8:おませさん
昼食会が終わり、再び村へ向かい、出発するのかと思った。
ところが。
「お父様、お母様、これから僕はアリー様を庭園に案内したいと思うのですが」
シリルがそう提案すると、パーク男爵夫妻は「ぜひ案内してあげるといい」と快諾した。するとシリルはとても嬉しそうに私を見て「参りましょう、アリー様」と席を立つ。
チラリとランスを見ると。
彼は「どうぞ」という顔をしている。つまり、庭園への散歩、いってらっしゃいということだ。ランスは私に付き添ってくれないのかしら?
そう思ったら、ちゃんと席を立ち、距離を置いて後ろをついてきてくれた。
そのことになんだか安堵してしまう。
一方のシリルは私をエスコートしながら、いろいろ話を始める。まずは二人の兄について。一人は王都で議員をしているという。この兄に会いに、定期的に王都ヘ足を運ぶこともあると言う。もう一人の兄は騎士を目指しており、王都の騎士養成所に去年、入所したばかり。忙しく、ホリデーシーズンにしか領地には戻ってこないのだとか。
さらにシリル自身は、毎日のように家庭教師から勉強を習い、将来は弁護士になりたいと思っていると話した。勉強が忙しい日々であるが。目下の関心事は、今月末に控えた社交界デビューだった。
王都の宮殿で開かれる舞踏会に、シリルは一人前の男性として、顔を出すことになっていた。
「僕はいとこのエミリーを同伴するつもりでいたのですが……」
庭園の噴水の前に着いたシリルは、そこで一旦立ち止まり、私に向き合った。そして突然、目の前で片膝を地面について跪くと、手を差し出した。
「アニー様に出会えたことに運命を感じます。良かったらあなたを舞踏会にエスコートさせていただけないでしょうか」
これにはビックリし、目が丸くなってしまう。
服装といい、その髪型といい、シリルはまさに子供の頃に読んだ、物語に登場する王子様そのもの。その彼がこんな風に声をかけてくれるなんて。まるで私はプリンセスになった気分だった。
一瞬、気持ちは盛り上がる。
けれど私は、聖女になりそこねた修道女だった。そんな私をエスコートしている場合なのだろうか。というか平民……なのだ。平民は舞踏会に足を運んでもいいのかしら?
そこからして分からない。
分からなくて、困ってしまい、ふとランスを見てしまう。
ランスはとても真剣な表情で考え込んでいる。だが私に見られていると気づくと、とても困ったという顔になってしまう。
「アリー様」
シリルの声に、慌てて彼に視線を戻す。
「ランス様は聖騎士で、その身と心を聖女に捧げていますよね。勿論、聖騎士を止めれば、結婚できるでしょうが、聞いたところランス様はまだお若い。どこか負傷したわけでもないですし、まだまだ聖騎士としてご活躍されますよね。それに聞いたところ、あくまでアリー様の護衛。アリー様とランス様は、恋仲というわけではないですよね?」
2歳年下。弟とも思えてしまうシリルからのこの言葉に「な、何を仰いますか!」と、私は激しく動揺してしまう。
シリルはランスが聖騎士であることを気にしているけれど。私だって修道女で神に仕える身。聖騎士と同じく、修道女を止めない限り、恋愛は許されない。
要するにランスも私も現状の立場である限り。恋愛などありえない二人なのだ。それなのにいきなり“恋仲”だなんて! シリルはおませさんだ。
とにかく立場上、恋仲であるはずがないと、全否定する。
「では僕がアリー様をエスコートしても、問題ないですよね?」と畳みかけてきた。
「シリル様、私は修道女です。平民ですよ。そんな私を社交界デビューという記念すべき場に同伴するなんて……。後々後悔されると思います。私よりもいとこのエミリー様と参加された方がいいと思いますが……」
いとこのエミリーは伯爵家の令嬢。同伴する上で、何も問題はないはずだ。
するとシリルは首を横に振る。
「僕は今日。あの場であなたと会い、一目でアリー様のことを好きになってしまいました。その美しいお顔は勿論、盗賊に襲われても、気絶することなく、毅然とされていましたよね。あの姿には、感動しました」
さりげなく。いやハッキリと!
シリルが私のことを「好きになってしまった」と言っている。
これにはもうビックリだった。
だって。
シリルとは正直、会話らしい会話は、この庭園にくるまでの間しかしていない。盗賊を懲らしめた後、この屋敷に来るまで。シリルは海賊風の男ノリが乗っていた鹿毛の馬に乗り、ここまで戻ってきていた。よってここへ来る道中でも、ほとんど会話をしていない。
一体この短時間で、どうして私を好きになってしまったの?
もう頭の中は、疑問でいっぱい!
それよりも何よりも。
「シリル様。私は修道女ですから、好きと言われても、困ってしまいます」
「それは……そうですよね。では婚約をしましょう! 婚約を機に修道女をやめ、我がパーク男爵家で共に暮らすのでいかがでしょうか。私が弁護士になるまでは、屋敷で花嫁修業をするのでいかがでしょう?」
シリルは名案だとばかりに、瞳を輝かせている。
一方の私は、突然のこの提案に、喜びよりも衝撃と驚きが勝ってしまう。
「そんな重要なこと、シリル様の一存で決めることができるのですか!?」
「僕は三男ですから。どのように生きようが自由です。両親もよほどのことなければ止めません」
「あの、平民の女性との婚約と結婚は、よほどのことだと思うのですが」
だがシリルは「そうですか」と首を傾げる。「そうですよ!」と私が言うと、シリルはこんなことを言い出した。
「だって僕が弁護士になることを認めてくれた両親ですよ? 三男とは言え、男爵家ですから。それこそ騎士、外交官や議員になってくれと言われてもおかしくないのに。その時点で両親は、僕の自由を認めてくれています」
そう言われてしまうと……。パーク男爵家の二人の兄は、議員に騎士と、しっかり両親の希望に沿った道を進んでいるから、夫妻は安心しきっているのかしら?
「弁護士も、ここにいては安月給ですが、王都に行けば、そこそこもうけられますから。妻と子供一人を養い、生きていくことは十分にできます。むしろ金遣いの荒い貴族の妻を持つ方が、大変だと思います」
シリルのこの発言に私は……さらに衝撃を受けてしまう。
なんて堅実なの……!と。
2歳年下で、子供っぽい男爵家の三男と思っていた。
でも人生設計は、バッチリだった。
確かにシリルの目指す職業であれば、とんでもないお金持ち……公爵家の令嬢のところへ婿入りでもしない限り、贅沢は無理だろう。
でも平民の女性が妻であれば……。
例え弁護士であっても王都で開業し、そこで妻がサポートすれば、子供一人、親子三人で暮らしていけるだろう。
聖女になれると思ったら聖女にはなれず。修道院に逆戻りかと思っていた。
でもシリルの提案を受ければ……!