?」
「まあ、いいから黙って聞けって。そん時の事故はたいした衝撃じゃなかったらしいが、血が結構出てな。近くの診療所に着いたときには大量の出欠で死亡するかもしれなかったんだそうだ。なにせ小さい診療所だったんで、輸血しようにも血がなかったんだ。そのとき、たまたま事故を見ていた女性の血液型が一緒だったんで、その人の血をもらったんだ。俺はその後、特に後遺症もなく退院することが出来たんだが、血をくれた女性は俺宛の手紙だけを残して消息を絶ったらしい・俺の母親が必死で探したが見つからなかったんだと。残された手紙にはこう書かれていた。『この手紙はあなた以外の誰にも見せないでください。私はあなたにあげた血は少し特別な血なのです。この血は魔法使いの命が宿っています。ただ、あなたが普通に過ごしていれば何も変わったことはありません。ただ、もしもしかしたらあなたは魔法使いは、いると思うか、と聞いてくる者が出てくるかもしれません。そのときあなたはこう返してみてください。そんなのいる訳ない。バカじゃないのか、と。そうすれば、面白いことが起きるかもしれませんよ。では、この辺で失礼します――』なーんて書いてあったのさ。種を明かすとこんなもんか? 正直半信半疑だったがな」
この話をする機会がやってくるとは夢にも思わなかったが。
「なるほどなー……。んで、今面白いことが起きてるんか?」
「起きてる。だって栗音さん。あんた魔法使いだろ」
「何でそう思うん?」
「さっき自分で言ったじゃないか。魔法使い同士でしか分からない合言葉ってな」
「……そういえばそうやな」
彼女はしばらく黙って考えていた。
脇見渋滞で反対車線もかなり込んでいるようだった。
ふと、助手席で大きなため息が聞こえてきた。
「はあ。満君も種明かししてくれたし、こっちも種明かしするべきなんやろなー」
彼女は薄く微笑みながらそう言った。
「そりゃな。ヒフティヒフティでいこうぜ。栗音さん」
すると、彼女は真剣な顔に戻った。
「せやな。ご想像の通り私はこっちの人間とちゃうねん」
「こっちの人間?」
「あー……、そっからかいな。めんどくさいな。――実はなこの世界と並行する世界があるねんな」
「へえ。どこかのSF小説みたいだな」
「多分、その小説家はこっちの世界のことを少しは知ってたんちゃうか? まあこっちも科学が発達した小説とかみたことあるしな。んで、私は生まれた世界はこっち、つまり科学が発達した世界と違って魔法が発達してんねん」
「そんな話は一度も聞いたことないけどな」
「当たり前やん。私の世界でも知ってる人間はごくわずかや」
「じゃあなんで栗音さんはこっちの世界のことを知ってたんだ?」
俺のこの質問に、彼女はこう切り返した。
「向こうの世界にある私の家の倉庫にな、古文書があってん。異世界へいける術書がな。そこには科学が発達した世界があるって書かれとったんよ」
移動距離の半分ほど走り終えた。
「んでな、私は一回こっちの世界に来てみたかってん。満君かて、魔法とか魔術とかが普及してる世界に行ってみたいやろ?」
栗音さんはおもちゃをもらった子供のように笑いながら尋ねた。
「行けるなら行ってみたいな。それはそうと、魔法と魔術って違うのか?」
「違うねんな、これが。魔術師って言うのは術式やら、魔法円やらを何かに書いてその術式の上で術を行うねん。魔法使いは、何かに書かんでも術が使えるけど、頭の中で術式を組み立てるから精度が下がるねん。基本的にどっちでも出来るけど、血や才能に左右されることが多いから、大概どっちかしか選べへんな。ちなみに、私は魔術師やで」
「じゃあ、後ろに積んである大量の本は……?」
「あれは魔術書や。私は魔法使いと違って本に依存せな術が使われへんからな」
