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18.お互いの真実をかけて



 しゃらりと玲瓏なる音を立てて、トランが腰の剣を抜いた。

 剣の柄から下がる房飾りは白い。

 多分きっと、四十年前までは風の魔法を表わす緑と銀色が編み込まれた房飾りが、誇らしげに結ばれていたのだろう。


 少し前へと重心を置いた前傾姿勢はアスクの知らない流派のものだ。トランが大きく片手で構えを取ると、通常の剣より細く長いそれが、ギラギラと異様な輝きをみせた。


「参る」


「ちいっ」


 ガキン。


 アスクは、腰帯に差して常に携帯しているナイフを煌かせ、辛うじてトランの剣を受け流した。


 渾身の突きであったその力を流され、蹈鞴を踏んだトランが距離を取り直す。

 刃渡りの短いナイフしか持たないアスクにとって不利な間合いだ。


「残念です。素手ではなかったのですね」


「前騎士団長の騎士様は、随分と卑怯な真似をする」


 チクリとやり返せば、なんでもないとばかりに笑顔で返された。


「おや。教会騎士ともあろう方がなにを。有名でしたからね、『教会騎士は女神リーシャの信徒ではなく教会の建物そのものをこそ守るのだ』と。内部を破壊しないように、体術を主として鍛えられる。私の知る騎士道とはまったく異なる道ですね」


「確かに」


 教会建物内部では、剣よりも徒手による制圧が善しとされていた。

 女神の前で血を流すことは良くない事であるとされていたが、そんなものは建前だ。

 襲撃を受けた際に装飾の多い施設内で剣を振り回し、歴史ある建造物を壊されたかつて悲劇に心を痛めた教会重鎮の意向が重視されていただけだ。

 その証拠に、騎士に被害が及んだことよりも、過去の騒動で教会が破損したことについて嘆き語り尽くすお偉い方々は多かった。


 そうして、アスクの体術はこの教会騎士として教え込まれたものが基礎となっている。

 もっとも今となってはまったくの別物な訳であるが。


「それに、あくまでも前ですから。今はどんな卑怯な手を使おうとも、王命によって得た主たる第三王子の命を守ることを優先、更にいえば聖女ノエルをこの手に取り戻すことこそ、最優先ですよ。はぁっ!」


 騎士道を捨てる不穏な言葉を口にして、銀狼が手にした剣で突きを繰り出す。


 寸でのところで交わしたものの、髪がひと筋、宙を舞った。


「職務より己の欲望に忠実かよ」

「いいえ。これは私に与えられた、使命ですよ。聖女ノエルを守るのは、天が私に与えられた、使命なのです」


 恍惚の表情を浮かべてトランが宣言する。

 アスクは大して感銘を受けることなく、それを指摘した。


「天から与えられた使命。そのわりには、逢えもしていないな」


 だが、その程度のことはトランも何度も考えたことがあった。

 トランはこの四十年の月日を、どれほど些細でありえないようなくだらない情報であろうともそれが聖女に関するものであれば必ず現地へ赴いて自分が納得するまで虱潰しに調べ上げてきた。


 その情報が間違っていたと分かる度に、「えぇえぇ。この地に聖女様はいなかったと分かりました!」と天に向かって感謝を捧げてきた。

 

 広い大陸の端から端まで、何周しようが、来た道をすぐにとって戻る事になろうが構わなかった。


 それが、聖女を守り切れなかったことへの、女神リーシャがトランに与えた罰なのだと分かっていたからだ。


「当然ですよ。私は一度は聖女様をお守りし切れませんでした。女神から試練を与えられてしかるべきかと」


「女神の試練。それが私なら、簡単には負けられない」


「えぇ。えぇ! けれど、私としても、聖女様を誠心誠意、今度こそお守りしきると誓いました。全身全霊で。人生のすべて、いいえ、来世もそのまた来世でも! 未来永劫お傍に侍り、お守りする所存です。その覚悟を女神リーシャにお見せする為にも、絶対に負けられないのです。えぇ負けません」


 うっとりと。自分の宣言に酔うように、トランの瞳が蕩けていく。

 その瞳は異様な光を帯び、目の前のアスクではない何かを、アスクを通してみているようだ。

 だが、まるでアスク自身を見ていないそんな状態でありながらも神速で繰り出される連続の突きを、アスクはステップとスウェー、そしてナイフによってギリギリで剣先を逸らし、躱し続ける。


「ちょこまかと、老いぼれにしてはよく動く。だが、これはどうです」


 躱した筈の鋭い突きが、軌道を変えてアスクを襲う。

 避けきれなかった髪がまた、ふわりと舞い散った。


「老いているのは、お互い様だ。山で暮らしているとな。そう簡単に、老いさばられてなど、いられんよ」


 乱れそうになる呼吸を気力で押さえつけ、アスクはトランの動きに意識を注ぎ見極める。


 身体が動き出そうとする一番最初、筋肉の初動から動きを推察して交わしていく。

 さきほどのような変則的な動きをとれるのは人だからだ。武を極めし人間が揮う神速の剣を躱し続けるのは、魔獣のような力に頼る直情的な動きを躱すのとはまったく別の次元だ。

 軽口を利ける余裕もすぐになくなりそうだ。


「なるほど」


 トランはひとつ頷くと、その攻撃を一気に加速した。


 後ろに立ち王子を守っている兵士たちが、息を飲む。


 前騎士団長として王国内最強の名を欲しいままにしていたトランの、彼等には残像しか映すことのできない神速の剣を、小さなナイフ一本で捌き切る、元教会騎士だという平民の男アスク。


 その攻防は、流麗なる剣技とまるで踊っているような体術のせめぎ合いだ。


 時には小さなナイフで剣の流れをぎりぎりでいなし、時にはスウェーで避けて回り込んだアスクの何も持たない左手が、柄を握るトランの手を押して軌道をずらす。


 ゆるりと大きく円を描いて動き回っては避けていく。


「どうなっているんだ……」

「あの至近距離から、あれを避けるかよ」


 剣先が届かぬほど、距離を取れば簡単なようにも見える。

 しかし実際のところ、あまり離れてしまうと筋肉の最初の動きを捉えきれなくなってしまう。

 なによりも、アスクの持っているナイフとトランの握っている細剣とでは元々の間合いが違い過ぎるし、体術となると更にトランの身体に触れなければどうにもならないのだ。離れていてはどうにもならない。


 つまり、アスクはどれほど危険であろうとも、すぐ傍の接近戦に持ち込むしかないのだ。


 兵士たちの前で尊敬する銀狼将軍神速のトランと互角の戦いを繰り広げているむさ苦しい元教会騎士の男の動きは、これまで彼等が見たことも無いものであった。

 ゆったりとしているようにしか見えないその動き。

 兵士たちでも簡単に取り押さえられそうな男を、誰より強く速い剣の遣い手である銀狼将軍が、捉えきれないでいるのだ。


 ゆるゆるとやわらかく。躱し続けている男の動きから、目が離せない。




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