アーサーと辺境の領主 3
ケリドンの森…。
アラクネが棲みついている森である。
アラクネとは上半身が人の女性の姿をした蜘蛛の魔物だ。
今は繁殖期でもなく、冬のため、まず遭遇する心配はないとパーシヴァルは説明した。
「ここの森は領主が管理していて、春から秋にかけて立入禁止になる。人間の男が繁殖期に迷ってはいると、ただの餌でなくて、番に選ばれて襲われたあと喰われたりもする。不思議なことにアラクネはこの森から出てくることはないから、領地の騎士の他、傭兵とかも雇われて、繁殖期は森へ入るのを規制するんだが…。傭兵の中にはアラクネの糸を目的で入る愚かもんがいるんだな。まぁ、十中八九喰われる…。冬は規制もないが、深雪であったり、迷って遭難することが多々あるので、この森は年中、誰も近づかないんだ」
冷たい風に吹きつけられたのであろう、樹木へ霧氷が凍りつき、木々たちは白い花が咲いているかのように華美な立ち姿を見せてくれる。
『その愚かな傭兵の一人ってお前なの?食べられなくて良かったな…』
木の根が土から盛り上がって起伏が激しい道なき道を飛び跳ねながら、主人はパーシヴァルへ質問する。
木の下は積雪が少ないが障害物が多い。人の行き来の少ないこの森は道なき道がほとんどで、積雪で根が見え辛く、出来る限り、平坦な道をスカーレットに譲る紳士な主人。
騎乗しているためパーシヴァルは主人を見下ろす。そして、問いかけたこととは全く関係ない答えを主人へ返した。
「うんうん、兄弟のような男前はやられるぞぉ!絶対、繁殖期には近づくなよ!」
この状況で筆談はできない。主人は内容をより細やかに説明しながら同じことを訊いた。
『いやいや、アラクネの糸って高価だろ?そこまでこの森に詳しいってことは、お前も採取に来たんだろなって思って…』
パーシヴァルは再び誤った答えを導いた。
「俺?そうだよなぁ…。俺もイケメンだから、番にされちゃうかもなぁ…。美女に襲われるのは構わないけど…。アラクネって美女が多いんだよ。でも、喰われちゃうのはなぁ…。勘弁だわ」
主人は諦めたようだ。パーシヴァルへ頷きながら告げた。
『そうだな。相手に上限の年齢制限がないのは知っていたが…。種別を超えて魔物でも、お前は平気なんだな…』
「うんうん、そうなんだよなぁ」
パーシヴァルは相槌を打った。
私は憐れな眼差しをパーシヴァルへ送った。
「パーシィー⁉︎」
我々の頭上から声が振る。
パーシヴァルは手綱をギュッと握り、スカーレットへ足を止めるように指示した。
スカーレットが完全に立ち止まるまでに、声をかけられた場所から距離が空く。
「アラク?」
パーシヴァルは誰だか分かったようだ。
「久しぶりだな?」
声の主はかなり離れた場所でスカーレットが停止したにも関わらず、すぐ真上の枝から飛び降りてくる。
色彩の鮮やかな瞳、光の加減で安定する色が異なるようだ。今は紅玉のような眼差しをしている。美しい青年のような男。白い肌から浮かぶその目は人ならざるもの…。綺麗な黒髪は主人と同じように艶めいていた。ただ、アラクは長い髪の毛先を腰で揺らしていた。
『マーリン?』
主人が私の様子に勘付いた。私は臨戦態勢をとった。
『人間ではありませんよ。アラクネと同じ匂いがします』
『そうだな…。けど、パーシィーが警戒していない』
主人もアラクが人間ではないことを悟ったようだ。
『パーシヴァルが魔物であることに気づいてないのでは?』
『そこまで愚かではないだろ』
パーシヴァルは彼へかけた最初の一声から無言のままであった。私たちの視線に気づいて動揺を隠しながらも彼を紹介する。
「あっ…。久々で驚いてしまって…。すまんすまん。こちらは友達のアラク、アラクネなんだ。珍しく雄の個体だから、人と間違えてしまうけど、こう見えて魔物だから…」
パーシヴァル…。確かその口で冬はアラクネに遭遇しないと仰ってましたよね?