「でも、あの本に書かれてある文字は見たことがなかったが」
彼女は腕組をしてしばらく考えてから、こう切り出した。
「んー、満君。今私がしゃべっとる言葉理解できるやんな?」
「そりゃそうだろ。でないと、今までの会話は成り立っていないことになるしな」
「実はな、向こうの世界でもこの言葉が通じるんよ。この意味分かる?」
俺は少し驚いた。
「ちょっと待て。それじゃあ、こっちの世界と向こうの世界で何かの関わりをもっているってことじゃないのか」
「そういうことやね。私も理由は分からへんけど、言葉は同じで文字が違う世界同士ということみたいやねん。ただ、向こうではこっちでいう関西弁が共通語になっとって、こっちでいう共通語が向こうの世界では方言になっとるけどね」
「…………」
「私な、こっちの世界に来て珍しいものばっかりでほんまに興奮してん。地面は見たこともないもので覆われとるし、その上には、なんか変な箱が走っとるし、でかい杭が刺さっとってそれが線で繋がれとるねんもん。どういう構造か、弄ってみたくならんほうがおかしいやろ」
俺は呆気にとられていつつも、心のどこかで栗音さんの今までの不可解な行動の数々や例の噂についても合点がいっていた。
「そういえば蛇足やけど、向こうの世界では名前が洋風やねん。せやから、この『大上栗音』っちゅうのは仮の名前」
「じゃあ本当の名前は?」
「ウォリス・フォン・オーウェン」
「変わった名前だな」
「ほうか?向こうの世界ではありきたりやけど……」
「ははは。これでお互い様だろ」
「ちぇっ。覚えとったんか」
彼女は唇を尖らせて、そう漏らした。
「……おにぎり食べるか?」
「……せやな、さすがに空腹やわ」
そういうと栗音さんはレジ袋を引っ掻き回しながら、「何がええかなー。お、鮭やん。鮭は向こうの世界でもおるねんでー」と、鮭おにぎりを掘り出して頬張り始めた。
「――俺のもくれるか? 後、お茶」
「もにゅもにゅ、りょーかい。何味がええ?」
「てきとーで」
「そういえばさ、ウォリスさんって呼んだほうがいいのか?」
「今まで通り、栗音さんって呼んでもらったほうがええかな。そうしたら、私がこっちの世界におるっていう実感がわくし。なにより、『大上栗音』がおった証明になるやろ」
俺は彼女の言葉に鼻で笑ってしまった。
「何なん? 失礼やな」
どうやら、期限を損ねてしまったようだ。
ただ、俺が言いたかったのは
「すまん。でも、どっちで呼ばれても『君』は一人しかいないだろ?」
「……――ふん! 私は『栗音』って呼ばれたほうがええの」
彼女は何故か耳を真っ赤にしながら、そう叫び返した。
そういうところが可愛らしいんだけどな。
「わかった。栗音さん」
俺と栗音さんを乗せたトラックは渋滞を抜けると、あっという間に新・大上邸に到着した。
新しく栗音さんの家になる目の前の建造物は、まさしく邸宅と言っていいほどの大きさであった。
どこか、中世ヨーロッパの城のような雰囲気をかもし出している。庭には、小さいながらも池があり、その脇にはテラスまで付いていて椅子とテーブルまで置いてある始末だ。
「な、なんだこの家のでかさは……。栗音さん。いったい何の仕事してるんだ?」
「言ってなかったっけ? 株やってんねん。株なんちゅうのはちょっと予知術使ったら、めっちゃ儲かるねんで。」
「何! じゃあ俺に是非その術を……」
「アホか。そう簡単に教えるわけないやろ」
ごもっとも。
「しょーもないこと言うとらんで、荷物入れてまうで。家具の配置を書いた紙、渡しとくな」
「はいはい。言われなくても仕事なんだからやりますよ」
さっきからタメ口のままだが、彼女は何も言わないし俺もこのままのほうが楽なので、問題ないだろう。
