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そんなことよりカレーが食べたい。  作者: すけさん
第一章 始まりのクミン
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 3

さて、ラッツェルの通訳を通じての料理長タガルとのたどたどしい会話の中で分かったことは以下のようなものであった。


1.このクミンと思しきスパイスは現地では『タルナ』と呼ばれており、大変珍しいものであること。

2.このスパイスはこの国では流通しておらず、わざわざ遠い異国の地から取り寄せて使っているものだということ。

3.この国ではほとんど使われることのない極めて特殊なスパイスだが、異世界、とくにニホーンから来る転移者達をもてなす際にこれを使うとみな喜んで食べてくれるので、わざわざ国を挙げて貴重な香辛料を高値で取り寄せていること。

4.『タルナ』は王家御用達の商会が取り扱っており、料理長もラッツェルもはっきりとは知らないが北方の温かい地域で採れるものを複数の国をまたいで輸入しているようだということ。


ラッツェルがわざと嘘をついたり誤魔化したりしている部分もあると考えられる中で、信用度の高そうな情報だけを抜き出すとだいたいこんな感じとなる。

事情を聴きながらも、浩二は自らが置かれている状況を理解しほくそ笑んだ。


まずは『1.』。

この世界ではクミンを「クミン」と呼ばないという事は、転移・転生した地球人たちがまだこの世界で「クミン」を発掘していない可能性が高いという事が分かる。

クミンは学術名でもあり世界共通だが、例えばインドでは「ジーラ」と呼ばれているし、和名は「馬芹うまぜり」などと呼称されている。原産である地中海沿岸の国々ではもともと「カムム」だとか「カモモン」などと呼ばれていたものがヨーロッパで訛って「クミン」や「キュミン」と呼ばれるようになった。

だが少なくとも「タルナ」などといった呼び名は地球では終ぞ耳にしたことがない。

遠い異国の地でなんと呼ばれている分からないこのスパイスがこの国に輸入される過程で呼び名が変化したとしても「クミン」や「ジーラ」、「カモモン」が「タルナ」へと変化するような言語変化は考えづらい。


つまりは「タルナ」は異世界でのオリジナルな呼称となり、地球人がこのスパイスに動的に関わっていない可能性が高い事を示している。

ということは、この世界には「カレー」がまだ生み出されていない可能性が高いのだ。


その上で『2.』。

この「タルナ」というスパイスはこのあたりでは栽培されていないスパイスであることから、この王国がクミンの育成に不向きな土地柄である事が察せられる。

クミンはそれなりに栽培地域を選ぶ植物なのだ。暑さに弱いが寒すぎるのもダメで、多湿な環境も好まない。地中海発祥のこのセリ科の植物は条件さえ合えばすくすく育ち3~4か月で収穫できるのだが、少しでも問題があると途端にまともに育たなくなってしまう。なるべく赤道に近い、温暖かつ乾燥した土地柄でしか育たない植物なのだ。

正直、日本では栽培が少々難しいスパイスだったりする。


そしてこの王国もまた栽培が難しい土地であるという事は、恐らくこの国は赤道からかなり離れた土地なのではないかという事情が察せられる。

これはとても大切な情報だ。というのも、クミンが育たないような土地であれば、他のカレーに必要なスパイス、例えばブラックペッパーだのシナモンだのクローブだのといった重要な香辛料も当然育たない。

