8.村への買い出し
村へと下りる道の途中で土に埋め戻したワイルドベアの遺骸も女神リーシャのしずくと大地の力によって瘴気が抜け、ほどよく熟成したところで掘り返し、用意してきた二本の足底にぶ厚い皮を張った運搬用スレーに乗せて、村に持っていき売ることができた。
瘴気の抜けたワイルドベアの肉は硬いが土に埋め戻したことで熟成が進み、柔らかく芳醇な味わいを持つ極上の肉となる。皮は丈夫なので、丁寧に鞣す事で防具にも使えるし、床に敷けば寒い冬を乗り越える力強い防寒具ともなる。爪もそのままで刃物とできる強さと硬さだ。斧にもなるし、ナイフにもできる優れモノだ。残った骨もよく焼いて砕けば畑にまく肥料になる。
つまり、全身余すことなく使える、ということだ。
「ありがとうよ、スース。お前さんが倒してくれなければこの魔獣は村を襲っていただろう。そうしたらきっと誰も助からんところであっただろう。熟練のハンターがチームで討伐に向かっても返り討ちにあうような大物だ。それを、あんたひとりで倒したなんて。冬を越す糧まで得られた。あんたがいてくれて、助かったよ」
スースはアスクの偽名だ。幼い頃に家族からそう呼ばれていたこともあるので、呼ばれれば無意識でも返事ができると決めた。
すでに老境へと片足を突っ込んでいる筈のアスクより、ずっと年上の村長が頭を下げてくる。それを、片手で受け流して、アスクはさっさと買取所を後にした。
この村にある店は常設ではあるものの、所詮、この地方の領主様が住む谷を越えた先にある街にある大きな商会の出張所だ。
定期的にキャラバンを組んで、品物を運んできているようで、村で作った農作物や織物、買い取ったり売りに来てくれるだけの小さなもので、品揃えは十分とは言えない。しかも高い。
この村内での売買も代行してくれるが、村外から運んでくるものと違って少しの手数料で引き受けてくれるので、普段手に入らない魔獣の素材を売りに来てくれるアスクは、村にとって貴重な存在であった。
山で集めた女神リーシャのしずくと合わせて予定の数十倍の金を手に入れたアスクは、何度も口を開いては閉じてを繰り返し、ついに店員へ向かって「子供用の服が、欲しいんだ」と告げた。
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それは、昨日のことだった。
勝手知ったる様子で洗濯を終えた少女が、洗い終えた服やシーツを抱えて出てくるのを見つけたアスクは、すぐにそれに気が付いた。
「おい……」
ずっと同じ服を着ていた少女は、自分の服も洗いたくなったのだろう。
アスクから気が付いて着替えを渡すべきだったのかもしれないが、少女は勝手にアスクのシャツを羽織っていた。
袖を幾重にも折って、落ちてこないように肩まで捲り上げ、なんとかずり落ちないようにして大人ものであるシャツを着た姿は、古代の貫頭衣のようだった。
子供だと言い切るには成長著しい、少女のすらりとした腿の半分以上が丸出しだ。
アスクは顔を顰めて、革製のベストと腰のベルト代わりになりそうな紐を持ってきて少女に差し出した。
首を傾げていた少女から洗濯物の山を取り上げて、ベストを着用させボタンをしっかり留めさせる。その上から紐を腰に巻かせると、透けもなくなり見た感じちょっと変わったワンピース風に見えなくもない。ベストの重みで裾も広がらなくなった。
少女は裾が広がらない事を確かめるようにクルクル回って、アスクに向かって笑顔を向けた。
アスクはそれに何も答えず、少女から取り上げた洗濯物を無言で干した。
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普段は塩や保存食を幾ばくかと、獣避けのお香など生活必需品を持って帰れる量だけを買って、さっさと店を出ていくアスクのその言葉に、店員は大きな声で答えた。
「おや。お孫さんにでも贈るのかい?」
「あ、あぁ。そう、だ」
うっすらと首筋を赤く染めたアスクが珍しかったのか、店員は「孫は女の子か、男の子か」「年のころは幾つだ」などと質問を重ねていき、アスクに倉庫に眠っていた一着の祝い着を進めてくれた。
それは、まだ魔法が使えた頃にかならず行なわれた教会での魔法授与の儀式に参加する際に仕立てるこの辺りの晴れ着なのだという。
生まれながらに魔法を使えるのはごく一部の魔力の高いものだけだ。
ごくごく普通の者たちは、教会で儀式を受けてそこで自分の属性を見定めて貰い、授かるのだ。アスクもそうやって火の魔法が使えるようになったひとりだ。
綺麗に畳まれた毛織物のワンピースには、女神リーシャを讃える物語を図案化した刺繍が丁寧に施されていた。
「魔法がなくなっちまって、教会での儀式もなくなっちまったからさぁ。だぁれにも買って貰えずに、倉庫で眠っていたものなんだよ。本当なら目ん玉が飛び出るような値段だけどさ、お安くしとくよ。大丈夫。ちゃんと保管してあったし、生地も上等だから傷みなんかまったくないよ」
店員が、上等な木でできた箱に薄紙に包まれて収められていたそれを丁寧な手付きで、広げて見せてくれる。
寒いこの土地ならではのたっぷりとした厚手の生地で出来たそのワンピースは、首元まですっぽり包む可愛らしいリボンのついた立て衿と膨らんだ肩が愛らしいもの。そしてふんわりとしたスカートの裾と袖口には女神リーシャの紋章を単純化した刺繍が入っていた。
「いやぁそれにしてもさ、なぁんで聖女サマともあろう御方が、国王サマ殺して逃げちまったんだろうねぇ。平民だったのに、聖女と認められて王宮に出入りできるまで出世したんだろ? お貴族サマすらその力を求めて頭を下げてさ。豪華で誰からも傅かれる生活してたってぇのに、仲間と逃げだして、しかもその聖なる力で呪いを掛けてくってぇのはなぁ。本当にひでぇよな。俺も魔法を使ってみたかったよ」
「……さあな。私みたいな者には想像もつかないな」
店員がはじめた雑談に、適当に言葉を返して流す。
それでも、会話好きな店員は誰かに聞かせたかった自ら考えた面白おかしい推論を話し続けた。
「俺はさ、ホラ。磔にされた騎士がいたろ? あれと王サマともうひとりを手玉に取って貢がせてたのがバレて、王サマを殺してもうひとりと逃げちまったんじゃあないかって思ってるんだけどさぁ」
べらべらと話を続ける店員の言葉を、アスクは右から左へと聞き流し、目の前に差し出された服を眺めた。
シンプルなデザインながら華やかなそれは、たしかに少女によく似合いそうだった。
これを着た姿を想像して、アスクの頬がほんの一瞬弛む。
「あっはっは。俺もこの村に配置されて長いけどさ、スースさんがそんな顔するのを見たのは初めてだ」
楽しそうに笑われてしまい、アスクが顔を顰める。
「いいね。やっぱり孫、それも女孫というのは凄いね。強面爺も肩無しだ」
ばんばんと肩を叩かれ、普段着が欲しいのだとも言えなかったアスクは、諦めてそれを購入した。それでもなんとか、あたたかな靴と帽子と上衣、そして下着類数枚も頼む。そして「ハイ。これはオマケ」と、髪を結う為の、綺麗なリボンも一緒の包みに入れてもらった。
「まいどー! 次回もよろしく」
アスクは予想外の散財に嘆息したが、その目はいつになく柔らかかった。