17.隠されていた過去
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聖女の祈りによるやわらかな光が、不安定に明滅し、ついに消える。
胃の腑の病に苦しむ王に治癒の魔法を掛けている聖女の力が、枯渇しかけている証だった。
当然だ。眠る事すら許されず、食事も碌に与えられないまま、三日前の朝からずっと治癒の魔法を要求され続けているのだ。
人の持つ魔力が少しずつささやかなものになってきている現在、いくら煌めくような豪奢な黄金色の髪を持つ聖女であろうとも、魔力切れになって当然だ。
赦しを得て離席して四半時すら経たずに呼び戻され、治癒を要求され続けている。
そもそも、神話の時代ならともかく、現在においてこれほど長く魔法を使い続けられることが奇跡だ。
「偉大なる王国の太陽に申し上げます。このままでは聖女の力が枯渇します。そろそろ休憩を取らせねば」
「うるざいっ! お前は、この国の太陽たる朕に、この痛みによる苦しみを耐えろというのか。朕の我慢が足りないとでも? 朕が沈めば、この国は暗黒に晒されることになるのだぞ。朕にもっと苦しめというのも同然だと、わかって言っているのか」
このままでは聖女の命が危ないと声を上げたものの、激昂した王から叱責を受けて頭を下げた。
「……いいえ。滅相もございません。失礼致しました」
たった一人、この場で王に対して声を上げることができる立場にあった騎士団長たるトラン・ドイルが強く叱責されてしまった今、床に蹲ったまま動けないでいる聖女をそれ以上庇う者はいなかった。
周囲に居た者にできることは、ただ痛まし気な視線を送るのみだ。
「はやく、はやくしろ、聖女。朕のこの痛みを消すのだ」
早く、と王から幾ら催促されようとも最早聖女は顔を上げる気力もないようだった。
「もう……もう、むり、ですっ」
真っ青な顔をしたノエルがその場に頽れると、ベッドの中で苦しむ王が、忌々し気に声を荒げた。
「うるさいっ。さっさと朕を癒せ、聖女よ。この胃の腑の苦しみを取り除くのだ。王国の太陽たる貴き朕の心と身体をやすらげる為に、そなたは治癒の力を天から授かった。尊き職務を与えられた事に感謝して、朕の為に命を賭して天意に従え」
「……、…………っ」
立ち上がることすらできなくなった聖女は、ただただちいさく震えるばかりだ。
「このっ」
痛み故か激昂した王が、枕元においてあった水差しを掴んで聖女に投げつけた。
避ける気力も体力もないのか、聖女の額へ当たったガラス製の水差しは砕け散り、青白いばかりの顔から赤い血が流れ出る。
飛び散ったガラスの破片の真ん中で、そのまま頽れた聖女はすでにぴくりとも動かなかった。
気を失ったようだ。
煌めくような輝きを放っていた黄金色の髪もその輝きを失い、砕け散ったガラスの破片と流れ出る血の上に広がるばかりだ。
「はやぐっ、ぐあぁあぁぁあっ。はやぐ、朕を、癒せ。痛みを取れっ。役立たずがぁっ。あ゛ぁぁあ゛ぁっ。おい、他のだれでもいい、はやぐ他の者をっ。治癒の力を持つ者を、連れてくるのだっ」
「はっ!」
部屋の入り口で蒼い顔をしていた侍従が慌てて部屋から飛び出していく。
「その役立たずが目を覚ましたら、もう一度連れてこい。命に代えても、朕を癒させるのだ」
「……御意」
トランは目を閉じて、その王命に拝する。今の王には心にも身体にも余裕がないだけなのだ。だから選ぶ言葉は悪いが、聖女を休ませる許可を出して下さったのだと震える拳を収めた。
騎士団長の位を預かるトランは、何度もその命を聖女ノエルに助けられてきた。
ノエルに対してだけではない。武家であるドイル家の家門一同は幾度もたくさんの聖女たちにより命を助けられてきたのだ。父も、祖父も、先祖たちも。
トランにとって聖女は、王家に対する忠誠と同程度の敬意と敬愛を捧げるべき存在であった。
硝子の破片を更に足の裏で踏み潰す不快な感触を無視しながら、できるだけ優雅に、王の不興を買わぬよう細心の注意を払いながら、トランはその中央で倒れ込んだままになった聖女を抱え上げた。
いや、抱え上げようとしたが、それは叶わなかった。
「なんと……これは?!」
「どうした」
トランが手を触れようとした途端、ノエルの周囲に光が集まり、ついには誰も目を開けていられないほどの閃光となる。
──ユルサナイ
「え?」
それは、耳から聴こえた音ではなく、頭の中へ直接響くような声だった。
だが、目を開けていることすらできない白き輝きに思考はすべて刈り取られ、その声を聞き返す者はいない。
眩い閃光によって奪われた視力が戻ってきた時には、聖女ノエルの姿はどこにもなかった。
「なんっ、なっ……ぐっ。ぐあぁぁ………あ、ぁっ」