俺は配達予定の紙を受け取って荷物を降ろしにかかったのだが、彼女は門の上においてある阿吽の像に何か細工をしているようだ。そういえば、前の家を出るときにもドアに何かしているようだったが。
「栗音さん。なにやってるんだ?」
「これ? 防犯の術式を書いた紙を埋め込んでるんよ。そしたら、悪意を持った奴がこの門に触れた途端、」
「まさか、死ぬのか?」
「出来ひんことはないけど、やって欲しい?」
「やらんでいいぞ。テレビ局のインタビューされるのはかなわん。んで、どうなるって?」
「この家に侵入したくなくなるっちゅうわけや。どや?画期的やろ」
「魔術って便利だよな。こっちの世界だと防犯とかは専門の会社に頼まなけりゃいけないのに」
すると、栗音さんは不敵な笑みを俺に向けてきた。
「満君。魔術を舐めとるようやな。ええか、こういう術式は文字にしても方円にしても、標準状態から1ミリでもずれたらあかんねんで?しかも一歩間違うと自分に跳ね返ってくるしな。ハイリスク・ハイリターンな代物なわけ」
俺が魔術について新たな事実に驚嘆してる間に、栗音さんは作業を終わらせたようだ。
「……終わり。ほら、ぼけーっとしとったらアカンで。――せや、面白いもん見せたげるからしばらく一人で作業しよって」
「面白いもの?」
「ま、ええからええから。あ、魔術書は紐で縛ったまま置いといて」
そう言ってテラスの椅子に座り、バックから洋紙とボールペンを取り出してテーブルの上で何か書き始めた。
俺が着々と邸宅に荷物を運んでいる間中、彼女は黙々と書き続けていた。
時刻は部活を終えたと思われる高校生達が帰っていくのを目にする時間帯。
ようやく俺はすべての荷物を小汚いトラックから庭付きの豪邸に運び終えた。
トラックの荷台を閉め、テラスに戻ってきたとき、ちょうど彼女も作業が終わったらしく、「よし。出来たで……」と、満足そうに洋紙を見つめていた。
「何が出来たんだ?」
俺は作業用の手袋を外し、向かいの椅子に座りながらそう尋ねた。
「これ見てみ」
と言って、栗音さんが俺に先ほどの洋紙を見せてきた。身を乗り出して見てみると、そこには円といくつかの三角や四角、文字などが入り組んでいる図が描かれていた。
「これは……、魔方陣か?」
「へえ、よう分かったね」
彼女は魔方陣が書かれた紙をテーブルに置いたので、俺は座り直って頬杖を付きながら、
「さすがにその程度の知識は持っているつもりだ。が、この魔方陣がどういう意味かはさっぱり分からん」
「むしろ分かったら私がドン引きやわ。――今日実際に魔術見せてなかったから、見せたろうと思ってな」
栗音さんは自分のバックから拳大のゲルとカッターを取り出した。
「タダで見られるなんて、満君はラッキーやで」
そう言って彼女はゲルを魔方陣の上に置いて、カッターで指を軽く切り、
「私はこれよりあなたを顕現させる。……これは、私、ウォリス・フォン・オーウェン血によって行われるものである。……よってあなたは私に忠義を誓う。……これはあなたと私と契約である。……私の呼びかけに応えろ!」
こう唱え、血の滲み出た指を洋紙に押し付けた。
すると、魔方陣とゲルがオーロラのような輝きを持つ光に包まれ始めた。
光がゲルを包んだかと思った次の瞬間、光が弾けた。
光が消え、視界が元に戻ってきた。
「よっしゃ。成功やな」
そう言った彼女の目線の先には、先ほどまでのゲルと洋紙は無くなっていた。
その代わりにテーブルの上にあったのは、いあ、『いたのは』、
「……これはスライムか?RPGでよく見かける奴」
まさしく拳大の青い半透明のスライムだった。ただ、目や口や鼻なんてものは見当たらなかったが。
