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アーサーとパーシヴァル 後半

「悪いな。付き合わせて」

 パーシヴァルが私たちに謝る。

 ここは魔女の館から一番近い街だ。

 とは言え、森からは随分と離れている。パーシヴァルの住居がある村の方が近い。

 この街は絵画のように素晴らしい。遠くに見える薄紫に染まっていく夕映えと青々とした山々のコントラストが美しく、山間に流れている雄大な河川の切立った崖の上に建物がひしめいているのだが、整然と建っているので見た目には厳かな街並みだ。

 薄暮れの空色が川面に映っており、鏡に映したように幻想的で感嘆した。

 辺境の土地なので規模は大きくないし、こじんまりとした小綺麗な街である。

 あれから、主人は再び西の魔女の店内に呼び戻され、購入した服を試着した。

 少し袖丈,裾丈を長めに調整することになり、パーシヴァルが街でも買い物をしたいと申し出たので、本日はこの街に泊まり、明日直した服を取りに行くことになった。

『アーサー様と私だけならば、日帰りで帰れましたね。また翌日に改めて出向けば良いことだけですし』

 村までの距離を考慮すると、馬では深夜にたどり着くことになる。夜は初冬とはいえ一段と冷えこみ、比較的治安が良い土地柄ではあるが、山賊の襲撃等危険も伴うため、パーシヴァルの判断で一泊することにしたのだ。

『まぁ、アルムも一日は泊まりになるだろうって言ってたし…。近隣の街の様子も一度見てみたかったから良かったかな』

 主人は何とはなしに答える。

『アルムはまだアーサー様の力量をご存じないですね』

『…自分でもまだ測りかねているよ。幾日か眠りこけていたら、いつの間にか?こうだもんな。大木だって、たった数回斧打ちつけたら倒れるって…。オークだって、無理じゃないんだろうか』

 人よりも大きく力も強いオークは、斧なぞ使わなくとも、素手で木を引き抜きぬけるのだが…。

 主人も簡単に素手使えますよ。何なら力加減で手刀もイケると思います。周りが危険ですけど…。

 パーシヴァルは常に体を張って主人に喧嘩を打っているんだなっと、しみじみ感慨に耽ってしまった。

 人の往来も多くはない街であるが、今は店舗が並んでいる街の中心の市場へ来ている。肩がぶつかり合うという程ではないが、それなりに人手があった。フードを被ったまま腕を組んで主人は辺りを探っている。

 私たちが街へ行くと言いだしたとき、西の魔女は主人へ助言をした。

「アーサーくん、街では顔は隠した方がいいよ。アーサーくんは闇魔法の属性があるよね?」

 主人のは闇の精霊女王の加護であって正確には属性というわけではないのだが、西の魔女は主人から闇魔法を感じとったらしい。

「私は闇魔法に耐性があるし、パーシィーはこんなだから平気だけど」

 パーシヴァルを「こんな」と乱暴に表現するあたりパーシヴァルの人となりを熟知している。

「闇魔法のせいだけではないだろうけど、アーサーくん類稀なる威圧感あるんだよね」

『オレ、そんなに王族としての威厳が出てるんだろうか?庶民派王子って呼ばれてたこともあるんだけど?』

 主人、西の魔女の指摘は多分そこではないですよ?

