耐える日々
(毎日毎日飽きないことで)
目の前で怒鳴る上司に思う事はそんな事だった。
周りの者は巻き込まれたくないと、見て見ぬふりをするものばかり。
(ここで庇われても困るけど)
この上司に理不尽に怒鳴られるようになったのは、巡がこの会社に入ってからだから、もう五年も前の事になる。何を隠そうこの上司が、巡の教育係なのだ。
何を教えてもらう事もなく、入社二日目から何も出来無い奴だなと怒鳴られる日々。
何も教えてもらっていないのだから、何も出来ないのは当たり前だろうと思うのだが、この上司にはそんな常識は通用しないらしい。
仕事とは教えてもらうものではなく、見て盗むものだと言わんばかりに、何も教えてもらえることなくほったらかし。しかし、何もしていないと怒鳴られるため、同期の教育係の先輩や別部署の同僚、時には取引先で仲良くなった人など、心優しい周りに支えられながら仕事を覚えた日々。
何も教えていないくせに他の者に教わることを良しとせず、関わっているところを見られると怒鳴られるため、こっそりと窺わなければならず、仕事を覚えるのに同期の何倍もの時間を要した。
(だけど、自分から覚えに行ったから、同期より広く深く仕事を覚えられたんだよな。理解が深いから取引先とも深く話し合いが出来るし、それが契約数に繋がったと思う。それがこの人が教育係になって良かったと言える点だな。良い点はそこだけだけど)
教育係と言うのは、思った以上に切れない関係らしく、五年経った今でもこうして怒鳴られる。
五年も経てば、いや、思えば初めからだが、この上司が怒鳴るのは自分の不満を発散させるためであり、相手を想う叱りではない。
そのため怒鳴られ慣れた巡は、表面上は反省している意を示しながらも、内心関係ないことを考えている。
(どうにかこいつに手を出させる方法はないものか)
最近は同僚とこの上司を会社から追い出す方法が無いか、と言う話で盛り上がるほどである。
このご時世、理不尽な怒鳴りだけでもパワハラ認定で会社から追い出せそうなものだが、この会社ではそれだけだと若干危ういのである。
何とこの上司、ここの社長の甥っ子で、過去に守られたという実績がある。
それも、他の会社で起こしたパワハラ案件でだ。
詳細は簡単である。この上司、前の会社時代、今と同じように部下となる人物に怒鳴り散らしていた。しかも、今と違って教育と称して手まで出していたらしい。しかし、それを告発されて裁判沙汰。当然会社は解雇され、録音された音声と診断書を証拠に判決を待つ身だった。
そこを救ったのがここの社長。何を思ったのか示談を申し込み、自分の会社に雇い入れた。
心を入れ替えるとでも言って社長に守って貰ったのか、入って最初の業務が新人教育であり、そこで選ばれてしまった新人が巡と言うわけだ。
(手を出さないように心を入れ替えたのか、何をしてもしなくても、手だけは出さないんだよな)
そんなことを考えていると、溜まった不満を全て吐き出したのか、怒鳴りが終わった。
(今日も結局、何を言いたかったのか分からなかったな)
別の事を考えながらも、上司の怒鳴りの内容は頭に入れていた巡。
不満が溜まりすぎた時、「俺が何を言ったか覚えているのか!」と問われることがある為、記憶することにしている。答えられない、答えに詰まると、怒鳴られる時間が倍に伸びる為だ。
しかし、話の内容は基本的に上司の不満が溜まった理由であるため、覚えておく必要はない。どうせ次に怒鳴られるときも同じことを話すのだから。
「お勤めご苦労さん」
日課を終え、仕事をするために自分のデスクに戻ると、隣から声を掛けられる。
同期の聡である。ただの同期ならライバルなだけだが、この同期の教育係の先輩には大変世話になった。
何も教えてくれない理不尽上司の代わりに、ここでの仕事を教えてくれた心優しい一人である。
一人も二人も一緒だと、この聡と一緒に新人教育を請け負ってくれた。
そんな状況だったため、自然と話すことが多くなり、他の同僚よりも仲が深まったと言える。
そんな縁からか、新人教育を終えた今でも、こうして肩を並べて仕事をする仲である。
「それにしても毎日毎日あの人も飽きないものだな。そのエネルギーを仕事に向ければ、出世も出来そうなほどのエネルギーをお前に向けてるよな。今日は何が切っ掛けなんだ?」
「作成中の資料の窃盗。修正前の資料を勝手に持って行って、先方に怒られたらしい」
「それは災難だったな。今まで作り終わる前の物には手をつけてなかったのに、あの人の同僚に何か自慢でもされたのか?」
上司を怒った先方に謝りに行く準備を整えながら、理不尽上司の話を引き寄せる。
おぼろげながら思い出した怒鳴りの内容に、同じ名前が何回も出ていたことを思い出す。
「どうやらそうらしい」
「どうやらって、怒鳴られてたのお前だろ?他人事かよ」
呆れた顔をされてしまった。そんな顔をするなら、立場を変わって欲しい。同じように他人事になるから。
「きっかけは違えど、毎日同じ話だからな」
「それもそうか。それで?今回謝罪に行くのはどこなんだ?」
そう言いながら理不尽上司が怒りで丸めた資料を取っていく。
「なんだ神崎商会さんか。あそこの人たち巡のこと気に入ってるからな。突然別の人から資料が送られてきたら、怪しんだだろうな。しかも送られてきたのものが中途半端な資料だったら、何かおかしいって気付いたんじゃないか?」
「おそらくそうだろう。そして、資料がおかしいことを問うだろう。それにあの人が答えられなかった。そして怒られた。そんなところだろうな」
まさに巡が推理した通りだった。
だれでも中途半端な資料が送られてきたら疑問に思うだろう。そして問う。「これはなんだ?」と。
それに上司は答えられなかった。自分が作ったものではなかったからだ。
送られた物について聞いて、送った者が答えられない。ふざけているのかと怒られても仕方のない事だった。
「神崎商会さんがあるところって温泉が有名なんだよな。湯の感想聞かせてくれよ!」
仕事中に温泉に入ることを前提に聞いてくる聡。上司を反面教師として、真面目に仕事を熟してきたが、そう見られてしまうのかと悲しくなった。
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