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大きな食堂の長いテーブルにどっしりと腰を下ろした浩二は、出された料理を端から順に平らげていたが、ある料理を口にしたとたんに表情が変わった。
「シェフ! シェフはどこか!」
浩二は椅子を弾き飛ばすように立ち上がり、声を張り上げた。
それはなんてことのない肉料理に見える。ただし何やらスパイスのようなものがたっぷりとふりかかっている。
「なにかございましたかな? イタミ様。」脇に控えた初老の男性がそばに寄り、浩二に声を掛けてくる。
「この料理についていくつか質問したいのだ。きみ、すぐに料理人を呼んでくれたまえ。」浩二がそう言葉を返す。初老の男性は眉を上げて大仰に驚いてみせる。だがそれだけだった。男性は沈黙したまま、何も返事をしない。
「……どうしたのだ? ご老人。私はシェフを呼ぶようにお願いしているのだが。」訝し気な様子になった浩二が言葉を重ねる。
「恐れながらイタミ様。料理人達は卑しき身分にございますれば、勇者様方とお引き合わせすることは適いませぬ。お話ならばこのメイヤー・ド・ラッツェルが伺いましょう。」
浩二は「ふふん」と鼻を鳴らした。
「飯を作るものが卑しいなどとは随分と前時代的な話だな。お里が知れるぞ、ラッツェルよ。だがまあいい。」ここで一呼吸置くと、浩二はラッツェルを正面から見据える。「この肉にふりかかってるスパイスについて知りたいのだ。これはクミンだな? どこで手に入れた? 栽培しているのか? それとも貿易で仕入れたのか? 一般的な食材なのか? 珍しいのか? 価格はいくらなのだ? 市場で売っているものか? どんなふうに調理している? 他にどんなスパイスがある?」
食い入るようににじり寄り矢継ぎ早に質問を投げかける浩二に対して、ラッツェルは再び沈黙となった。けれどもその様相は先ほどとは違い、単純に何を言っているのか分からないという困惑した表情であった。
「どうした? お前が答えてくれるのだろう? 教えろ。この肉にふりかかっているスパイスについて、貴様が知っていることをすべて話せ。」
ラッツェルは弱々しく首を横に振った。それからようようのていで「……知りませぬ。」とだけ言葉を発した。
「貴様。論外だな。」浩二はそのままくるりと振り返り「まあいい。シェフに直接聞く。」そう大声を上げつつつもずかずかと廊下に向かって歩き出した。
くんくんと鼻を鳴らすようにしてきょろきょろと辺りを見渡し、「うむ」と一言大きく頷いて、そのまま速足で歩を進める浩二。
「お、お待ちくだされ!」しばしの間唖然となっていたラッツェルだったが、浩二の背中が扉の向こうへ消えようとする直前で我に返り、慌ててその後ろを追いかける。
浩二がその驚くべき嗅覚で探り当て、乗り込んだ先は城の厨房であった。
ガタイのいい大男が中央で仁王立ちになり、あちこちに檄を飛ばしている。周囲では何人もの男達がせわしなく動き、あるものは鉄鍋を激しく振り、あるものは皿の上に野菜を飾り付け、あるものはオーブンの中を真剣な目つきでじっくりと睨みつけている。
まさに料理人の戦場ともいうべき場所であった。
そんな中へ浩二は何の遠慮もなく立ち入ると、大男に向かって声を張り上げた。
「料理長! 話を聞かせてくれ! 先ほどの肉料理だ! スパイスの事だ!」
振り返る大男の口から飛び出たのは、浩二の知らぬ言語による罵声であった。
「〇×△! □■〇!! ××▲□□!!!」
浩二は少しだけ眉をひそめた。ラッツェルとの間で日本語による会話が成立していたため、てっきりこの大男とも日本語でコミュニケーションが取れるものかと考えていたのだ。
