24.もうひとつの後悔
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「死んだ。死んですぐに私が取り込み、ここではない我等が世界へと連れて行った。そこで、まずは疲れ疲弊しきった彼女の魂に、再び生まれい出る為の力が満ちるのを見守った。そうして今度こそ幸せな一生を過ごせるように、魔獣も魔法も戦争もない平和な世界において、信頼できる優しい両親の娘となるようにその魂を送り出し、その世界へ彼女を委ねた。そうして、新たな生を受けた彼女の、その幸せを祈った」
「…………」
魔獣も魔法もなく、戦争もない平和な世界。
アスクには夢物語でしかないような平和な世界。そこで新しい命を受けたなら、優しい幼馴染みは搾取されることなく笑顔で過ごせるだろう。
そうほっとした傍から、女神リーシャが声のトーンを下げて悔しそうに話を続けた。
「……完璧な幸せを用意した筈であった。なのに何故か、ふとした瞬間、彼女の瞳が曇るのだ。旧い記憶など完全に失っている筈だというのに。順風満々な新しい世界で幸せに暮らしている筈なのに。魔法のない世界だ。平和で戦争もない。魔獣もいない。なにが足りないのかと思った時に、ふと、彼女の最後の言葉を聞いたであろう男の言葉を思い出した」
そこで言葉を切って、女神がまっすぐアスクを見つめる。
「『アスク……?』──ノエルが呟いたその言葉の意味するものがわからず、鸚鵡返しにしていたようだった」
「……わ、たし、か?」
衝撃で、咽喉に声が痞えて言葉が上手く紡げなくなる。
自分の名前以外のなにものでもないその言葉の意味を、わざわざ確認せずにはいられなかった。
アスクの問いに、ゆっくりと頷いた女神リーシャは再び言葉を続ける。
「『アスク』がなんなのか、探そうとした私は、もちろんこの男の持つ情報を探った。だが、ノエルの傷ついた魂が再生して生まれ変われるまでに時間が掛かり過ぎていた。そしてノエルに相応しい新しい世界を見つけることにも、彼女を絶対に幸せにすることができる両親を見つけるまでも。更に、ノエルが成長し、自分が欠けている事に気が付くまでに、更に時間が掛かった。お陰で、ノエルの縁者はすでに故郷に残っておらず、残った血筋はあまりにも遠縁で、ノエル自身を会話したこともなければ、会った事もないような縁の薄い者しか、この世界に残っていなかった」
声に悲痛な色があった。アスクもそれを知っていた。
王を弑して姿をくらました反逆の魔女ノエルと、それに仕える悪逆騎士アスク。
その縁者がどんな扱いを受けたのかをアスクが自身の目と耳で知ったのは、遠回りに遠回りを重ねつつ、人目から隠れてなんとか故郷へ辿り着いた八年目のことだった。
「……そんな、馬鹿な」
ここに帰ってくれば、ノエルに会える気がしていた。
最低でも、ノエルが今どうしているのかは教えて貰えるのだと、そう信じていた。
それなのに──
そこには、家というより、村が無かった。
焼き壊されて放置された元村は、見せしめの為なのか、そのまま放置されて朽ちていた。
土を盛っただけの粗末な墓がそこかしこに作られていた。
血の匂いに誘われて、魔獣を呼び寄せることにでもなったら大変だという配慮だったのか、領主なりの弔いだったのかはわからない。
アスクの父母も兄がどうしているのかも、なにもわからない。
故郷には、何の情報も、人も、残されていなかった。
だから、墓標もなにもない誰のものなのかもわからないたくさんの墓の前で、アスクはひと晩じゅう泣き明かした。
かつての実家が立っていた筈の近くに並ぶ、父のモノかも、母のモノかも、兄か兄嫁か、甥姪のモノかもしれない墓の前で。
大声を上げて、謝罪を繰り返した。
どこかに村から逃げ延びた住人がいるのではないかと、朽ちかけた村と一緒に自分も朽ち果てたいという思いに後ろ髪を引かれつつ、近隣を捜し歩いた。
しかし迫害を恐れる元住民を見つけ出す事など自分自身も王国の見えない追手に怯えて隠れ暮らしているアスクにできる事でもなく。何の成果も得られないまま無為に月日だけが費やされていく。
そうしてついに得ることができたのは、「ノエルの家族も、一緒に磔にされていた」という恐ろしい事実であった。
当然といえば、当然だった。
幼馴染みで無罪だと声を上げただけのアスクが処されたのだ。
家族が人質として磔にされない訳が無かった。
