02話
「来ちゃう……。そろそろ」
お気に入りに囲まれた、お気に入りの部屋の中でセシリアは呟きながらウロウロしていた。お気に入りを着て、肌の手入れも問題なし、前髪もいい感じだ。
(それなのに……叔母さん、さっき帰ってきたと思ったらダイニングに座りっぱなし。そろそろ部屋に入ってくれないかな)
「あぁもぅ!」
あぁもぅと言いながらセシリアは肩に掛かった銀髪を払いのけた。セシリアの端正な顔に乗っている銀目と銀髪が窓からの光に反射している。目つきは焦りとイライラからか凶悪な光に変わっているが。
セシリアの特徴的な銀髪と銀目、それは一族の誇り、祖国の誇りだと今は亡きセシリアの曾祖母が口癖で言っていたものだ。
「いや、いまはそんなこと思い出している場合じゃない。早くしないとカエサル先生来ちゃうし」
カエサル先生というのはセシリアの家庭教師であり、教えているのは礼儀作法全般で、とても厳しく、たまに……ごくまれに優しいこともある素敵教師だ。セシリアの苦手な相手でもある。
そして人間は楽な方に楽な方にと進んでいく生き物で、絶賛焦り中のセシリアは絶賛抜け出し画策中なのである。ちなみに焦りすぎて独り言が出ているのは性格である。それ以外の意味は感じ取ってほしい。
(ほんとなら今頃は外にいたはずなのに)
ふんぬと息を吐くセシリアのテンションは玄関の気配に急降下だった。
「はいっ。カエサル先生お待ちしていました。えっ、はい。かしこまりました」
先生が来たことに諦めながらセシリアがドアをそっと開けて耳を澄ますと、マリア叔母さんがカエサル先生の応対をしているのがわかった。
マリア叔母さんはマリアの家に同居し、メイドとして働いている。なんでそうなったかは大人の事情というやつだろう。セシリアは察してはいてもあえて聞いてはいない。まぁ本人に聞くのはさすがのセシリアでもどうかと思う。
他に聞こうと思っても手広く商売をしている両親は家に居るどころか、年に数度しか顔を会わせない。さすがにセシリアの幼少期は家にいた記憶が多いが、物心が付くくらいから会う頻度が減っている気がする。
近くに他の親類はいない、やはり商売で世界各地に散っている。セシリアの 一族、ハートスピード家は貿易で身を立てているのだ。
今年は何回、両親に会うのだろうか。セシリアにとって両親は大切だけど、常に頼ることはない存在、そしてマリア叔母さんも必要以上に親密になることを避けていることもわかっている。
つまり独りで生きていけるよう、千尋の谷に落とされ、いやまぁ、せいぜい置き去りにされているくらいのゆるい感じだと思うが。
「歳の割にしっかりしているって言われる理由ってそこかな。うん、いいか悪いかで言えばいいことか。自立した女ってかっこいいし」
何事も前向きなセシリアである。
話は戻って、カエサル先生とマリア叔母さんの話の雰囲気からすると今日はカエサル先生の都合が悪いのではなかろうか。これはもしかしたら堂々と出かけることができるのではないだろうか。
なんと都合の良い解釈、いやなんというご都合主義か。家庭教師のカエサル先生は用事が出来たで決定である。今のところセシリアの中だけだが。
今日はサボって遊びたい気分だったんだよね。さすがカエサル先生、私の気持ちをわかってる。心のなかで勝手に感謝しながらセシリアはドアをそっと開けた。
「まぁ、先生ったら、お上手なこと」
「世辞なんかじゃないよ、君は本当に素晴らしい女性だ。この間も……」
廊下から階下を覗き込むと、カエサル先生とマリア叔母さんが何やら話し込んでいる。
カエサル先生はセシリアに見せたこともない笑顔で、マリア叔母さんもあれはまんざらでもないな。いつの間にあんなことになったのだろう。
セシリアは首をかしげながらも耳を玄関へ伸ばすように身体を動かした。
「セシリアさん、淑女としていかがなものかと思いますよ」
カエサル先生がこちらを見たとき、セシリアはキリンのように首を長く伸ばさんと努力しているときだった。いやセシリアはキリンを見たことはないから想像の範囲である。
