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最大の望み(著:兎華白莉犀)

「奥様、奥様」

女中が呼ぶ声がする。

私は読書をする手を止め、顔を上げた。

「お食事ができました。只今お持ちします」

「そう、分かったわ、ありがとう」

私は出来るだけ笑顔を作り、女中に笑いかける。

その笑顔が上手くできていなかったのだろう、女中は私を心配そうに見たあと、慌てて頭を下げた。


私の旦那──典人(のりひと)様が亡くなってから、もう数ヶ月ほど経つ。

今は私のお父様が会社の経営を持ち直してどうにかなっているのだけれども、それがいつまでもつかは分からない。

お父様は、もうお年なのだから。

お父様から、新たな縁談の話を持ちかけられている。

だけど、私は首を縦に振る気さえなれなかった。


「奥様、お食事をお持ちしました」

「ありがとう」

「その……なるべく、お食事を召し上がってくださいね。奥様が元気でいらっしゃることが、元旦那様の願いだと思われますので」

元旦那様。

その響きが、私の心の海を、涙で満たしていく。

「……ええ、そうね。心配させてしまってごめんなさいね」


女中がいなくなり、せめてお漬物だけでも食べようかと思った時。

外で、小鳥が猫に襲われていた。

私は思わず駆けだす。

「こらっ! 何をしているの! やめなさい!」

そう怒鳴り、なんとか猫を追い払うことに成功した。

「可哀想に……。傷ついてしまっているわ」

私は両手でそっと小鳥をくるむ。

小鳥は、文鳥のように白い。

若くして白髪だった、典人様の面影を感じてしまう。

「ご飯、食べられるかしら。柔らかくしてあげますからね」

私は米粒の塊を口に含み、噛んで柔らかくして、小鳥にあげた。

小鳥は弱々しい動作で、それでも生命力の強さを感じさせるように、柔らかくなった米粒の塊を食べた。

それが死に向かいたがっている私と対照的で、思わず涙が出てしまう。


その時。


小鳥が光に包まれた。

私は眩しくて目をつぶってしまう。


「……亜希子……亜希子……」


懐かしい声。

私は自分の耳を疑った。

恐る恐る目を開けると、そこには、典人様がいた。

白髪の髪、端正なお顔。


「典人様……? 本当に、典人様なのですか……?」

幻でも見ているのかと思った。

典人様はにっこり微笑み、ゆっくりと頷いた。

「ああっ、典人様……!!」

私は彼にしがみついた。

典人様は私の頭を優しく撫でてくださった。

「会うのが遅くなってしまい、すまなかった。私は小鳥に転生したんだ」

「そうだったのですね……」

「こうして会えて本当に良かった、亜希子」

典人様はしばらく私と抱き合っていたが、神妙な顔をして私から離れる。

「亜希子、お前に頼みたいことが幾つかある」

「何でしょう……?」

「縁談の話を持ちかけられていると思うが、承諾してほしい。お前にとって酷な話だとは思うが、それが私の大事な会社を守るために必要なことだ」

「そんな……典人様……」

「頼む。私とお前のお父上が大事にしていたものを守ってほしい」

典人様はそう言って深々と頭を下げた。

「そんな、お受けします、縁談の話はお受けしますから……! 会社を守ってみせますから……! どうか、頭をお上げになって……!」

「それから、亜希子」

典人様はまっすぐ私を見据える。

「どうか、生きてほしい。これが、私から亜希子への最大の頼みだ」

私は唇を震わせた。

何も言えなくなってしまった。

代わりに出るのは、涙ばかり。

「……すまない。もう時間が来てしまった。私はもう行くよ」

待って、典人様。

行かないで、典人様。

私が手を伸ばした瞬間、全ては光に包まれて消えてしまった。

典人様も、小鳥も。


私は静まり返った部屋を見回す。

そして、少ししか手をつけていない食事を、見る。

ご飯茶碗を手に取り、私はご飯をかきこみ食べた。

今までこんなにみっともない食べ方はしなかった。

米粒の塊を飲み込む度に、涙がぼろぼろと出てくる。


先程起こったのは現実か幻か、分からない。

だけれど、私は、これから生きていかなければ。

それが、愛した人の望みなのだから。

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