アーサーと辺境の領主 6
薄暗い室内へ出窓から光が降り注ぐ。
窓枠へ腰を下ろして、書籍の頁を捲る主人…。
いい…。スゴクいい…。美男子が本を読んでいるだけでもごっつぁんですっ!なぁーのぉーにぃっー!
さらに、窓から差しこむ柔らかい光が演出に磨きをかけている。ちょっと足を投げだして気怠げな雰囲気を醸しだしている主人に敵はいない。
一筋落ちた長めの前髪がさりげなく睫毛にかかり、細い指で耳にかける。現れた漆黒の冴え冴えとした眼差しは夜空を照らす月光を宿しているようだ。
主人がこの世で一番の美丈夫です!何なら食べ…。ゴホッゴホッごっほんっっ…。癒されます!目の保養でございます。
今ここにパーシヴァルがいたら、天へ召されていたに違いない。この重厚感ある佇まいの図書室が血の海になっていただろう。
血の海…。それは、パーシヴァルが主人にめった打にされた残骸、プラス、パーシヴァルの鼻から自然に流れた大量の出血だ。
いなくて良かったです。領主宅が殺人現場になることがなくて…。
パーシヴァルは所用があるとかで図書室へは付き添わなかった。
「俺、茶はいいやぁ…。悪いけど、俺の分の菓子は包んでくれないか?」
甘いものが苦手なパーシヴァルは早々に主人とのお茶会を辞退した。
いつもならお菓子を食べなくても、主人の近くで見守っているのだが何故だろう…。
主人に無用なちょっかいをだして、撃沈するのだが…。
「貴方ならそう言うと思いまして…。既に準備しております。多めに入れて置きましたよ」
あらかじめ、ケイはパーシヴァルの行動を予測していたようだった。
「ありがとよっ!って、ケイ…。その言葉使い気持ち悪い…。やめてくれっ」
「…。お客様の御前ですからね」
この二人は昔馴染みなのか、信頼関係が成立ようだ。二人の間を漂う空気が物語る。
しかし、パーシヴァルとケイ、二人の傍らには私しかいない…。人にはただの犬にしかみえない私までも客として扱ってくれるなんて、執事のなかの執事だ。
「一匹しかいないだろう?気にすることはないって…。なぁ、クロ?」
『だから…。マーリンですって…』
段々、否定するのも虚しくなってきた。
パーシヴァルの言葉にケイは首を横に振る。
「…。ただの犬ではありませんよね。ブラックドッグですか…。この類の精霊は人間の会話を理解していらっしゃるのだとか…。ならば、それは無理ですね」
『ケイさん…。あなどれませんね。凄腕の執事です。私を一目見て、精霊と判別するとは…』
パーシヴァルはケイの肩へ腕を回す。
「相変わらず、硬いやつだな…」
「貴方が柔らかすぎるんです。脳みそがカスカスなのではないですか?」
パーシヴァルの腕を嫌そうに払いのけて、ケイは抗議した。
『何でしょう…。私と同等…。それ以上にパーシヴァルに対しての態度が硬化的な…』
物言いが厳しいのは気心知れた間柄だからかもしれない。
…。
あっ…。私は違いますよ!敵意剥き出しでいつもパーシヴァルへ物申していますからね…。
「…」
パーシヴァルは寂しそうに無言のままケイを見つめる。
「はいっ…。目で訴えないでください。人数分用意してますから…。院長によろしくお伝えくださいね」
んっ?院長…。誰ですか?それ?
