109:異変(ランス視点)
医務室か近づくと、そこから警備の兵士らしい人物が出てきたので、すぐロキが声をかけた。
「ええ、その特徴に一致する女性を運びました。医師が確認しましたが、どうも意識を失っているわけではなく、眠っているような状態。何度か声をかけていますが、目覚めることはなく……。お連れの方なのですね?」
警備の兵士にロキと二人、身分を証明できる物を提示し、医務室の中へ入ることができた。
「あ、先ほど運ばれた女性のお連れの方ですね?」
年配の医師は、すぐにアリーが眠るベッドへ案内してくれる。
その顔を見て、ようやく安堵することができた。
ローズブロンドの美しい髪が、枕の上に広がっている。
瞳は閉じられ、でも頬はローズピンクで、唇の血色もいい。
どう見ても確かに、眠っているようにしか見えなかった。
まずは襟元のボタンをはずし、その首にペンダントがあることを確認する。
ロキに目配せし、ペンダントはちゃんとあったことを伝えた。
ベッドに身をかがめ、彼女の耳元に顔を近づける。
ほのかに髪から、ローズが香った。
「アリー様」
耳元で名前を呼ぶが、アリーに反応はない。
何度が繰り返すも、瞼がピクリとすることもなかった。
「ロキ、アリー様はクルエルティ・ヴィランと接触し、そして奴は姿を消した。その際、膨大な魔力が使われている。それはこう考えていいのか? アリー様は、ブラックがクルエルティ・ヴィランであると気が付いた。そこで奴は自身が逃げるために、魔力を使った。アリー様はクルエルティ・ヴィランの魔力の影響を少なからず受け、現在眠っている状態なのか?」
「いや……あれは……アリー嬢に対して、何らかの魔術を使ったのだと思う。それにこれだけ呼びかけ、一切反応がないんだ。ただ眠っているだけではないと思う」
そこでロキは、深呼吸をしてこちらを見る。
「ランス。ここは王都のど真ん中だ。この前の廃城のような、王都のはずれなどではない。神殿があり、聖騎士の本拠地も近い場所だ。そんな場所に四天王が現れた。しかもそれは引き寄せられたわけではないのだろう。だったら……アリー嬢が狙われたとしか思えない。……なぜだ?」
ロキの言葉に、自分自身も深呼吸することになる。
自分の立場を思い出し、一旦私情を捨て、状況を考えた。
「昨日の今日だ。シャドウマンサー<魔を招く者>が動き、クルエルティ・ヴィランを呼び出した可能性がある。昨日、襲われたのは自分だ。警告を与えたのに、俺たちは動き続けた。ファブジェ氏の店にも向かった。その時点から行動を、マークされていたのかもしれない。そして自分の弱点がアリー嬢だと気づき、彼女が一人になったタイミングで、狙ったのかもしれない」
「なるほど。であるならば、これで目論見は成功なのか? この眠って目覚めない状態。これがシャドウマンサー<魔を招く者>とクルエルティ・ヴィランがやりたかったことか? 随分、中途半端だよな? クルエルティ・ヴィランは、四天王の最後の一角だぞ。しかも人間の女性を手籠めにする魔物だ。それがアリー嬢を眠らせておしまい……か?」
そんなわけがない。アリーには何か魔術がかけられている。でもそれが分からない……。
「先生、大変です! 美術館で毒でもまかれたのか、あちこちで人が倒れていると、通報が殺到しています!」
医務室に警備の兵士が飛び込んできた。
ロキと目配せし、兵士に声をかける。
「先生は隣室にいます。失礼ですが、その女性は?」
「一階の通路で倒れていました。来館者だと思うのですが、その息は……していないです」
兵士がかかえる女性の様子を確認したロキの顔色が変わる。
「……今はまだ16時だ。なぜだ?」
ロキの言動で分かってしまったが、念のためで問う。
「魔物か……?」
「ああ、魂を喰われている」
害された人間が出たことに、胸が痛む。
なぜだ!? 王都の中心部で、しかも夜になる前に魔物が出るなんて……自分が聖騎士に就任してから、初めての事態だ。
何かが起きている……。
「君、王立ローゼル美術館にも、連絡用の伝書鳩がいますよね?」
問いかけると、兵士は震えながら答える。
「は、はいっ。その、ま、魔物、なんですか!?」
「落ち着いて。その女性のことは、このベッドに横たわらせて」
兵士は震えながら、女性をベッドへ下ろした。
「ロキ、用意はいいか?」
「ああ。団長宛の手紙を書いたよ。王立ローゼル美術館は、“王立”とつくぐらいだからな。王宮に飛ぶ伝書鳩がいるはずだ。状況は分からないが、美術館のあちこちに人が倒れているということは、魔物が何体かお出ましということだろう」
口調は軽いが、目は鋭利な刃物そのもの。
ロキもまた自分と同じく、命を失う者が出たことに、猛烈に怒っている。
一方の兵士は、体を震わせ続けている。
「魔物は……相応の数がいるだろう。セント・ポイズンのように、地中を這うより、地上を進むものが多い。ということは、この美術館につながる道沿いでも、被害者は出ている。軽く王都は混乱状態あると、見た方がいい。でも今、王都外へ討伐に出ている聖騎士は、一部隊ぐらいだ。よって混乱が起きていても、対処はできるはず。団長も本部にいるのだから。鳩を飛ばし、受付に預けた武器を取りに行くぞ、ロキ」
「オーケーだ、ランス。そこの兵士くんは、ここでお留守番を頼む。部屋からでないこと。魔物には君の武器は通らないから」
ロキにすがるように、兵士が声をかけた。
「あ、あの、お二人は聖騎士なんですよね!? どちらか一人、ここへ残ってくださらないのですか!?」
「……残りたいですよ。とても。でもここは一般人が近づくエリアではないので、人が少ないですよね。魔物は潜む時、人が少ない場所へ移動します。でも人を襲撃すると決めたら……。人が多い方へ、多い方へと向かいます。よってここにいれば、静かにここで待てば、大丈夫です。何もせず、そこの椅子に座っていてください。助かりたければ」
ロキが暴言を吐く前にそう諭すと、兵士はへたり込むように、ベッドのそばに置かれた丸椅子に座りこんだ。