76:何を考えているか分からない
「ちょっと、待ってくれ、アリー嬢!」
叫ぶロキを置いて、宿を飛び出した。
信じられなかった。
まさかランスが、女性と……。
聖騎士なのに! しかもグランドナイトで、次期団長候補なのに!
私と婚約すると言っておきながら、こんな村の安宿で女性を……!
頭に血が上っていたが、息が切れ、立ち止まることになった。
ここは……どこだろう?
宿を飛び出し、無我夢中で走った結果。
村はずれまで来てしまったようだ。
目の前にはそう大きくはない川があり、そばに古びた水車も見えた。
もう使われていない水車小屋。
見上げると鈍色の空……雲なのかしら?……が広がっている。
もしポツポツと降ってきたら、それはそのまま雪になりそうだ。
そんな空を見上げ、ぼんやり考える。
ランスは頻繁に輝いていたから、そちらの欲求は強いのだろう。
でもそれも当然かもしれない。
あんなに美しく、たくましく、文武両道で優れているのだから。
本能が彼に、その類まれな力を受け継ぐ者を残すよう、突き動かしたとしても……当然のことと思ってしまう。
もしそうであるならば!
こんな村の見知らぬ女性ではなく、私を……。
いや、何を考えているの、私は!
ドレスからロザリオを取り出し、祈りを捧げ、気持ちを落ち着ける。
ランスが何を考えているか分からない。
物音がして振り返ると、水車小屋から男から出てきた。
水車小屋はボロボロだし、人なんていないと思ったのに。
だが出てきた男の服装もヨレヨレしており、どうやら酔っ払いが村をさ迷い歩き、この水車小屋に辿り着き、そのままその中で夜を明かした――そんな風に見えた。
酔っ払いも、見知らぬ男も、関わらない方が賢明だ。
ドレスをつまみ、すぐさま立ち去ろうと歩き出すと。
「おいっ」
ドキッとして、心臓が喉から飛び出しそうに感じた。
声をかけられてしまった。
間違いない。あの酔っ払いに。
一瞬立ち止まりかけたが、気づかないフリをして歩き出す。
早くこの場を離れ、村の中心部に戻ろう。
川の傍まで降りてきてしまったので、今、進んでいる場所は草むらだ。
ヒールのある靴、そしてドレスでは進みにくい。
「おい、待てよ!」
さっきより近くに男の声が聞こえ、心臓が止まりそうになる。
思わず振り返ってしまい、男が数メートルの距離まで迫っていることに気づいた。
その事実に気づくと、心臓がバクバクし、急に体まで震えてしまう。
急いでランスやロキのところへ戻らないと――。
ようやく草むらを抜け、村へと続く道に出ることができた。
舗装されているわけではないが、草むらより進みやすい。
そう少しだけ安堵したその瞬間。
左手首を掴まれ「きゃあっ」と悲鳴を上げてしまう。
「貴族のお嬢ちゃんがどうしてこんな村にいるんだ? しかも従者の一人も連れずに」
本当にその通りだ。
私は令嬢ではないが、この装いでは令嬢にしか見えない。
村で修道女の私が一人でウロウロしていても、誰も相手にしないだろうが、今は違う!
それなのに一人で、こんな村はずれの寂しい場所まで、来てしまった。
「最近は聖騎士が村にいて、女どもは奴らに夢中。俺たち村の男を見ても、煙たがるばかり。聖騎士なんて、どんだけ見てくれが良くて、身分がよくても、女になんか手ぇださないのによ」
その言葉に、こんな状況でありながらも、胸がズキンと痛む。
そう、聖騎士は聖女に忠誠を誓い、自身の純潔を守るはずなのに。
ランスはあの宿で……。
「商売女たちまで仕事せずに、ため息ばっかしつきやがって。おかげでこっちは溜まっているんだ。なあ、お嬢ちゃん、なぐさめてくれよ」
この言葉にハッとして「やめてください」とその手を振りほどこうとすると。
「なんだよ、お前まで、俺を無視か!」
怒鳴り声に、体が固まる。
「大人しくしてりゃ悪くはしないって。それに少しだが、金はちゃんとやるから」
男の顔が近づき、酒臭さ、生暖かい息が頬に当たり、悪寒が走る。
「や、やめて、やめてください」
震える声を絞り出すと「そんな風に言われると、たまらねぇな!」とニタリと笑った男が、私の肩をポンと押す。
ヨロヨロと数歩後退し、石につまずき、そのまま尻もちをつく。
せっかく素敵なドレスを着てきたのに。
いや、今はドレスの心配をしている場合ではない。
男はベルトを緩め、こちらへ近づいている。
誰かいないかと左右を見るが、道に人の姿は勿論、馬車も見えない。
「しかし、貴族が着るドレスってのは、いただけないよな! ビラビラいろんなものがついているし、脱がすのも一苦労だ」
「ま、待ってください!」
「はあ?」
「こ、こんな場所では困ります。今にも雨が降ってきそうですし、寒いです!」
自分でも何を言っているのかと思う。
絶体絶命になり、パニックになりすぎたのかと。
でも実際……パニックになっていると思う。
だが私のこの言葉で、男は動きを止め、空を見上げた。
「……まあ、確かに降ってきそうだな。それにまあ、寒いか。んじゃあ、あの水車でよろしくやろうか?」
男がニヤニヤ笑った。
もう吐き気がして、男を直視するのが、苦痛でしかない。
「さあ、立てよ」
「そ、それが、腰が抜けたようで……」
「仕方ねぇなぁ」
男が差し出した手を思いっきり引っ張り、そしてもう片方の手で、握りしめていた砂を男の目元に向けて投げつける。
男が地面に倒れこみ、顔を手で覆っている。
会話の最中に、歩きにくい靴を脱いでおいた。そのまますぐ起き上がり、走り出そうとすると。
「くそ女、ふざけやがって」
足首を掴まれ、地面に倒れこむ。
悲鳴を上げる私の髪をつかみ、男が馬乗りになった。
もう、ダメだ。
助からない――。






















































