106:彼は何者?
「真の絶望は、無知な状態で事が終わり、そして全てを知ること……だと思うのですが、僕は予想以上に、あなたのことを気に入りました。一度堕として、捨てるつもりでしたが……。せっかくなので、そばに置きましょう。そうなると真の絶望を味わい、狂ってしまわれると困りますから、少し情報を与えましょうか」
私の髪をひと房掴むと、ブラックが口づけをした。
これまで紳士的だったブラックが、手を握ったり、頭を撫でたり、髪に口づけをする事態に、体が固くなる。
「僕はこう見えて、人間ではありません」
「え……」
「魔物の四天王の一角、“最厄”と評され、残酷な魔物<クルエルティ・ヴィラン>と、人間は僕を呼びますが……。見えますか、僕がそんな“最厄”に。残酷に」
この言葉にはもう、全身の血の気が一気に引いていく。
まさか、まさか、まさか!
快活で、好ましいと感じていた青年が、クルエルティ・ヴィラン!?
「僕の役目は、魂を喰らうことではなく、新たな魂を生み出すこと。人の子に愛されないといけません。そのため、人が、人間の女性が、愛さずにはいられない姿と性格をしているのですよ。この僕に迫られても、アリーは嫌悪を覚えないはずですよ」
そんなことはないわ!と言おうとするも、声が出なかった。
突然声が出なくなり、衝撃を受ける。
さらに体も動かなくなっていることに、気づいてしまう。
「聖女を堕とすなんて大それたこと、いくら残酷な魔物<クルエルティ・ヴィラン>と言われる僕でも、最初からするつもりはなかったですよ。第一、人型をとっていても、僕は魔物。聖女であるあなたに触れることすらできない……と思ったのですが」
声も出せず、動くこともできないので、ただブラックの話を聞くことになる。
一方のブラックは、白い歯を見せて爽快に笑う。
「人間が、僕の子供が、協力してくれました。おかげで君は聖女なのに、聖女として正しく機能していない状態。それでも不安でしたからね。こうやって手袋をつけた手で触れましたが……。問題はない。直接あなたに触れても大丈夫だった。これなら間違いなく、あなたを堕とせます」
ブラックはその長い脚を組みなおした。
「最初に仕掛けてきたのは、そちらですからね。既に我々は魔王を失っている。初代聖女と彼女の正騎士によって。その上で今度はあなたと奴が、僕の仲間であるビースト・デビルベアとセント・ポイズンを消してしまった。実に呆気なく」
ため息をついたブラックは、とても悲しい顔をしていた。
「こうなったら、黙っているわけにはいきません。あなた方の凶行を、止めなければならない。そうしないと、すべての魔物が滅んでしまう。魔王は亡く、三王も失われた今、僕ができることは……。聖女を消すこと。正騎士一人では、魔物をすべては倒しきれませんから。そうなれば魔物にとって、平安な時代がやってきます」
ブラックが……クルエルティ・ヴィランが、言わんとすることは理解できた。魔物側からすると、ランスが四天王の二体を消滅させたことで、火がついてしまったということ。魔王はとっくの昔に滅び、残る四天王は、クルエルティ・ヴィランだけになってしまった。こうなったら後がない。だから聖女を……。
でも私は聖女候補だったが、聖女ではなかったはず。でもクルエルティ・ヴィランは「君は聖女なのに、聖女として正しく機能していない状態」と言っていたが、これはどういうことなの……?
それにしても声もでなければ、体も動かない。
これもどういう状態なの……?
クルエルティ・ヴィランを睨むと、魔物には見えない彼が、クスクスと笑う。
「聖女であればこんな術、なんてことはないのでしょうが。アリーは聖女に目覚めていないから。何もできないでしょう? 教えて差し上げましょう」
そう言うとクルエルティ・ヴィランが、こちらへと手を伸ばした。
何をされるのかと恐怖を感じるのに、動くことができない。
彼の息を顔に感じ、息を止める。
「これですよ」
クルエルティ・ヴィランが、私のペンダントはずしていた。
その瞬間、魔物が沢山引き寄せられると思い、心臓がバクバクしたが。
「シャドウマンサー<魔を招く者>。人間なのに魔物を崇拝するなんて。かなり変わり者ですよね。魔物からしても、奇特な存在ですよ」
クルエルティ・ヴィランは、手に持ったペンダントを私に見せながら、話を続ける。
「でもこのペンダントに込められた魔力は、本物です。私の血を継ぐ子が、このペンダントに魔力を込めたのですから。これをつけていたから、聖女であるか判定する場で、あなたは聖女なのに、聖女としての力を発揮しきれなかった。聖女とは認められなかった。でもこのペンダントを外せば、あなたは聖女です。聖なる力を使うこともできます」
そ、そんな……!
ロキが想像し、そんなわけはないと否定したことが、正解だったの……!?
「このペンダントをはずしたあなたは、聖女。通常、聖女は神殿の奥深くに守られ、存在している。神殿には聖騎士がごろごろいて、魔物は簡単に近づけません。でもあなたは、これを神殿ではない場所で、平気ではずした。だからですよ。魔物は、千載一遇とばかりに、あなたに襲い掛かろうとした。そばにいるのは聖騎士一体のみ。やれると思ってしまった」
魔物を引き寄せていると思った。でもそうではない。
魔物は神殿ではなく、その辺に急に現れた私を、聖騎士であるランス一人しか連れていない私を、つまりは聖女を害するために、襲い掛かっていたのだ……!