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そんなことよりカレーが食べたい。  作者: すけさん
第二章 黒×赤 / ブラックペッパー&レッドペッパー
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いいんちょこと矢崎 佳奈は喧噪に包まれた南国の繁華街を一人歩くうちに、とても良い香りを鼻に感じ思わず「あっ!」と声を上げてしまった。


それは信じられない香りであった。


カレーの匂いだ……!?


佳奈は吸い寄せられるように、香りの元となる料理店の前まで足を運ぶ。

布を張っただけの簡単な入口をくぐると、その向こうでは熱気の中、老若男女がひしめき合うように店内に詰めており、みなは等しく無心となって一皿を貪っていた。


佳奈はそれをみっともないとも汚らわしいとも思わなかった。

だってその皿に盛られていた料理は間違いなくカレーであったから。

佳奈だってカレーが目の前にあれば同じように飛びついてしまうに決まっているのだ。


はやる心を押さえ、佳奈は空いている席の一つにつく。感じの良い笑顔の赤らけた肌の男がすぐさま寄ってきて注文を聞いてくる。

「お嬢さんは何にする?」


「ええっと……。」ここで佳奈は慌ててあたりを見渡すも、メニューらしきものを書いた張り紙も板もない。

どうしようと焦ってしまう佳奈。これはこの世界の食い物屋でよくある話で、識字率の低い異世界ではメニュー表などは特になく、旅人は土地ごとに決まった数種類の料理を事前に把握しておき、そのうちの一つを口頭で注文をするようなところばかりなのだ。

といってもメニューなんてものは街ごとに数種類くらいしかなく、同じ町ならどの料理屋に入っても食べられる料理は殆ど同じなのだ。ただ店ごとに味が微妙に違うので、例えば赤カブと鹿肉のスープならこっちの店がおいしかったが、イノシシ肉の燻製はあっちの店が素晴らしかった、といった食べ比べが楽しかったりもする。

まあ大抵の場合数日で飽きるのだが。

日本の飯屋のように一つのお店だけで何十種類、何百種類とメニューを取り揃えている事がむしろ異常なのだと言える。


ところで佳奈はこの都市国家へは昨日ついたばかりで、街の料理がどういった品揃えがあるか、佳奈はまったく把握していなかった。

今日はせいぜい市場を冷やかし程度に覗き見する程度にして、食事は領事館に戻って取るつもりだったのに、漂うカレーのにおいに吸い寄せられるように店に飛び込んでしまったたのだ。

すっかり困った様子の佳奈を見て、店の男は「はははっ!」と陽気に笑った。


「お嬢さんはこの街の人間じゃないね? それじゃあこの店の事はまるで知らないだろう。この店は『カレー』という異世界発祥の新しい料理を出す、このパディチの街で最も新しい店なんだぜ!」


この人今、カレーって言った!


目をまんまるくする佳奈。

そんな佳奈に向かって、男はパチンとウィンクをして見せる。

「うちは魚、肉、鳥の3つから選べるようになってる。今日は魚がニシン、肉はヤギ、鳥はウガテー鳥になってるぜ。

おすすめはウガテー鳥だ。腕のいいD級冒険者が矢一本で仕留めてくれたんだ。今朝狩ってすぐに仕込んだから味は極上だぜ。

もちろんニシンのカレーは定番だからこいつもうまいし、ヤギ肉のカレーは3日目でよく煮込まれててとろっとろだぜ。

どれもサイコーだから好きなヤツを選んだらいい。」


佳奈は少し悩んでから、鳥カレーを選んだ。


「チャパティとパンとライスはどれにする? あ、チャパティってのは小麦を焼いたやつね。うちのオーナーが持ち込んだ異世界の……」

「ライスで!」佳奈は迷わずライスを選んだ。


「はははっ! いいぜ。ちょっと待ってな。」男はニヤリと笑ってみせると、踊るような足取りで調理場らしき奥へと消えた。



佳奈は待ち時間の間にぼんやりとこれまでの事を思い返してみる。

こんなふうに昔を思い出すのは、この店がカレーの匂いに満ちているからだ。遠い異世界に来てからすっかり遠くなってしまった日本でのあれこれが、香り高いカレーの匂いの中でとめどなく溢れてくる。


佳奈がこの世界に召喚されてから早3年。気が付けば数えで二十歳を超える歳となってしまったが、未だに彼女は日本に帰れないでいる。


魔王を討伐しなければいつまでも地球に戻れない、そう王国の人達に諭されて、歯を食いしばって命をつないできた3年だった。

クラスメイトの1/3近くがもうこの世にはいない。理不尽な戦いの中で命を落としていったのだ。

残ったものの中でも怪我や病気に倒れ、あるいは心にぬぐえぬ傷を負い、もう戦えなくなってしまった人達がたくさんいる。

そんな中でまだ戦える少数のクラスメイト達は「攻略組」などという肩書きをもって、魔族との最前線で今なお戦いに明け暮れている。佳奈もそんな一人だった。


王国と魔族の間で始まった諍いはあっという間に異世界全土へと燃え広がり、今や戦火は世界中で火の粉を上げていた。そんな各地を転戦する格好で、佳奈を始めとする異世界勇者たちは慌ただしい毎日を送っている。

