アーサーとパーシヴァル 前半
「俺のことはパーシィーって呼んでくれといつも言っているだろう?兄弟」
むさ苦しさを前面に押しだしながら、パーシヴァルがアルムの山小屋へやってきた。
大猪退治以来、暇を持て余してる日は何かと都合をつけて、主人の元に足繁く通っている。
『また、来たのか?』
窓枠にもたれかけてた主人は読みかけの本を閉じて、呆れた視線をパーシヴァルに投げた。
「命の恩人クロにも餌を持ってきたぜ」
主人の足元で伏せて寛いでいた私へパーシヴァルは大股で近よると、片手に持っている麻袋を私の鼻先へ翳す。匂いから察するに鹿の干し肉だろうが、私はふいっとそっぽを向いた。
『私はクロではありません。マーリンです』
何度かアルムが私の名前を正してくれていたのだが、相も変わらずパーシヴァルは私をクロと呼ぶ。学習能力がないのだろうか。
私の艶やかな黒の毛並みから、単純にクロという名前を連想しないでいただきたい。私は由緒正しきブラックドッグという精霊なのだ。
アルムは豪快に椅子へ座ったパーシヴァルを一瞥する。椅子は壊れそうなほどグラグラと音を立てて揺れている。
あぁ〜、アルムの眉間に深い皺が刻まれる。そんなに椅子を粗末に扱ってはアルムの機嫌を損ねてしまう。作り変えたばかりなのだから…。
パーシヴァルは猪退治の時に村の衆を取りまとめていた男だ。
昔、傭兵を生業としていたらしく、半袖のシャツを肩まで捲し、筋肉隆々に鍛えあげた太い腕を剥きだしにしている。黙っていれば、そこそこのナイスガイに見えないこともないが、眉目秀麗の主人が横に並ぶととてもじゃないが及びでない。
「今日はなんの用だ?」
アルムがパーシヴァルの前に温かい茶を置いた。このような不躾な男でもアルムは客人として持て成す。
「爺さん、俺、茶より酒がいい」
その瞬間、アルムの手が湯呑みを取りあげようと素早く動くが、それよりも早くパーシヴァルは湯呑みを口元に運び茶を含んだ。
「…わしも歳をとったようじゃ。このような小童に負けるとは」
少し肩を落としながらアルムが呟く。
「爺さん、冗談が通じないな。せっかく爺さんが入れてくれたお茶を俺は無碍にしないぜ」
パーシヴァルは片目を瞑り茶を啜り、鼻歌まじりの変な拍子で言葉を続ける。
「酒が良かったのはホントだがな♪」
間髪入れずにアルムの手刀がパーシヴァルの額に飛ぶ。両手で手刀を挟みたかったのだろうが、湯呑みを持っていたため動きが遅れたのだろう、キレイにアルムの手がパーシヴァルの額へ刺さった。
「痛い…」
「力は入れとらん」
おでこを摩りながら、パーシヴァルが唇を尖らす。主人はその様子を垣間見ながら笑っている。
「アーサーも飲むか?」
アルムは主人に問いかける。
『ありがとう』
主人が頷いたのをみてとり、しばらくして、温かいミルクを用意して手渡した。
そして、主人の足元で寛いでいる私の前にも山羊のミルクが入った皿を置いてくれる。
甘い香りから、パーシヴァルはカップの中身がミルクだと分かったのだろう。
「いつも思うけど、アーサーってお子様な味覚だな。前に酒を持ってきたときも、飲まなかったもんな」
『あれは、辛口の葡萄酒だったっろう?まぁ、お子様と言われればそれまでだが、甘いものが好きなんだ。今度持ってくるときは、甘めの果実酒にしてくれ』
主人はパーシヴァルの質問に答えるが、パーシヴァルに話は通じない。主人は喋れないからだ。話相手に言葉が届かないといった認識を主人自身そろそろ持ち合わせても良さそうだが、主人は気にすることもなく、常に誰かれ話しかけている。
「むっ?怒った?俺がお子様って言ったから?ホントに無口だな、お前は」
パーシヴァルに主人が話せないことをアルムは説明していない。意図があってか?それとも説明の必要性がないと思っているのか?私はアルムの性格から後者だと推測している。
「アーサーはそんな瑣末なことで怒らん。でっ、なんじゃ?」
「あっ、そうそう。それだよ、それっ」
パーシヴァルの舐め回すような露骨な視線が主人へ絡みつく。
