26.この胸に抱く君への想いは・2
本日、エピローグを含む3話更新しております。
読む順番にご注意ください。
「でも。でもアスクは私と同い年じゃない」
「こちらの世界ではな。だが、見てみろこの節くれだった皺だらけの……これは?」
聞き分けのないノエルに言い聞かせようとして翳してみせた手のひらが、皺も傷もない、ちいさくて滑らかなそれになっている事に気が付いて、アスクは驚いた。
「皺なんかある訳ないわ。だってアスクは私と同い年の、幼馴染みだもの!」
翳した手をとり、ノエルが愛おしそうに頬ずりする。
その柔らかな感触に、アスクは顔を赤く染めた。
「ノエル?! え、でも……ここで僕は、四十年もひとりで暮らしてきたんだぞ」
自分の口から出た声の高さに驚いて、アスクは喉元を押さえた。
咽喉仏の形すら、違う。視界に入る足も身体も、どこもかしこもが線の細い少年のそれだった。
「ふふっ。やっぱりアスクには自分の事を“僕”っていうのが似合ってるね。寝言なんかでは言ってたけど、おじいさんになってからはいかめしい顔して“私”なんて言ってるんだもん」
嬉しそうにノエルから揶揄われて、アスクは皺ひとつないつるりとした顔を顰めた。
「だから、私はもう五十八歳に」
尚も言い募ろうとしたアスクを、その声が止めた。
『本来ならば、お前の傷ついた魂を癒して修復し、それから次の生へと送り出すべきなのだろうが。それをしていたら、ノエルが心を欠いたまま、ばあさんになってしまうからな』
目の前に立つ笑顔のノエルの口から聞こえたのは、それまでとは明らかに違う、厳かな声だった。
「リーシャ様?」
『それとも、アスクはノエルの孫になるのが良かったか。永遠に血で結ばれるが、男女という意味では永遠に結ばれることが無くなるがな』
どこか揶揄の色を感じさせる言葉に、アスクの目線が下がる。
「……わたしに、ノエルの傍で生きる権利があるでしょうか」
守れなかった誓いが、今もアスクの心を苛んでいる。
磔にされたまま餓死を願われ放置されたあの時に、自分が口にしてしまった言葉も、忘れられない。
ノエルの家族がすぐ傍で苦しんでいた事に気が付かなかったことも。
恨んでいるのではない。ノエルに起きた事情も知らず、すでにいないノエルを恨んだ自分がただ恥ずかしかった。
「あなたに権利があるとかないとかではなくて。私にアスクが必要なの。それじゃ、駄目?」
「…………」
「ずっと、あなただけが好きだった。あなたのお嫁さんになって、あなたと家族になりたかったの。あなたと一緒に過ごした故郷での日々だけが、王都で冷たく暮らした私の、たったひとつの幸せだった」
「ノエル」
「王都での、聖女の仕事は、村でのそれとは全く違っていたわ。貴族と金持ちの上流階級のみにしか治癒を使う事は許されず、平民は除外されて……おかしいわよね。私は、平民の子なのに」
「私の治癒で病気や怪我を治しても、平民出身の聖女と蔑むばかり。感謝もされず、夜も昼もなく、呼び出されて治療に走り回る日々だった。ねぇ、知ってる? 聖女が倒れると、聖女と認定されていない治癒魔法の遣い手がきて、治癒魔法を掛けてくれるのよ」
それは、アスクの知らない聖女ノエルの生活だった。
トランから聞かされた最後の時だけでなく、王都に来てからずっと辛かったのだと初めて知り、アスクは胸が搔きむしられるようだった。
ふふっと余りに辛そうにノエルが笑うから、アスクは堪らなくなって、力いっぱい幼馴染みを抱きしめた。
「ごめん。ごめん、ノエル。俺は本当に、何にも見えていなかった」
「そばに、いて? ずっといっしょが、いいの。ずっと夢にみてた」
「今度こそ絶対に離さない。守るって約束する」
「うん、うん」
そうしてふたりは女神リーシャの加護の下、こことは違う別の世界へと旅立った。
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元の世界では、その日、小さな村が魔獣に蹂躙されて消えた。
村長から怪しい技を使う男がいるとの情報提供を受け、山へと入っていた王国軍の捜索隊が、魔獣の群れに追いかけられるまま村へと逃げ込んだことが原因であったが、それを知る者はいない。
生き延びることができた者が、ひとりたりともいなかった為だ。
そうしてその村が皮切りになったというだけで、それから先、魔獣に襲われて村々はたくさん消えていくこととなった。かなり大きな街も消えた。
幾つかあった国はひとつに纏まった。
人間同士がいがみ合っている場合ではなくなったからだ。
大陸のあらゆるところで営まれていた人の暮らしは段々と北の寒い地域へと押しやられ、暖かく暮らしやすい気候の土地は、魔獣が覇権を取り戻した。
人々はかつてあった魔法の力を取り戻したいと女神リーシャに祈りを捧げ続けたが、それに女神が応えてくれることは一度もなかった。
それでも今も、雨上がりの雲間から虹色の光が差す時、若草に溜った雨水には、女神リーシャの御力が宿る。魔獣が発する瘴気を消す力を持っている。
人々がつけた名前も、それが宿す力についてすら人々が忘れてしまっても、最後に残されたこの小さな加護だけは、いつまでも人々の暮らしを陰ながら支え続けた。




