世界一可愛い私が恋をした(著:くるっぽー)
私は、可愛い。
誰よりも、どんなアイドルよりも。鏡の中の私がそう囁くし、現実がそれを裏付けてくれる。登校すればクラスの空気が変わる。男子は目を奪われ、女子は視線で私のメイクを盗む。上目遣いで告白されるのは日常茶飯事。正直、名前の知らない人の顔が多すぎて困ってる。
だから、惚れるなんてありえなかった。
私が選ぶの。私が気まぐれで相手してやる。それが当然だった。
──あの子に会うまでは。
「おはよう、月城さん」
その日も、彼女は変わらずに私にそう言った。
やけに真っ直ぐな声。まっすぐすぎて、嘘みたいで、逆に本物みたいで、困る。
地味な黒髪をひとつに結って、制服は校則通りにきっちり着てる。前髪も重めで、目元は伏し目がち。だけど、たまに笑うと少しだけ頬が赤くなって、そこだけ世界の彩度が上がる気がする。
名前は佐々木舞。
クラスの人気者ってわけじゃない。でも、嫌う人は誰もいない。誰にでも平等で、先生受けもよくて、あまり目立たないのに要領も良くて、いつも静かにそこにいる子。
たぶん、私とは一番遠い場所の人間。
でも、私は気づいてしまった。
彼女が私に「特別な目」を向けていないことに。
「今日のリップ、ちょっと変えてみたんだけど、どうかな?」
「うん、似合ってると思うよ。月城さんは何でも似合うから」
優しいけど、目が笑ってない。私を追いかけるような視線じゃない。
「ねえ、佐々木さん」
「ん?」
「……私のこと、可愛いと思う?」
一瞬だけ、彼女のまつ毛が揺れた。
「もちろん……でもそれ、聞くまでもないことでしょ?」
なんて、軽やかに流されて。
まるで私のことなんて、世界中にいくらでもいるちょっと可愛い女の子のひとりみたいに扱われた気がした。
それが、ひどく……胸に刺さった。
こんなの初めてだった。
だって、私のことを好きにならない人間なんていなかった。なのに、彼女は笑いかけてくれるのに、私に惚れた素振りひとつ見せない。
私は、自分の可愛さに自信がある。可愛いは力だ。生まれつきの武器で、努力で磨いた鎧で、これまで全部それで切り開いてきた。
でも、それが届かない人がこの世にいるなら──
私はたぶん、その人に恋をしてしまう。
放課後、下駄箱で待っていると、彼女は少し驚いた顔をして、すぐに笑った。
「どうしたの?」
「たまたま。帰る時間、同じだったから」
わざとらしいって自分でも思う。でも、それ以外にどう話しかければいいか、わからなかった。
「そっか。よかったら、一緒に帰ろ?」
不意に差し出された手。私は、咄嗟にその指を見つめた。
白くて、小さくて、整っていて、きっと私よりずっと綺麗だった。
「……うん」
その日、私の可愛いは、まったく通用しなかった。
でも、胸の奥は妙に満ちていた。
たぶん、可愛いだけじゃ勝てない相手に、私は初めて、ちゃんと女の子として恋をしてしまったんだと思う。
放課後の昇降口、緩やかに斜めから差す西日の中で、私と彼女は並んで歩き始めた。
ガラスの扉を押して一歩外に出た瞬間、空気の匂いが変わったような気がした。
いつもなら、周囲の視線が快感だった。誰が私を見ているか、何人が立ち止まり、羨望と憧れの混じった眼差しを向けてくるか、それを感じ取ることは、私にとって呼吸のようなものだったのに。
けれど今日だけは、そんな視線が煩わしくて仕方なかった。
──だって、彼女が私を見ていない。
「月城さん、さっきから静かだね」
彼女の声は、いつだって優しい。誰に対しても平等に、分け隔てなく、ふわりと温度を乗せて届いてくる。
けれど、その柔らかさが、今日に限っては棘のように胸に刺さった。
「別に。普通だよ」
私の返事は少しだけ棘を含んでいたかもしれない。
