再会と再出発
大きなホテルの会場では、仁志の研究した新薬の実用化の記念式典が行われていた。
(とうとうここまで来たか。
これでみゆきのようにこの病気で亡くなる人はいなくなる)
仁志も二十年以上の研究が実を結び、感慨深い。
瀬田グループはこの新薬により莫大な利益を上げることが確実であり、義父の晃は満面の笑顔であちこちの業界人と話している。
きらびやかなセレモニーに瀬田家が一同揃って姿を見せる中、妻の綺羅羅だけはどこかに出かけて不在であり、義父母はそれを仁志に何度も詫びていた。
(また浮気か、どうでもいいことだ)
最近の綺羅羅はほとんど夜は外出して顔も見ていない。
たまに顔を合わせても無視するか罵倒されるだけであり、仁志は彼女が何をしていても気にしていない。
次々と挨拶に来る関係者との対応に飽きて、仁志は一人ホテルを後にした。
夜風が心地よく、歩き始めた仁志は考えていた。
(みゆきの病気を治すというのを目的に生きていたから、それを果たした今の自分は抜け殻同然。
もうすることもなく、綺羅羅のあの様子では結婚生活は続けられないだろう。
かと言って、再婚して誰かに子どもを産んでもらうのも面倒だ。
そろそろあの世に行ってみゆきに会いたいなあ。
そうすると財産をどうするか。みゆきの好きだった動物保護にでも寄付するか。
死ぬのも色々考えねばなあ)
考え事をしながら歩く仁志は、暗い影で座り込んでいた女の子にぶつかり、転びそうになる。
「ごめんよ。大丈夫かい」
声を掛ける仁志に女の子が言う。
「おじさん、あたしのこと買ってくれない?」
「何を言っている?」
綺麗な声でびっくりするようなことを言われ、まじまじと女の子を見ると、記憶にあるみゆきにそっくりであった。
「あたし、帰る家がないんだ。
おじさんが買ってくれないなら他の人を当たるからいいよ」
「ちょっと待って。
今までもこんなことをしていたのか?」
仁志は女の子の手を取って引っ張った。
「何、やっぱり買ってくれるの?」
「いいから来て」
タクシーを捕まえて自宅へ走らせる。
男を連れて歩いている綺羅羅にこの現場を見られていたとは、仁志は気づかなかった。
家に入れ、明るいところで見てもやはり亡き幼馴染にそっくりだった。
その声もよく似ている。
いや、もう二十年以上みゆきに会っていないのだから幻想かもしれない。
それでもいいと仁志は思う。
「まず風呂に入って」
「あたし、臭かったかな」
仁志はその間に簡単な食事を作る。
彼女がタクシーの中でお腹を鳴らしていたのを聞いていた。
風呂から出た女の子にテーブルに着くように勧める。
そこにはスパゲッティとスープとサラダが並んでいた。
「おじさん、気が利くね。
ちょうどお腹が減っていたんだ」
仁志も女の子の向かいに座って一緒に食べる。
女の子はおしゃべりなのか、色々と話しかけてきた。
(ああ、高校生の頃はみゆきとこうやってご飯を食べたな。
こんな日がまた来るとは)
「悪いけれど、おじさんじゃなく、仁志と呼んでくれないか」
「いいよ、仁志。
あれ、どうして泣いているの?」
仁志と言う彼女の声を聞いていて、知らずに涙が出ていたようだ。
「ごちそうさま。
仁志、片付けは私がするね」
「ありがとう」
みゆきが戻ってきたようだ。
親が残業で遅い時は二人でご飯を作り、片付けていたものだ。
仁志はソファでぼうっと昔を懐かしんだ。
「じゃあ、そろそろしようか」
女の子はいつの間にかウトウトしていた仁志を覗き込んでいた。
服を脱ごうとする女の子を止めて、仁志は言う。
「そんなことはしなくていい。
それより頼みがある。
僕の渡せるだけお金を上げるからもう売春はしないでくれないか」