『噛みつきましょうか?アーサー様?』
私の言葉に主人は苦笑する。
『取り敢えず、人の話は最後まで聞こう』
主人は軽く私の頭へ手を添え諭した。
私と主人は精神感応。謂わゆるテレパシーで会話が出来るのだ。
「火事でアルムの小屋が焼けただろ?だから、アーサーに俺の服のお古を持ってきたわけだけど」
そう、私の不注意でアルムの小屋が焼失したのはごく最近のことだ。
魔法で家を修復することも可能だったのだが、そのことを主人からアルムへ筆談で伝えたところ…。
「お前ら、反省の意味を分かっているのか?」
アルムの言葉に一蹴され、主人は翌日から丸太運びに勤しんだ。因みに工作という作業を主人が行うと奇想天外な芸術作品と変化をなすので、アルムから止められた。
程なくして、パーシヴァルが猪退治の礼にアルムの小屋へ訪れたのだが、現状をみて村人を集い手伝ってくれたので、一週間とかからず小屋は再建出来たのだった。ただ、一部村人は何故こんな事態になったのか?主人を訝しげにみて慄いてはいた。
全ては私のせいなのに…。
その火事で服も焼け焦げていたため、パーシヴァルが着古した服を幾つか提供してくれたのだ。
「アーサーの方が俺より背が低いのに、ズボンの丈が短いよな…」
主人も長身だが、そくれにも増して、パーシヴァルの方が上背がある。パーシヴァルは決して短足というわけではない。八頭身でスタイル抜群の主人と比較してしまえば足が短いのだ。
「上衣はブカブカだし、やっぱり首の包帯は何ともないって聞いたけど、隠せるような服がいいと思うんだ」
頭まで筋肉で構築されている(いやぁ、バカとか言っているわけではないですよ。むぅ〜、でも否定し辛い)ようなパーシヴァルは、体格も良く、服のサイズもかなり大きい。
均整な肉体美でしなやかな肢体を持ちあわせている主人にはパーシヴァルの服は有り余る。常に首の傷痕を隠すためだけのものとはいえ(痛みはない)、確かに広範囲に巻かれている包帯は痛々しく、人によっては目を伏せたくなる姿かもしれない。
『オレ、服欲しいかも?…居候の身でそんなこと言ってもいいのか?』
主人の黒曜石に似た深い闇の瞳がアルムを仰ぎみた。言葉にしていないが、気持ちを汲むことはできたらしい。
「服、欲しいんかい?」
アルムが尋ねるとコクコクと頷く主人。
「仕方ないのぅ」
顎に蓄えた髭を撫でながら、アルムは承諾する。アルムも主人の衣装事情を以前から思慮していた。パーシヴァルの古着の前はアルムが自分の服を提供していたので、主人は今より更に、つんつるてんだった。
「って事で、兄弟。俺が店まで案内するから行こうぜ」
席を立ち、馴れ馴れしく肩を組んでくるパーシヴァルの手を主人は軽く払う。本当に軽く埃を払うかのように…。
前に絡んできたパーシヴァルの腹を主人が拳で殴った際、一部内臓の機能が停止し、重篤な症状に陥った。主人にしてみれば、戯れ程度の打撃だったらしいが、私の魔力で筋力増加されているため、パーシヴァルの鍛えあげられた腹筋でも造作なく傷ついたのだ。もちろん、主人の命で私が間髪いれず回復魔法で治したが…。
それ以来、主人は動作一つ一つに注意をして、力を制御している。最近、物がやたらに壊れなくなったのは主人の努力の賜物だろう。少しずつ、現況の体に慣れてきたのかもしれない。
「つれないな…。まぁ、そんなところがアーサーらしいけど」
死にかけたパーシヴァルは臆することもなく、主人への態度は変わらない。
小屋の修復中だったので、周りで作業していた村人たちは一部始終見ていたのだが、あの後から誰も主人へ近づこうとしない。あまつさえ、家を訪問するなどありえないのだが、パーシヴァルはやたら主人に構う。
闇の精霊女王の加護を授かったためか、それ以前に壮絶な拷問を強いられたためか、元々、主人は人を寄せつけない威圧感、畏怖の気配を備えているのだが、パーシヴァルは主人が纏っている剣呑たる空気に全く動じない稀少な人間の一人である。