 心の中で軽く突っ込んでしまう私。

 アルムも主人の纏う空気を気にかけて、フードコートを無理矢理に着せたのだろう。

 玄関まで見送ってくれた西の魔女は、主人の髪をそっとフードで覆った。

「こんなにキレイな顔なのに勿体ないけど」

 そのやり取りを始終見ていたパーシヴァルはずっと首を傾げている。

「俺、ずっと兄弟の顔見てられるけど?変なのか?男ならすげぇー美人拝まない方が変くない?」

 フードの下から焼切れそうな光線が出ているのではないだろうかと錯覚しそうな鋭い目線に気づくこともなくパーシヴァルは屈託なく笑った。

 そのような空気を読まない男?(気を配り上手なとこもあるので、疑問符をつけてみたのだが)が、今、店頭で眉間に皺を寄せて悩んでいる。

「どれにすっかな?お姉さん、今、若い女の子に人気のものってどれ?」

 露店で身をかがめて商品を物色している男の肩に肘を置き手の平に顎を乗せ、主人は彼が何を悩んでいるのか目視した。

 色とりどりの綺麗なお菓子が飾られている。

 卵白と砂糖とアーモンドを食用色素を取り入れて円形の形に薄く焼き、その中に同系色の果実のジャム等多様な食材が入っている甘味品といったところだ。

 えっ何故、材料が分かるのかって?私はブラックドッグですよ?匂いで嗅ぎ分けるに決まってるじゃないですか?侮らないでください。

 …。

 と、言いたいところですが(もちろん、匂いでもわかりますけど)、ニムエ様のお茶会で何度か拝見したことがありまして…。

 私は誰に言い訳をしているのだろう。

『キャメロットで食べたことがある。美味しんだ』

 主人はヒョイっと手を伸ばすと、木箱に整列して並んであった桃色のものを摘み口に入れた。

「おいコラっ!お姉さん、ゴメンな。ちゃんと払うから」

 パーシヴァルに軽く小突かれた主人だったが、気に留めることもなく、目を輝かせて咀嚼する。

『苺だよ!甘酸っぱいのが口に広がって、凄く美味しいぞ』

 主人は王弟殿下と呼ばれていた頃、城下で自由気ままに過ごしていたのだろう。今の行動で、その光景が目に浮かぶ。

 従者もさぞ大変だったであろう。今回はパーシヴァルが担っている。

 いやいや、私も主人のお世話なら負けませんよ。

 心に密かな対抗心を燃やす私。

 満足気に頬張っている主人の様子を見て、パーシヴァルは苦笑するのだが、露店の女性はフードから垣間見えた主人の冷ややか微笑に顔を背ける。

「あれっ?お姉さん?顔色が悪いよ。大丈夫?コイツ、行儀が悪くてゴメンな。ちゃんと払うから…」

 女性の怯えている様子を目の当たりにして、パーシヴァルは一瞬言葉を失うと、何度か主人と女性の顔を交互に観察して項垂れる。

「なるほど…。村の奴らもよそよそしかったもんな。俺にはその違和感わからんが…」

 主人は次に狙った品、鮮やかな黄色なものを吟味しようと、再び身を乗りだしたが、パーシヴァルに手の甲を叩かれる。

「これが欲しいんだな。買ってやるから金を先に払わせろ」

『いや、払うし』

 アルムに持たされた袋からお金を取りだそうと主人は懐に手を入れるが、パーシヴァルに制止される。

 女性の体の震えが止まらない。

 いえいえ、このお方は丸腰です。武器は一切持たせてません。まぁ、そのままで十二分に戦えるでしょうけど…。

「頼む。ここは黙って任せてくれ」

 パーシヴァルが断言するので、主人は軽く唇に人差し指をかけて目で訴えた。パーシヴァルは主人の顔を窺うと、額に手を当ててため息を吐いた。

『紫のもの、美味しそう』

「…他にも食べたいんだな」

 やはり、パーシヴァルは主人が話さなくても、考えていることを勝手に推測して話を進めてしまう。アルムがパーシヴァルにわざわざ事情を説明しなかったのはこうした行動故だ。

