一話 玉ねぎの多い牛丼は……牛丼ではない!
この物語の主人公は星南桃里ではない。
ではなぜカメラは彼の内側から世界を映すのか。
それは桃里が主人公──華岸偲の最も身近で、最も親しい友達だからである。
「どうして自分を偽る?」
古めかしい空手道場。擦れた畳と汗の臭い。一八歳の偲は桃里に問いかける。偲は同じ道場に通う五歳年上の兄弟子だ。
「母さんが悲しむから。左利きの俺を見ると父さんを思い出すって。だから無理やり右利きにしてる」
桃里は家族と離れて暮らしている。離婚した父親に似ている桃里を見ると母親が取り乱し、生活するのもままならなかったからだ。桃里は安心させようと思って色々試したけれど、努力は身を結ぶ事はなく、東京にある祖父母の家に引き取られた。
「そんな事に縛られるな。桃里は自分のしたいようにやればいいんだ」
「そんな事言ったって俺のしたい事なんて……」
桃里は常に人の顔色を窺って生きてきた。全てにおびえるように、時にはピエロとなってクラスに溶け込んだりもした。しかし、桃里の深くえぐれた心は癒えない。
──家族に拒絶されている。
「そんな顔をするな。桃里のそれは優柔不断なんじゃなくて顔色を窺っているだけ。芯を持って強く生きるんだ。……僕はもうすぐは警察学校に入る。心配なんだよ、桃里」
二年前に桃里は福岡から祖父母のいる東京へと越してきた。けれど、上手くなじめずにいじめられていた時に、偲に助けられた。偲はそれに立ち向かう方法を桃里に授けた。自分自身で立ち向かえるように。
──彼は優しい。あまり言葉には出さないけれど、人を正したいという芯のある正義感を持っている。
「俺だって偲みたいに人の為に生きたいよ!」
──人のために生きたい。家族にも受け入れられずに怯えているけれど。
そう思えたのも偲のおかげだ。桃里は、彼の生き方を美しいと思い、彼の強い心が羨ましかった。
「だったらまずは自分の為に生きろ。手始めに左利きに戻すんだ。そしたら上手く笑えるはずさ。桃里の泣きぼくろは笑顔でこそ輝く」
偲は微笑んだ。左目の下にある黒子。桃里はこれが嫌いだった。離婚した父親にも同じものがあったからだ。
──この黒子さえなければ。
桃里は何度も自分の顔を呪った。しかし、偲だけはこの黒子がチャームポイントだと言ってくれる。だから、桃里は少しずつ悪くないと思えるようになった。
「分かったよ。……けど甘いね! 実は俺両利きなんだ。恰好いいでしょ」
「それはだって、元は左で今は右利きなんだからそうだろ。稽古続けるぞ。僕から一本取ったらアイス奢ってやるよ」
「またアイスかよ……どうせチューチュー棒凍らせたやつでしょ! あれはアイスじゃなくて氷だからなぁ」
「アイスは氷でしょうが! アイスクリームは怖いんだぞ。虫歯になるし、砂糖も凄い。その点果汁の入ったアイスはいい! 嗜好品としてギリギリ許容できる範囲だ! あと、前々から思っていたがハンバーガーも食べるのも止めなさい!」
「くッ……モ、モスは許してくれよ! ああ見えて野菜も結構入ってるんだ」
「許しません! あと、男なら野菜じゃなくステーキを食え。人の顔色を窺って野菜を食べるんじゃあない!」
「ハンバーガーは駄目でステーキはいい理由はなんだよ! ハンバーガーを野菜料理だと思ってるの!?」
「牛丼は肉の方が多いから許容範囲だ。玉ねぎの多い牛丼は……牛丼ではない!」
「玉ねぎと牛肉、半々くらいが一番うまいだろ! ……アイスはもういいからさ、俺が一本取ったら、玉ねぎ牛丼を食べるに変更だ!」
正義感もあって頑固。人情味溢れるまさに漫画の主人公みたいだった。だから、俺も彼のように強くありたい。
その後、二人は何度も組手をした。しかし、体格差や経験値が違う。桃里は結局一本も取る事はできなかった。
桃里と偲が帰り際に寄った牛丼チェーン店。
偲は玉ねぎ少なめ、つゆだくで注文し、桃里は玉ねぎ多めで注文した。
──思い思いの楽しみ方で、並んで食べたあの味と、なぜかご機嫌で財布の紐を緩ませていた偲の顔。日常を切り取った絵画のような光景は色褪せる事はない。
◇
──連続殺人鬼を探しています。
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