15.問答
「いました!」
しかし残念ながら、アスクの希望はあっさりと破られてしまったようだ。
小屋の奥から、少女がその両腕をふたりの兵士から捕まれて、挟まれるようにして連れ出されてくる。
「奥の部屋で椅子に座っていました」
椅子は地下室への入り口を塞いでおいたものだろう。椅子を倒さずに出れるならば、そのまま小屋からも逃げ出してくれればいいのにとアスクは苦々しく思う。
魔力が尽きたのかどうかしらないが、どうやら地下室からは抜け出せたが、そこで見つかってしまったらしい。
なんにせよ、まだ言い逃れられる可能性はゼロではないということだ。
アスクはできるだけ哀れっぽい声を作り、周囲に向かって何度も頭を下げた。
「あぁ。すみません。この娘は山で迷っていたのを保護しただけです。親御さんの元へ帰してやりたいと話していたところなのですが、困ったことにひと言も喋ろうとしないので困っていたんです。でも治癒魔法ですって? そんな馬鹿な。彼女は普通のただの少女ですよ」
自分で喋っていて嘘っぽいなとしかアスクにも思えなかった。
なにより、兵士たちに両腕を捕られている状態であっても少女もニコニコと笑っているのだ。
黄金色の髪は艶やかに輝き、その大きな瞳は間違いなく今の事態を面白がっている。
こんな時でさえ、女神リーシャを讃える刺繍の入ったワンピースを身に纏った少女は、とても美しかった。
幼い容姿に不似合いな佇まいは、まるで王族と言われても信じてしまいそうなほど清く貴い。
その笑みには恐れも慄きもなにも見えないままだ。
「なにが普通の少女だ。老人、お前の歳なら知っているであろうが。この黄金色の髪は、治癒魔法の遣い手のみに現れるもので間違いない。おお。ついに、我が王国は再び聖女を手に入れたのだ!」
興奮のまま、指揮をとっていた騎士が鎧兜を脱いで放り投げた。
現れたのは、まだ若い、だが紛れもない王族の血筋である紅玉色の瞳と豪奢な赤銅色の髪を持つ意志の強そうな顔をした美丈夫だ。
ついこの間まで、夢に何度も出てきた若き頃の王太子殿下、今は国王陛下となられた御方と、よく似たその顔にアスクの顔が歪む。
悪夢はついに単なる夢の世界の恐ろしい夢想事ではなくなったのだ。恐ろしい現実としてアスクの前にあらわれてしまったのだ。
身体がどうしようもなく震え出し、アスクは立っていられなくなった。ずるりと頽れるように、その場で跪き、夢は夢のままであって欲しいと手を組んで女神へ祈りを捧げる。
「ほう。その所作、その聖句。退役した教会騎士か。……顔に傷のある、元教会騎士だと? お前、名をなんという」
自ら名乗る事すらせずに、問い質された。
傲岸を絵に描いたような表情と口調だ。命令を下すことに慣れたその物言いといい、アスクの想像は間違えてはいないだろう。アスクは膝をついたまま、顔を上げずに答える。
「……スースと、申します」
村で名乗っていた幼い頃の綽名を名乗った。アスクという名は捨てた。今はもう誰からも呼ばない名前だ。
「顔をあげろ」と蹴り飛ばされた。
声も上げずに歯を食いしばりながら顔を上げると、ジロジロと頭のてっぺんから足の爪先まで何度も視線が身体の上を往復していくのがわかる。
「ふうん。その名前には憶えがある。下の村で、この山に住んでいる長いぼさぼさの白髪と長い髭を生やした六十過ぎの老人の名だと聞かされた。全然ちがうな、お前。まるで別人だ。年の頃も考えるに……そうか、お前は魔女ノエルの近親者アスク・リシャスだな。いや、教会からは破門になったのだったな、ただのアスク。そうか。生きていたのか、反逆者が。つまりあれか、この小娘は、悪逆騎士アスクと魔女ノエルの娘だというのか! お前等のせいで、我が偉大なる祖父は命の炎を消してしまわれたというのに!!」
あっさりと看過されてしまった。
名乗る前に、躊躇してしまったのがいけなかったのかもしれない。
激昂した王子が、腰に佩いていた剣を抜き、アスクの頭に向かって振り下ろした。
──これを避けずに受けて死ぬのも、いいかもしれない。
アスクは物事を完全に放置することになるこの一瞬に、すべてを放りだして女神の御許へと向かうという誘惑に呑まれそうになった。
自死は許されなくとも、王族からの手討ちならば、永遠の孤独の牢に囚われることなく、女神の許へ導かれることができるだろう。
もしかしたら、ずっと前に、四十年も前に、ノエルがそこに、辿り着いていたのかもしれない場所へ。
アスクにも、本当はどこかで分かっていた気がするのだ。
彼女は逃げたのではなく、王の命を助けられなかった罪により殺されていたのではないかと。
聖女を弑いたその罪により王は女神の怒りを買い、この世界から治癒魔法のみならず魔法全てが奪われたのではないかと。
本当は、分っているのだ。
多分きっと、魔女と悪逆騎士の誹りを晴らすことなく、この手討ちを受け入れる事をしてしまったなら、女神の御許へ行くことは許されたとしても、同じく汚名を着せられて晴らすこともできずに無念の死を迎えたノエルには、絶対に許されないであろうことが。
ガッ。
剣を握った王子の手首を狙って、座った姿勢から身体を回転させるようにして、蹴り飛ばす。
ずしゃああぁっ、と大きな音を立てて土の上を尻もちを着いた王子が滑っていき、木の幹に激突して止まった。
「ぐあぁぁぁっ。よくも、よくもおぉぉぉっ! おい、コイツを殺せ、絶対に逃がすな!」