ここ南国の都市国家はそんな佳奈たちが次の戦地へ向かう途中に立ち寄った緩衝地帯で、仲間たちは領事館で国家元首の用意したもてなしを受けつつも、ひと時の休息を味わっている。

だが佳奈以外は誰も街に繰り出そうというものはなかった。

みな疲れているのだ。


魔族の血は青いが、姿かたちは人と同じだ。そんな彼らと血みどろの抗争を繰り広げるうちに、クラスのみんなは心が擦り切れてしまった。

せっかくの休みを手に入れても、みなは自堕落に城や館でお酒におぼれたり、部屋にずっと閉じこもったり、宛がわれた奇麗な女性や逞しい男性といやらしい遊びに耽ったり……。

佳奈のようにわざわざ時間を割いてまで街に出てまであちこち見て回るものは他に誰もいなくなっていた。


いや、本当のところは佳奈だって領事館でゴロゴロしていたいのだ。けれども佳奈にはどうしても心のトゲとなって忘れられぬ人物がいる。誰あろう、3年前のあの日に城から飛び出て行方不明になってしまったクラスメイト、伊丹 浩二の事である。


クラスのみんなは「もう死んでしまっただろう」などと冷淡な意見ばかりだった。ただこれはむしろ当然の反応で、そもそも浩二は女神の加護を受ける前に城を出ていってしまった。だから称号だとか固有スキルだとか翻訳だとか収納だとか、異世界人が本来与えられるはずのチートをいっさい得られなかったのだ。特に病気耐性、毒耐性といった命に係わる根源的な加護が得られていないことが大きい。異世界は地球に比べても圧倒的に不潔な世界なのだ。小さな擦り傷から病気にかかってあっという間に死んでしまうことも多々あると聞いている。そんな恐ろしい世界で、生身の日本人が今も生存しているとはとても考えづらい事ではあった。

佳奈自身も浩二の生存については半ばあきらめている。

それでも佳奈はついつい、新しい街に辿りつくたんびに、彼の足跡の一つでもないかとあちこちをうろうろしてしまうのだった。


佳奈はどんな手を使ってでも必ず地球に戻る心積もりでいる。故郷に帰ったその暁には、異界の地で散っていったクラスメイト達の事を関係者に報告する義務があると考えている。

そんな中、たった一人だけ行方不明で消息も分からない人物がいることが、佳奈にはどうしても耐えがたいのだ。

別に佳奈は浩二のことが好きだったわけでもなんでもない。ただ、この果てしなく遠い異世界の地で、同郷の日本人のうちの一人が行方不明であるという状況がとても気持ち悪いと、佳奈は強くそう感じてしまうのだ。

死んでいるならばそれはそれで仕方がない。ただ、その最後を彼の家族に伝えるためにも、どうなったかが知りたいだけなのだ。


そういえば伊丹くん、いつも何故かカレーの香りがしていたな……。


クラスの中で浩二と仲の良い人間は一人もいなかったから、学校での彼がどうしていつもカレーの匂いを漂わせていたかは一切の謎である。

けれども佳奈の中ではカレーの匂いイコール伊丹 浩二だったので、この店では特に彼のことが思い起こされた。

それでついつい、先ほどの店員が消えた厨房の奥を覗き込んでしまったが、赤肌の現地住民らしき数名がせっせと料理に精を出すばかりで、ガタイのいい浩二らしき人物の姿は見当たらなかった。店内をぐるりと見渡しても、客の中にも浩二と思しき人間は見当たらない。

まあいいか、と佳奈はすぐに諦めた。今までいくつもの街を見て回ったが、浩二らしき人物の気配すら感じられずに終わることがほとんどだった。別に今回だってなにか特別な予感があるわけじゃない。

ただいつもの癖で、新しい土地にたどり着くと同郷の日本人の気配を探してしまうというだけの話だった。



さて、そうこう下らない事をぼんやりと考えているうちに、お目当ての鳥カレーが運ばれてきた。

陽気な店員が佳奈の前に皿を置き、手でお金の催促をしてくる。

これまた異世界の飲食店での標準的な対応で、客は皿なり飲み物なりを目の前に置かれたタイミングで都度、料金を支払わなければならない。ろくに四則演算などの教育を受けていない労働者達が大多数のこの世界では、後でまとめて合算してのお会計などは出来ないのだ。

これがちょっとした問題で、酷い土地ではお釣りの計算も出来ないこともままあるから、皿ごとにきっかり同額を支払わないと多めに払った分は返ってこなかったりする事もある。

