2020年8月11日、栃木県某市某家にて
(話を促す)
ええ、その……録音とかは、しないでいただきたいです。
(了承するが、悟られぬよう録音は続ける)
ありがとうございます……ごめんなさい、こんな体ですから、お茶も出せず……トキコさん、呼びますね。
(お気遣いは結構、話を聞かせて欲しいと促す)
そうですか。
でも、これはほとんど、私の恥の話です。
それに、死んだ人の悪口を言うことになりますから。
あの人は……あの人は、あまり、その、いい人、ではありませんでした。
私、この通り、ベッドから降りれませんで。家事とかはあの人に任せていたんですが……見に行けないことをいいことに、ゴミも捨てない有様だったようで。
一週間に一回来る、トキコさんがやってたみたいで。
それにお礼も言わずに、年金をパチンコに使ってるみたいで、負けた日がほとんどなのに、その度にイライラして帰ってきて、リビング、あの遠くの部屋で何かを蹴る音がする、そんな毎日でした。
その人が、一ヶ月前、死にまして。
心不全でした。
トキコさんとも相談したんですが、葬儀は執り行わないことに決めました。
お金はあの人がほとんど使ってしまいましたし、私はこんな体ですし、トキコさんにも流石にそこまでさせるわけにはいきません。
市に全部任せました。
だから、なんです。
だから、来たんです。
(何かを問う)
ガワリさま。
(話の続きを待つ。話出さないので、促す)
……ガワリさまって、聞いたことあるかしら?
ふふ、やあね、それを調べてる先生なんだから、知ってるわよねえ。
私の小さいころ、よく教えられました。やるべきことをサボっていると、ガワリさまが来るぞ、って。
なんでしょうかね、鬼みたいなものだ、と聞かされてたんですが……
実際は、違いました。
夫を亡くし、葬儀をしないと決めて、しばらくして。
夜中に私は起きました。
何かが聞こえたんです。
歌を歌うような。
なーんなーんなーんなーん、みたいな、声が。
ベッドから出れないから、どの部屋で何が起きてるかはわかりませんでした。でも、この家の中で起きてることでした。
首を回してキョロキョロ見回すんですが、全然わからなくて、嫌な気持ちが湧きました。
そんな間にも、歌は聞こえるんです。
なーんなーんなーんなーん……。
ちぃん。
ええ、その音でようやくわかりました。
お経なんです。その歌。
お葬式が、私の家で行われていると、私は気づいたんです。
(息が荒くなっていく、休憩を促す)
いいえ、大丈夫です。
(トキコさんとやらを呼ぼうと立ち上がる)
トキコさんは呼ばないで。
……大丈夫、大丈夫です。
ちゃんと、話せます。
(座り、促す)
お葬式は、二時間くらい続きました。
静かになったんです。
終わったんだろう、と思って、少し安心しました。
でも、今度は、別の音が。
とす、とす、って。
きし、きし、って。
足音でした。
靴下の音、床板の擦れる音。
それらがね、私の部屋に向かってくるんです。
とす、とす、って。
きし、きし、って。
そして、部屋の前で、とまりました。
そう、その、襖。
(襖は所々破れている)
慌てて、頭まで布団を被りました。
この歳になって、すごく久しぶりの、怖い気持ちでした。
ぎゅっと目を閉じて、早く終わってしまえと祈りました。
すうっ、と、襖が開いて、とす、とす。って。
その人は、私のベッドのそばまで来ました。
私のすぐそばで、じっ……と立っていました。
暑くて、息苦しくて、それでも、私の顔を覗き込んでいるでしょうその人を見るのが怖くて、震えてました。
すると、その人は喋ったんです。
「終わりましたよ」
って。
その声が、とっても優しかったんです。
途端に私、すごく、すごく申し訳ない気持ちになりまして。
ごめんなさい、ありがとうと言いたくなったんです。
あの人の葬式を代わりにしてくれて、ありがとう、って。
変ですよね、変だったんだと思います、私。
だけど、その時の私は、お礼を言いたくて、
布団から顔を出したんです。
(呼吸が荒くなっていく、再度休憩するかを問う。首を振られる)
男の人でした。
黒いスーツを着た、喪服を着た、男の人。
だけど、頭が、人じゃなかった。
遺影、でした。
その遺影には、顔写真があったんです。
あの人の。
でも、それが……それに……
線が、三本。
(続きを促す)
わかりますかね、あれ。名前は分かりませんが、やったことはありませんか?
顔が写った写真の遊びです。
目と、口と、もう一つの目。
それを、山折、谷折、山折にして……
無理やり笑わせる遊びです。
遺影に挟むからですかね、ピシッと伸ばされて、笑わされてはいませんでした。でも、確かに、あの三本の線は、その跡でした。
あの人は、無理やり笑わされていました。
そして私は気づいたんです。
お経、なーんなーんなーん。
遠くから聞いてればそう聞こえるでしょうけど、やっぱり変です。
お経はずっと「南無南無」は続きません。
別の言葉だって入っています。
なのに、なーんなーんなーん、って、ずっと。ずーっと、ずーっとずーっとずーっと。
お経なんて、最初から唱えてなかった。
あれは、ふざけてるんです。
悪意。
彼の「代わりにやる」は、悪意に満ちた、おふざけなんです。お遊びなんです。
だから、だから、だからわざわざ私の部屋に来たんです。声をかけたんです。
私、私は、悲しくて、悔しくなりまして、怒ってもいまして。
あの人の尊厳を、踏み躙られたことに腹を立てまして、手の届くものを全部投げつけたんです。
その襖、破れてますよね。ええ、はい。
私、ほんの少しだけ、神様みたいな人だと思ったんです。やりたくてもやれなかったことを代わりにやってくれる、神様。
だけど、違うんです。
鬼。
やることをやらないと鬼が来る。
ガワリさまが来る。
母の言葉の意味がわかりました。
鬼は、鬼なんだから、代わりにちゃんとやってくれるわけじゃない。
ふざけて、踏み躙るんです。人を、気持ちを。
だから、だから……私は
ちゃんとやらなきゃいけなかったんです。
ちゃんとやらなきゃいけなかったんです。
ちゃんとやらなきゃいけなかったんです。
ごめんなさい、ごめんなさいぃ、ごめんなさい。
(トキコさんが来る。取材続行は不可能。礼を告げ、帰る)