「せや。かわいいやろ〜?」
「かわいいかは置いといて、こいつしゃべれんのか? ちっこいし、すぐ潰れそうだな」
不意に、テーブルの上のスライムが変形し始めた。
俺の帽子に描かれている、青一色の『陽気引越社』のマスコットになって、
「こいつとか、潰れるとか失礼な人です」
そう俺に言い放った。誕生後第一声がこれとは、なんとも小生意気なスライムである。
その旨を栗音さんに伝えようと彼女のほうを見ると、彼女は驚愕の表情で固まっていた。
「……あの、栗音さん?」
「――こ、この子しゃべった……。私、そんな術式書いたつもりやなかったのに……」
当の本人もびっくり仰天な様子である。
「ねえ、マスター。この人誰ですか?」
……空気読め。
そして、栗音さんは、ゆっくりと顔を歓喜の表情へと変えていき、
「――っ! わは〜〜〜〜! 私もう感激やわ! しゃべれるスライムなんて初めて見たわぁ!」
と、くだん件のスライムを抱いてほお擦りし始めた。
「マスター。潰れちゃいます。落ち着いてくだ……、ひゃあ」
「よっしゃ。君に名前を付けたろ! 何がええかな……」
「マスターがつけてくれる名前なら、どんな名前でもうれしいです」
「ほんま可愛いやっちゃなあ。よし、スライムやから『ライム』やな。けって〜い。君は今日からライムやで」
「はい。マスター」
俺が呆けている間にも勝手に会話は進んでしまっている。
ようやく俺は会話できるほどの余裕がもどってきた。
「ち、ちょっと待て、スライムだから『ライム』っていうのはちょっと短絡的じゃないか?大体、呪文って普通もっと古風なもんじゃないのか?」
栗音さんはライムのほうを向いたまま、
「ええの。私が作ってんから、私が決めても全然問題あらへんやろ。呪文は分かりやすいように現代風に私がアレンジしてん」
俺の意見を一蹴した。さらに、
「そうですよ。第一、マスターに注文つけるなんて、いったいあなた誰なんですか」
そう言って、ライムは目であろう部分で俺を睨みつけてきた。
「あかんで、ライム。この人は私の友達やねんから。それに、マスターって言うのはなし。栗音って呼んでな」
「分かりました、栗音」
ライムは俺のほうへ向き直って、
「すみません。栗音のお友達だとは知らずに生意気なことを言ってしまって……」
謝ってきた。
俺は謝られるなんて予想だにしていなかったので、焦ってしまった。
「い、いや。俺も失礼なことを言ったと思う。すまなかった。俺の名前は『坂出満』。満って呼んでくれ」
「よろしくお願いします。満さん」
俺はライムとも仲良く出来たのでもう少し長居したかった。が、
「……よろしくしたいのは山々だが、もう時間だ」
もう空は闇を抱え始めていた。
「え、それはどういうことですか?」
「ライム、満君はな、仕事で私とおっただけで、もう仕事も終わったし、帰らなあかんねん」
「そうだったんですか……。残念です」
ライムは本当に残念そうにうなだれてしまった。
「悪いな。んじゃそろそろ――」
俺が立ち上がってトラックに向かおうとしたとき、
「……せや、満君。渡したいものがあるから、ちょっと待っててくれるか?」
「? ああ、少しならかまわない……、が……」
栗音さんはライムを肩に乗せ、俺の言葉を聞き終わる前に家の中に駆け出していた。
「相変わらずだな……」
俺は肩をすくめるしかなかった。
二分ぐらいして彼女が戻ってきた。
その腕には一冊の本と何枚かの紙束を抱えていた。
「これ、魔法使いの指南書やねんけど、私は魔術師やし魔法はつかわへんからあげるわ。満君には魔法使いの素質があるみたいやし、ちょうどええやろ。この紙は翻訳用な」
俺は目を見開いて聞いた。