つまりカレーを作ろうと思ったら、こんな国にいつまでも在住していてもお先真っ暗なのである。


そして『3.』。この世界がすでに何度も地球人、それも特に日本人を異世界召喚しているだろうことは、最初の大広間に転移させられた時点でおおよそ想像がついていた。

王女と思しき金髪の女も、周囲を取り巻く騎士や貴族たちも、妙に場慣れしている雰囲気があったからだ。

その上でさらに、日本語をわざわざ学習している事情から、恐らく日本人を集中的に召喚している国である事もぼんやりとだが察せられる。

彼らは確信犯的に日本人を定期的に大量召喚し、戦争だか政治だか研究だか下らない理由に消費し続ける文化を持っているのだろう。


そんな彼らがもてなしの料理に「クミン」を使ってきたという事実が浩二の心に重くのしかかる。日本人を喜ばすにあまりに安っぽい食材だからだ。

別に米を出してこいとは言わない。米の栽培はそれなりに技術や経験が必要だし、土地が合わなければうまく育たない可能性も高い。

味噌・醤油はハナから諦めている。あれらはとても作るのが難しいのだ。

魚醤や肉醤くらいは出してくるかなと思ったが、発酵食品は難易度が高いのでまあ用意がなくても仕方がない。


だがまさかのクミン料理とは。ここにターメリックの一つもあれば一気にカレーに味が近づくのに、それだけで多くの日本人の心を鷲づかみに出来るのに、恐らくこの国にはそれがないのだ。

だからお為ごかしと言わんばかりにクミンだけでそれらしい味付けをして日本からやってきた異世界人をもてなすのだ。

これはいったいどういう事だろう? 


日本人がこの国に定着すれば食にこだわりを持つものも出てくるだろうから、少しでも知識のあるものならばターメリックやコリアンダーも取り寄せるように王国に働きかけて然るべきはずだ。

だがそれが行われていないと見受けられる。という事はつまり、召喚された日本人は使い潰されて、5年後生存率0%といった悲惨な状況が考えられる。


だがもっと悲惨な可能性がある。それはこの世界から多くのスパイスがすでに失われてしまった可能性である。

正直、カルダモン辺りは浩二としても早々に諦めている。あのスパイスは極めて限定的な条件を揃えた特別な一部地域でしか育てることが叶わないのだ。

この世界の植物分布がどのように設計、構築されたか分からないが、ちゃんと熱帯地方の然るべき条件がそろった場所にまとまって自生してくれなければ、食物連鎖の厳しい自然界の掟の端に追いやられ、カルダモンのような難しい植物は早々に絶滅してしまっていることだろう。

お菓子を嗜む人ならばバニラなんかも同じ理由で諦めてもらった方がいい。あれも育成条件が恐ろしくシビアな大変難しい植物なのである。

自家受粉出来ないサフランを含め、世界三大高額香辛料サフラン・バニラ・カルダモンはいずれも三大高難易育成度植物であるのだ。こいつらはどの異世界に行ってもまず死滅していると考えてよいのである。


だが、ターメリックやコリアンダーは違う。これらのスパイスは比較的条件を選ばずにどこでも育つ。日本でも育てられる。正直クミンよりよっぽと簡単なスパイスなのだ。おそらくこの国でも地域によっては充分に育つんじゃないだろうか?

これらが流通で入ってこないとなると、まともに育成もされておらず原野の片隅で細々と自生しているか、最悪気候変動に巻き込まれて死滅している可能性すら疑われる。


こうしてはおれない! 今すぐ温かい地域に向かって現地のスパイス事情を確かめねば!


そして『4.』。

なるほど北に行けば温かくなり、より多くのスパイスが手に入るのだな!?

どうやらこの国は南半球にあるらしい。そしてちゃんと球状の大地を持ち、赤道に近づけばちゃんと気温が高くなるらしい。

地球型に類する立地条件を備えている! これがのっぺりとしたお盆型の大地を象が支えているような天動説的平面世界であったなら目も当てられないところだった。

天動説によって支えられる平面型の大地は緯度の差による気候の違いを生み出しづらく、仮にこの王国のような冷淡な気候が標準であったとするならば、熱帯・亜熱帯に生息する多くの植物が絶滅している恐れがあったからだ。


だいたいの状況は把握した。

なれば話は簡単だ。

今すぐこの地を出発し、スパイスあふるる熱帯地域を目指さねばならない。


この王国はどうにもきな臭い。いきなり人を召喚する不躾さもさることながら、出された料理に異世界人への気遣いは殆ど感じられぬし、調理場の様子やラッツェルの料理人に対する振る舞いなどを見ても中世然としており文明レベルが低すぎる。


こんな場所からはとっとと逃げ出すのが一番良い!


