19.死闘
「教会騎士は体術の方が得意だとお聞きしていますが、あなたはその遥か上をいかれますか。それにしても、なかなか粘りますね。ふっ。老いぼれる前のあなたと、こうして戦ってみたかったものですね」
剣を止めずに、語りかけてくる。
それがアスクのギリギリの呼吸を殺ぐ為のものであることは分かっていたが、それでも返さずに黙り込むアスクでもなかった。
「老いぼれる前、か。教会騎士であった頃なら、あなたは魔法を、使っていただろう? 開始位置から剣を振られて、おしまいさ」
ひと薙ぎで大群の魔獣を薙ぎ払ったという吟遊詩人の歌を信じるならば、アスクに勝ち目など万にひとつとしてある訳がない。
なにより教会騎士であった頃のアスクには、今の体術はなかった。
そちらの意味でも、試合にならなかっただろう。
「確かに。ですが、私が魔法だけだと言われているようで、癪に触りますね」
その言葉が合図のように、トランの動きが複雑化する。
それまでほぼ後ろ足を止めて突きを入れてくるばかりであった攻撃に、前後左右のステップが加わる。
間違いなく手を抜かれていたのだ。
アスクの胸の奥に悔しさが湧き上がると共に、強い焦りが生まれる。
「ちぃっ」
ただでさえギリギリだった回避がついに間に合わなくなり、避けられると思ったトランの剣先が、アスクの喉元の皮一枚を掠めた。
首筋へ紅い線が走り、そこから血が滴った。
「残念。もう少しでしたのに」
まったくもって残念そうでもなんでもない声音のトランの唇が、更にその端を吊り上げる。
「……くっ」
ここは整地された場所ではない。王城や教会の敷地内にある訓練施設でもなければ平地ですらない。山中の斜面。人の行きかうこと少ない山中に建てられたちいさな小屋の前だ。
木の根が張り巡らされた締まった土の上に枯れ葉と枯れ枝が落ちており、小さな石や砂がそこかしこにある何の変哲もない手入れも碌にされていない。
そこでギリギリの攻防を繰り広げるだけの集中力を保ち続けられる訳もなく、アスクは段々と精神を削られていった。
「そろそろ敗北を認めて、聖女ノエルについて話す気になりましたかな」
「知らないことは、話せない。たとえ知っていても、話す気は、ないがな」
避けきるには半歩足りなくなってくる。辛うじて致命傷にはならなくとも、薄皮一枚切り刻まれて行く度に、踏み込む力が弱まり、痛みに一瞬気を取られるようになっていく。
「わかっていないのか、わからないのか。聖女ノエル様の御力を以てすれば、この世に魔法を戻す事だって可能に違いないんですよ」
一撃、また一撃。
トランが剣を揮う度に、赤い飛沫が飛ぶ。
「あいつにそんな力があるとは知らなかった」
頬に、腕に。アスクの身体へ、朱い線が増えていく。
「“あいつ”だなどと。あの御方の価値を知らない愚民が」
激昂する度に、トランのスピードが上がっていく。
だが、どれだけ早く剣を振っても仕留めきれない膠着状態に、次第にトランの剣へ苛立ちが浮かび始めた。
「ちぃっ」
「ふっ。銀狼将軍も、落ちたものだな。それだけ剣を振っても、こんな平民崩れの老いぼれを、仕留められないとは」
全身至る所を切り刻まれながらも、アスクは挑発を繰り返した。
「私を老いぼれと評したが、アナタサマこそ息が上がっているのではありませんかな。前騎士団長の、老騎士サマ」
「その言葉、あの世で後悔するといい」
トランの瞳が怒りに染まる。
トラン自身、野に堕ちた元教会騎士の老人を仕留めきれない事に苛立っていたからこそ、激昂した。
憎々しげに、逃げ回るアスクを執拗に追いかける。
「えぇい。ちょこまかと」
「まだ足を止めて打ち合わねばならぬほど、老いぼれてはいないだけだ……あっ」
ぱきり。
更に挑発を重ねたアスクの足が、落ちた枯れ枝を踏み抜きバランスを崩した。
「笑止!」
挑発を繰り返しておきながら逃げ回り、挙句自らバランスを崩す事となったアスクに、トランは渾身の突きを繰り出した。