それでも彼女は気にした様子もなく、笑った。そういうところが、ずるいと思う。
彼女の笑顔は、誰にでも向けられる。
昨日もその前も、あの子にもその子にも、分け隔てなく注がれていた。
私だけのものじゃない。私だけを見ている笑顔じゃない。
だけど、私は違う。
私はもう、彼女以外の視線には興味がない。
世界中の誰が私を可愛いと言っても、彼女がそう思ってくれなければ意味がない。
私は、佐々木舞の「一番」になりたい。
──それだけで、こんなにも苦しくなれるなんて。
その夜、私は鏡の前に座った。
デスクライトの下で、整えられた前髪と、つややかな唇。肌のコンディションも完璧。アイラインも、ビューラーも、下地も、全部完璧。
私の可愛いは、緻密に作り上げられた芸術だった。
けれど、その鏡の中に映る自分に、今日は心が震えなかった。
可愛いのはわかってる。でもそれだけじゃ、足りなかった。
「どうして……何が足りないの」
喉の奥から押し出すように呟いた。
私は、こんなにも努力して、誰よりも美しく在ろうとしてきた。
雑誌やメイク動画で研究して、コンプレックスを一つずつ潰して、自分に似合う色を見つけて──ここまで来た。
可愛くなれば、誰だって私を好きになると思ってた。
でも、佐々木舞だけは、そうじゃなかった。
「……可愛いのに。こんなに、可愛いのに……」
唇を噛んだ。
悔しい──
こんなにも完璧に可愛いを纏っているのに、彼女の心を掴めていない。
そして、何よりも──
こんなにも彼女のことを想っている自分の気持ちを、どう表現すればいいのか、分からなかった。
翌朝、私は過去最高に仕上げた自分で登校した。
制服のリボンの結び方一つとっても、少しだけ緩めて抜け感を出す。カーディガンの色、ネイルの光沢、ファンデ、全て計算ずく。
今までにないレベルで視線が集まった。男子も女子も、廊下で立ち止まり、息を呑んだ顔をするのがわかる。
けれど──彼女は、何も言わなかった。
教室でちらりとこちらを見ただけ。笑っただけ。
その笑顔は、昨日と同じ。誰にでも向けるような、あの柔らかい笑顔。
「……なんで」
心の中で呟く。
これだけの努力も、これだけの可愛いも、彼女の心には届いていないのだとしたら。
じゃあ私は──どうすれば、彼女にとって「一番」になれるの?
昨日と同じ場所。
同じ時間。
同じようにドキドキしながら。
彼女はすぐにやって来て、私を見つけると目を細めて笑った。
「あ、月城さん。また会ったね」
「今日も、たまたま?」
問いかけた声は、少し震えていた。
本当は違うって、わかってたかった。
彼女は小さく首を振った。
「ううん。今日は……会いたかったから」
その瞬間、心臓が一気に跳ねた。
鼓膜の奥で何かが弾けるような音がして、私の世界は一気に彼女で埋め尽くされた。
「え……それ、本当に?」
「うん。昨日、一緒に歩けて嬉しかったの。だから、また一緒に帰れたらいいなって」
彼女の頬が、ほんの少しだけ染まっているように見えた。
私だけの妄想かもしれない。でも、それでいい。
今だけは、それでいい。
帰り道、私は彼女の隣を歩きながら、何度も横顔を盗み見た。
口角の上がり方。睫毛の長さ。リズムよく上下する肩。
何もかもが、愛おしいと思った。
そして私は、そっと、彼女の手に触れた。
驚いたように彼女がこちらを向く。
「……ちょっとだけ、繋いでてもいい?」
小さく、でも逃げられないように問いかける。
彼女は少し目を見開いて、それから、ふわりと笑った。
「……うん。いいよ」
その一言が、私の世界を染め替えた。
可愛いだけじゃダメだった。
でも、今ならわかる。
私は、彼女に可愛いを伝えたかったんじゃない。
──好きを伝えたかったのだ。
その感情を、ようやく自分の中で認めた。