浩二はいてもたってもいられなくなり、駆け足になって勝手口の扉を目指す。


どこの世界のどんな国でも調理場というものは、水の確保と火の管理、食材の搬入とゴミ捨ての4つを全てまかなうため家屋の1階の端に造られまた、外への出入口を分かりやすい場所に設けているものだ。

そうではない場所に調理場が作られるようになった地球という世界は、それだけでとても高度な科学文明を有しているのだ。

この国にそんな文明があるはずもない事はすでに分かっているのだから、浩二は何の不安もなく扉を開け外へと飛び出す。


思った通り、料理場の先は日の影になる北向きの庭があり、水汲み場などの向こうには城壁の根元に、外へ向かう門のようなものまで一直線に見渡せた。

そのまま駆けるようにして門へと向かう。


背後から怒声が聞こえる。さらにはどたどたと何人かが追いかけてきた。

浩二の突然の行動に理解がすぐには追いつかなかった彼らだったが、どうやら浩二が逃げ出そうとしてる事実に遅まきながら気付いたのだ。


だがもう充分な距離を稼いだ。

奴らの足の遅さから、もう追いつかれることはない。何やら魔法めいた力などを用いたすごい速度で浩二を追いかけてくるものがいる心配があったが、どうやらそのような特別な力を持った人間はあの場にいなかったようだ。


ならば浩二は並の人間相手にかけっこで負ける要素は一つもない。

こんなこともあろうかと、浩二は普段から毎日身体を鍛えていたのだ。



叔父の与太話を父母を始めとした親戚一同は誰も信じなかったが、浩二だけは信じた。

だから対抗するための準備を浩二は怠らなかった。

毎日トレーニングを欠かさず、異世界でのサバイバル生活が苦にならぬよう研鑽を続け、あらゆる対策を叔父とともに講じてきた。


クラスのみんなを始めとする大勢が浩二と距離を置いた。

「何を考えているか分からない変人」「謎の敵と一人で戦っている中二野郎」「自分勝手で話の通じない大バカ」

子供のころから浩二にむけられた多くの侮蔑の言葉は、浩二にとっては何一つ響かなかった。


だって浩二は知っているのだ。

異世界人がいかに身勝手に日本人を召喚し、勝手な目的を押し付け、使えないと分かればいかに残虐に我々を殺すのかを。


そんな奴らの都合に付き合ってやる必要は一切ない。

奴らに召喚される不運は事故のようなものだが、そこから先はこちらの準備と心構え次第でいくらでもやりようがある。


奴らに主導権を握らせるな!

逆にこちらの都合を押し付けてやれ!

やられるまえにやれ!


それが今まさにこの状況だ。

おかげさまで、理不尽で身勝手な奴らの面倒に巻き込まれるよりも前に、上手く立ち回って逃げ出すことに成功した。


後はとことん逃げ延びて、奴らとは一生関わりのない場所に生活基盤を築き上げるのだ。

地球へ戻る算段を考えるのはその後でいい。


最悪この異世界に一生骨をうずめる覚悟だってできている。


何故なら浩二はとっくに決めていたのだ。


もし自分が万一、叔父と同じように異世界に連れさられたらどうするべきか?

