第七話
それは嵐と見紛うほどの力の奔流だった。八雲を中心に妖力が入り乱れ、木や土を巻き込みながら渦巻いていく。大きな怪我こそなかったものの、晴人と咲耶は参道の奥へと吹き飛ばされた。
そして、悪いことに嵐は段々と大きくなっている。まだ神社の結界が抑え込んでこそいるが、それも気休めにしかならない。
「咲耶様! これは一体!?」
社務所から阿智が慌てて出てきた。当然だが、状況の理解が微塵も出来ていない。
「火急の事態よ。直ちに結界の補強を進めなさい。パ――父上にも連絡。さあ、動いて!」
「は、はい‼︎」
しかし、さすが巫女長と言うべきだろうか。咲耶の最低限の指示から状況の優先度を定め、迷うことなく動き出している。
「でも、このままだとそう長くは保たない……!」
今もなお八雲から溢れ出す妖力の嵐は勢いを増していた。結界の強化は進んでいるが、このままでは破綻は時間の問題だろう。
「妖だってここまでの妖力を持つ奴はそうそういないのに、ましてや半妖がここまでの力を持っているなんて……」
「それは不思議なことじゃないわね。過去の歴史から見ても半妖は生まれつき高い妖力を持っていることが多いわ。それでも、今までなんの頭角も見せてこなかったのがこのまでの力を持っているのはアタシも驚いたけど」
吹き荒ぶ妖力の嵐を見上げ、咲耶は爪を噛んだ。
「あちこちに歪みが出来てる……。結界が破綻したら、町が大変なことになるわよ!」
神社の周りは街に囲まれている。しかも付近は駅を中心に栄える地方都市だ。嵐が神社を超えた際の被害は想像もつかない。
「くっ……!」
なんとか八雲を抑えようと晴人が一歩踏み出したその時、背筋にぞくりと悪寒が走った。
「ハハハ! 素晴らしい妖力だ。ワタシの目もまだまだ衰えていなかったようだなぁ‼︎」
振り返ると、彼のすぐ目の前に風を纏った刃が迫っていた。咲耶がそれを大幣で止めていなければ、今頃晴人は真っ二つになっていただろう。
「また不意打ち……つまらないことしてんじゃないわよ」
「悪いなぁ。これがいつものやり方なものでね。ワタシは小心者だから、ついつい卑怯な方法を取ってしまうのだよ」
妖は、鍔迫り合いを続けながらなおも話し続ける。
「それにしても、こんなに早くアレが覚醒するとはな。乱れた妖気を感じて急いで駆けつけたが、お陰で片方しか準備が済んでいないではないか」
「準備……? なによそれ」
訝しむ咲耶を妖は笑い飛ばす。
「ハハハ! 準備は準備だとも! 時に巫女よ。貴様が昼に唱えた祝詞は『富士の浅間の大神』、つまり木花之佐久夜毘売に連なるものだよなぁ?」
「まさか……前に!」
「ああそのまさかだとも! いやぁ性質が近しいから準備が楽で助かった。木花之佐久夜毘売の天敵である『死』の性質になぁ!」
「ぅ、ぐっ……!」
風が巻き起こる。黒い風が、八雲の渦と拮抗するように。
「これは……禍津風⁉︎ どうしてそんな妖が⁉︎」
それは、伝承において災いと病、そして死を運んでくるとされる不浄の風。その恐怖と概念によって生まれた妖。
まさしく木花佐久夜毘売の天敵と言える存在だった。かの女神は繁栄と栄華を司り、回復や身体強化といった術式とはめっぽう相性がいいものの、対して病魔や死といった概念に弱い。それは、咲き誇る花がいつかは散るように、青々とした草木がいつか枯れるように、人という存在をそうたらしめた女神の宿命と言える。
「チッ、めんどくさいわね! 富士の浅間の大神の、高き尊き御神威に依りて、悪しき風の無き事を仰ぎ奉り恐み奉り白す!」
禍津風に対抗するように、咲耶は祝詞を唱え若草色の妖力を纏って応戦を始めた。
晴人も咲耶のサポートに回ろうとリュックから巻物を取り出そうとするが、それを見た彼女がピシャリと言い放つ。
「アンタは早くあの子をどうにかしなさい!」
晴人はハッとした表情をして、取り出そうそしていた巻物を握りしめた。確かに、八雲さえなんとか解決してしまえば、禍津風も目的を失ってこの場を去るかもしれない。そんな希望的観測が晴人の頭に浮かんだ。
「私を……祓ってください」
なんとかしないと、と彼が八雲に向き直ったとき、彼女はそう言った。
「妖は、祓うか封印するんでしたよね。だったらいっそ、一思いに祓ってください。こんな、生きてても迷惑ばっかりかけるだけの私なんて」
いっそ懇願するようですらあった。それほどまでに彼女の心は追い詰められている。自己肯定の苦手な彼女が、自分のせいで多くの命を奪うかもしれないと知れば、そうなるのも当然だろう。
「祓うわけないだろ! 馬鹿なこと言うなよ!」
「そうだ。祓うなんて勿体無いではないか。我々のところに来るがいい。その妖力も体質も、我らが有効活用してや――」
その言葉を遮るように、咲耶の大幣が妖の顔面を打ち据える。
「アンタは少し黙ってなさい!」
「どうする、どうする……? ここまで荒ぶる妖気のバランスを取るなんてオレには出来っこない。姉さんまでは行かなくても、それこそ咲耶くらいの実力がないと」
しかし咲耶は妖の対処で手一杯。そもそも彼女にそういう繊細なコントロールは求められない。
「クソッ」
悩んで悩んで、縋るようにヘアピンに手を伸ばした。
その瞬間、ガラスの砕けるような音と共に、晴人の頭に一つの記憶が蘇る。
『ほんと、勝手だよね。神様の気も知らないで』
それは、あの時の希明の言葉の続き。
『――だから、晴人はちゃんと相手の気持ちを知って、お互いが手を取り合えるような関係の妖使いになるんだよ』
希明は、弟の頭を撫でながら微笑んだ。その笑顔はどこまでも温かくて。晴人の好きな笑顔だった。
『晴人なら、絶対できるから。なんてったって、晴人はお姉ちゃんの自慢の弟だもんね!』
どうして、今まで忘れてたんだろうと、晴人は苦笑した。よく考えれば当然のことだ。希明が弟の可能性を潰すようなことを言うはずなんてなかった。
「そうだよ。そうだよな」
――できるさ。自慢の弟だから。
「八雲、安心しろ。今はちょっと均衡が崩れてるだけ。制御さえできれば簡単に収まるさ」
「ちょっと晴人⁉︎ 今まで妖と微塵も関わってこなかったシロウトが妖力を制御するなんてできっこないじゃない……!」
「――なら、他の誰かが制御すればいいんだろ?」
「ちょっと、まさか……」
ヘアピンを外して、握りしめて歩き出した少年を見て、咲耶は苦々しく吐き出した。
「あの……バカ!」