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7.それはまるで幸せのような



 アスクは小屋の中へ一歩足を踏み入れて、その中が格段に明るくなっていることに驚いた。


 灯りの有無という話では勿論ない。

 部屋の隅に溜った埃が取り払われ、汚れのこびりついたテーブルや椅子、いつ溢したのか分からない床の染みなどが全て綺麗に拭い取られただけだ。

 だが、それだけの違いが、小屋の中をまるで別物にした。


 明るいのだ。まるで結界でも張られているかのように、清浄な空気を感じる。

 清潔であるということは、これほどの違いを生むのかと改めて思わされる。

 まるで教会にいるようだった。


「すごいな」

 思わず声が出た。

 入口で立ち尽くしていると、手を引かれてテーブルに座らされた。


 昨日のスープの残りとお茶が出された。

「いや。私は、朝食はとらない」

 拒否しようとしたが問答無用で、スプーンを押し付けられた。


 皿に注がれているスープには、昨夜のパンではなく見覚えのない白い具が浮いている。どこかに小麦粉でも置いてあっただろうかと思ったが、スイッパの香りに誘われて数年振りにこの時間に空腹を覚えた。


 そのままひと口、白い具を齧る。


「旨い」


 小麦粉を練って作ったダンプリングが浮かんでいるのかと思ったが違った。

 口の中で、スープを吸ったそれがほろりと崩れ芋の味が広がる。

 茹でて潰した芋に小麦粉を混ぜて作ったクネーデルは、これもアスク達の故郷の味だ。


 アスクは馬鹿ではない。ここまで続けば、少女が故郷、それもノエルと繋がりがあると自分に伝えたいのだとわかった。


 だが、だからどうしたというのだろう。


 ノエルの娘なのか、他のどんな繋がりがあるのか知らないが、だから何だという気にしかならない。

 年の頃から言えば、孫でもおかしくない少女がやってきて、アスクの世話を焼く事の意味がわからなかった。

 これがノエル自身であるならば、わかる。


 いや、わからない。今となってはわかりたくもなかった。


 四十年も経ってもうすぐ人生の終わりが見えてきた今頃、どんな用事があるというのか。


 だが、それがハッキリするまで少女を傍で預かるのもいいかもしれないとアスクは考えを改めた。




***** 




 アスクが追い出そうとしなかったからという訳でもないだろうが、その日から少女は当然のようにアスクの小屋に住み着いた。


 当たり前のようにアスクと食事をとり、部屋を掃除したり洗濯をするなど家事に従事してくれるので不満もほとんどない。


 ただひとつだけ。てっきり洗っていない毛布やシーツに包まれて眠るのが嫌でアスクのベッドへ潜り込んできたのだとばかり少女が、洗濯が済んだ翌日からも当たり前のようにアスクのベッドの中へ潜り込んでくることに関しては困り果てた。だが、元より孫ほども年の違う少女である。

 温かく柔らかい肢体が丸まってしがみ付いてくる姿に、猫でも拾った気分になった。

 かなり生活の役に立つ猫ではあるが。


 夜も干し肉のスープだった翌日、気分転換に出た狩りから帰ってきたアスクを待っていたのは、小屋に漂う魚のスープの香りだった。

「魔法で出したのか?」

 自分でも馬鹿らしいと思ったものの釣り道具などもまったく無い。そもそも下の川にいる魚は小さいので捕って食べようとも思ったことはなかった。

 そんなアスクに向かって、笑顔の少女が草の葉で編んだ罠をみせてくれた。

 二重構造になっていて上流から水の流れに乗って入ってしまった魚達は出られなくなっているらしい。

「いつの間に」

 幼い少女の知恵と行動力に、アスクは謎の敗北感を感じた。


 スイッパの葉が浮かんだ小魚たちはきちんと鱗や内臓が処理されていて泥臭さも感じなかったし、小骨まで食べられるほど柔らかく煮込まれていて、美味しかった。


 捕まえてきたバッジャーは解体して肉を熟成させることにした。新たな干し肉を仕込むほどの塩も蜂蜜もない。

 少量の塩を振って布で包み、風通しのよい場所へ置く。

 黴ないように何度か布を変えなくてはいけないが、ひと晩だけのつもりなので何とかなるだろう。

 幸い、少女が洗濯をしてくれるので清潔な布に困ることも無い。

 捕りたてより肉の旨味も増すし、柔らかく食べられるだろう。


 その他にも、水甕をいっぱいにしたり洗濯や掃除を買って出てくれる少女との生活はどちらが小屋の主かすらわからなくなりそうだったが、自分以外の誰かがいる生活が孤独に慣れていた筈のアスクに思いのほか心地よい。


 いつも笑顔で家事をしては楽しそうにしている少女との生活は、アスクに人と暮らす安らぎと平凡な幸せを感じさせてくれた。




 あれからずっと監視するものを探っていたのだが、周囲にそれらしき気配を一度たりとも感じた事はなかった。

 少女はひとり山中にやってきて、アスクを監視していたことになる。


 アスクは、もし少女がノエルの関係者などではまったくなく、人型の魔獣であっても構わないと思うようになっていた。


 馬鹿らしい想像だとは思う。だがそうとでも考えなければ、いくら魔法が使えようともまだ幼い少女がひとりでこんな場所にやってくるようなことなど無い気がした。


 そんな魔獣がいると聞いたこともないしが、アスクが世界のすべてを知っている訳でもない。むしろ知らない事の方が多いのだから、そんなこともあるかと思うだけだ。

 人の潜在意識に深く残る人の姿を偽り、人を騙して食べる魔獣。


 いわゆる悪魔の様な存在がいて、アスクを獲物として選んだという方がまだ、ノエルの孫娘がひとり山奥にアスクの世話をする為にやってくるより余程信憑性があるというものだ。


 目の前で笑う少女がそんな存在であるならば、喜んで喰われてやろうと思った。

 



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― 新着の感想 ―
[一言] この生活が続けばいいのになぁ。 人と過ごす暖かさに触れて、その時間を思い出して、故郷を懐かしんで……。でもアスクはそれを望んでるのかなぁ。 もし魔獣であり、それで死んでもいいって言ってるし…
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