かわいい、の呪い(著:積戸バツ)
「高瀬くんって、ほんと女子より女子力高いよね。ていうか、もう女子だよね。かわいすぎて嫉妬する」
そう笑う女友達の声が、落ち着いたカフェの空気の中に溶ける。
僕は笑って、ストローをくるくる回した。
底のほうで氷がこすれる音。バニララテのミルクが渦を巻く。
それは何度も言われてきた台詞だった。
メイクも、ネイルも、服も。
大学1年の春、映像サークルの先輩に言われた――「女装してみない?」って。
面白がって施されたメイクと、先輩が貸してくれたウィッグと骨格が隠れる服。照明の下、カメラ越しに見た自分は、思っていたよりずっと「かわい」かった。
そのとき感じた高揚感が、今でも服や鏡の前に立つ自分を作っている。
性自認は男だけど、“好きなもの”に性別は関係なかった。
彼女と知り合ったのは、2年の春。共通の講義で席が隣になって、なんとなく話すようになった。
服の話やコスメの話、推しのバンドの話で盛り上がって、気づけば、放課後にカフェに寄るのが恒例になっていた。
彼女は僕の服装やメイクに一切引かず、むしろ「高瀬くんの方が私よりかわいいし」と、当然のように受け入れてくれていた。
その自然さに、僕は何度も救われていた。「変わってる」とか「女の子みたい」とかじゃなく、ちゃんと「1人の人間」として見てくれている――そう、思っていた。
でも、恋をした瞬間から、それは変わってしまった。
彼女の、なにげない笑顔。思わずこっちも笑ってしまうような、楽しそうに喋る横顔。ふとした時に服の裾を直すしぐさ、アイスを食べるときの唇の開き方。どこかで、全部を“かわいい”と思ってしまっていた。
気づいたら、彼女のLINEが来るだけで心臓が跳ねた。
返信の文字を考えるのに10分以上かかった。
通話が終わったあとも、しばらく画面を眺めていた。
これが、恋なんだって、気づいたときにはもう遅かった。
僕の“かわいさ”は、彼女にとっては「親しみ」だった。「友達」であり「女子会のメンバー」であり、いざというときに恋愛相談をする相手であって、決して“恋の対象”ではない。
ある日、彼女がスマホの画面を見せてきた。
「ねえ、見て。マッチングアプリでさ、ちょっとイイ感じの人と当たって」
プロフィールには、爽やかそうな男の笑顔。スーツ姿で清潔感があって、真っ当に“恋愛対象”に見えるその人。彼女の目が輝いていた。
その笑顔を、嫌いになんてなれないからこそ、胸の奥が軋んだ。
夜、部屋でひとりになって、リップを落とした。お気に入りのブラウスをハンガーに戻して、クローゼットの扉をそっと閉じた。
本当は、告白してしまいたかった。「好きだ」と、ただそれだけを。
でも、それを言えば、彼女はどうするだろう。
「えっ、冗談でしょ?」って笑うかもしれない。
「そういう目で見てたんだ」と、引かれるかもしれない。
なにより、彼女は僕を“恋する人”として見たことなんて、一度もなかった。僕がかわいくあろうとしたぶん、彼女の中で、僕は“かわいいだけ”の存在になっていた。
春休みに入って、彼女からの連絡は減っていった。SNSには、新しいネイルや新しいバッグと一緒に、男の子の影がちらほら写っていた。そこに僕の姿はない。
最初から、なかった。
自分が選んできた服、自分で覚えたメイク、「好き」を積み重ねてきた日々に、嘘はない。だけど、時々思ってしまう。
――この“かわいさ”は、誰のためだったんだろう?
この“かわいさ”の奥に、恋を隠したまま、きっと僕はずっと笑ってる。




