107:ようやく理解する
「ところが、アリー、あなたのそばにいたのは、聖騎士ではない。正騎士だった」
聖騎士ではない。聖騎士だった……。
何を言っているの?
「人間は勘違いしているのです。聖女とは純粋無垢でなければならないと。そんなことはない。聖女である前に、この世界にいる時点で、人間であることに、変わりはないのですから。人間の本分は生きること。聖女とて、人間として生きることで、完成します。ただし、ただの人間ではない。聖女には、生まれた瞬間から相手が定められているのです。それが正騎士。聖女と結ばれることが認められた、唯一の人間の男」
こんな状況ではあった。
でもここでようやく理解した。
私が聖女である。このことの実感はまったくない。
でも私は聖女で、ランスは聖女と唯一結ばれることを許された正騎士。
聖騎士ではなく、聖女が正しく結ばれる騎士――「正騎士」なのだとようやく分かった。
分かると同時に、胸に温かい気持ちがこみあげる。
「聖女と正騎士の二人が力を合わせた時。この世界から魔物はすべて、消されてしまいます。そうはならないよう、魔王は二人の魂が邂逅できないようにしました。自身の死と共に呪いをかけた。だが、魔王の呪いとはいえ、永遠ではなかったのです。もって三千年。そして三千年の月日が流れてしまった。聖女と正騎士がついに同じ時代、同じ年代に誕生してしまうとは……」
理解できたと思う。
私は聖女である自覚が今もない。
でもペンダントがなければ、私は聖女だとクルエルティ・ヴィランは言っていた。
ビースト・デビルベアを倒す時、セント・ポイズンを撃退した時。私はペンダントをつけていなかった。ランスの生命力の輝きがあれだけ強かったのは、私の聖女としての力、聖なる力も作用していたのだと思う。つまり……二人で力を合わせ、四天王を倒していた。
ランスの助けなくして、どこまでやれるのか分からない。
でも今、ペンダントはない。
私は聖女なのだから、この目の前にいるクルエルティ・ヴィランも倒すことが……できるはず!
「今、アリーは僕を倒せる――と思いましたか?」
私の表情を見たクルエルティ・ヴィランは……初めて、魔物としての本性を見せた。私が不安を漂わせた顔になったのを見て、恍惚の表情を浮かべたのだ。
「魔物にとって、人の不幸は密の味ですから。聖女であるアリーのその表情は、極上ですね」
これまでの快活な雰囲気とは一転。薄気味悪く笑うクルエルティ・ヴィランに、鳥肌が立つ。
「アリーは今、僕の魔力による術にかかっています。あなたの肉体は王立ローゼル美術館の中庭にありますよ。でもその精神は、僕の術の中にある。今、ペンダントはない。自分は聖女だ――と思ったかもしれませんが……」
そこで言葉を切ったクルエルティ・ヴィランは、再び笑いだす。
「肉体の方では、ちゃんとペンダントをつけていますから。今、僕の術が展開されている世界でペンダントがないからといって、あなたは聖女というわけではないのですよ」
顔が強張る。その微妙な変化を見て、クルエルティ・ヴィランは、また笑う。
「肉体はそのままであっても、聖女であるあなたの精神が穢れれば、もうあなたは聖女ではいられなくなります」
そんな……!
聖女である私と正騎士であるランスが力を合わせれば、魔物をこの世界から消し去ることができるのに!
「聖女としてその力を発揮しきれないあなたは、弱い。脆い。肉体がなく、精神だけの存在となったあなたは今、声を出すことも、体を動かすこともできない」
さっきからずっと。体が動かないか試している。
でもピクリとも動かない。声だって全くでない。
「僕に対して勝ち目がないでしょう。だから教えたのですよ。全部。ペンダントの秘密も。魔物が何をしようとしたのかも。正騎士のことも。どうですか? 魔物を消し去る方法が分かったのに。何もできず、無力にここで僕に穢されていく自分の運命を」
クルエルティ・ヴィランは「真の絶望は、無知な状態で事が終わり、そして全てを知ること」と言った。だが全てを知り、何もできないことも……とんでもない絶望をもたらす。
ロキとランスと共に、頭を悩ませた謎の多くが解けた。
まだ分からないことも残っているが、進むべき道が分かったのに!
「アリー」
クルエルティ・ヴィランの表情が、瞬時にブラックに戻っている。
真面目な顔になったブラックは、私の頭を愛おしそうに撫でた。
「あなたの精神はもう、永遠に肉体へ戻ることはないのです。ずっと、ずっと、ここにいます。ここはアリーと僕だけの世界。肉体から解放されたアリーは、僕と同じ。永遠を生きることができます。聖なる力で消滅させられない限りね」
永遠にこのクルエルティ・ヴィランと一緒?
嫌だ、そんなのは嫌!
私はランスのそばに戻る!!
「肉体と共にあった時のことは、忘れた方がいいでしょう。その方が楽ですよ。力を抜いて、すべては僕に委ねてください」
クルエルティ・ヴィランが私を抱き寄せる。
嫌だ!と思う気持ちは確かにあるのに。
力が全然入らない。
何をしようとしているのか、何をされるのか。
恐怖でもはや目を開けていることができなかった。
「!!」
クルエルティ・ヴィランの手が、私の頬に触れた。
そのまま、手が私の顎を持ち上げ――。