そして家にあるだけのお金を持ってくる。
「うひょー、すごいお金。
こんなに貰って何もしないわけにはいかないわ。
おじさん、誰かに私のことを重ねているんでしょう。
だったらその人からの言葉をあげるわ」
そう言って女の子は仁志を立たせて、その前に自分が立った。
「仁志、あなたが好きです。
晴れの日も雨の日も、
健康な時も病める時も、
あなたがいくつになっても、どんな人になっても
私は永遠にあなたを愛します」
そう言って女の子は仁志を抱きしめた。
「みゆき・・
もう一度会えるなんて。寂しかった。
もうずっとこのまま一緒にいてくれ!」
仁志も女の子を強く抱きしめ、涙を流す。
仁志はそのまま気が遠くなった。
それからどれだけ時間が流れたのか、仁志は身体を揺すられていることに気がついた。
「あなた、起きてよ。酔っぱらったの。
こんなところで寝ていたら風邪をひくわよ」
気がつくと綺羅羅が帰っていて肩を掴んでいる。
「パーティじゃなかったの。
あなたみたいな人が女子高生みたいな子を連れていたから、まさかと思って帰ってきたのだけど。
女はいないみたいね」
「あれっ、みゆき、いないのか!」
突然叫ぶ仁志のことを綺羅羅は睨みつけた。
「みゆきって、亡くなったあなたの幼馴染の恋人ね。
ずっとその人のことを想っているんでしょう。
だから、自分にも他人にも興味がない。
私のことを浮気とか不倫と言うけれど、あなたの方こそ結婚したときからずっと心の浮気をしていたんじゃない!
そして私が何をしても関心がない、こんな惨めな妻はいないわ!」
綺羅羅はこれまでの鬱憤をぶつけるように爆発し、仁志に向かって持っていたハンドバッグを投げつけた。
更にむしゃぶりついて、仁志を叩き続ける。
「少しは私を見てよ!
あなたのことが好きだったのよ!
他の男と遊んでいたら嫉妬してよ!」
「悪かった。
素直に感情を出す君を見てると楽しそうだと思って、結婚を決めたんだ。
でも、浮気を繰り返すし、やはり財産目当てかと、放っておいた方がお互いのためかだとは思っていたのだが」
仁志は大声で泣き続ける綺羅羅の勢いに呑まれて謝り、彼女を抱き留めた。
同時に少女に会ったのは夢だったのかと思う。
「もう浮気はしない。
あなただけを見てるからもう一度やり直させて!
それで彼女からあなたの心を取り戻すわ!」
これまでの思いを吐き出し、泣きつかれた綺羅羅をベッドに連れていき、リビングに戻った仁志は食卓の上に何かメモがあることに気がつく。
『仁志、長い間よく頑張って私の病気を治してくれたね。
ずっと見ていたよ。
仁志の頑張りのご褒美に少しだけ現世に戻してもらったの。
生まれ変わると言ったけれど、よその女の人が仁志の隣にいるのを見るのは悔しいから、娘にはならないで天国で待っている。
私は急いでいないから、人の為に働いて、人生を楽しんでからこっちに来てね。
ps:余計なことかもしれないけれど、仁志の心があまりに頑なだったので、素直になれるようにしておいたね。
みゆき』
メモの横には高校時代に彼女が愛用していたボールペンが置いてあった。
「はっは
奇跡があるなんて言ったら科学者失格だな。
夢でも幻想でもいい。
誰がなんと言おうとみゆきは来てくれたんだ!」
寝室から仁志を呼ぶ声がする。
「仁志、今日は一緒に寝て!
早く来て!」
彼を仁志などと呼んだことがない綺羅羅がどうしたのだろう。
さっきの感情の爆発も初めて見た。
彼女が素直になったような気がする。
「お前の魔法はすごいなあ」
天上にいるであろうみゆきに呼びかけた仁志は、もう一度綺羅羅に呼ばれて、苦笑しながら、「今行くよ」
と妻に返事をした。