確か…。主人の顔立ちが綺麗で女性的だから、口説きたくなるとか何とか言って抱きついてきたんですっけ…。
「行こうぜ、兄弟。今日は楽しい日になるな」
『お前、その絡み方やめろっ』
少々、辟易しながら、主人はパーシヴァルの抱きつき攻撃を防御しているが、多分、それほど嫌がってはいない。
3ヶ月近く主人から無視られていた私からしてみるとパーシヴァルが心底羨ましい。
嫉妬してしまいそうです…。くぅっっ。
私の心情を他所に、主人の視線がこちらへと向く。
『行こうか?マーリン』
名前を呼ばれるだけで、こんなに嬉しいなんて、安い犬って思われてしまうじゃないですか…。
『はいっ、アーサー様』
だが、私の尻尾は無常にも感情に流されて、左右に大きく揺れるのだった。
その小さな家は町外れの森深く入ったところにあった。
緑の瓦屋根や土色の煉瓦の壁には蔦が無数に巻きついて四方八方絡めて伸びており、家全体が緑にすっぽり隠れているので、遠くから眺めれば深緑の木々しか認められない。
「兄弟、ホントすげぇーな。まさか、ここまで走って来るなんて」
季節は雪がちらつき始める初冬。二の腕を惜しみなく披露しているパーシヴァルも、外出時には獣皮のマントを羽織っていた。
この隠れ家には真横へ窪んだ空洞がある。茂みで覆われていてこちらも発見し辛いのだが、馬房が設置されており、パーシヴァルは慣れた手つきで馬の手綱を木杭へ繋ぎ止めた。
「俺が馬で駆ける速さに負けてないのな」
パーシヴァルが馬の首筋を軽く叩き、撫で下ろした。鹿毛の毛並みからみて、馬は随分と丁重に扱われている。馬は心地よさそうに目を細め、パーシヴァルへ鼻をこすりつけた。
「アーサーがいきなり走りだしたときは驚いたけど、そう言えば、猪退治んときも、凄い勢いで突っ走っていったらしいな」
パーシヴァルは猪を追い抜いていった主人を知らない。私がパーシヴァルの身を守るため、首根っこを咥えて放った場所に大木があったので、激しく打つかって気を失っていたからだ。後から村人にでも聞いたのだろう。
『アーサー様はこれでも抑えていたんですよ』
馬には申し訳ないが、馬を飛ばすよりも私と主人は早く風を切れる。
リラックスしていた馬が耳をピンと立てた。馬房のすぐ外で待っていた主人が、静かに中へ入って左斜め前から馬へと近づく。そっと、手を伸ばした主人に対して、馬は首を高くもたげ、さらに耳を後ろに伏せてしまった。馬に警戒されたのだ。
「兄弟、馬に好かれそうな顔してんのに、不思議なもんだ」
パーシヴァルは主人の気配に動じることはないが、馬は主人を恐れている。
当初、パーシヴァルは主人に馬を用意していたのだが、馬が騎乗を拒否したので自らの足で疾走することになったのだ。
『オレも馬大好きなんだけどな…。今までこんなことはなかったのに…』
出かけるとき、無理やりフード付きのコートをアルムに被せられた主人は、フードを脱いで馬と対峙している。その表情はかなり落ち込んでいた。
「まぁ、馬は信頼関係が大事だ。アーサーなら絶対乗れるようになるって…。多分」
パーシヴァルは主人の背中をポンポンと押しだし慰める。
「まぁでも、馬も何度も警戒するのは疲れるだろうし、今日はそっとしといてやってくれ」
ポリポリと頬を指で掻きながら、申し訳ないなさそうにパーシヴァルは主人から目線を逸らしつつ、主人を牽制する。
『うっ、そうだよな』
主人は素直にパーシヴァルの言葉を受けいれると馬を触れようとした手を引っ込めて、おずおずと後退りしながら馬から離れた。
パーシヴァルは主人へ乗馬ができるようになると言ったが、普通の馬では難しそうだ。
今度、幻獣ケルピーにでも頼んで、馬のふりでもしてもらおう。私はケルピーのことが嫌いなので仲が悪いが、絶世の美女と讃えられるニムエ様の名前を出せばホイホイと付いてきそうだ。
ケルピーは馬形の精霊で人間を水中へ引きこんで溺れさせるという不粋な輩がいるのも確かだが、中には人好きで気さくなケルピーもいることだし、皆一貫して見目麗しい人間を好むので、主人の騎乗を拒みはしないだろう。