「いいのか? 俺がこの指南書をばら撒くかもしれないぜ?」
「それは無いわ。だって満君やもん」
「ちぇ。馬鹿にしてらあ」
「あははは。ほなな、満君。今日は楽しかったで」
「俺も今までの人生の中でも、特に印象に残った一日になったぜ」
「また遊びに来てくださいね」
俺は栗音さんとライムの見送りを受けて、門の外に出た。
そして、振り向いて大きく息を吸い、
「本日はご利用ありがとうございました。これからも『陽気引越社』をよろしくお願いします」
「こちらこそありがとうな。引越の兄ちゃん」
最後に見た栗音さんの顔は飛びっきりの笑顔だった。
あれから一種間ほど経った。
あの日、会社に戻ると、松井さんと課長に、何かされなかったか、坂出君が壊されそうにならなかったか、などと根掘り葉掘り聞かれたが、滞りなく終わりました、としか返さなかった。
松井さんとはその話をきっかけに、会話をする間柄になっていた。もちろん更衣室事故のことは謝っておいたが、貸しはまだ返せていない。
あの日以来俺は、栗音さんからもらった指南書を毎晩少しずつ読んでいっている。とりあえず、足が速くなる魔法とマッチほどの火が出せる魔法だけ習得することができた。
何より翻訳が大変だ。翻訳しても関西弁なので読みにくい。
そして今日も俺は、雲ひとつ無い快晴の下、ボロアパートから原付で出勤する。
何かトラブルでも起きたのか駅で停車したままの電車や、石ころを蹴りながら登校するちびっ子達、何故かピカピカの新品トラックに乗って仕事するトラックの運ちゃんや、朝っぱらから眠りこけてる交番の警官を見かけるあたり、今日も普通の一日になりそうだ。
俺は原付をいつもの場所において、いつも通り事務所に顔をだした。
「おはよーございます」
「おはよう」
毎日やっていて飽きないのかと自分でも思うような挨拶をして、俺は更衣室に向かった。
先週のような揉め事も無く、無事に着替え終わった俺はいつものデスクに座って書類仕事を始めようとしたときだった。
課長がこっちに向かってきた。今度は汗をかきながらニヤついている。不気味だ。
「坂出君、坂出君」
「なんですか、課長」
どことなく今の会話に既視感《デジャヴ》があったが気にしないでおく。
「今日の仕事だが、悪いが松井君に回してくれないか?代わりの仕事を君に任せようと思うんだが」
この流れは……、嫌な予感がする。
「……はい。で、何の仕事ですか」
「新人の研修を君に任せたい」
「研修、ですか? それなら俺より適当な人がいるでしょう?」
「いや、君が一番適当だ」
ちょうどその時、更衣室から誰か出てきてこっちに来た。俺はその誰かを見た瞬間、硬直せざるを得なかった。
「! な……な……、」
「彼女が新人の、」
「大上栗音です。みなさん、よろしゅうに〜」
新品の作業着を着た大上栗音が目の前にいた。ポケットからはライムが顔を覗かせて、手を振っている。
「なんで、ここにいるんだ……?」
俺は、驚きと怒りと呆れが混じった気持ちで聞いてみると、
「はい。かっこいい引越の兄ちゃんに憧れて!」
とか笑顔で言いやがった。その脇で課長は、
「じゃ、そういうわけだから、頼んだ」
そそくさと自分のデスクに戻っていった。
残されたのは俺と栗音さんだ。
こうなってしまったからには仕方が無い。
「――ああ、もう! 俺の指導は厳しいから、しっかり付いてこいよ! 大上!」
「はい! 坂出先輩!」
こうして彼女が俺の日常に入り込んできた。
今日も世界は平和だ。
ただ指南書に隠すように挟まれていた、魔法陣が描かれた紙が気になってはいたが。
いかがでしたでしょうか?「全然ダメ!!」「小説書くなks」ではなく、どこか悪いかはっきり言っていただければと思います!