あたたかいところ
みみずくんはせっせと土を食べながら、今日もあたたかいところを目指します。
みみずくんが生まれたのは、とある寒い秋の日。
いっしょに生まれた兄弟たちと、冷たい土を食べてくらしていました。
いえ、冷たい土しか知らないのでそれが冷たいのだということも、みみずくんたちはわかっていませんでした。
いつものようにせっせ、せっせと土を食べていたある夕方、みみずくんはうっかり、天井にポカンと穴をあけてしまいました。
「わあ!」
叫び声を上げ、みみずくんは今までいた穴の中へ身体をもぐりこませました。
今まで真っ暗な土の中しか知らなかったみみずくんには、夕闇せまる草原はあまりにもまぶしかったのです。
「めずらしい。みみずが顔を出すなんて」
ふいに、おどろいたようなおもしろがっているような声が降ってきました。
だからみみずくんはもう一度、そっと天井の穴から顔を出してみました。
そこには、みみずくんが今まで見たこともない、とても大きな生き物がいました。
もこもことした茶色っぽい何かにおおわれた体は、つるりとしたみみずくんの体とはまるで違います。
「気安く顔を出さない方がいいよ、君」
たしなめるようにその生き物は言いました。
「おなかがすいているわたしの友だちに見つかったら、君なんか丸飲みにされちゃうよ」
みみずくんはびっくりして、もこもこの生き物を見つめました。
「君、ぼくを食べちゃうの?」
「食べないよ。今はおなかがすいていないからね」
そう言うともこもこは、ふいにのびをして、茶色い二つの羽根を大きく広げました。
「それに、わたしはそろそろあたたかいところへ行かなくちゃならないんだ。いそがしいんだよ」
「あたたかいところ?あたたかいところって何?」
「からだもおなかも胸の中もほこほこする、すてきなところだよ」
歌うようにそう言うと、もこもこは大きな音を立てて飛び上がり、あっという間に空のかなたへ飛んで行ってしまいました。
それ以来、みみずくんは元気がなくなりました。
もこもこが言っていた『あたたかいところ』という言葉が、気になって気になってしかたがありません。
(体もおなかも胸の中もほこほこする、すてきなところ……)
今まで知らなかったその場所へ、どんどんあこがれがつのります。
『ほこほこする』ってどういうことなのか、本当言うとみみずくんにはまったくわかりません。
でもきっと、あの生き物のように軽やかでふわふわしていて、すてきなことなんだろうなと思い、わからないままうっとりするのです。
「ねえ、にいさん。最近どうしたの?」
兄弟の中で一番なかよしの弟が、みみずくんの様子がおかしいので心配しています。
「あのね。ぼく『あたたかいところ』へ行きたいんだ」
大切なひみつを打ち明けるようにみみずくんは、小さな声でそう言うと、外の世界で見たもこもこした生き物から聞いた話を弟へ話して聞かせました。
「じゃあそのもこもこは、『あたたかいところ』へ飛んで行ったの?」
わからないなりにいっしょうけんめい話を聞いた弟は、話の終わりにそうききました。
「わからないけど、たぶん、そう」
みみずくんがそう答えると、弟は頭をふりながらこう答えました。
「それじゃあ、お空を飛ばないと行けないのかもしれないね」
弟にそう言われたとたん、みみずくんは泣きそうになりました。
どんなにのびあがっても飛びはねても、みみずくんは空を飛べません。
つまりどんなにあこがれたとしても、みみずくんはあたたかいところへ行けないということになります。
さらに元気がなくなったみみずくんに気付き、弟はあわてました。
「待って、にいさん。ぼくにいい考えがある。湖の向こうにある森の入り口に、何でも知っているフクロウがいるって聞いたことがあるよ。ぼくたちみみずが知らないことでも、そのフクロウならきっと知ってる。まずはフクロウに、あたたかいところのことを聞いてみたらどうだろう?」
みみずくんは少しだけ元気になりました。
「そうだね、そうしよう」
それからちょっと考え、彼は弟にこう問いました。
