90:Ignorance is bliss.
Ignorance is bliss.
無知は幸福である。
つまり知らない方がいいこともある……ということだわ。
なぜこんなことを、クリフォード団長は言うのかしら?
そう思ったが、その一言を告げると、彼は帰る準備を始めてしまう。
チラリとロキを見るが、その顔は引きつり、でも「クリフォード団長、もうお帰りになるのですか。もう少し待てば、アリー嬢が手ずから作ったお菓子が食べられるのに」と軽い調子で言っているが、クリフォード団長は……。
「この後、予定があるからね。申し訳ない。でもいつか食べてみたいね、エヴァンズ嬢の手作りのお菓子を」
そう言って優雅に微笑む。こうなるとロキは、もう何も言えない。私も「ええ、ぜひ」としか答えることができなかった。
エントランスでクリフォード団長を見送り、その馬車が見えなくなって初めて、ロキが「あ~~~、緊張した!」と本音を漏らした。
「ロキ様が、唯一頭が上がらない相手ですか?」
「まあ、あの人はさ、一見優雅だろう。柔和だろう。怖くないだろう? でも実際はすごい怖いんだよぉ。表面的に見えている姿と、腹の中で考えていることが、真逆だったりするから」
「え、実は腹黒い悪人ですか!?」
頭を抱えて座り込んでいたロキが、ヨロヨロと立ち上がる。
「それはないと思う。いや、ないよな? ないと怖いぜ、団長まで腹黒だと終わりだろうが~王立ローゼル聖騎士団はさ!」
今度は頭を抱えたまま、ロキは空を仰いでいる。
「誰か腹黒い人が別にいるのですか?」
「腹黒い……とまでは言わないけどさ、アリー嬢が聖女だってなった時、迎えに行った聖騎士達。奴らはもう一人のグランドナイト、ギャレット・N・トッシュを指揮官と仰ぐ一派なんだよ。クリフォード団長は派閥を作るつもりはないが、新たな任務を割り振る時、適性や性格を加味すると、自然と副団長派、ギャレット派、鉄仮面派と別れてしまう。無論、俺は鉄仮面派だ」
鉄仮面派って……ランスのことよね? 呼び名がヒドイとロキに抗議すると「いや、いい意味だから!」と笑うが……。
「それでギャレット派は、腹黒いとまでいかなくても、何かあるのですか?」
エントランスから屋敷の中に入り、厨房に向かう道中でロキに尋ねると、彼はこんな風に説明した。
「ギャレット派は容姿自慢で、令嬢達ともきわどいことをしていると、噂が絶えない。特に今は聖女が不在だから。聖女がそこに存在してくれれば、気持ちの持ちようも変わるのだろうけど。それになんというかな。……賄賂の噂もある。清廉潔白であるべき聖騎士の悪い面をすべて請け負っているのが、ギャレット派みたいな感じだ」
「そうなの!? どうしてクリフォード団長は、罰しないの!?」
驚いて尋ねると、ロキは苦笑する。
「そんなクリフォード団長にバレるようなヘマはしないよ、奴らも。うまいことやっているのさ。それにクリフォード団長も、堅物というわけでもないようなんだ。今回だってなんだかんだで、ランスとアリー嬢のことを、認めてくれただろう?」
「そうよね。あれは認めてもらえたのよね? シャドウマンサー<魔を招く者>は、別として」
今の一言で、ロキは頭痛がすると言う感じで頭を再び抱えた。
「ああ、それな。うん。そう。ランスとアリー嬢が婚約するのは構わないけど、シャドウマンサー<魔を招く者>については……。クリフォード団長がどこまで知っているのか分からないが、彼には腹心となる聖騎士が何人かいて、彼らはヴァリアント・ウィング<団長の翼>と呼ばれている。奴らが情報収集したのかもしれないな」
「それはロキ様みたいに、諜報活動が得意な人たちなの?」
「ああ。そうだよ。でもそれが誰なのかは不明だ。ともかく俺たちがシャドウマンサー<魔を招く者>の道具について調べていることも……クリフォード団長は分かっているのかもしれない。でもクリフォード団長が言う通り、シャドウマンサー<魔を招く者>は禁忌だ。近寄るな――というのもよく分かる」
さらに、禁忌だから近寄るな――それは私達の安全を考えてのことだろうと、ロキは付け加える。
「なるほど。それならクリフォード団長は、私達を心配してくれたわけよね? 禁忌を探れば、何か起きて危険だと。だから不用意に関わらない方が、安全だよって」
「まあ、そういうことだけど、でも実際、動いているだろう? そうやって動いているのを止めないと、止めさせるために、実力行使をする可能性もある。心配はしてくれているが、出過ぎた真似をすると、容赦はしないということだ。表面の優しさだけに、騙されてはいけない。敵ではないけど、ずっと味方でもない、という感じかな?」
ロキがクリフォード団長を尊敬しつつも、なんだか緊張している理由が、これで分かった気がした。でも……さすが団長だ、とも思える。一線をきっちり引いているというか、その厳格さがないと、聖騎士団のトップなんて、務まらないのかもしれない。
「そんな厳しさがある一方で、クリフォード団長はさ、聖騎士が聖女に心身を捧げることを、必ずしも良しとしているわけではないんだよ。優秀な聖騎士には、子を残して欲しいと思っている。厳格な戒律で聖騎士を縛るのはどうかと思っているんだから、不思議だよな~」
「それは未来を見据えている気がするわ。優秀な聖騎士が一代限りで終わるのはもったいない。立派な聖騎士である父親の背を追い、次なる聖騎士が育ってくれればいいと思っているのでは?」
私の指摘にロキは「アリー嬢って、鋭いな。そう言われるとそうだと思える。やっぱりランスじゃなく、俺と婚約しよう!」「嫌です」と会話をしているうちに厨房に戻って来た。






















