 パーシヴァルへ主人は極上の笑みを浮かべているのだが、背後の店員には彼を惑わす妖艶な悪魔のように映っているようである。

「分かった。とりあえず、今日は味利きで全種類買うから。兄弟、全部食べろよ。オレは甘いの得意ではないから」

 素直に頷く主人。

「お姉さん。見た目?こんなだけど、悪い奴ではないんだ。誤解?され易いのか?だから、とりあえず怖がらずに、全種類くれないか?」

 店主も素直に首を縦に振る。辛うじて、頬を引き攣らせながら口角を上げる。

「ありがとな。妹に土産選んでて、この街ではここのお菓子が一番だって聞いて」

 穏やかな口調でパーシヴァルが女性に事情を話す。豪快な男が恥ずかしそうにはにかんでいる姿に、女性は少し打ち解けたようだ。

「…そうなんですか?…こちらこそ、当店を選んでいただきありがとうございます」

 喉をゴクリと鳴らすと店員は続けた。懸命に恐怖を飲み込んだようだ。

「人気なのは先ほどのお客様が召しあがられたイチゴ味なんですが、妹さんの好きな色や果物とかで決められるのも良いと思いますよ」

 体勢を整えると丁寧な説明でパーシヴァルを接客した。

「なるほどな。けど、オレ悲しいことに妹の好きな色って把握してないんだよ」

 砕けた態度でパーシヴァルは店主に言った。

「お嬢さんがいつも身につけているお色とか選んでみてはどうですか?普段、好きな色の服を着ていることもありますし」

「うーん、なら、若草色かなぁ…。俺にも分かりやすいな。その意見を参考にしてみるわ。ありがとう」

 鳶色の人懐っこい目で、惜しげもなく無邪気に歯を見せるパーシヴァル。単体でいると色男と言えなくもない。少なくとも目の前の女性は頬を赤らめている。

「あとは瞳や髪の色に合わせてセレクトしても喜ばれると思いますよ。女の子なら自分を思い出しながら買ってくれたものは嬉しいでしょうし」

「やっぱり、お姉さんに相談して正解だったな」

 パーシヴァルは破顔して、更に店主を持ちあげる。それが自然体なのだから恐るべし。

「お姉さんも美人だけど、妹も…。サナって言うんだけど、身贔屓かもしれないけど、サナはかなり可愛いんだ。将来、お姉さんのようないい女に育つと思うんだよな」

 西の魔女との会話で何度か登場したサナはパーシヴァルの妹君でしたか。予想はしてましたが…。

 しかし、兄バカですね。

「お客様、お上手ですね」

 パーシヴァルが大きな体を盾にして、主人を隠しているので、女性の先ほどまでの畏怖は消えたようだ。和かに談笑している。

「んっ?何がお上手?あぁ、いや、お姉さん本当にいい女だよ。ご主人が居なかったら口説いてたかな」

 ささやかな宝石で飾られた指輪を、女性は薬指へはめていた。

『パーシヴァルって、いつの間にか、許容範囲内に入ってくるよな?』

 私は主人を仰ぎみる。指に付いたイチゴジャムを舐めながら主人は目を細めていた。

 何故、こんな愛らしい主人が恐れてられるのか?私もパーシヴァルの意見に賛成だ。

 私が人であるなら、今、感激のあまり、目を潤ませ、震える唇に両手を当てて喜んでいるところだろう。

『そうですね。相手の懐に入るが上手いんでしょうね』

 私は品がなく武骨なパーシヴァルを邪険に扱っているが、嫌いではない。この手のタイプは一緒にいるうちに情が芽生えるのだ。

『アーサー様、頬にもジャムついてますよ。唇の右側です』

 私の指摘に、主人は何度か頬を親指で擦り、ジャムを拭いとる。

『お前も味見する?』

 無造作にジャムのついた指を私の目の前に差し出した。

 ええぇー⁉︎何ですか⁉︎何かの罠ですか?そんな滅相もない。しゅっ主人の指を、恐れ多くも、なっ舐めろってことですよね。

『オレに付いてたのは嫌か?まぁ、そうだよな。マーリンはブラックドッグ?なんだから、プライドあるだろうし…。ごめん。つい、普通の犬のように扱ってしまった』

 何を仰っていられるのですか‼︎私のプライドなんて主人を前に崩れ去るに決まっているではないですか⁉︎

『お待ちください‼︎勿体のうございます‼︎頂きます』

『何だよ?いきなりその言葉遣い』

 主人は軽く吹きだす。

 あぁ、主人の笑顔が眩しすぎて昇天しそうです。

 では、遠慮なく…。

「だっ誰かぁー‼︎ソイツを捕まえとくれぇぇぇ‼︎」

 突然、雑踏の中から悲鳴に近い叫び声が耳に届く。

 何なんですか⁉︎私の甘いひとときを中断する輩は…。許されませんよ。

 私は首を回転させた。主人の指をパクっとなって…。その瞬間を邪魔されたのだ。

 くぅー‼︎あともう少しだったのに…。

 視線の先には老婆が土まみれになり倒れていた。白髪頭を振り乱し、白濁の目を見開きながら、指を前へ示している。

 その先には小柄な体が人々の間を潜り抜けながら、こちらへと走っていた。左手に巾着を握りしめて、もう片方は鈍く光る短剣を体の前に固定した位置で構えている。

 周りの人達は唖然としながら、小さき者を見送る。何人かは何が起こったのか把握していないようだ。

 主人は人を避けるように、または小人が目の前を横切るのを誘導するかのように、静かに身を引きながら、私へと目配せをした。

『マーリン。任せる』

『ガッテン承知の助』

 盗人が通り過ぎようとする寸前、主人は長い足で剣を蹴りあげる。

「⁉︎」

 小柄な体は主人に接触したわけではない。主人の足捌きが速く、きっ先だけが触れたのだ。もちろん、主人の肉体は強化されているのでケガの心配はないのだが、念のために強化魔法をかけた。