「気付かなかった……」
気付けなかったことを悔やんでも、悔やみきれなかった。
鍛えられていたアスクより、普通の村人でしかなかったノエルの両親や弟は、きっと先に命の炎が尽きてしまっていたに違いないのに。
アスクが捨てられた死体置き場には、きっとノエルの家族の遺体もあったのかもしれないと思うと苦しくてならなかった。
当然、遺品を探すこともしなかった。考えるべき事柄だった。
夜毎魘される悪夢が一層ひどくなったのはそれからだった。
悪夢に疲れ、ノエルの名前を聴くだけで身体に震えが出てくるようになる始末だった。
いろいろと、すべての事柄に対して諦めがついた頃には、更に十年余りが経っていた。
その頃には悪女ノエルへの怨み言を夜な夜な連ねて盃を呷る者はいても、悪逆騎士アスクについては人々からすっかり忘れ去られているようで口に上らなくなっていた。
もう、王都からの追手も来ないに違いない。
元々が死んだと思われて墓場に捨てられたのだ。警戒しすぎだったのかもしれないと思うようになっていた。実際にそれは事実でもあったのだろう。
逃亡生活中に、悪逆騎士を探している者がいるという噂すら一度も聞いたことはなかったのだから。
そうしてようやく、アスクは今の土地へ腰を据えたのだ。
「……すまないな。私はこの世界のすべてに干渉できる訳ではく、全知でも全能でもないのだ」
辛そうに謝罪するリーシャに、アスクは緩く首を振った。
ここで神に対して文句をつけて何になるというのだろう。すべては過去だ。そして故郷の村に対しては、アスクは加害者側の人間だ。
加害者になってしまった人間が、同じ加害者に向かってお前のせいでと罪を擦り付ける醜さを、アスクは持ち合わせていなかった。
だからこそ、この悲劇に選ばれたともいえる。
いつかどこかで起こる筈であった悲劇。
これはまさしく神に定められた試練でもあった。避ける事などできる筈がない。
力なく項垂れ謝罪を拒否したままのアスクに、リーシャは謝罪の言葉を重ねることを止めて、話の続きを語り始めた。
「話を戻そう。ノエルの縁者から情報を得ることを諦めた私は、再びあの男を探した。あの男もまた『ノエル』とその情報に繋がりそうな『アスク』という存在に関心を持っていたからだ。そうして私はやっと、ノエルの幼馴染みであるお前を知ったのだ」
女神、と言われながらも全知全能万能の存在などではないのだな、とアスクはぼんやりとその言葉を聴きながら思う。
自分で知りたいことを調べて廻らねばならない不自由さはまるで人間のようだ。
「ただ、探し出したあの男は『アスクは死んだ』と記憶していた。私は『アスクに繋がるモノ』を探した。この世界に遺るアスクの魂の欠片だけでも見つけ出してあちらへ連れて行き、ノエルの記憶と合わせて『アスク』を再生するつもりだった」
聖女という特別な存在が不遇に遭っても最後の最後、その存在が消えてあげた断末魔でしか気付けず、教会騎士として、女神が御坐す場所である教会所属の騎士であったアスクという存在を認識することすら難儀する。
アスクは不思議だった。
「何故そこまでして、私を?」
「こことは違う世界で生きているノエルは、別人でもある。それはいいな? ここでの暮らしの事などまったく覚えておらん。だが、心の一部が欠けた状態で連れて行ってしまった。その欠けた部分を埋め得るものとして、お前を連れて行くつもりだった」
その言葉に、アスクは力なく笑って首を横に振った。
やはり神には人の心はわからないのだろう。
「……ありえません。見当違いも甚だしい。私に、ノエルの心を埋めることなどできませんよ」
本当に、それができるほどの存在として、アスクがノエルの中にあったのなら、どれだけいいだろう。
ノエルと最後に会話を交わしたのは、まだ故郷で一緒にいた十歳の頃だ。
あれから四十八年という時が過ぎた。遠すぎる時間が経っている。
アスクは自分の、皺だらけになったぶ厚い手を、見下ろした。
今朝切った髪はほとんどが白くなり果てていた。老骨。老いぼれもいいところだ。
幼い日に共に遊んだ幸せなど、聖女として王都で華々しく暮らしていたノエルにとって拭けば飛ぶような、取るに足らないものでしかないに違いない。
アスクにとってノエルは輝くような眩しい存在ではあるが、それと同等のものをノエルが感じていたとは到底思えなかった。
「本当に、そう思うの?」