パーシヴァルはため息を吐くと、ケイから菓子が入っているだろう袋を預かった。
『マーリン…。そこで何してる?美味しいぞ、このシロップ漬け食べないのか?』
少し離れた長椅子で寛ぎながら、ル・レクチェのシロップ漬けが添えられたパウンドケーキを頬張っている主人…。
私へ向かって、パウンドケーキにル•レクチェをのせて勧めてくる。
初めての訪問で寛ぎすぎです…。さすが、王弟殿下だっただけありますね…。物怖じすることをご存知ない…。
主人の動作を見て、ケイは眼鏡の鼻にかけられた部分を指一本で持ちあげる。眼鏡越しに目が光った。
「アーサー様…。犬に洋梨を与えるのは大丈夫ですが…。何分、それはシロップに漬けておりますので糖分が多く含まれております。食べされるのは控えた方が宜しいかと…」
主人の所作から、私にお菓子を食べさせようとしていることを推測したのだろう。
部屋へ案内する途中、一瞬、フードから覗いた主人の冷気を纏う眼差しに洗礼を受けたケイだったが、落ち着きを取り戻し、主人に対して敬意を表している。
主人と相見えたものは膝から崩れるほどの恐怖に襲われ、しばらくは立ち上がれない。すぐに主人へ丁寧な接客を再開したケイ…。多分、只者ではない…。
『えっ?ケイさん?私をブラックドッグと認識してましたよね?今更、犬扱いですか?食べれますって…。私はパーシヴァルと違って、甘いものが大好きなんですよ。私はブラックドッグですからね』
私の言葉は届かない。ケイは私を見下ろして、得意そうに含み笑いした。
『何なんですか?そのドヤ顔?』
犬の常識を私に当てはめないでいただきたい。
『これぐらいでいいかな?今日はここに泊まるんだっけ?これから、ゆっくり過ごして…。明日、本を送るか…』
私は主人の足元で伏せて待機をしていたのが、室内の暖かさに包まれて、うたた寝をしていたようだ。主人の独り言に首をあげた。
机の上には何冊もの本が重ねられ高々に積みあげられていた。
アルムの山小屋には山羊小屋が併設されている。寒さには強くても雪には弱いヤギたちのために人が住むところと同じほど、アルムは立派な造りの小屋を建てていた。
その一角を借りて、旅に出る前、たくさんの本を借りるつもりの主人の意向を汲み、私は地面へ魔法陣を描いた。転移魔法で本を持ち帰れるからだ。アルムはヤギが踏み荒らさないよう、木で囲いを作ってくれた。
こちらへも魔法陣を施せば、帰りは転移魔法が可能なのだが、主人はもちろん、パーシヴァルも旅をするのは苦でないようで、どちらかといえば楽しみにしているところがあり、私も、スカーレットまで移動させるだけの大きな魔法陣を口で咥えた棒で描くのは、出来なくはないが至難の業なので、二人と一匹、一頭に関しては転移魔法は使わない。
主人は寝惚けまなこな私の毛並みを手櫛でとく。主人の指先が柔らかく気持ちいい。
『ところで、パーシィーはどこに行ったか分かるか?』
『パーシヴァルですか?』
私は鼻先を主人に向けた。私の首元を両手で挟んで、主人は顔を近づける。
おっと…。主人…。ドギマギしていますよ?私…。
主人にとって私は愛玩精霊といったところなのだろう。鼻と鼻を重ねて、更に問う。
『何だか、コソコソと出かけていただろう?』
くぅー!犬扱いでもいいぃ…。恐悦至極に存じます‼︎
『気になるのですか…』
私は平常心を装いながら、心の声をひたすら隠す。
『んっ?まぁな…。アイツがオレを置いて、出かけるなんて珍しくないか?』
『かまってちゃんですしね…』
『で…。魔法で追跡出来ないのか?』
何故か、主人はパーシヴァルのことが気になるようだ。あれだけ大柄の体格が視界から見えなくなって違和感を感じているのかもしれない…。
私はそう思いたい…。
『魔法を使わなくとも…。鼻で分かりますよ。ル•レクチェを持っていたでしょう?この邸宅外の匂いを辿ればすぐに見つかります…』
それとも、読書に飽きたのかもしれない…。
数ヶ月前までは怠惰で無気力だった主人、今では常に活動的な人間だ。もともと、活発な性格だったのだろうから、元に戻っただけなのかもしれない。
『じゃあ、探索に行くか?』
私は主人に促されて頷くのだった。