わたしだけのまいちゃん(著:くるっぽー)
まいちゃんとわたしは、物心ついたときからずっと一緒にいた。
家が隣で、小学校も中学校も、そして今通っている高校も同じ。
まるでセットみたいに思われてるって、まいちゃんが笑ってたことがある。
その時の顔が可愛くて、たまらなくて、ちょっとだけ唇にキスしてしまった。
──あれが、わたしたちのはじまりだった。
ふたりで付き合い始めて、もうすぐ一年になる。
放課後、手をつないで歩く商店街は、オレンジ色の夕陽で染まっていた。
今日のデートは、文房具屋さんから始まった。
まいちゃんが新しいシャーペンを買いたいって言ってたから。
あれこれ悩むまいちゃんの隣で、わたしは彼女の横顔ばかり見ていた。
「そんなに見つめられると、選べなくなっちゃうよ」
「ゆっくりでいいよ」
「……じゃあ、これにする。ほら、紫。わたしの好きな色」
「知ってる。まいちゃんの部屋、紫ばっかりだもん」
彼女は照れたように笑って、わたしの腕にちょん、とぶら下がった。
歩きづらいけど、嫌じゃない。
むしろ、誇らしい。
「今日、どこ行こっか」
「まいちゃんの行きたいとこがいいな」
「それじゃあ……」
彼女はすこし考えてから、目を輝かせた。
「わたしの秘密の場所、行ってみる?」
「秘密の?」
「うん……昔、ひとりで落ち込んだときに見つけた場所なんだけど、ずっと誰にも言ってなかったの……でも、あなたになら、教えてもいいかなって」
わたしは即答した。
どんなところでもいい。
まいちゃんが「秘密」と呼ぶ場所なら、どこにだって。
秘密の場所は、駅から少し離れた小高い丘の上にあった。
細い住宅街を抜けた先、公園の裏手を登ると、そこには広い空き地。
草が生い茂っていて、誰の手も入っていないような、少し寂しげな場所。
「ここ……なんだか不思議な場所だね」
「うん、でも落ち着くの。ね、座ろ?」
わたしたちは草をかきわけて、古びたコンクリートの縁に腰掛けた。
沈む夕陽がゆっくりとわたしたちを染めていく。
風が吹いて、まいちゃんの髪が頬に触れた。
わたしは小さく目を閉じて、その香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「わたしね、小さい頃からずっと思ってたの」
まいちゃんがぽつりとつぶやいた。
「ずっと一緒にいたら、あなたがわたしを選んでくれるんじゃないかって」
「……選んだよ。ちゃんと、まいちゃんを選んだ」
「うん、知ってる。すごく、幸せ……でもね、ふと思うことがあるの」
「なに?」
彼女は、わたしを見た。
まっすぐに、少し寂しげな瞳で。
「選んでもらえなかったらって考えた時、わたし壊れちゃうかもって思った」
その声があまりに静かで、わたしは息を飲んだ。
「でもね、もう大丈夫。だって、今こうして一緒にいられるから」
彼女は微笑んで、そっと手を伸ばし、わたしの手の甲に自分の指を重ねてきた。
ひんやりとして、それでもどこか温かくて──それだけで泣きそうになる。
ああ……この瞬間が、永遠に続けばいいのに。
その後は、いつものようにプリクラを撮って、アイスを半分こして、帰り道をふたり並んで歩いた。
夜風がちょっと冷たくなってきて、まいちゃんが寒いと口をとがらせたので、わたしは彼女の手をぎゅっと握り直す。
「大丈夫。ほら、あったかいでしょ?」
「うん……あなたの手、ずっと好き」
「じゃあ、離さないでね」
「うん、絶対に」
家に着く直前、まいちゃんが振り返る。
「ね、もう少しだけ……一緒にいよ?」
その声があまりにも愛おしくて、わたしはうなずいた。
いつもの分かれ道。
なのに今日はもう少し、まいちゃんの時間をもらいたかった。
玄関の前で、彼女が言う。
「あなたと一緒にいるとね、わたし、ちゃんと自分でいられる気がするの」
「……どういうこと?」
「なんでもないよ。今日もありがとう、だいすき」
キスは短くて、でも甘くて、でも少しだけ──
どこか、切なかった。
部屋に戻ったあと、わたしはベッドに寝転がって、まいちゃんから送られてきた写真を眺めていた。
プリクラの笑顔、ピース、変顔、真剣にアイスを見つめる横顔。
そのどれもが、わたしの宝物だ。
通知がもう一つ届く。
『ねぇ、今日って記念日でもなんでもないのに、すごく幸せだった』
『うん、わたしもだよ』
そうすぐに返信する。
だけど、心の奥が少しだけざわめいていた。
まいちゃんが言った、「選んでもらえなかったら壊れちゃうかも」って言葉が、ずっと胸に残っていたから。
──大丈夫だよ。
わたしは、ちゃんとまいちゃんを選んだんだから。
ずっと一緒だよ。
ずっと、ずっと──
朝起きて、スマホを確認すると、通知がひとつ。
『おはよう。今日もいっしょに登校しよ』
まいちゃんからのLINEだった。
わたしは思わず顔をほころばせる。
アイコンは昨日のプリクラ。
髪をひとつにまとめて、わたしの肩に寄りかかる笑顔。