話は脱線するが、セシリアのいる領都、赤霧都市スピリタスは流通の要所にあり、王都や魔法都市レットブルーに並んで発展している地方都市である。しかし流通の要所にある都市とはいえ、遥か遠方の国にある動物までは流通していない。もしかしたら広大な敷地を持つ酔狂な金持ちが運ばせているかもしれないが、少なくともセシリアは書物でしか見たことはない。
次の機会に図書館に行こう。そこでもしかしたら、知的でかっこいい出会いがあるかも。
「セシリアさん、現実逃避していませんか? しっかりなさい」
その言葉にセシリアはハッと気づき、できるだけ優雅に姿勢を正した。そしてカエサル先生に優雅にお辞儀をした。
「ごきげんよう、カエサル先生」
「ごきげんよう、セシリア嬢。今日は前髪がきれいだね。それに動きやすそうな素敵な服だ。何かいいことでも控えているのかな」
カエサル先生はニッコリと微笑んだ。セシリアは逆にまぶたをピクピクするのを感じた。
「あー、これはですね、ちょっと庭の手入れに挑戦をしようかと」
嘘である。お気に入りの服ではあるが、その服はいまからちょっと街を出てスライムの一つもぶっ叩こうというレベルの冒険者の服だ。厚手の木綿で作られ、内側に魔法銀で作られた布を縫い付けてある一品である。
とはいえ、さすがに本格的に戦闘をしたいわけではなく、出たついでだし、街の外に出てストレス解消にスライムをバシッとやろうかな、とセシリアは考えていた。他にも目的はあるのだが。
「セシリアさん、あなたカエサル先生がいらっしゃることは承知していたでしょう。なのになぜ外に出る前提なのですか」
マリア叔母さんは真っ直ぐに、そして冷静に指摘した。
セシリアはたじろいだ。強敵の出現である。
「叔母様、これは……」
何も言えなくなったセシリアは上目遣いにマリア叔母さんを見た。
階上から階下へ上目遣いという器用なことをしたセシリアを見て、マリア叔母さんはため息を漏らした。
カエサル先生はその様子をみて笑い出した。
「はっはっはっ、意地悪してすまん。私はこれで失礼するよ。また次回に」
「先生……本当にすみません。セシリアにはよく言っておきます」
「いやいや、イヤイヤやっても嫌なものは嫌だからね。それに時機を掴んでレッスンするほうが本当が身につくものだ」
なんて理解のある先生、今日はレッスン無しらしい。セシリアは小躍りしたい気分になった。
そしてセシリアは小躍りした。マリア叔母さんは眉を顰めた。
「いや、先ほど言ったとおり、本当に別に用事もあってね。私も助かるところだ。……ただしセシリアくん」
カエサル先生はセシリアを生徒として見るときの口調で言った。その声はセシリアの身体に響き、思わず背筋を伸ばした。
「はいっ」
「うむ、返事はよい。ただ淑女としての返答としては残念だ」
何が残念なのカエサル先生は言わず続けた。
「次回は簡単な試験をやろうと思っているからね、覚悟したまえ。ではこれで」
「はぃ」
マリア叔母さんが門まで送ると言い、カエサル先生は帰っていった。
用事があるなら使いでもやるところなのだろうが、先生から見たらハートスピード家は上客である。
うちの家で雇われていることで掴める客もあると聞くので気を使い、わざわざ本人が来たのだろう。
(そんなことよりも。私は今のうちに裏口から……)
マリア叔母さんがいない今が最大のチャンスだ。そう知っているセシリアは部屋に急いで戻り、手荷物とスライムを叩くための棍棒を持つ。食堂の裏に行き、そっと裏口の扉を開けた。
(無事に逃げ出せそう)
「では、さらばだ。また会おう!」
どこかの書物で読みかじったセリフをつぶやきながら裏口に一歩踏み出したが、眼の前の光景に叫び、すぐに戻ることになった。
「きゃぁああ」
そこには早くも叔母が待ち構えていた。
「セシリアさん、どこに行かれるのですか?」
先を読まれていたセシリアは、ついでだからと用事を頼まれ、自由のない街に出掛けることになる。
「これはただのお使いなのでは」
と言うことで主人公の一人が登場です。次回はもう一人が登場します。真面目さんです。