10年目のランブルスコ(著:積戸バツ)
あの日、初めて会ったときの彼女の髪型を、俺はいまだに覚えている。
ピンクの法被を着て、ツインテールにリボン。コラボカフェの整理券を受け取って、開店前のアキバの路地裏で「はじめまして」とぎこちなく頭を下げた彼女は、いま目の前でグラスを傾けている26歳の女性の姿とは、まるで別人みたいだった。
いや。まるで、なんて簡単に言ってしまえるほど、簡単なことじゃない。
――10年。
そう、今年で、彼女と出会って10年になる。
「……なんか、あっという間だったね」
彼女は目尻をゆるめて、ランブルスコの残りをちびちびと口に含んだ。
ほんのり赤い頬。ワインの甘さと、それに溶けるように漂う香水の匂い。
ぶどうみたいに丸くて、でもどこか尖った感情の粒が、喉の奥にひっかかったまま、俺は笑えずにいた。
「わたしたち、年に2回だけしか会わないのに、10年って、なんかすごいよね」
「年2回でも、続けられるのがすごいと思う」
「ふふ、それって褒めてる?」
彼女がクスクス笑う。
笑って、それだけで、どうしようもなく、胸が痛くなる。
だってこれは、ずっと壊れずにいた関係の、境目みたいな夜だから。
誕生日、おめでとう。
それ以上の言葉が、出てこない。
だってこの関係は、ただの“オタク友達”だったし、恋人でも、元恋人でも、ましてや都合のいい関係でもない。
ただただ、10年という年月を、一歩も動かずにここまで歩いてきた、不器用な距離感。
「酔ったかも~……」
彼女が小さく声を上げる。
ワインが効いてきたのか、ほっぺたを手で冷やしている仕草がかわいくて、見ちゃいけないと思いながら、どうしても目が奪われる。
「今日はタクシーにしよう。駅まで歩けそうにないでしょ」
「うん、ごめんね……頼ってばっか」
そんなことない。そう言いたいのに、言葉が喉をすり抜けていく。
タクシーの後部座席。ほどよい揺れと夜風が、静かに体をゆるめていく。
「……あ」
彼女が、俺の肩にもたれかかった。
つんと鼻をくすぐるヘアオイルと時間で変わった香水の匂い、そして、さっきより近い体温。
心臓の音がうるさくて、自分の中にもう一人の自分が立っているみたいだった。
こんなこと、10年で初めてだ。
それなのに、俺は何もできない。
手を出したら、きっと壊れる。
壊れなくても、元には戻れない。
そんな未来のことばかりが頭をよぎって、目の前の“今”をつかむことができない。
「……」
彼女のスマホが震えた。
ふと目に入ったロック画面。
表示されたのは、アニメイベントで撮ったツーショット、あのときの写真。
俺が初めて、彼女に会った日。
ピンクの法被と、ツインテールと、初めてのオフ会。
それが、彼女の今の待ち受けになっているなんて。
冗談だろ。
俺は、何かを見てはいけない気がして、目を閉じた。
思い出せば思い出すほど、俺たちは、少しずつ寄り添っていた。
オタク友達として、友達以上にならない関係で。
でも、本当は。
本当は――。
「……着いたよ」
運転手の声で、彼女がはっと目を覚ました。
「ありがと」と眠たそうな声で呟いて、スマホを開いて、ふと「あ」と言った。
俺が、知ってしまったことに、彼女は気づいていない。
それでいい。
まだ、今日は10回目の誕生日。
11回目があるなら、そのときに。
「また、半年後かな」
「うん。次は、俺の誕生日か」
「ケーキ持ってくね」
そう言って笑う彼女の頬に、まだ赤みが残っている。
このまま、車を降りたら、また半年の距離。
でも、不思議と怖くなかった。
だって、彼女はまだ、あのときの“2人”をホーム画面にしてくれていた。
もしかしたら、俺たちは――。
ほんの少しだけ、未来が動き始めた音がした。




