十五話 個性とは、すなわち心を形作るもの
「そして今日教えるのは……ずばり、白昼夢の星詠!」
シルヴィアは一指し指をピンと立て高らかに述べる。
「この星詠の効果はあらゆる攻撃を一日に一度だけ無力化する事ができる! ただし、次の無力化までは発動から二十四時間かかる。」
「何だか地味だ……!」
「私はこの星詠を最初に教える。理由はもちろん戦う術より守る術を覚えて欲しいからだ」
──彼女の言い分は分かる。それに考えてみると攻撃無効はかなり便利なのではないか。
「それじゃあ詳しい話だ。一つ! 今日覚えて欲しい事がある。それは、個性だ! 個性とは、すなわち心を形作るもの」
「心を形に。つまりイメージをイメージしてイメージすればいい……?」
「星南は何かを切る道具ってどんな物を想像する? 何でもいいよ。パッと思いつくもので」
どうらや桃里のイメージ論は違ったらしく、眉一つ動かさず淡々と仕事をこなす医者のようにシルヴィアは質問を投げかける。
──そんな問題児みたいな扱いしないでください。
「斬る? ……刀かな」
「それが個性だ。切る物って沢山あるでしょ? 日本刀とか両刃の剣とかナイフとか、ともすれば槍とかハサミをイメージする人もいる。共通しているのは何かを切るという事。 つまり、形は違えど最終的に同じ結果に帰結する。星詠の個性とはこういう事だ」
「例えばさぁ、白昼夢の星詠だった場合はどう違うの?」
「良い質問だ。攻撃を無力化する。この効果を発揮できる形を考えるんだ。大体は盾か鎧になる。たまに生身とかいう人もいるがそれも個性としてはアリだな。それで……盾のイメージでは、無力化したい攻撃の方向に唱気の盾が形成され、防ぐ事が出来る。でも、盾の範囲でしか攻撃は防げない。一方で鎧のイメージは全方向の攻撃にも対応できる。どちらも攻撃を無力化するという効果は変わらない」
「盾……鎧……うーん。あんまりビビッとこないね」
「とにかく大事なのは個性! 星南の唱気は未だ白だ。自らの事を深く知る。自分がどういう人間なのか? よく過去を思いだし、それを形にする。個性はいきなり生えてくるものではないからね。連綿と続く自分が積み重なって出来るものだ」
桃里はじっと考え込む。星詠と唱気。その力を使いこなすには自分の過去を振り返る必要があったからだ。そして、その答えとなるのは偲と出会う以前の話。福岡で父親から虐待を受けていた時代。
「…………あんまり思い出せないんだ。過去の事」
「自分の事になるとわからなくなるんじゃね。アタシもそうやったけど」
「……うん。天音も星詠使えるんでしょ?」
「もち! あんまし得意じゃなあけど」
天音は歯を見せて笑う。そして、桃里の背中を強く叩き励ます。彼女なりのコミュニケーションだ。
「と言いつつもお手本がないと難しい。最初の頃は詠唱も必要だしね! ……伝承の星詠」
そう言うとシルヴィアは右手の人差し指を指揮棒のように立て、何もない空を指でなぞる。すると、空気中に浮かびあがる黒色で達筆な文字。
アキレスの虹彩
白夜の幽閉
瞬く永久の赫焉と
狂える正義の慟哭
白昼夢の星詠
「……これは? というかそれも星詠?」
「そう。これは唱気をインクのように使える星詠。そして、今書いたのは白昼夢の星詠の言霊。個性の形を思い浮かべながら言葉を発する。さすれば、力与えられん」
──個性の形。個性とは過去だ。自分はどんな人間なのか。今までどんな人生を送ってきた。
「やっぱりよく分からない」
「白昼夢の星詠!」
小さなうねりを伴なった渦がシルヴィアの中に現れた。渦の穴に吸い込まれるように唱気が流動する。天色の渦巻は次第に大きくなり、彼女の全身を包み込んだ。彼女の個性により形をもった星詠は半透明の水の鎧。これが彼女の心の形である。
「私は水が好き。母体の中にいるような安心感と守られているという感覚。本当の私はね……臆病なんだ。個性は自由。自分の心をさらけ出していい。今はまだ自分の事を分からないかもしれないけれど、きっと星南だけの形があるはずだ」
