4.スイッパ
いつものアスクならば腹が空いた時には干し肉を火で焙って齧り、咽喉が乾けば水を飲む。そんな暮らしをしているのだが、少女にまでそんな食生活を押し付ける気にはなれなかった。
ただし、アスクには料理ができるというほどではない。
薬缶にたっぷりとに出されていた茶で解した干し肉を入れて煮てスープを作り、硬くなったパンを浸して出した。
保存食でもあるパンはカチカチに乾燥させてあったが、よく見ると端にふわふわとしたカビが生えていた。
アスクは眉を顰めてパンを火で焙り周囲についたカビを焼き、軽く削り取ってから切り分けて器に盛ると、上から干し肉のスープを掛けて少女の前に差し出した。
味付けはしていない。干し肉には塩とハーブを蜂蜜で練ったものが塗りこめられている。火で焙って食べると、かなり味が濃いので十分だろうと判断した。
少女は渡されたそれをひと口飲んで少し黙り、小屋から出て行った。
あまりに不味い食事に驚き、自分の家が恋しくなったのかと思うとアスクはホッとすると同時になんともいえない気持ちが腹の底に渦巻くのを感じたが、ここに居座られるよりましだと思う事にして、自分の分のそれを口にした。不味かった。
それでも意地になって食べようとした時、少女が手に何種類かの草を摘んで小屋へ戻ってきたのだ。
驚くアスクに構わず、その前に置かれたスープの皿を取り上げ、鍋に戻す。少女の分の皿の中身も鍋に戻して、すでに熾火になっていた竈に魔法で火を着け直すと、魔法で出した水で草を洗い、千切って鍋へと放り込む。
フツフツとしてきたところで、少女が皿に盛り分け、アスクの前に差し出した。
目の前に自分の分を持っていって座り、今度こそ満足そうに食べる少女に鼻白む。
外で摘んできた草程度でそれほど味が変わるものかと思ったが、しかし確かにそれは立ち昇る匂いすら別物になっていた。
煮込むことで、スープを吸っても尚、どこかがさついた食感の残っていたパンがくたくたのトロトロになっている。
そのスープも、干し肉として齧るだけなら濃いくらいに感じた味付けも薄まってぼんやりしていたものが、酸味が加わったことで肉の臭みも消えて、キリリと全体が引き締まって感じる。旨かった。
「……スイッパ」
故郷ではよく肉料理に使われていたそれを口にしたのは何年振りだろう。
どこにでも生えている雑草扱いされているその草は、茎を折って齧ると酸味があるので、よくおやつ代わりに齧ったものだ。
生のまま灰汁を抜かずにたくさん食べるとお腹を壊すといわれていたのに、ついつい夢中になって齧って大変なことになったこともある。
それを治してくれたのも、幼馴染みのノエルだった。
スイッパ入りの干し肉スープは先ほどのものとはまるで別物だった。
美味しくて、身体の底から温まる。
向かい合わせて座り、ふたりで黙々と食べた。
食べ終わった皿を洗う為、水甕から水を汲もうと桶を手にしたアスクは微妙な気持ちになった。
夕食を作る為にも遅い時間ではあったが下の川から水を汲んで来ようと、少女へ「下の川へ水を汲みに行ってくる」と声を掛けて持ち上げた水甕は、水で満たされていた。
目の前に立つ少女は、にこにこしていた。
藁束で作った束子でゴシゴシと力任せに擦って干し肉から染み出た脂をこそげ落とした。
桶の水を捨て、新しい水で濯ごうとしたところで、ぱしゃん、と水が溢れる。
「……魔法、か」
アスクの足を治してくれたし、お茶を淹れる際も見ていた。
頭ではそう思うものの、四十年前ですら、日常生活にこれほど自然に魔法を取り入れられてはいなかった。
記録には、どんなことも魔法で行っていた時代もあるようだが、人が持つ魔力の器は年々小さくなっており、それほど大きな力を使う事は出来なくなると共に、ここぞという時以外には使用することは少なくなった。
それは文明が発達することにより、魔力に頼らない生活へと重心が置かれたせいだとも、魔力量が減ったせいで文明を発達させざるを得なかったともいわれ、どちらの説を唱える学者がいて喧々諤々討論されていた。
それすらもう、遠い昔のことだ。
アスク達にはもう魔力はないし、どんなに些細な魔法であろうと一切使えなくなってしまったのだから。
無詠唱で易々と使いこなす少女に、苦笑する。
「テーブルを拭いておいてくれるか?」
この依頼に、少女はどうするだろうと思いながら、アスクは問い掛けた。
どうするかはわからないが、魔法で一瞬のうちに綺麗にするだろうか、それとも布を探してきて洗い、それを使って手で拭くのだろうか。
果たして少女はニコニコと笑ったまま、勝手知ったる様子で手ぬぐいを一枚棚から取り出すと、水だけは魔法で生み出してそれを洗う。石鹸を使った訳でもなくゴシゴシと力を入れて洗った訳でもないようにしか見えなかったのに少女が硬く絞ったその手ぬぐいは、棚から出してきた時よりずっと綺麗になっているように見えた。
爪先立って丁寧にテーブルを拭いていく少女の後ろ姿に、幼馴染みの姿が重なる。
アスクにだって、少女がノエルとは別人だとわかっている。
年齢的なものからいえば当たり前だ。
だが、それ以外のすべてが、ことごとくアスクの幼馴染みと重なる少女。
もしかして、少女はノエルの娘なのだろうか。それとも孫娘だろうか。
どちらにしろ自分以外を伴侶として母親になったノエルの姿が少女の後ろに見えた気がして、アスクはもう洗う皿の残っていない空になった桶を、ことさら強く磨いた。