アラクネの雄の個体が成人しているとは奇跡に近い。アラクネは雌の子を産む。雄が全く産まれないわけではないが、虚弱なので赤児のうちに弱って死んでしまう。
「それは…。気づいているみたいだけど…」
アラクは私へ笑みをこぼす。
この方…。主人ほどではないですけど…。美丈夫でいらっしゃる…。
「そうなの?あっ!でっ…。こっちはアーサーとクロ。俺の親友。クロは命の恩人でもあるんだ」
いつから、主人と私はパーシヴァルの親友になったのだろう…。否、違う…。
「へぇ…。よろしく」
『あぁ…宜しく』
しばらく沈黙が続き、パーシヴァルが慌ててアラクへ釈明をした。
「あっ…。アーサーは話せないから…。無視しているわけではないぞ」
「大丈夫…。普通、オレがアラクネって聞いたら、こんな反応ではないから…。まぁ、オレのことを友達って紹介するお前も珍しいけどな」
「何だよ?いつも糸くれるだろう?友達だからじゃないのか?」
「オレの正体を知ってて、お前がこんなだからだろ?糸ぐらいすぐ吐けるんだ。いつでも分けてやるよ」
なるほど…。
西の魔女が言っていた。パーシヴァルがアラクネの糸を採取してきたと…。
「なっ?いい奴だろ?」
パーシヴァルは頭を掻きながら主人へ同意を求めた。
『…そうだな』
主人の言葉はパーシヴァルに届かない。パーシヴァルは不安そうに主人を見つめる。
「ところで…君…。いいね…」
微妙な空気の中、次に口を開いたのはアラクだった。主人に熱視線を向けている。
『何がだ?』
「オレの番になってくれない?」
『「なーーーーにーーーーをーーーー⁉︎」』
「前言撤回‼︎お前‼︎いい奴じゃない⁉︎アーサーを喰う気か?確かにコイツの美貌は相当だけど!オレの親友を喰うなんて許さんぞ!」
パーシヴァルが本気で怒っているのを見るのは初めてだ。殺気が滲みでており、腰に帯刀していた剣の柄へと手を置く。
だが、パーシヴァルの実力では勝てないないだろう。人として戦闘能力は優れているパーシヴァルなのだが、アラクネの雄の個体は魔物の中でも著しく屈強だ。再生能力も秀でている。
それはパーシヴァルも対峙して気づいているのだろうが、引き下がることはしなかった。
「違う…違う…。オレさ。大昔、育ての親に人との間に子を為すなって言われているんだよね。人間の女性ならアラクネの子が産まれるかもしれないから、女性が困るだろ?アラクネなら性交のあと喰われるだろうし…。男相手ならオレの子供は産まれないからさ。寂しんだよな…。独り身」
砕けた口調でアラクは言った。こちらは戦闘する気が更々ないようだ。内容は濃すぎるが…。
「はっ?」
「だって…。だって五百年ご無沙汰なんだぞ。人肌恋しくなるのも仕方なくないか?」
パーシヴァルは先ほどと打って変わり気の毒そうにアラクを眺めた。それでも、主人へ番発言は容認出来ないらしく、首を横へ振る。
主人は目を丸くして驚いている。
『また、年齢に惑わされてらっしゃるのですか?』
主人よりも年下に見える若者は魔物だ。人よりもずっと寿命が長い。
私はあることに思いつき念話で主人へ伝えた。
『それなら、パーシヴァルでも良いではないですか?』
『こらこら…』
私たちの脳内の会話がパーシヴァルに聞こえることはない。
「五百年前に恋人がいたってことか?」
「あぁ…。こんなオレを好いてくれる男がいたんだけど…。何度か関係を持ったら死んだ」
「…」
「性交中にオレの毒にやられたみたいだな…。死んだ後に気づいて泣いたけど…。死んでしまってはどうにもならなかった」
私たちは何を聞かされているんでしょう?アラクの恋愛譚…?
『だから…。オレか?』
主人には毒に耐性がある。不快に思うが、王族は子供の頃から毒に慣らされるらしい。
それに今は私の魔力が循環していることで主人の体内は無毒化が常になされてもいる。
それにアラクは気づいたらしい。
『その気がない…。断る』
主人は胸の前でばつ印を手で作った。
「分かってるよ…。断られるのは…」
残念そうに呟くアラクへ腰を折り謝る。
『悪いな』
いえいえ…。主人、謝る必要がありますか?
それでもアラクは続けた。
「ねぇ?オレと戦わない?オレが勝ったら、恋人になってよ。君みたいな人間に会うなんて二度とない。凄く綺麗な魂で惹かれたんだ」