可愛いな。
制服に着替えて、まいちゃんと家の前で待ち合わせる。
彼女はいつも早く来てるけど、なぜか玄関のチャイムは鳴らさない。
道の角にある電柱の影に、きちんと立って待っているのが、まいちゃんの癖だった。
「おはよう、まいちゃん」
「おはよー。今日、髪くるくるしてる」
「寝ぐせ、かな……」
「ううん、かわいいよ」
ふたりで歩く通学路。
季節はもうすぐ梅雨なのに、今日はやけに空が明るかった。
でも、それよりも気になるのは、すれ違うクラスメイトや他の生徒たちの目線。
わたしとまいちゃんが並んでいるのに、誰も彼女に挨拶をしない。
わたしのおはようにだけ、返事が返ってくる。
……まいちゃん、今日静かすぎるのかな。
教室に入ると、友達の理央が話しかけてきた。
「ねえ、今日部活に顔出す?」
「うん、たぶん。まいちゃんも──」
そう口に出したところで、理央の眉がぴくりと動いた。
「……誰?」
「え?」
「まいちゃんって、誰のこと?」
空気が止まる。
「……何言ってるの、理央。まいちゃんだよ。となりのクラスの……ずっと一緒にいるじゃん」
「となりの……クラス……?」
理央が首をかしげる。
その様子があまりに真剣で、冗談には見えなかった。
「ほら……昨日も一緒にプリクラ撮ったんだよ。アイス食べたし……」
「昨日?放課後、ひとりで帰ってたよね?」
「……え?」
教室のざわめきが、すっと遠のくように感じた。耳鳴り。
肩に手を置かれる感覚。
「ごめん、変なこと言って……ただ、前から思ってたんだ。なんか、誰も知らない名前をたまに出すことがあってさ。まいちゃんって、その……ずっと気になってて」
その日、帰り道はまいちゃんが珍しく喋らなかった。
黙ってわたしの歩調に合わせているだけ。
だけど、LINEは来た。
『今日は疲れてたから、あんまり話せなくてごめんね』
『また明日、一緒にいられるよね?』
わたしは、胸がざわざわと泡立つような感覚に襲われながら、
ベッドの下からプリクラ帳を取り出した。
──そこに、まいちゃんは写っていなかった。
全ての写真で、わたしはひとりきりだった。
ピースも、笑顔も、ふたつ並んでいるはずの肩も、全部わたしだけだった。
アイスを見つめる横顔。
それも、わたしが両手で持っているだけ。
ふたつに割ったはずのアイスも、どれも形が崩れていなかった。
そして、スマホの通知履歴を開いた。
まいちゃんとのトークルームが──なかった。
まいちゃんという名前も、登録も、メッセージも、何ひとつ、存在しなかった。
なのに、通知音は鳴る。
『おやすみ』
今日も届く。
翌日。
学校を休んで、家にいた。
体調が悪いわけじゃない。
ただ、知ってしまったから。
わたしの隣にいたはずの彼女が、いなかったという現実を。
テレビをつけても、何も頭に入らない。
静かな部屋で、わたしはふと押し入れの奥の箱を思い出した。
小さい頃のアルバム。
あの頃からまいちゃんは隣にいた。
七五三の着物姿。
ランドセルの記念写真。
海に行ったときの水着姿──
アルバムを開いた。
そこにいたのは、いつもわたしだけだった。
手を繋いでいたのは、空気。
笑い合っていたのは、鏡の中の自分。
肩に寄りかかっていた体温は、ずっとわたしの想像だった。
──ああ、そうだったんだ。
まいちゃんは、わたしが作ったものだった。
寂しさを埋めるために、誰にも言えない空白を埋めるために。
でも、あまりにもリアルだったから。
ずっと一緒にいたくて、夢のなかに現れてくれて、それが現実の顔をして、わたしの隣に座るようになった。
その夜。
わたしの部屋の隅に、誰かがいた。
暗い影の中、まいちゃんが立っていた。
アイコンと同じ笑顔で、わたしを見下ろしている。
手には、紫のシャーペン。
「ねえ……どうして、思い出しちゃったの?」
「……まいちゃん……」
「約束したじゃん。ずっと、わたしだけを見ててくれるって」
「わたし……そんなこと……」
「言ったよ。覚えてない?わたしが自分でいられるの、あなたといる時だけだって」
──気づいたときには、朝だった。
けれど、部屋の隅には何もなかった。
だけど、机の上に──紫のシャーペンが置かれていた。
持っていないはずのもの。
まいちゃんが選んだもの。
そして、スマホには未読の通知。
『またいっしょにいられるよね?』
その日もわたしは学校に行かずに、ふらりと駅へ向かった。
理央が言っていた。気になってたという言葉。
……もう一度、確認したい。
──まいちゃんを、知ってる人は、本当にいないのか。
駅前の掲示板に貼られた、古いチラシが目に入る。
色あせた警察の広報。そこに、写真があった。
髪をひとつにまとめて、わたしに似た制服を着た女の子。
その下に、こう書かれていた。
『〇年前に失踪した少女。名前は──真井優羽さん。当時8歳』
──あれ?わたしのまいちゃんって、フルネーム……なんだったっけ?