「とにかく試して見るよ」
シルヴィアと同じように小さく深く深呼吸をする桃里。体の中を巡る唱気。脱力して、イメージする。彼の個性。
「アキレスの虹彩。白夜の幽閉。瞬く永久の赫焉と狂える正義の慟哭。白昼夢の星詠!」
──これは失敗だろう。彼女の手本を見た時のような唱気の流動がない。どこから始まり、どこで終わるのか、唱気に正しい役割を与える前に霧散したような感覚。
「失敗だよ。なんて言うか……心の形が分からない」
「いいね! 若い悩みだ。……まずは考えてみよう。友達のことは一旦置いておこう。君にしか分からない事だからね。だから、戦う理由を考えてみよう」
「俺はそれすらも偲に貰った。復讐……。昔は人の為になる仕事。でも、そういうものは誰もが当たり前に持っているものだよね。俺は本当に自分が無いんだと思う」
「それは違うよ。……違う。夢や希望は誰もが持ち合わせているものじゃないし、簡単に与えられるものでもない。星南にとってはそれが重たいものだったかもしれない。自分の心の大きさからはみ出るくらいに。それでも、友達は君に色々な事を教えた。……その行為を何と言うか知っている?」
──心の中を見透かされているようだ。けれど、不快感はない。それどころか、新しい自分が見えてくるみたい。モザイクで塗られた心の解像度が少しだけ上がった気がした。
けれど、桃里にはシルヴィアの言っている事はまだ分からない。考えているうちに堂々巡りになって部屋に沈黙が訪れた。
「…………絆だよ」
ギリシャ彫刻のようなシルヴィアの顔が綻んだ。翡翠色のグラスに入った煌めく水のように、光を反射して輝く緑の瞳。対照的に弱々しくつり上がる口角。けれど、優しく温かい日差しのような顔は、風景に溶け合うことなく孤独を照らす光のようだった。
◇
一週間後の認定試験。そこで星詠を扱い、怪物を単独撃破出来る相当の力を桃里は示さねばならない。しかし、その後何度も練習を重ねるも能わず。
時刻は午後九時二十三分。桃里は行きつけの牛丼屋にいた。ここは彼にとっても思い出深い牛丼屋。空手の稽古帰りに偲とよく足を運んでいた哀愁の店。自分を知る手がかかりになると思い桃里は牛丼屋へと足を運んだ。
店内はカウンターとテーブル席。桃里はいつもの癖で二人掛けのテーブル席へと座る。
「兄ちゃん! 注文どうする?」
店員の男が桃里に話かける。
「……牛丼。タマネギ多めでお願いします」
──いつもと同じタマネギ多めだ。意識して食べてみよう。偲との思いで。この牛丼屋でたくさん同じものを食べた。その時どう感じたっけな。
「はあ……個性は過去の蓄積か」
──思い出せない。いや、過去を思い出したくない。けれど、それが足かせになって星詠を阻害している。
──食べたことが無い料理の味を想像することは難しい。見た事ない景色を見る事はできない。風の臭い。雨の臭い。過去に自分が何を見聞きして、何を思い起こしたか。そして、今どう活かされているのか。それが個性。けれど、それが分からない。
牛丼屋の店内はそこまで混みあってはいなかった。けれど、入店した男は桃里の前へと座った。当たり前のように。長年連れ添った友達同然に桃里と向かい合う男。
「久しぶりじゃねぇか」
「……ジャス、ティ!」
肩まである銀色の髪。力強く釣り上がった二重の眼。手入れのされていない無精ひげ。けれど、品格は損なわず。彼は挨拶するや否や、大きな口を開けコップの水を飲みほした。
「今までどこに……偲は死んだぞ!」
「ああ。知っている。あいつの死は誉れ高かったぞ」
「誉れだと……? 偲が死んでそれを止められなかった奴がそんなこと言うなよ」
「あいつの最期は、素晴らしかったぜ! 最後まで人のために散っていった」
桃里は勢いよく立ち上がり強く拳を握る。彼がそのまま我慢したのはジャスティから唱気が漂っていいたからである。それに、店に迷惑をかけるわけにはいかないと考えた桃里は立ち上がるだけに留まった。