主人は屈強な腕力でケルピーを簡単に手懐けられる。ケルピーは美しいものと強いものに弱いのだ。
『さて、入ろうか?』
パーシヴァルが主人の背中を押して促す。
馬房から直接玄関戸へ続いており、表から明かりは見えなかったのだが、こちらからは窓近くの洋灯が薄らぼんやり照らしている。
石畳みの階段を三段登ったところで、パーシヴァルは扉を勢いよく開いた。
「おばちゃん、久しぶり。今日は上客を連れてきたぜぃ」
物の扱いが雑である。
「あらっ、いらっしゃい。あなたがサナ以外の子を連れてくれるなんて、珍しいわね」
肩で揃えた黒髪、黒目がちの瞳。主人と同じ色であるが、主人のような近寄り難さはなく、印象的なのは透き通るような肌の白さと女性にしては高身長であるところだろうか。平凡な顔立ちではあるが、優しい笑顔で女が迎えていれてくれた。
『失礼だろう?おばちゃんだなんて』
パーシィヴァルを咳払いで主人は嗜める。パーシヴァルが主人の動向に首を傾けた。
「何だ?兄弟。風邪でもひいたか?」
あぁー、主人。きっと、この方は見た目よりも随分とお年ですよ。
魔女である。多分、若輩の…。ニムエ様は精霊なので既に何千年という時を超えて魔女として存在しているが、この女性は人間だったのだろう。余り魔力を蓄えていない。
私には分かるのですよ。何せ、ブラックドッグですからね。私は犬ではありません。
彼女は自身の微力な魔力と精霊の加護を得て魔女になったと思われる。火と風に加えて闇の力か。この地では、闇の力が強いものを魔女、光の力が濃いものを巫女と呼ぶ。
闇の魔力に耐性があるので、主人を見ても恐れませんでしたしね。えっと、もしかして、目を輝かせてます?
「いやんっ、こんな極上のイケメンどこで見つけたの?私がもっと若かったら囲って貢いでたわぁ」
女性の熱のこもった視線に主人は戸惑いながら、パーシヴァルを仰ぎみた。苦笑いでパーシヴァルが口を開く。
「おばちゃん、冗談はそれぐらいで…。何か、風邪気味のようだし、ハーブティーでも出してやってよ。あっ、甘いのが好みだと思う。味覚がお子様だから」
「冗談じゃないのに…。本当にいい男よ。じゃあ、イケメンにはサービスでハチミツを盛るわね」
体の線に沿った黒いドレスの裾を揺らしながら、魔女は部屋の奥へ隠れた。
私は玄関に面した室内をグルリと首を回して見渡す。
暖炉には炎が灯っており暖かい。
入口付近には小さなカウンターが備わって、その後ろに小ぢんまりとした薬棚がある。その棚へ設置されている狭い作業台の小鉢の中に、香りのたつ薬草とすりこぎ棒が無造作に置かれていたので、何かの薬を調合している最中だったようだ。
カウンターの横には薔薇の刺繍が施された織物を広げたテーブルに椅子が二脚。これらは全てオーク木材で作られていて頑丈そうである。
ここは待合室といった部屋になるのだろうか、奥へ幾つかの扉が続いていた。
『妙齢の女性におばちゃんってひどくないか?』
眉を顰めた主人が私に相槌を求めるので私は返答する。
『彼女は魔女です。アーサー様が思ってらっしゃるより若くありませんね』
困惑する主人に尽かさず私は続けた。
『アーサー様の母君。もしかしたら、祖母君ぐらいの年齢かもしれませんね』
大きな魔力を宿して生まれ落ちたなら、年若い魔女もいるだろう。だが、あの女性からそれは感じ取れなかった。正確な年齢は分かりかねるが、魔力量から推測した歳を大まかに告げた。
顔を曇らせ頸に手を当てて、しばらく黙りこむ主人。
『なるほど…。けど、おばちゃんって言葉は失礼だろ』
真剣に考えて導きだした答えを、主人は自身で肯定するように頷く。
『そうですね。女性は幾つになっても女性ですから、アーサー様のご意見はごもっともです』
私は主人の言葉へ賛同の意味を込めて、尻尾を軽く振った。
『噛みつきましょうか?』
私は鋭い眼光をパーシヴァルに向ける。
『よっぽど、噛みつきたいんだな』