「でも……フクロウって、何?」
「ぼくもわからないけど……」
弟も頭をふりふり、考えます。
「でも、何でも知っているんだから。神様みたいなものじゃないかな?」
それからみみずくんは弟と一緒に、大急ぎで湖の向こうの森へ向かいました。
そうは言ってもみみずのふたりづれ。
遠くの森の入り口まで、土をほってほって進むので、何日もかかってしまいました。
それでもとうとうふたりは、森の入り口にたどり着きました。
上へ向かってほり進み、天井に穴をあけたふたりは、辺りをぐるっと見回しました。
辺りは暗くて土の中と変わりません。
どうやら、今は夜のようです。
「おや、めずらしい。みみずがそろって二匹も出てきた」
ホーゥ、という少し気味の悪い低い声の後に、だれかがおもしろそうにそう言いました。
「だあれ?」
はるか上を見上げながらみみずくんが問うと、
「わたしはフクロウ」
と、高い高いところから声が返ってきました。
「フクロウさん? 本当にフクロウさんなの?」
みみずくんの弟がはしゃぐと、フクロウはいかめしい声で
「そうだよ。でも君たち、不用意に地上に顔を出さない方がいいぞ。わたしはさっきネズミを食べたばかりだからともかく、もしおなかがすいていた時なら、君たちを問答無用で丸飲みにしちゃうからねえ」
と言いました。
フクロウが、この前のもこもこと同じようなことを言うので、みみずくんは不思議でした。
でも、たとえ丸飲みされるのだとしても、これだけはきかずにいられません。
みみずくんは声を張って問いました。
「フクロウさん、丸飲みの前にひとつ教えて下さい!」
(今は丸飲みしないよ、とブツブツ言う声がかすかに聞こえました)
「ぼくはこの間、茶色いもこもこの生き物から聞いた『あたたかいところ』へ行きたいんです! いえ、行けなかったとしても、知りたいのです! 『あたたかいところ』ってどこにあるのですか? どうやったら行けるのですか? ひょっとして、お空を飛ばないと届かないところなのでしょうか?」
「あたたかいところ?」
フクロウはびっくりしました。
今までにも物知りのフクロウに、色々なことを聞いてくる者はいました。
が、『あたたかいところはどこ?』などと聞いてくる者は初めてです。
フクロウは首をかしげた後、
「茶色いもこもことかお空を飛ぶとか……、ああそうか。おそらく渡りをする鳥から聞いた話なのだろうな」
とつぶやき、いっしんに上を見上げているみみずくんへ、あわれむようにこう答えました。
「あたたかいところは……、ここよりも南になるだろうなぁ」
「みなみ? みなみってどこ?」
食らいつくように問いただすみみずくんに、フクロウは持て余したようにため息をつきました。
「南は……方角で言うのなら。この森をこのまま、まっすぐ突っ切る方角になるよ。だが君の言う『あたたかいところ』へ着くかどうかまでは、わたしにもわからないなあ」
「フクロウさんにもわからないの?」
みみずくんの弟がちょっとびっくりすると、
「そりゃそうだよ。大体、ばくぜんと『あたたかいところ』って言われても、答えようがないじゃないか」
と、フクロウは少し気を悪くしたようにそう言いました。
「それに、君の言う茶色いもこもこの生き物は、冷たい風の吹きつける中、死にそうになりながら歯を食いしばって飛び続け、ようやく『あたたかいところ』へ着くはずだよ。ものすごくつらい思いをして、やっと行けるのが『あたたかいところ』さ」
みみずくんの顔色はいっきに悪くなりました。
もちろんかんたんに行けるとは思っていませんでしたが、ここまで大変だとも思っていませんでした。
だけどみみずくんは、大切なことを教えてくれたフクロウへていねいにお礼を言いました。
「フクロウさん、教えてくれてどうもありがとうございました。少なくとも『あたたかいところ』への方角はわかりましたので、この後どうするか、よく考えます」
みみずくんは頭を下げると、弟といっしょに土の中へ戻りました。
弟と話し合い、みみずくんはひとりで、『あたたかいところ』へ向かうことにしました。
