139:割れんばかりの拍手
ナオミとジルベールとおしゃべりをし過ぎて、喉が渇いてしまった。
「飲み物をとってくるわ。ナオミはいらない?」
「私は大丈夫よ。レストルームが近くなっちゃうから!」
「アリー、僕がとってこようか?」
「ありがとう、ジルベール。でも大丈夫、ちょっと行ってくるわ」
迷子にならないように気をつけなきゃ。
そう思い、ナオミとジルベールから離れ、人混みをよけながら、飲み物や軽食が用意されている部屋に向かう。
まずはホールを出ることに成功。
廊下を歩いていると……。
「君は……」
自分に声をかけられているなんて思っていなかった。
よってそのまま歩いていると。
「スイートアリッサムの君」
これには「!!」と思い、振り返ることになる。
そこには、とても高貴さを感じさせる美青年がいた。
キリっとした眉に、意志の強さを感じる青みがかったグレーの瞳。通った鼻筋に、少し厚みのある唇。瞳と同じブルーグレーの長い睫毛と長い髪。その髪は左側で束ねられ、繊細な模様が刻まれた、黄金の髪飾り(ヘアリング)で留められている。
一見すると、王道の黒のテールコートを着ているように見えたが、違う。その黒は、まるで嵐の夜の海を思わせる色。黒の中に、濃紺を感じさせる。タイも上質な光沢があり、ただの黒には思えない。シルクベルベットのベストは、まるで月のない闇夜のような黒。滑らかで艶のある黒革のブーツは、どこか透明感のある黒色をしていた。
身に着けているものがとても洗練されており、黒という色にこんなに豊かな表情があるのかと、驚いてしまう。
何より、衣装がこれだけ映えるのは、着ている人物が圧倒的なオーラを放っているからだろう。
まさか今日この場所で再会できるなんて。
王都から村へ戻る道中、休憩所で偶然会った、とても高位な身分に感じられた人物。ピクルスの瓶を開けられず、困っているところを助けてくれた男性だ。
「……まるで別人だ。なるほど。君が。そうか……」
あの時と同じ、上品な微笑みを浮かべると、彼は白い手袋をつけた手で、私の手をとった。
「ようこそ、聖女様」
「!」
手の甲に口づけをされる……と思ったら、そのフリだけだった。
特に高貴な身分な方は、実際に口づけはせずフリだけすると聞いていたが……。
「アリー聖女様!」
ランス!
声の方を振り返ると、ランスが私の方へ、足早に歩いて来た。
「飲み物を取りに行っているとお聞きしました。アリー聖女様。あなたはもう、ただの“アリー”ではないのです。一人での行動は危険で、心配になります」
ランスは私の手をとり、ぎゅっと握りしめ、周囲を伺う。
そこで私はあの高貴な男性のことを思い出し、顔を彼がいた方向に向けたが……。
いない。
「どうされましたか?」
「今、ついさっきまで、ここに男性がいたのです」
「! その男性に何かされたのですか!?」
「いえ、違います!」
以前、ピクルスの瓶を開けてくれた男性であることを伝えると……。
「……ピクルス?」
キョトンとしたランスが可愛らしくて、思わずクスクス笑ってしまう。
するとそこへロキがやってきた。
「ランス、アリー聖女、アンリが探している。いよいよ聖女様の、お披露目の時間だ!」
◇
もう、心臓が止まるかと思った。
ホールに沢山いると思っていたその全員が、私のことを一斉に見たのだ。
神殿でランスの聖旗判定の儀を行った際。
あの時も多くの人がいた。
でもその七割が聖騎士達だった。
クルエルティ・ヴィラン王都襲撃事件で怪我をした聖騎士も多く、彼らの治癒を行ったので、知っている聖騎士も多い。
国王陛下もいたが、一度謁見し、その人となりも分かっていた。よってそこまで国王陛下に対し、緊張することはなかった。
でも今は違う。
ほぼ知らない人、しかも貴族ばかり。
彼らの目が、同時に自分に向けられた時のインパクトは……。
ランスが隣にいて、さりげなく支えてくれなかったら、大変だった。
血の気が引き、卒倒していたかもしれない。
でもともかく国王陛下から「こちらが第102代聖女であるアリー・エヴァンズ。彼女を今生の聖女として、我が国に迎える」と紹介してもらい、薔薇で作られた冠を授けてもらった。
これで私のお披露目は完了した。
続いてはランスだ。
国王陛下はまず、正騎士が何であるかを説明し、その上でランスのことを紹介した。さらにランスが既に私から聖旗を授けられ、マスターナイトの資格を得たことを話すと……。
もう自然と拍手が沸き起こった。
ここにいる貴族の多くは、クルエルティ・ヴィラン王都襲撃事件の時、宮殿に逃げ込んでいた。そこでクリフォード団長が聖旗を使い、聖域を展開したことで、事なきを得ていたのだ。
ただ、聖域は、聖女と聖騎士しか見ることができない。
よって貴族達も、自身がどう守られていたのか、実感はそこまでなかった。
だが事件がひと段落し、宮殿に運ばれてきた多くの傷ついた聖騎士の姿を目の当たりにすることになる。
もし聖旗がなく、聖域が展開されていなかったら、大怪我を負い、命もなかったかもしれない――ということを、彼らを見て初めて理解した。つまり聖旗の価値を、強く噛みしめることになった。よって新たな聖旗を使えるマスターナイトの誕生を、心から喜んでいた。
この状況で聖女の正騎士として、婚約したことを告げても、文句の声など起きない。
そしてそのままマスターナイトの称号の授与が、行われることになった。
「聖騎士であり、正騎士のランス・フォン・エルンスト。第102代聖女であるアリー・エヴァンズより、本日、聖旗を授けられた。聖なる力が込められた聖旗を使い、民を、国を、聖女と共に守るように」
国王陛下の前で片膝を床につき、跪いたランスは、月桂冠をその頭上にのせてもらった。
「今、ここに、新たなるマスターナイトが誕生したことを宣言する」
国王陛下の言葉に、割れんばかりの拍手が沸き起った。