本日二度目の噛みつき発言である。主人は私の言動が可笑しかったらしい。唇を噛み締め腹を押さえた。
「どうした?アーサー?肩がわずかに震えてるぞ?寒いのか?暖炉の火をもう少し焚べようか?」
パーシヴァルが心配してかけた声に、堪えきれなくなって主人は顔を崩す。
いやぁぁ、主人の愛らしさ全開のこの表情‼︎私だけのものにしたい‼︎パーシヴァル‼︎こっちを向くんでない‼︎
『いや、何でもない』
パーシヴァルは主人の様子に目を細めると、主人の頭を鷲掴みにして髪を乱した。
「何が笑いどころか?さっぱり分からんが、そうやって見るとまだ幼いな。やっぱ、笑顔の方がいいわ。お前」
主人はパーシヴァルの両手首を掴んで抵抗する。もちろん、慎重に手加減をしている。
『もういい年した男だろっ!やめろって!』
22才の青年に対して、何という物言い‼︎この際、こいつの両手首を粉骨にしてやりましょう。
私は心の声に蓋をする。主人には聞かせられない。私は主人とパーシヴァルの間で彷徨きながら二人の動向を見守った。
「お茶入ったわよ。あらあら、二人とも仲がいいのね。ふふっ、ワンちゃんが嫉妬してるわ…。って、この子!ブラックドッグじゃない⁉︎」
あらっ、バレちゃいましたか?新米でも魔女だけありますね。
魔女は驚きのあまり、一瞬、盆から手が離れて茶が溢れそうになる。パーシヴァルが咄嗟に手を伸ばして盆を支えた。
パーシヴァルはこう見えて、反射神経に優れているようだ。猪退治のとき、思わず助け舟を出してしまったが、私が行動しなくても難を逃れたかもしれない。
ぶつかり損でした?
「何?ブラックドッグ?ただのイヌだろ?なぁ、クロ?」
また、貴方は勝手なことを…。私の名前はマーリンですよ。いい加減、訂正してもらえないだろうか。
「違うわ、精霊よ。私、初めてブラックドッグに会ったわ」
「せいれい?」
パーシヴァルは魔女へおうむ返しに問いながら、自然と手にした盆から、陶器に入った温かな茶を皆へ配る。甘く華やかな香りからエルダーフラワーを煎じているようだ。エルダーフラワーは呼吸器の炎症を抑えるのに効果的だ。
魔女は自分が受けとったティーカップを主人のものと交換した。どうやら、月桂樹の絵柄がついたものがハチミツたっぷりのハーブティーらしい。
「そうね。犬の姿をした精霊なの。魔女仲間うちで一番有名なのはニムエ様のところのマーリンかしら?ニムエ様のところにいらしたお客様の送り迎えをするそうよ」
私のことも知っているらしい。魔女達の情報網は侮れない。主人も初めて聞くその話に興味津々のようで、私と魔女を交互に見回した。
「ニムエ様?」
パーシヴァルは椅子を引きだして座るように主人へ促す。主人は首を横に振ると、パーシヴァルへ席を譲った。
もう一脚には魔女が腰をかけてテーブルへ肘をつき、ハーブティーを啜る。
「闇の精霊女王様よ。とてもお美しい方らしいのよ。私はまだお会いしたことがないから…。いつか、お会いできるかしら?お会いできたら、夢物語のようね。今は精霊王様が不在だから、精霊界の頂点に君臨されてるわ」
器を持ったまま遠くを眺め魔女は説明する。ニムエ様の姿形でも夢想しているのだろう。
想像を絶するほどの美貌の持ち主なんですよ。
「…マーリン?」
何気にこちらを振り返るパーシヴァルの視線と私の視線が交差する。
そうそう、私がマーリンですって…。
「ニムエ様が目に入れても痛くないっていうほど、とても可愛いがっているブラックドッグよ」
天井を仰ぎながらパーシヴァルが言葉を洩らす。
「…クロ?アルムにマーリンって呼ばれてなかったっけ?」
天井からロープで吊るされた幾つかの植木鉢には小さな白い花が咲いている。室内は一定の光と温度が保たれていた。
主人は私の顔を覗きこんだ。
『マーリン、有名犬だったんだな』
いやぁ、そんなふうに言われると照れますな。
「まぁ、こんなところにそのニムエ様のマーリンとやらがいるわけないか?なぁ、クロ?」
パーシヴァルよ…。アルムの言葉を聞いてたなら、何故正さないのですか?
