旅の準備·フィカスの素敵な三角錐の家で話したこと
旅をすることになったが、今すぐ出ていけというわけではなかった。
旅支度をしないといけないし、そもそも、とりあえずどこに行くのかを決めないといけない。
この世界のことをよく知らない俺は、どこに行ったらいいのかは正直よくわからなかった。
でも、そういえば俺の体の少年は、おそらくこの世界で生まれ育ったと思われるので、とりあえず、それを頼りに動いてみようと考えた。
彼にも家族がいるかもしれない。
彼に家族がいるとすれば、きっと彼らは心配していることだろう。
あるいはそうじゃないかもしれないが、とりあえず、彼の体を一旦もといた所に返して、それから旅をはじめるのが筋なように思えた。
フィカスにその考えを伝えた。
「なるほど、いったん家族のもとに帰ると?」と言うフィカスの顔は、相変わらず興味あるんだか興味ないんだかって感じの感情の分からない顔をしていた。
その頃の鬼たちは、まだ感情というものにまだ慣れていないのだ。
それから200年後には、やっと人間のような感情を「持つ」ようになって、より人間の世界に受け入れられるようになったけど、正直、僕は昔の鬼たちの方が美しかったし、彼らのことが好きだった。
それに、昔の鬼たちが優しくなかったわけじゃない。彼らはずっと優しかった。
その時はたしか、フィカスの家で話したような気がする。
フィカスの家は、白い紙粘土のような素材で作られている細長い三角錐で、真っ白な壁が上までずーーっと伸びている。三角錐の頂点に灯りがぶら下がっていて、それを見上げると、そのまま吸い込まれそうになってしまう。
僕はその家が大好きだった。
今の鬼たちは、もうそんな美しい家を作らない。
昔の鬼たちの話を思い出すと、話がそればっかりになって、筆が進まなくなってしまう。
とにかく、その時したフィカスの話は面白かった。
「うん、心配しているだろうからね。まあ、家族がどんな人たちなのか分からないし、僕は自分が誰だかわからないけど。きっと僕が居なくなって心配しているかもしれないし」と僕はフィカスに答える。
「確かにそういうこともあり得るね。家族か、なるほど。僕たちには思いつかなかったな。でも、考えてみると、そういうこともあり得るね。」とフィカスが話し、鬼と人間の価値観の違いにしみじみと染み入っていた。
「いやあ、そうなんだよ。というか僕はそもそも、すぐに家族のもとに帰るということをするべきだったね。自分の帰るべき家を探すということを始めるべきだったのかもしれない。自分の記憶をなくすとそうんなことも忘れてしまうね」と僕が答えるとフィカスは不思議そうな顔をした。
「いや、君は記憶をなくしているわけじゃないだろ?よその世界から放り出された君が、今までとは違うこの世界の体に入っただけで。君は君の体の家族というものに会いにいくのだよね。君の今の話だと、その点がどうも混乱しているように聞こえるよ」フィカスが何気なく言うものだから、僕はものすごく驚いてしまった。
「ええええええええ!俺その話しましたっけ!?なんでわかるの!?」と、僕は大声で叫ぶ。
その声は、その空気の震えは、三角錐の壁で反響しながらグルングルンと上昇し、頂点の灯りをユラユラ揺るわす。そうなるとカーブした壁に映る僕たち二人の影も、ユラユラ揺れて、実に幽玄な光景であったのを思い出す。
フィカスは「え?逆になんで?」みたいな顔をして、なんて言ったらいいのか迷っているようだ。
「なんでわかるのって言われると困ってしまうのは、逆に、なんで分からないの?と思ってしまうからで、多分僕たちの認識するという力の在り方には大きな違いがあるのだと思う。ちなみに村の鬼は多分みんな、君が、よその世界から放り出されたことはわかっているよ。その放り出され方が、僕たちがこの世界に放り出されたときに似ていたから、僕たちは君に対して親近感を持っていたし、君も同じように感じているのだと思っていた」
俺は、今までそんなことまで考えていなかったけど、確かに鬼たちと僕の境遇は似ている。
僕たちは違う世界からやってきて、前の世界とは違う形で、この世界にいる。
「しかし、そうか。僕たちが君の在り方に気づいていないと、君は思っていたわけだね。これは、やはり、元いた世界が違うからかな?そういえば今まで聞いたことなかったけど、君はどんな世界から来たの?」と、好奇心を隠そうとしないフィカスが僕に問いかける。
しかし、僕だってそんなことを聞かれて、なんて答えればいいのか分からない。
僕がいた世界はどんな世界だったのだろうか?
僕は、ちょっと考える時間をもらって、いったん一人で外に出た。
時刻は夕方で、太陽が山の尾根へと沈んでいく。冷たい風が吹いて、夕陽に照らされた木の葉がスゥワァアァァァァァと音を立てて揺れる。
「こういう景色は前の世界と一緒だな」と僕は思う。
「とにかくフィカスに思いついたことを全部話してしまおう。」と僕は思う。