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優しい嘘の店(著:積戸バツ)

 仕事をクビになってから、もう3ヶ月が経った。理由はシンプルな成績不振と「空気の読めなさ」だ。あからさまなパワハラやいじめがあったわけではない。けれど気づけば周囲に壁ができ、会話が減り、声がかからなくなり、上司から「次、どうする?」と詰められたとき、自分でもうまく言葉が出てこなかった。


 実家に戻った。両親は口では「しばらくゆっくりしなさい」と言ってくれるが、リビングで母がふと漏らすため息や、父が食卓で新聞の音をやたらと大きく鳴らすようになったことで、彼は居場所の狭さを痛感していた。


 そんなある日、ネットで偶然見つけた小さな記事が、彼の目に止まった。


 ――恋人代行。1日限定。

 ――完全予約制・都内某所のマンション一室。

 ――「優しくされたい方」「誰かと手をつなぎたい方」歓迎。


 何かにすがるような気持ちで、そのリンクをタップしていた。


 その日、彼は地味なシャツとジーンズを身に着け、指定された雑居ビルの一室を訪れた。チャイムを鳴らすと、白いシャツにゆるいスカート姿の女性が出迎えた。年齢はおそらく20代前半、化粧は控えめだが、優しい笑顔が印象的だった。


「こんにちは、今日だけの彼女です」


 そう言って微笑まれた瞬間、彼の喉の奥が詰まった。

 部屋はシンプルな1LDK。ソファに並んで座り、飲み物を飲みながら、たわいもない会話が続く。彼はできるだけ「普通の自分」を装おうとしたが、話せば話すほど、自分の薄っぺらさが露呈していく気がした。


「お仕事は?」


 彼女が尋ねたとき、一瞬返事に詰まった。


「……今は、ちょっとだけお休みしてる」


「ふーん」


 ごまかせたと思ったが、彼女はやわらかいまま、でもどこか鋭く目を細めた。


「たぶんね、それ嘘だよね。でも、いいよ。今日だけの彼女は、そういうのも込みで受け止めるのが役目だから」


 図星だった。瞬間、彼の中で何かが崩れた。


「クビになったんだ。上手くいかなくて、空回りして、全部だめになった。……なんで、こんなに惨めなんだろうなって。誰にも必要とされない人間になっちまったみたいで」


 彼女は黙って、その言葉を聞いていた。そして、手を差し出した。


「手、つないでもいい?」


 彼はうなずいた。温かい指が絡んだ瞬間、涙が溢れた。


「なんで、泣くんだろうな。こんなことで」


「嬉しいからでしょ。大丈夫、よく頑張ったよ」


 その声は、演技かもしれなかった。でもその“やさしい嘘”が、彼には確かに沁みた。



 その翌週も、彼は予約を入れた。


「また来てくれると思ってたよ」


 そう言って彼女は笑った。今度は散歩デートという設定で、近くの公園を一緒に歩いた。木陰に座ってアイスを食べ、子どもたちの遊ぶ声を遠くに聞きながら、彼は少しだけ、自分を許せる気がした。


「ねぇ」


 彼女がふと口を開く。


「あなたが欲しいのって、“恋愛”じゃなくて、“肯定”なんだと思うの」


「肯定……?」


「うん。失敗しても、空回りしても、うまく言えなくても、それでもあなたでいいよって言ってくれる誰か」


 彼はしばらく黙ってから、小さく笑った。


「……そうかもな。恋とか、結婚とか、そういう幻想にすがってたけど、実はただ、“それだけ”が欲しかったのかもしれない」


「じゃあ、私が今日だけそれを言ってあげる。“あなたは、そのままでいいよ”」


 彼は目を閉じて、その言葉を深く受け取った。



 三度目に店を訪れた日、彼は花束を持っていった。


「どうしたの、それ?」


「就職、決まった。まだ契約社員だけど、また働くって決めた」


「おめでとう」


 彼女が笑うと、彼の胸に何か温かいものが広がった。


「このお店、いつまでやってるの?」


「わかんない。気まぐれだから、いつかパタッと終わっちゃうかも」


 彼女はいたずらをした子供のように笑みを浮かべる。


「そっか……」


「でもね、誰かをちゃんと好きになれたら、卒業の合図だよ。そしたら本当の彼女、見つけに行って」


「うん。……ありがとう。俺、多分、ようやくスタート地点に立てた気がする」


 彼は手を振って部屋を後にした。街の風が少しだけ、優しく吹いていた。


 ――あの店が夢だったとしても、きっと、救いは本物だった。


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