114:伝えないと!
クルエルティ・ヴィランに顎を持ち上げられ、口づけされそうになった時。
もう目を閉じ、脳裏でランスを想い、このまま息絶えたいと思った。
魔物に穢されるぐらいなら、魂を喰われ、即死したいと絶望した。
でも……。
クルエルティ・ヴィランの息を、唇や頬に感じている。
しかし唇で感知するのは、それだけだ。
ゆっくり薄目を開けると、クルエルティ・ヴィランの黒い瞳が怒りで震えている。
「まさかアリー、正騎士と既にキスをしているのですか? している……のでしょうね。そうでなければ、こんな縛りがあるはずがないのですから。しかもこの状況で……。正騎士め。随分な屈辱を、味わわせてくれましたね」
屈辱だと言いながらも、恍惚そうな表情をしているクルエルティ・ヴィランに、恐怖を覚える。
「本当はアリーを……聖女を僕の物としてから、正騎士を絶望に突き落としてやろうと思いましたが……。それを待たず、この縛りを解除するため、奴を先に亡き者にする必要がありますね」
ぎょっとして目をハッキリ開け、クルエルティ・ヴィランを睨むと、その手が私の頭を優しく撫でる。嫌悪感を覚え、その手から逃れたいと思うが、変わらず体は動かない。
「少しお待ちくださいね、アリー。正騎士を排除しますから」
ソファから立ち上がったクルエルティ・ヴィランが私を見下ろし「ふうっ」と息を吐く。
「どうせこの術の中にいるアリーは、どこへ行くこともできません。今のあなたは聖なる力を使うこともできないのですから。……いいでしょう。声を出せるようにし、体は動かせるようにします。でもここだけです。現実のあなたは深い眠りにつき、何をしても目覚めません。あ、僕が倒されることがあれば、術は解けますが、それは無理な話。ペンダントの秘密は、誰も知らないのですから」
パチンとクルエルティ・ヴィランが指を鳴らした瞬間。
体を動かせた。
立ち上がり、文句の一つでも言おうとしたが……。
「いない……」
思わずそう、声に出し、話せる状態になったことを実感した。
すぐさまそこで考える。
クルエルティ・ヴィランは、正騎士であるランスとキスをしていたのかと、驚愕した。そしてさらに言われたことを思い出すと、ランスと口づけをしていたことで、どうやら私と彼の間に、“縛り”というものができたらしい。
縛り……それは解除する必要があるということは、契約みたいなもの?
聖女である私は、正騎士であるランス以外とは口づけを拒む――というような。
でもそのおかげであのクルエルティ・ヴィランと、口づけをしないで済んだ。
いや、違う!
口づけされずに済んだと安堵し、喜んでいる場合ではない。
その縛りを解除するため、クルエルティ・ヴィランはランスのことを……。
「奴を先に亡き者にする必要があります」……彼のことを手にかけようとしている!
伝えなきゃ、ランスを助けに行かなきゃ!
国内外の巨匠の絵が所狭しと展示されている「出会いの広場」の一つの部屋に私はいる。でもこの部屋は通路で前後の部屋につながっていた。その部屋を抜ければ、廊下に出て、そして階段を下り、さらに通路を駆けて行けば……。
考えながら駆け出していた。
多くの巨匠の絵に目もくれず、部屋を駆け抜け、そして――。
中央にある「誘いの広間」が見えてきた。
この広間に正面入口につながるロビーがある。
そこから外へ出て、中庭に向かい、ランスのところへ行く!
「誘いの広間」の建物に入った!
そう思ったが……。
広々とした部屋の四面の壁には、国内外の巨匠の絵が所狭しと展示されている。部屋の中央には、赤い革張りの、背もたれのない平らな長椅子が置かれていた。それは……さっきまで私とクルエルティ・ヴィランが座っていたものでは……?
あまりにもリアリティがある。
しかも感触もあった。
でもここは……現実ではないんだ。
クルエルティ・ヴィランの言葉を思い出す。
「アリーは今、僕の魔力による術にかかっています。あなたの肉体は、王立ローゼル美術館の中庭にありますよ。でもその精神は、僕の術の中にある」
今の私は精神だけの存在……それはつまり、魂だけの存在ということなのだろう。そのうえで、クルエルティ・ヴィランの術に囚われている。
私に……ランスを助けることはできないの? 私の声は……ランスには届かないの?
せっかく体が動き、声は出せるのに!
「ランス様! 大変よ! あなたを狙って四天王の一角、“最厄”と呼ばれた残酷な魔物<クルエルティ・ヴィラン>が動いているわ。クルエルティ・ヴィランを倒すには、私の、聖女の力が必要なの。あなたの生命力だけでは、倒しきれない! ランス様、中庭にいる私の首のペンダントをはずしてください! そのペンダントをはずしてもらえれば、もしかするとここでも、聖なる力を使えるかもしれないわ」
奇跡が起きるかもしれない。寝ていると言う私の口が、少しでも動くかもしれない。
そう思って、何度も何度も言葉を繰り返す。
言葉を繰り返しながら、興奮していたのか、息が上がり、長椅子に座り込む。
無理だ。いくら声を出し、叫んでも、この声は、現実世界にいるランスには届かない。そして眠った状態の私の口が、動くこともないんだ。だからクルエルティ・ヴィランは、ここで私の体を動くようにして、声を出せるようにした。
なんで? 声を出せ、動けても、なんの意味もないのに。
そこでゾクリと悪寒が走る。
クルエルティ・ヴィランは、彼の術の中にいる私が、声を出そうが、体を動かそうが、無意味だと分かっていた。でも声が出せ、体が動けるようになれば、無駄と分かっても私があがくと思った。あがいた上で何もできないと悟り、絶望することを楽しみにしている――。
私が負の感情に囚われれば、囚われるほど、それはクルエルティ・ヴィランの快楽につながるんだ……。