魔女といってもまだ実力不足のようだ。私と主人の精神感応を拾えるほどでもないため、主人と私の会話は聞こえていない。まぁ、そこまでの実力があるのはフェイクラスの魔女であろう。
「クロって名前なの?私、触っても良いかしら?」
魔女は席を立ち膝を折ると、白く長い指先を私へそっと差し伸べる。
ここでも、パーシヴァルのせいで間違った名前が認められようとしている。
『構いませんよ。女性に触られるのはやぶさかではありません』
私の言い回しを聞いた主人は口元に笑みを浮かべた。
『マーリンもオスなんだな』
ただし、主人は例外だ。どんな美女に口説かれようとも、主人を選ぶ。そんな気持ちを知る由もなく、主人は微笑んでいる。
私は魔女に歩み寄った。
「フサフサな毛ね。触り心地が良いわ」
『アルムがいつもブラッシングをしてくれるんですよ』
首を包みこむように両手を回して、首筋へ顔を埋める。触れられるだけかと思いきや、愛情表現たっぷりの魔女だったが、いきなり顔を持ちげると興奮した面持ちでパーシヴァルへ尋ねた。
「パーシィー‼︎クロ?この子、スゴい魔力を持ってるわよ。ホントにニムエ様のマーリンな訳ないわよね?こんな落ちぶれたお店に来るわけがないわ…」
半ば、魔女は自分に言い聞かせながら、語尾が口籠る。魔女だけあって、抱きしめたときに私の魔力は検知したようだが、正確な力は計りきれていない。知れば驚きで腰を抜かす。
こう見えて?私は物凄いブラックドッグなんですよ。えっへん。
「こいつを見ろ!こんなノホホンとした犬がニムエ様とやらのマーリンなはずがない」
私を指でさして言い放つパーシヴァル。
『アーサー様。やっぱり、噛みついても構いませんでしょうか?』
主人はまたもや笑いを噛み殺して、静かに顔を横に振った。
「ほらっ、アーサーだって!否定してるじゃないか!」
あっ…。
主人はパーシヴァルの指摘にきょとんとした面持ちで私を見た。
『改めた方がいいか?』
『正したところで呼び名は変わらないでしょうし、気になさらないでください』
パーシヴァルの性格上、私は永遠にクロのままだろう。
「ご主人が違うって言うならそうなんでしょうね。でも、とても嬉しいわ。初めて会ったブラックドッグがあなたのようにハンサムで」
魔女は私の頭を撫でると屈めていた腰を伸ばして起きあがった。接客が板についているのか、私がブラックドッグなのにも関わらず、言葉一つで心地良くさせてくれる。
「さて、はじめましてこんにちは。私は西の魔女。今日は何の御用向きかしら?」
ドレスのヒダの部分を指先で軽く摘んで会釈をする魔女を横目にパーシヴァルは頭を掻く。
「あれっ?挨拶まだだっけ?」
主人はハーブティーを飲み干し、テーブルの上にカップを無造作に戻す。
「あなたが勢いよく『おばちゃん‼︎久しぶり‼︎』怒涛のごとくやって来てから、私はまだ名乗ってませんよ。この子の中では、私は『おばちゃん』で確定しちゃっているわ。西の魔女です。以後、お見知りおきを」
どうやらパーシヴァルは独自の呼称を決めてしまう癖があるようだ。西の魔女も被害者の一人であるらしい。
『それは名前なのか?』
主人が私へ質問を投げかける。
『精霊を扱う者として、名をあかせないのでしょう。彼女はまだ未熟な魔女なので、名前を知られると強大な力を持つ精霊から使役として無理やり契約されることもあるのです』
私の知る精霊達はその限りではないが、この世は広い。色々な類の精霊がいるのだ。
『西の魔女はニックネームのようなものですね』