弟は、『あぶないから行かないで』『もし行くなら、ぼくもいっしょに行く』と、何度も言いました。
でもみみずくんは、決してうんとは言いませんでした。
「『あたたかいところ』へ行くのは命がけの仕事になる。ぼくはどうしてもどうしても行きたいけど、お前はぼくに付き合って行くだけだろう? こういうことはきっと、強い思いなしにはやっちゃいけないんだ。どうしてもどうしても行きたいぼくだけが、たとえ失敗しても行くべきだと思うんだよ」
弟は泣きましたが、最後はこころよくみみずくんを見送ってくれました。
「『あたたかいところ』を見付けたら、きっと帰ってきてね、にいさん」
みみずくんは力強くうなずき、勇んで出発しました。
土を口いっぱいにほおばる。
食べた分だけ前へ進む。
ほおばる。進む。ほおばる。進む。ほおばる。進む。ほおばる。進む。ほおばる。進む……。
小さな小さな前進を、来る日も来る日もみみずくんは続けました。
もういやだと、みみずくんは何度も思いました。
土に氷のつぶが混じり始めた頃、おなかが冷えて苦しくて、もう前へ進めないと思いました。
それでもみみずくんは涙をこらえ、休み休みでも前へ進み続けました。
「『あたたかいところ』を見付けたら、きっと帰ってきてね、にいさん」
つらい時は弟の笑顔とはなむけの言葉を思い出し、みみずくんは進み続けました。
ようやく森を抜けました。
みみずくんは久しぶりに上へ向かい、天井に穴を開けました。
森を抜けたみみずくんの左側の空が、うっすらと赤くなっていました。
どうやら夜明けのようです。
深い息をついたみみずくんの鼻先に、なにやら甘いようなにおいがただよってきました。
「おや。みみずじゃないか」
声に驚いてそちらを向くと、みみずくんくらいの大きさの、半透明の不思議なモノが浮かんでいました。
「君、だれ?」
びっくりしてみみずくんが問うと、
「ぼくは春風」
と、不思議なモノは答えました。
「ぼくは春を運ぶんだよ。ぼくの行く先は、あたたかいところになるんだよ!」
「あたたかいところ!」
みみずくんは叫びました。
「じゃあ君について行ったら、あたたかいところへ行けるんだね!」
春風はくるんと宙返りをすると、
「その通り!」
と答えました。
「というか、とちゅうまで送ってあげるよ!」
春風がそう言うのと同時にすさまじい風が吹きあがり……みみずくんのからだはあっという間に、くるくる回るつむじ風に乗り、森の上を飛んでゆきました。
くるくるくるくる、あんまり回り続けるので、みみずくんはとうとう、目を回して気絶してしまいました。
どのくらいたったでしょう?
みみずくんが目を覚ますと、いつかフクロウと話した森の入り口に戻っていました。
「にいさん? にいさんだよね?」
なつかしい声に、みみずくんはあわてて身を起こしました。
そこには、いつの間にかすっかり大きくなった弟がいました。
細かった胴は太くなり、あれから弟が、この辺りの土をたくさん食べてたがやしていたことが、ひとめでわかりました。
「にいさん!すごくたくましくなって。きびしい旅にきたえられて、りりしい大人になったんだね!」
心からそう言ってくれる弟のまっすぐな言葉に、みみずくんは、からだもおなかも胸の中も、ほこほこ、じーんと熱くなりました。
『からだもおなかも胸の中もほこほこする、すてきなところだよ』
遠い日に聞いたもこもこの言葉を、みみずくんはふいに思い出しました。
「にいさんが帰ってくる日まで、ぼくはこの辺りの土をたがやして待っていようと思ったんだ。旅でつかれたにいさんが、ゆっくりからだを休めて眠れるように、ほこほこの土になるようがんばったんだよ!」
すっかり大人になっていても、弟の笑顔は昔のままでした。
みみずくんは胸がいっぱいになりながら、そうだったんだ、ありがとうと、ふるえる声でお礼を言いました。
「あたたかいところ、見付かった?」
期待にみちて問う弟へ、みみずくんはほほえみます。
「ああ……見付けたよ。ものすごく遠回りしたけど、世界のどこよりもあたたかい、すてきなところを見付けたよ」