 任せると仰せつかったのだ。全般的にどんな魔法をかけても良いという指令と承認した。私は主人の命がないと魔法を使えない。

 小人は剣が弾けた驚きでのけ反り、そのまま倒れ込むと小さな袋も宙に浮かぶ。

 手を離れた剣の方は、蹴りあげた衝撃から天高く放たれ、矢のような速度でお菓子屋の店主がいる場所へと落ちていく。パーシヴァルは店主を庇うように動き、剣が向かう先に立ちはだかった。

 私はパーシヴァルの前へ可憐に飛びこむと歯で短剣をキャッチする。

『貴方でも素手で掴もうとすればケガをしますよ』

 まぁ、ケガしても主人から治癒魔法の命が下されるだろうけど、人混みのなかで魔法を使うのは憚れる。

 パーシヴァルが伸ばした手は、次に袋が舞い込んだ。受けとめたときに、パーシヴァルの手が少し沈んだので重みがあることがわかる。

 転んだ人物は打ちどころが悪かったようで、すぐには動けないようだ。体を抱えて呻いていた。

 しばらくすると、数人に支えられ、倒れていた老婦がよろめきながら近くまでくる。パーシヴァルが握っている小袋へ身を捩るように老婆は手をかけた。中身を確認すると涙目になる。

「私のお金…良かった。本当に良かった」

 嗚咽を漏らす老女の肩をそっと抱き寄せるとパーシヴァルは背を撫でた。

「ありがとう。ありがとう。…何かお礼がしたいのだけど」

 再び、巾着の中を開けようとする老婆を制して、パーシヴァルは鼻の上を指で擦った。

「じゃあ、頬に接吻して」

「えっ⁉︎」

 老婆は驚いて声をあげる。老婦はお世辞にも『昔は美人だった』とも言えなく、痩せこけていて、着ているものも粗末なものだったので、見ていた周囲の人間も何を願っているんだと呆れて様子を伺っている。

「実は俺の手柄ではないけど、お礼してくれるんならキスでいいやぁ。最近、色々おご無沙汰で、キスしてもらえる機会なんて滅多にないから、ダメ?」

 大の男が茶目っ気たっぷりにねだるものだから、老婆は可笑しくなって笑みをこぼす。

「美丈夫なのに変な子だね。こんなばあちゃんのキスで良いんなら」

 老婆が軽く頬に唇を寄せると、パーシヴァルは満足気にほくそ笑んだ。

「あぁ、あっちは良いから。ばあさんのキスは俺だけのもんで」

 私と目を見合わせ、主人はポリポリと頬を指で掻く。パーシヴァルは老婆の感謝の意志が行き場をなくさないように、キスという形で受けとめたのだ。

 因みに私の足の下には盗人が拘束されている。前足を軽く乗せているだけが、一寸たりとも動けないだろう。

「活躍したのは奴らだけどな。あっちは見返りなんて全く求めてないから気にすんな」

 老婆は何度も振り返り、その度に深々と私たちにお辞儀をして元きた道を戻っていった。

「キスしてほしかった?兄弟も貴婦人からのキスご無沙汰っぽいもんな」

 主人は肘でパーシヴァルの脇腹を優しく突いた。パーシヴァルは大仰に突かれた腹をさする。冗談なのか?本気で痛いのか?分からない。

 主人は戯れているだけのだが…。

『あぁ、確かに惜しいことをした』

「だって、ばあさん。ひったくりにあったばかりなのに、お前にまで腰を抜かしたら大変だろ?」

『何で?オレに腰を抜かすんだ?』

 主人がパーシヴァルを顎をあげて覗きこむ。西の魔女に諭された威圧感云々の話は忘れているようだ。

「さてと、コイツを警備兵に引き渡してこようかな。お前が行くと色々面倒だから、俺が手続きするけどいい?」

『何で?オレが行くと面倒なんだ?』

 主人は再び質問を投げかけるが、パーシヴァルには届くことはない。

 手も足も細く明らかに栄養の足りない状況で育ったと思われる子供を、パーシヴァルが私の足の下から拾いあげると、主人の顔が曇った。

『何とかならないのか?』

 お菓子屋の店主も少年の姿を見て憐れんだようだ。同情心からかパーシヴァルへ説明した。

「最近の戦争で敗北した隣国の孤児が流れ着いたんです。ここは辺境で凄く遠いのに。孤児院もあるんですけど、孤児が多いみたいで…。敵国だったこともあって、冷遇されているのかも」