だから異世界で食事を取ろうと思ったらジャラジャラと大量の小銭を用意してから挑まないと酷い目に合う事が非常に多い。

なおオーダーミスや明らかな失敗作を持ってこられた際には料金を支払わなければよい。この際はある程度強気になって店員とやり取りしないと一方的にこちらを悪者にしてくることがあるから、この点でもそれなりに大変な思いをすることもある。


異世界での飲食は本当にいろいろと大変なのだ。


クラスメイトのほとんどはこういったやり取りにもうんざりし、「文化レベルが低すぎる」などと腐しつつも、街に繰り出しての食事などはみな諦め、駐留する城などで出されるものに満足してしまうものも多かった。

ただ、城や領事館で出される料理は正直どれも、あまりおいしくないのだ。

異世界からやってきた佳奈たち勇者は、どうも現地人からナメられている気配がある。適当な料理を出してそれなりにお腹を膨らませさせて置けばいいと思われている節がある。


佳奈は始めのうちこの世界の人々の文化レベルが低いからメシマズなのかと考えていたのだが、勇気を出して街の料理屋に飛び込んでみたところ、あまりの違いにびっくりした。

現地で直接出てくる料理はどれも美味しく、日本でも十分に通用しそうな素晴らしい味も沢山ある。

それでかえって城や屋敷で受けている勇者へのもてなしの質の悪さが浮き彫りにされ、佳奈は自分たちの置かれている状況や立場について色々考えさせられたのだが、これは今の話の本筋からずれてしまうのでいったんは横におこう。


佳奈はさて食事代を支払おうと考えて「あっ!」となった。今日は冷やかし程度に街を回る予定だったため、銅貨や半銅貨といった小銭を殆ど持ち合わせていなかったのだ。


佳奈は断腸の思いで、小銀貨を1枚手渡した。銅貨10枚に相当する金銭となり、釣りが返ってこなければカレー5皿分に相当する。

陽気な店員は嬉しそうにこれを受け取るとそのまま席を離れてしまったから、まるまる銅貨8枚分の赤字である。こういう時「悪いのは小銭を用意しなかった佳奈である」というのが異世界の常識なので、佳奈は泣く泣く諦めた。

と思ったらすぐに店員が戻ってきて、ちゃんと銅貨8枚を返してくれた。釣り銭の計算もできて、誤魔化しで銅貨を少なく返すこともない、ちゃんとした店員であったのだ。


なんて良心的な店なんだろう! 佳奈は感動して釣りのうちの銅貨1枚をチップとして店員に手渡した。


「ははっ!」陽気に笑いながら店員が嬉しそうにチップを受け取り、そのまま奥の席に座った次の客へ向かう。

この店はそれなりに繁盛しているようで、さっきからひっきりなしに大勢の人が出たり入ったりしている。


これは期待できそうだ!


佳奈は目の前にある皿にあらためて向き直り、スプーンを手に取る。


それはまさにカレーであった。一枚の少し深くなった皿の上に、さらさらと水っぽい明るいブラウンのカレースープが並々と注がれ、黄色く色付けされたライスが盛られている。

さらに端にはピックルスだろうか? 茶緑色の漬物のようなものまで添えられている。

スープの中にゴロゴロと大きな鳥肉の塊がたっぷりと転がっているところなどはワクワクしてしまう。

ライスは日本のコメとは少し形状が違っていて長細い形をしているので、恐らくインディカ米であろうと察せられた。それでも、もう何年も食べていない米料理とくれば今の佳奈が期待に胸を膨らますに十分であった。


佳奈は思わず溢れ出そうになったよだれを口の中でごくりと飲み込みつつ、両手を目の前に合わせ「戴きます。」と小さく声に出す。

自分が日本人であることを忘れぬための小さな儀式のようなものだ。


それからおもむろに脇に添えられた木製のスプーンを手に取り、ルーを掬って口の中に運んだ。


そのお味の方は……。


口の中に広がる香味は日本のカレーとは違うものの、エスニックなカレーそのもので……


カレーのような味そのもので……


カレーっぽい味のするナニかで……


あれ? カレー?


カレーっぽいけど、カレーみたいな味がするけど……




なにこれ……。


全然辛くないんだけど……。




そう、そのカレーもどきは辛味だけが一切抜けていた。お子様向けの何とかカレーと比べるにしても、あからさまに辛味だけが全く感じられなかった。


佳奈はそれでも頑張って二口、三口と口に入れてから手を止めた。




おいしいんだけど、すごくおいしいんだけど……




なんかちがーうっ!!! ちがーうっ!!! ちがーうっ!!!





心の声による絶叫が、佳奈の中でおおきく何度も木霊した。






「なんだいいんちょ。ヘンな顔してるな。」


がっくりとうなだれる佳奈に対して声を掛けるものがいる。


ハッとなった佳奈が顔を上げると、そこにはニヤリと笑う浩二がいた。



■補足

佳奈ちゃんは「場所」に生きる人です。

故郷に帰りたい一心で毎日必死になって魔王軍と戦っています。

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