「へいかっ! 陛下!!! 陛下――!!!!!」
病を癒すことができる聖女が消えた衝撃か、元の病の進行が先ほどまで掛け続けられていた治癒魔法の効果が切れてしまったことが原因なのかはわからない。
聖女が姿を消したその瞬間、たくさんの目撃者のいる中で、この国の王は身罷った。
この日を境に、治癒魔法を持つ者はすべてこの世から一斉に姿を消し、他の魔法もすべて消え去った。
「なんっ、なっ……ぐっ。ぐあぁぁ………あ、ぁっ」
「へいかっ! 陛下!!! 陛下――!!!!!」
病を癒すことができる聖女が消えた衝撃か、元の病の進行が先ほどまで掛け続けられていた治癒魔法の効果が切れてしまったことが原因なのかはわからない。
聖女が姿を消したその瞬間、たくさんの目撃者のいる中で、この国の王は身罷った。
この日を境に、治癒魔法を持つ者はすべてこの世から一斉に姿を消し、他の魔法もすべて消え去った。
こうして、世界に魔法を使える者は誰もいなくなった。
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「私達は聖女ノエルを探しております。消えた彼女がどこに行ったのか。私はどうしても知らなければならない。彼女を見つけ出し、今度こそ彼女をお守りするのが願いです。あぁ、教会のいうとおり、聖女ノエルが他の仲間たちと共に魔法を仕えなくなるような呪いを掛けたという言葉を信じてはいませんよ。ご安心ください。彼女はそんなことができる御方ではありません。えぇ、勿論です。もし教会の言葉に真実が含まれ、治癒魔法を使える者たちによる反乱により、魔法が使えなくなる呪いがあったとしても、聖女ノエル自身はその事を知らなかったに違いありません。その可能性が高い。えぇ、そうですとも。彼女は本物の聖女であった! その命までも削りながら、たくさんの人を助けてきた高潔な御方だ。人々が苦しむような呪いを掛ける訳がない!」
でしょう? と目を眇め恍惚とした表情を浮かべる男に不快感が募る。
自身が聖女ノエルに対して取った過去の仕打ちすら、一切瞳を揺らさず告白した男に、アスクの眉間の皺は深くなるばかりだ。
「私の知る限りの事実をお教えしました。お戻りになられたならば、聖女ノエルは、我がドイル家一門が、誠心誠意命を懸けて保護し、大切にお守りするとお約束しましょう。えぇ、その尊き血筋を引かれる方々も、全て」
うっとりと朗々と謳い上げる。狂信者の瞳が、ギラギラと異様な光を帯びていた。
「さあ。聖女ノエルはどこにいらっしゃるのか、彼女を守れるのは私だけだと自負しております。えぇ、えぇ! そうです。今度こそ、お守り致しますとも! さぁ、お答えいただけますね?」
酷薄そうな薄くて色のない唇が弧を描く。
笑みを作っているつもりなのだろうが、アスクに向ける冷たい瞳がすべてを裏切って、欲しい情報を得たならばすぐにでもアスクを殺す算段を付けていることを伝えてくる。
「私も、どこにいるのかまったく知らないんだと言ったら?」
「本気でそれを仰っている? 教会騎士であったあなたですら、ワイルドベアをひとりで倒すことなどできなかったでしょう。それを、そのお歳になってから、できるようになられたと言い張られても。さぁ、お仲間はどこです? 何人の聖女とその近親者がいるのですか。お答え頂きますよ、元教会騎士アスク・リシャス」
ワイルドベアといわれて、アスクはこの事態を招いたのが自分であったことに舌打ちした。
『あんたひとりで倒したなんて』
あの時の村長の声は震えていた。
そういえば、いつもより言葉が多かった気がしなくもない。あれはてっきりあんな魔獣に村が襲われる危機に瀕していたと知ったからだと思ったが、むしろアスクを危険視していたということだったのか。
「情報の発生源は、村長からか」
「黙秘させて頂きますよ。情報源は保護しなければ」
傲岸な態度で言い切るトランに、舌打ちする。
「まぁそうですね。聖女ノエルを保護した後なら、場合によってはあなたも保護して差し上げますよ。磔にされ、鞭で打たれ、水すら与えられずに死んだとされるあなたがこうしてここで生きているということは、聖女ノエルの御力でしょう。それすなわち、あの御方の意向で、生かされることとなったのだ。聖女ノエルにこれまで仕えてきたその献身。認めて差し上げますよ」
言葉の意味とは裏腹に、強い殺意を籠めた一視線がアスクに向けられていた。
「何度聞かれようとも、知らないものは知らないとしか言いようがないな」
殺意を気迫で返せば、目の前の男はついにその腰に佩いた剣に手を掛けた。
「……仕方がありませんね。この先、生かしておいても邪魔にしかなりそうにないですし、私には王子の命に従うしかなさそうです」