 主人は唇をキツく噛んだ。主人はその敵国の将に耐え難い拷問を繰り返され苦汁を舐めている。死を望むほどに…。

『敵国の孤児であれど、保護せねば…。何をやってるんだ…。ランスロット…』

 主人は爪が食いこみ血が滲むほど、手を握りしめた。私の魔力ですぐに治るので誰も気づかないだろうが、閑かな怒りが主人を包んだ。

 店主の話は聞こえていただろうが、パーシヴァルは少年の襟首を引っ張りあげる。頸部に服の襟が食いこむので両手で掴み抵抗した。苦しそうに顔を歪め、地面に両足がつかないのでバタバタと必死にもがく。

「お前、ばあさんが転倒して骨折するとか?思わなかったのか?あの歳になると、一つの怪我が大きな災いになるんだぞ」

 主人はパーシヴァルの言葉に絶句した。この度、老婆は大事に至らなかったのは不幸中の幸いだったと言える。

「う…る…さぃ…」

「人を選べ」

 極々小さな声でパーシヴァルは少年の耳元で囁く。

 …パーシヴァル。珍しく悪い顔してますよ。

 私には聞こえたが、主人に届いただろうか。

 少年は瞳を見張ると、パーシヴァルの向こう脛を思いきり蹴った。

「痛えぇ‼︎」

 大袈裟に脛を抱えて、のたうつパーシヴァル。土埃を立てて逃げる少年を誰も追わず、ただ呆然と彼の背中を見送った。

『アーサー様、捕まえましょうか?』

『いや、いい。パーシヴァルの下手な芝居を尊重する』

 ですよね。

 主人の本気攻撃にも毎度魂をとどめて耐えているパーシヴァルに、力のない子供が向こう脛を蹴ったところで、何の意味もなさない。

 しかも、蹴られた瞬時、パーシヴァルは少年に気取られないよう、彼のポケットへコインを何枚か忍ばせていた。咄嗟のことで、パーシヴァルのこの行動に気づいたのは私と主人だけだろう。

『一時の施しは意味がないことだと思いますが』

 私が冷たく言い放つと、主人は困り顔で膝を折り、私と目線の高さを合わせる。

『それでも、オレはパーシヴァルのことは嫌いになれないな。寧ろ…』

 私の頭へ主人はそっと手を置いた。何故か、パーシヴァルが投げかける視線が痛い。

「兄弟、クロとばかり仲良くしてないで。少しはオレの患部を労ってくれ」

『バカですか?』

『…』

 冷たい間が私たちに流れる。

 ここは空気を読むべきところではないですか?パーシヴァル?

