117:怪我自慢
「お前って奴は……本当に、肋骨が折れ、左の上腕の骨も折れ、全身に多数の切り傷、打撲、打ち身、縫った傷は十三か所で生きているなんて……。化け物か!」
「同じ言葉をロキ、君に返す。背中、骨が飛び出していたんだぞ!? それに縫った傷は、君は二十五か所だ! あれで最後に弓を放った君の方が、正真正銘の化け物だろう」
「ランス様、ロキ様。怪我自慢はそれぐらいにしてくださいませ。アリー聖女様が困った顔をされていますよ」
リリスの言葉にロキとランスは黙り込み「ごめんなさい」という顔で私を見る。私は「仕方ないですね」という顔で微笑み、ランスのベッドの横に用意された丸椅子に腰を下ろす。
ロキとランスはお揃いにも見える白の寝間着姿で、それぞれベッドで上半身を起こし、昼食をとる体勢だ。一方の私は、淡い水色に白のレースで飾られたドレス、そこにクリーム色のエプロンをつけ、ランスの食事の手伝いをするつもりだった。
リリスがランスのベッドテーブルに、昼食をのせたトレイを置く。ララが同じように、ロキに昼食を出している。
今は、クルエルティ・ヴィラン王都襲撃事件の翌日、正午を回ったところだ。
みんな満身創痍だったが、クルエルティ・ヴィランと魔物を倒すことができた。
でもあの時のことを振り返ると、よく勝てたな、と思う。
もはや現実のこととは、思えなかった。
ロキがクルエルティ・ヴィランに最後に放った矢は、聖矢ではない。
もはや聖矢は、使い果たしていた。
だがあの矢が刺さることで、クルエルティ・ヴィランの動きは止まった。
そのおかげでランスと私は、お互いの力を使うことができたのだ。
この勝利へ至るまでの道筋は、その時から一時間前に遡る。
ランスが指摘した通り、ロキはランスより一足先にクルエルティ・ヴィランに遭遇し、戦闘を行っていた。
これ以上、王立ローゼル美術館に魔物が集まらないように。クルエルティ・ヴィランが私に魔力を行使した際に飛び散った残滓を消すため、ロキは聖水をまいていた。
気配はなく、いきなりだった。
聖水の入った革袋に矢が貫通し、そしてロキ自身も背中に矢を受けた。
最初ロキは、自分が矢を受けたとは思わなかった。
魔物は武器なんて使わない。
自身の牙や爪、毒針で襲いかかる。
よって毒針で背中をぶすりとやられ、即死を覚悟したが。
違う。
人間が使う、聖矢でもない、ごくごく普通の矢を背に受けたと理解した。
「へえ、俺を狙うなんて。いい覚悟だ。一体どこの人間だ? この命中率。素人ではないな。所属と名前を言え!」
振り返ったロキの目の前に、瞬間移動したかのように顔を見せたのが――クルエルティ・ヴィランだった。
その後はもう、まさに死闘だ。
クルエルティ・ヴィランは魔物なのに、人間の武器の扱いに長けていた。王立ローゼル美術館の警備の兵士から奪った弓矢、槍、剣を使い、ロキに攻撃を加える。合間に魔術も使う。もう息つく間もない戦闘が続く。
「……お前、人間ですか、本当に。既に五度は殺したつもりですが」
そうクルエルティ・ヴィランに言わしめたロキだったが、このままではヤバイと感じた。援軍の見込みはなく、武器は尽きた。そこでクルエルティ・ヴィランの攻撃が直撃したふりをする。そして中庭に置かれた巨大な扉のオブジェ『天国の門』の上部に置かれた女神像の腕の中に、うまいこと落下した後。
死んだふりをした。
「ようやくですね。九度目でようやくです。……なかなかの好敵手でした。人間のわりには」
そこにランスがやってきた。
ロキが薄目で見ると、ランスは一人。
一人でもランスは勝てる。何せ四天王を二体、自身の生命力で殲滅しているのだ。できる――そう思ったが。
クルエルティ・ヴィランとランスの会話から、ロキは様々な情報を仕入れることになる。
まず、四天王を消滅させることができたのは、ランスの生命力だけではなかったこと。そこは、聖女の聖なる力も使われていたと知る。そしてその聖女は私であると知った。
ランスからロキは、生命力を高めるためには、自身の感情を強く喚起させる必要があると聞いていた。それを踏まえ、クルエルティ・ヴィランとランスの会話から推測すると……。
ランスは私に口づけをすることで、生命力を高めていたのではないか? でもランスは私が聖女とは思っていなかった。だから私と口づけをすることで、ランスの生命力は聖なる力で高められ、結果、四天王は消失していたことに気づいていない……そう理解した。
ランスのやつ、聖騎士の身分でありながら、キスをしていたのか?とも思ったが。四天王を前に、そうせざるを得なかったとすぐに理解する。つまりそこに欲望はなく、四天王を倒すためだったと納得した。
さらにランスと同じ。
私のペンダントが、本物のシャドウマンサー<魔を招く者>が用意した、魔力が込められたペンダントであると理解した。おかげで正しく聖女と判定されなかったことに気づく。ペンダントをはずせば聖女となる私を襲うため、魔物が現れていたことも想像がついた。
魔物が本能的に聖女を害そうとしたように、クルエルティ・ヴィランも私に手を下そうとしているが、そのやり方は他の魔物とは違う。クルエルティ・ヴィランにしかできない方法で、私に聖女であることをやめさせようとしている。聖女である私の魂を穢そうとしていることも、ランスと同じように、ロキは突き止めた。
だがクルエルティ・ヴィランの作戦は、ランスと私が既に口づけをしていたことで阻まれ、この状況を打破するためには――ランスを消す必要があった。
ランス、逃げろ! 今すぐ、アリー嬢の元へ行き、ペンダントをはずせ!
叫びたかったが、全身ズタズタのロキの口から声は出ず、ただ口をパクパクさせることになった。だが、ロキが言うまでもなく、ランスも同じ答えに辿り着いていた。そしてランスが駆けだすのを、ロキは見送った。