ところがワニはいなかった
地元の文化会館の傍に、コンクリートの壁面に固まれた小さな汚い池があった。なんてことない池だ。名前もない。ちょっと大きめなドブみたいなものだったし、名前なんてあるわけがない。実際、脇の民家群から集めた汚水を垂れながす、巨大な排水管が剥き出しになっていた。
僕が登下校でいつも通る道にその池はない。
ごくたまに友達に誘われて、下校時にその子の家に遊びに行く時に、通りすぎる池だ。
でも、そこにはワニがいた。
ワニは滅多に姿を現さない。僕だってワニを見たのは一回だけだ。
その時、ワニは、ギザギザの歯を剥き出しに、口を思いっきり開けて、僕にくらいかかってきた。
僕は、ワニの口が空中に撒きあげた水しぶきが、夏の日差しを受けて、オレンジや黄色に輝くのを見て、すごく綺麗だと思った。
そんなことはあったものの、僕はとにかく無事で、ワニのことはしばらく忘れていた。
中一になった時に、突然ワニのことを思い出して、クラスメイトにワニの話をしたけれど、誰もワニのことは覚えてなかった。
まあ、それで、真相を探ったりするわけもなく、「まあ、夢かなんかなんだろうな」と納得した。
俺はちょっと、そういうところがあるってことは自覚するようになっていた。そんな年頃だったのだ。
まあ、それでもワニのイメージは頭の中に強く残っている。あの美しい水しぶきを、もう一度全身に浴びたいと今でも願っている。