だがどうやら違うらしい。
大男はおおよそ浩二が聞いた事もない不思議なイントネーションの言語を操り、顔を真っ赤にして怒鳴りつけてくる。これは想定外だった。
浩二はクラスメイトからやれ「空気が読めない」だの「状況を理解しない」だのと悪し様に言われることも多く、自分でもその通りだとの自覚はある。
だが、こと今この瞬間に限っては浩二は自分が一番状況を理解しているという自負があったのだ。
なにせ浩二は『異世界転移』について知っている。
浩二にはとても仲の良い叔父が一人いるのだが、この叔父は若いころに数日ほど失踪し、戻ってきたときにはまるで別人のようになってしまったと聞いている。
浩二自身は変わってしまった後の今の叔父しか知らないからピンとこないのだが、失踪前の叔父はもっと快活で面白い男だったらしい。
奴らがつくりかえたのだ。叔父の心と身体をめちゃくちゃにしやがったのだ。
『異世界転移』によって。
浩二は叔父が大好きだ。そんな浩二を叔父も随分と可愛がってくれ、自らの身に起きた不幸を包み隠さず明かしてくれたから、浩二は全てを知っているのだ。
だから、通常ならば転移の際に勝手に脳や体を弄られ、謎の能力やらステータスやら翻訳機能やらを植え付けられてしまったものだと考えていたのだ。
そんなわけで「どうせ翻訳も勝手に植え付けられたのだろう」と考え料理人に話しかけてみたのだが、返ってきたのは明らかに言語体系の違う見知らぬ国の言葉による罵声であった。
どうやらこれは、浩二の知っている『異世界転移』とは少しばかり事情が違うらしい。
さてどうしたものかと浩二が考え込む間に、ラッツェルが追いつき、息を切らせながらも間に割って入ってきた。
ラッツェルの姿を見た料理人は途端にかしこまり、真っ青な顔になりながらもあれこれと言い訳のようなものを喚き始めた。
「■□●!! 〇×▲!!」
対するラッツェルも、厳しい表情で異国の言葉による返事をする。
「〇〇××△。■●×。」
ぼんやりとそのやり取りを眺める浩二。言葉の意味はさっぱり分からないが、身振り手振りや表情を見ているだけでも色んな情報が汲み取れる。
どうやらラッツェルはとてもエライ地位の人間のようで、料理長らしき大男は最大限に気を使っている様子だし、背後で作業をしていた大勢の料理人たちも全員が手を止めて、直立不動になり固まったように動かない。
ラッツェルの背後に控える騎士やら侍女やらも固唾をのんで見守っている。
横柄な態度で言葉を交わすラッツェル。そのラッツェルは先ほどまで流暢な日本語を操っていた。あれが翻訳の加護や魔法によるものではないとしたら、彼や王女は実際に日本語を学んでいるのだと察せられる。
これは裏を返せば、この国で『日本語』という異世界の言語を学ぶには、それなりの地位や立場にある特別な人間だけであると言える。
一握りの人間がわざわざ日本語を学習してまで日本人を召喚している異世界。これはかなり異常な状況だ。
江戸時代の日本がわざわざオランダ語やポルトガル語を覚えてまで長崎にかの国の人間を呼びつけていたのと同等の状況といえば、その特異さが伺い知れるのではないだろうか。
どうやら色々と込み入った事情がありそうだと、浩二は心の警戒レベルを一つ上げた。
程なくしてラッツェルと料理人の大男のやりとりが落ち着いた。
「……料理長のタガルと話がつきましたぞ。簡単な質問であればわたくしめが通訳いたしましょう。イタミどのは何を知りたいのですかな?」
ラッツェルが嫌そうな顔のまま、浩二にそう話しかけてくる。料理長タガルも訝しげな様子で浩二をジロジロと睨んでくる。
「ふむ。そうだな……」浩二はそんな二人の様相に目を細めつつ、ニヤリと一つ笑ってみせた。