叔父と何度も話し合い、様々な文献を読み漁り、幼いころから考えに考え、浩二はもうすでに結論を出しているのだ。



人が生きるのに必要なものは千差万別、それこそ人それぞれだ。

だが大概において大きく三つの傾向に分かれると言われている。


一つは人。人を求める人たち。

どんな場所でも、どんな時でも、自らが自らでいられるのに欠かせぬ人がそばにいてくれればやっていけるものたち。愛するもの、信頼するもの、心を許せるもの、あるいは時に憎むもの。誰でもよい、その者さえいれば生きて行ける人々。

彼らにとって異世界転移は運命ガチャのようなものである。大切な誰かが隣にいてくれれば、その転移はとても幸せな転移となり得る。

けれども彼の人を地球に残すような転移が行われた瞬間に、この召喚は悲劇しか生み出さない結末を迎えるだろう。


一つは場所。場所に生きるものたち。

誰がいようと、どんな時だろうと、あなたがあなたでいられるための場所さえあれば生きていける人々。故郷をこよなく愛するものたち。

このようなもの達にとって、異世界転移はそもそもの最初から悲劇しか生まない。どんな苦難が待ち受けようとも、このもの達は自らの場所へ戻るための努力を惜しまないだろう。

ただ一つ、万に一つの可能性ではあるが、異世界そのものに自分の居場所を見つけることが出来た場合に限り、このものは異世界において十全の力を発揮することとなるだろう。

正直、異世界転移、異世界転生ともっとも相性の悪い気質の人々であると言える。


一つは時。時間を大切にする人びと。

例えば本やゲームに熱中している時間、ぼおっと考え事をしている時間、カッコいい自分に酔いしれている時間、あるいはただただ寝ているだけの時間。

どんな時間が必要かはそれこそ人の数だけ無数にあるが、これらの時間が得られなくなれば彼らは即座に死ぬ。その魂が死ぬ。

このような時間を愛する者たちは異世界においてもっとも生存しやすい気質の持ち主といえるだろう。

なにせ場所も人も選ばないのだ。彼らが自らでいられるための特別な時間が確保できればよいのだ。

だから不慮の事故により異世界に転移・転生するような面倒が起きたとしても、真っ先に自らの時間を手に入れる努力をすればよい。そうすれば異世界でも生きて行ける。


そして浩二。

幼いころに叔父の薫陶を受けた浩二は、物心がついた初めからずっと自分が何を欲しているのかを自問自答し続けてきた。

異世界の事は別としても、自分の望みを若いうちから理解しておくことは必ず将来の役に立つとそう叔父に諭されていたからだ。

無邪気だった小学生時代を過ぎ、勘違いや暴走しまくって恥ずかしい思い出ばかりの中学生時代を超え、高校生となった今ははっきりと答えを思い浮かべることが出来る。


浩二は時間を大切にする人間だ。

浩二は自分が自分でいられるための時間があれば充分な人間だ。


浩二にとっての時間。それはカレーであった。


カレーを作り、カレーを食べ、カレーを調べ、カレーの為に生きる。

どんな場所でもいい。隣に誰がいようと構わない。

ただただとにかくカレーが隣にあればよい。


例え遠く離れた異世界においても、それさえあれば生きていける。



そしてカレーに至る偉大なる第一歩、クミンが今浩二の手のうちにある。

地球とあまりに異なる植生を持つ世界であったら初めから叶わぬ望みとなっていたところが、カレーにおいてもっとも大切なスパイスがこうして流通していることが最初に分かった。


この世界でカレーは作れる!

ならばこの賭けにオレは勝った!


「ははははは!」自然と笑い声が漏れ出てくる。


背中に迫る衛兵どもの怒鳴り声も今の浩二には心地よい。


だれが貴様らなどに捕まってやるものか! 貴様らの我がままに付き合っていてはいつまでたってもカレーが食えぬではないか!



言葉も通じぬ見知らぬ異世界の地で、浩二は軽やかに踊るように城門を駆け抜けた。


浩二の手の中には、料理長から奪い取った一握りのクミンがあった。



■補足

人、場所、時間は一つだけでなく二つ必要とする場合もあるでしょう。

例えば、場所と時間の両方が大事な人とか、時間と人の両方がないと生きていけない人とか。

厳密にいえば3つ全部必要といえば必要でしょうが、特にどれが重要かは人それぞれ、という話です。

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