32:優雅なバスタイムのはずが
部屋に戻ると、宿のメイドが入浴の準備を整えてくれた。
浴室には、換気も兼ねた窓がある。その窓は宿の正面の通りではなく、裏、すなわちこの宿場町を取り囲む森の方角に設置されていた。服を脱ぐ前に窓を開け、外を確認すると……。そこに広がるのは、真っ暗な森。この暗さの中、この森に入ろうと考える人間はいないだろう。獣でさえ、迷子になりそうな闇だった。
こんな闇に潜むのは、魔物よね。
念のため確認するが、魔物の気配はない。
安心し、窓を閉め、服を脱ぐ。
まずは髪を洗い、バスタブの湯の中につかると……。
一日の疲れがほどけ、体が解放されるような気持ちになる。
今日も一日、移動を中心に過ごしたけど、いろいろあった気がした。
特にランスとの間の出来事が……。
甘い香りのスイートアリッサムの花畑。
ランスに花を髪に飾ってもらった時は、本当にドキドキしたわ。
あ、そう言えば。
休憩所で出会った高位な身分の男性もいたわね。
結局誰だったのかは、分からないけれど……。
あの時のランスは、嫉妬していたのかしら?
まさかね、そんなことはないと思う。
その後、小川でランスと昼寝をして、通り雨に遭遇した。
雨上がりに見た美しい虹。
彼とできるだけ一緒にいたいと願っていた。
そしてこの宿でランスに手を洗ってもらい……。
その時のことを思い出すと、心臓が急速にドクドクしてしまう。
これではバスタブで気絶でもしてしまうと、深呼吸をして気持ちを静める。
なんとか気持ちが静まったその時。
バスルームの窓の外で、何かが動いたように感じた。
さっき確認し、人や獣はいないと思った。
いるなら魔物と思ったが、魔物はいなかったはず。
でも……。
なんだか嫌な予感がする。
できるだけ静かにバスタブから出て、タオルで体を拭く。そしてバスローブに袖を通したまさにその時。鏡を見て、そこで認識する。魔物は……鏡に映るのね、と。
いや、そうではないっ!
「ランス様っ!」
バスルームを飛び出した。
下着は身に着けてない。でもバスローブは着ている。
ランスは驚き、そして顔を赤くし――。
どうしてこんな時に輝いているの!
一瞬、目を閉じ、瞼を開けると、ランスの顔つきはキリっとしたものに変わっている。手には剣、背には槍を背負っていた。
「どこにいます?」
「バスルームの窓から、中に入ってきました!」
「姿は……」
説明する時間もない。
「今、バスルームのドアからこちらへ突進してきています!」
“突進”という言葉に瞬時に反応したランスは、聖剣を左手に持ち右手で聖槍を構えた。その武器チェンジは、魔物には意外だったようだ。さらに勢いよく飛びしたので、そのまま聖槍に突っ込み……姿が消えた。
「あ……」
あまりに呆気なかった。
「もしや聖槍に突き刺さりましたか?」
「は、はい、その通りです。まるでイノシシのような姿の魔物<タスクド・ボア>でした」
「タスクド・ボア……恐ろしい牙を持つイノシシの魔物ということですね」
見えないのだけど、ランスはバスルームの扉を見てため息をつく。
「魔物というのは、建物の中にはあまり入り込まないと聞いているのですが……。先日のシャドウ・ガーゴイルも屋敷の中にいたわけですよね。なぜなのか……。それにまたアリー様が狙われたかのように思え、不思議でならないです」
そこで視線を私に向けたランスは、瞬時に顔を赤くし、そこで閃光が走る。
突然現れたタスクド・ボアに、感情がいまだに揺さぶられているのかしら?
でもこう輝かれると、魔物もそうだけど、私も目くらましで困る……。けれどそんな文句を言う前に着替えをしよう。下着もつけず、バスローブ姿なんて、聖騎士であるランスに対して失礼過ぎるわ。
「ランス様、着替えをしますね。でもまたバスルームに現れるかもしれないので、扉は開けておいてもいいですか?」
なんとなく光る予感があったので、目を閉じて尋ねる。
「!! 分かりました。自分は背中を向けておけますが、武器は構えておきます。何かありましたら、そこから飛び出し、叫んでください。すぐに対処します」
「お願いします」と応じ、バスルームに向かう。窓から魔物は現れたので、そちら見ながら、素早く着替える。明日着る予定だった若草色のワンピースに着替え、外へ逃げられるよう、ブーツも履いた。
「着替え、終わりました」とバスルームを出ると、ランスは振り返り、「え」と驚いている。
「アリー様、これから出かけるおつもりですか……?」
「そうではなく、またも魔物が現れたらと思い……」
「どうしてまた現れると思うのですか? シャドウ・ガーゴイルの時は、退治した後、すぐ
寝る準備をされましたよね?」
そう言われると、確かにそうだった。
どうしてだろう……?
「ランス様の言う通りです。……不思議なのですが、魔物がまだいる……というか気配を感じるのです」
「……アリー様は聖女ではないのに、もしや離れた場所にいる魔物の気配も、察知できるのですか?」
「それは……神殿で聖女であるか確認をした際、遠くにいる魔物を察知できるかも試しました。でも……ダメでした。検知できませんでした」
そう、そうなのだ。
あの時は全然ダメだったのに。
なぜか今は、魔物がまだいる気配を感じていた。
「ちょっとバスルームの様子を自分も見てみますね。……そこに魔物がいても、自分は見えないですが」
そう言いながらランスは、バスルームに向かう。
漠然と魔物がいるように思えてしまうのは、この宿場町の周囲が森だからだろうか? 街道沿いとはいえ、森の一部を開拓した場所。魔物は森に潜んでいることも多いと言われているから……。
「アリー様、バスルーム、確認しましたが、これと言っておかしなところはないですね。ただ、これが洗面台に……」






















