「オレにもそっと手を差し伸べて?」

『バカですよね』

 鼻でせせら笑いながらも主人はパーシヴァルに近寄り、一種の緊張感が走ったが、主人は無造作にパーシヴァルの脛を摩っただけだった。

『痛いの痛いの飛んでゆけぇ…。これでいいか?』

 そして、手を空に翳す。

 何ですか⁉︎それは‼︎主人‼︎

 パーシヴァルは何が起こったのか理解出来なかったようだが、主人の行為に喜んでいる。目尻が垂れていて、その笑顔が気持ち悪い。

『はいっ‼︎はいっ‼︎アーサー様‼︎私もナイフを噛んだ歯が痛い気持ちがいたします』

『えっ⁉︎お前もしてほしいの?』

 今度は私に歩み寄り、私の頬あたりを両手で挟みこんで同じ言葉を繰り返す。

『痛いの痛いの飛んでゆけぇ…。って、気休めだぞ?これっ』

 主人は疑心暗鬼であったが、一匹とおバカには効果的面な威力の言葉(おバカには聞こえていないが)で、幸せな気持ちにいっぱいになった。

「あのぉー、こちらご用意出来ました」

 惚けていたパーシヴァルへお菓子屋の店主が戸惑いながら声をかける。

「ありがとっ」

 店主の手元の包みを確認して、駆けよろうとする主人に対して、パーシヴァルは颯爽と立ちあがり、肩を掴んで動きをとめた。

「お代はいくら?」

 素早く店主から包みを受け取ると、パーシヴァルはそのまま主人に手渡す。主人はパーシヴァルの行動に幾分か疑問を持ったようだが、包みを手にして満足したようだ。

「あのぉ、今日の分はオマケしておきます。明日も来てくださるんですよね。沢山お買い上げください」

「いやいや、ちゃんと支払うし」

「私もお礼がしたいので…。見逃してくださったんですよね?」

 店主は上目遣いでパーシヴァルに問う。パーシヴァルは首を横に振り、すぐさま否定した。

「違う違う。バカだから隙をつかれたんだ」

 逃したところで何の解決にもなってはいない。ただの自己満足に過ぎないのだ。パーシヴァル自身もそれをわきまえている。

「ふふっ、何なら私も頬にキスしても良いんですけど?」

 店主はパーシヴァルの言葉を全く信じてないようだ。パーシヴァルの大根役者ぶりは周囲へ見え透いていたに違いない。

「そりゃぁ、そっちのが嬉しいな。けど、旦那に恨まれるのはゴメンだし」

 パーシヴァルはバツが悪そうに後頭部を掻きながら、店主の申出を辞退する。

「そうおっしゃると思いましたので、今日はこちらを貰ってください。そちらのお客様もありがとうございました」

 ひったくりを捕まえた主人へも女性は感謝を述べて会釈した。

 主人は店主の言葉に胸の前で左手を添えて、体を軽く前方に傾ける。

『こちらこそ、ありがとう』

 フードを深く被り、目を伏せているので、視線が交差することもない。突如、主人の品のある姿勢をみて、女主人は少なからず驚いたようだ。

「また、明日もいらしてくださいね」

 ぎこちない笑みであったが、本心からの言葉の響きがあった。

『あぁ』

「さて、行くか?」

 パーシヴァルが私と主人を促す。

『そうですね。日も暮れてきましたし』

 パーシヴァルは店主へ手を振りその場を後にした。並んで歩きながら、私は主人を見上げる。

『アーサー様、明日は服を着て帰りますか?楽しみですね』

『んっ?』

 主人は胸元へ大事に抱えた袋を覗きこんでいた。包装されているので中身は見えないのだが…。

『何色から食べようかな?』

「何だ?兄弟?そんなに美味しかったのか?オレも一つぐらい味見するか」

 パーシヴァルの言葉に主人は動揺する。

『全部食べてもいいって言ったじゃないか?』

『そうですよ。男に二言はないんですよね』

 私は主人を援護するが、パーシヴァルには聞こえていない。

「何だ?…不服そうだな」

 だが、パーシヴァルには通じていたようだ。

「分かったよ。オレは食わん。ただし、ちゃんとどんな味だったか教えろ。特に黄緑色の感想が聞きたい』

 主人は神妙な顔をして首肯する。その様子が可笑しかったのか、パーシヴァルは爆笑した。

「しかしっ、甘いもの好きだな」

『そんな笑うことないだろ?パーシィー』

 腑に落ちない表情でパーシヴァルに抗議する主人…。

 んっ⁉︎ちょっと待ってください。えっーと、…パーシィー?…パーシィーって?パーシィーですって⁉︎

 私は狼狽えた。

 何故、いきなり、愛称呼びなんですか?付き合いは数ヶ月ですが、私の方が早い…。

 いや、何か忘れている。

 あぁー⁉︎大戦で一緒に戦った仲間だからですか!同じ釜の飯を食ったとか言うんですか!

 私は半ば泣きそうになりながら訴えた。

『あっ、あっアーサー様。私も、マーちゃんと呼んでください』

 私への主人の眼差しが冷たい。

 突き刺さりそうです。

『…何でだよ?マーリンはマーリンだろ?』

 私は無意識に歯を剥きだしにしていた。パーシヴァルが私の形相に慄き、主人の背中に隠れる。大きな体なので収まり切るはずがない。

「何か?クロが怖いんだけど?オレなんかした?」

『マーリン、パーシィーを噛むのは無しだからな』

 本日、何度目か?諭すように主人が私に命令した。

 では、この怒り(嫉妬)をどこへ向ければ良いんですか⁉︎

 私は無常にも遠吠えをする。

「ワォーン」

 あぁ、本格的にただの犬になってしまう…。

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