けれど、今にも殴りかかりそうな桃里を見て、焦ったのかジャスティは「違うぜ。その怒りは。今日はそんな事を言いに来たんじゃあないぜ」と掌を桃里に見せて敵意がない事を示す。
「じゃあ今さら何しに来たんだ!」
「ちょいと顔を見たくてな。それに必要になっただろ? 欠片。オレはお前の未来を守ってやったんだぜ」
「偲は何で死んだ?」
心を落ち着かせ座った桃里は、ジャスティの目を見て問いかけた。
「それは言えねぇ。本人から口止めされているからな。あいつはお前を気にかけていた。巻き込みたくなかったんだろうぜ。だが、オレは違う。お前は特別だ。この戦いはお前に委ねられる事になる。偲はお前の代わりになろうとしたが、それは出来ねぇ」
「俺が……偲みたいになりたかった。少なくとも俺よりかは必要とされる人間だったはずだ」
「まったく、その通りだぜ。そんな腑抜けた面見れば誰だって偲のほうがイケてると思うだろうな。がははははは」
桃里は何も言い返せない。偲ではなく、自分が死ねばよかったと度々考えてからである。
「……目的は? 何しに来た? 黒幕面して何が面白いんだよ!」
「一緒にすんじゃねぇよ! いいぜ。オレの目的教えてやるよ。お前も神威に思う事があるんだろ! そうさ、オレたちの目的は真実を白日の下に晒すことだ。神の卵なんて興味ねぇ! お前たちは地獄を知らない。この世界のために犠牲になった奴らを知らない。真実が明るみになった時、この世界は大きく変わる! 楽しみじゃねぇか!」
心の底から楽しそうにジャスティは笑う。
「真実、だと! そんなの勝手にやってろよ。偲は死んだ。俺の復讐に割って入るなら、アンタの野望も潰してやる」
「……三十の指を追え。偲を殺した化け物だ。もっとも、今のお前じゃ絶対に勝てねえがな!」
そう言うとジャスティは右手の中指を建てる。
「そいつは俺が絶対に殺すよ」
険しい目つきの桃里を見て、ジャスティは手を下した。そして、少し申し訳なさそうに言った。
「それと、まあ……なんだ、偲の事は悪かったな。一言、謝りたくてな。今日はそれを言いに来た」
「待てよ! 欠片は、欠片について──」
疑問の尽きない桃里の言葉を遮って、ドンっと隣の席から物音が聞こえた。黒いロングヘアーの女がどんぶりを勢いよく置いた音だ。
光沢のある黒い髪は肩まで伸び。切り揃えられた前髪から覗かせる魅惑的な黄色い瞳。ツンっと上がった高い鼻と薄めの唇。時代を先取りし牡丹のような美女がそこにはいた。
「ごちそうさま。帰ります。お代はここに置いていくので桃里君払っておいてね」
髙雛京子はテーブルの上に五百円玉を置いて立ち上がった。
「じゃあな。次ぎ会う時はその面直せよ」
ジャスティと京子は存在感を消すように店の外から出る。慌てて追いかける桃里。けれど、二人の姿は都会の静寂へと消えた。桃里の目の前に広がる闇。覗いてしまった深淵。深く、暗く、怖い、ブラックホールのような寒空。桃里はしばらく夜空を眺めていた。
◇
火曜日の学校。昼休みはとうに過ぎ去り、眠気と覚醒の狭間で揺れ動く生徒たち。けれど、授業は始まったばかりである。
「センターまであと何日かみんなは当然知っているはずだ。こうやって活を入れるのも残り数か月。先生のくだらない話だと流している奴は緊張感が足りないぞ」
現代文の教師が受験に向けての心構えを毎度の如く話始める。桃里にとっても縁のない話ではない。彼の進路もまた大学進学と決まっていたからだ。しかし、勉強どころではない事は物思いに耽る彼の顔が物語っていた。
「つっても教える事はもう終わっているから、今日も今日とて過去問を解いてもらう」
教卓の上に積まれたプリント。虚ろな目のしている教師。
「その前に先生の話を聞いてくれ。……先生なぁ、モノリス教団なんだ」
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