大陸の西に位置している森に住んでいるからだろうが、安直である。
「えぇ!おばちゃんは俺が子供のときからおばちゃんっなんだから今更だろ?俺とおばちゃんの仲じゃない?許してよ」
魔女は腕を組んでいる片方の手の甲で頬杖をつきながら吐息をこぼす。
「アチェフルアの腕の中で眠っていたときは、あんなに可愛いかったのに…」
パーシヴァルは顔を赤らめて抗議した。
「そんな赤ん坊のころに母ちゃんに抱かれてたことなんて覚えてないだろ?」
「はいはいっ。で何?」
パーシヴァルは隣で立っている主人の肩を強引に抱きよせる。主人はパーシヴァルの上腕を掴みながら逃れようともがいているが、怪我をさせないように心がけているので、結局、腕の中へ収まっている。
「兄弟に服を見繕ってやってくれ。お代は俺もちで」
主人は目を見開くと、パーシヴァルの横腹を抗議の意味を込めて優しく突く。アルムから服を購入する際のお金を渡されているのだ。
「イテッ⁉︎いいんだよ‼︎猪退治のときには世話になってるし…。何かしてやりたいんだよ」
困ったような面持ちで主人が私に意見を求めた。
『いいんじゃないですか?本人がそう言っていることだし…』
『いやっでも、何だかんだで、パーシヴァルには凄く世話になってるし』
そうなのだ。パーシヴァルは何かと主人に世話を焼きたがる。歳の離れた妹がいることを仄聞いたが、兄貴肌というか、多分誰に対しても面倒見が良い。悪態はつくが、アルムにも親切だ。
「似てるんだよな。髪や目の色は全然違うし…。雰囲気も全く別人なんだけど…」
パーシヴァルが主人を繁々と見つめる。珍しく主人の方が目を逸らした。
「前に話したっけ?傭兵んときに助けてくれた騎士のこと。アーサーって、名前も同じなんだよな」
私は以前、騎士のお話はお伺いしましたけど…。
「だからさ。似てるからってわけじゃないけど、構いたくなるんだよな」
私は首をかしげて、パーシヴァルへ話の続きを促したが、パーシヴァルへ仕草の意図が伝わることはなかった。落胆しかけたとき…。
「あぁー、前に話してたアーサー王弟殿下ね」
ナイス‼︎西の魔女よ‼︎
主人は腕を組み目を伏せた。頬にまつ毛の影が落ちる。
「そうそう…。王の弟ってのは後から知ったんだけどさ」
遠くへ視線を送り、思い出すように口を開くパーシヴァル。
失念したという諦めの表情からみて、西の魔女はパーシヴァルのこの話を何度も繰り返し聞かされているのだろう。
「傭兵ってのは、国から国へお金さえあれば雇われるわけじゃん。普通は窮地に陥っても、騎士は助けに来ないわけ」
王へ忠誠を誓っている騎士とは違い、傭兵は雇い主が変われば国も変わる。共に戦ってきた仲間でも、時として明日は敵になる。
「先の大戦でさ。あるとき、敵陣に囲まれてしまってな。逃げ場もなくて、俺の隊全滅かよぉーって落胆したんだけどさ」
パーシヴァルは両手を広げて降参のようなポーズをとるが、途端、目を輝かせ
「颯爽とやって来たのさ。騎士の奴が」
意気揚々と馬の手綱を引いているような身振りで続ける。
「騎士団長が『今こうして我が国のために戦っている彼らを、もとより見捨てるつもりはない』なんて抜かして。少数精鋭の騎士たちと馬で突っ込んできたのよ。くぅっー⁉︎イキさね」
酒でも煽ってるのかと思えるほど、パーシヴァルは饒舌に語る。
「まぁ、その団長がアーサーって名前で…。お前と違って、黄金にたなびく髪にさ。高く晴れた空のように透き通った瞳がキレイだったな。まぁ、お前も美人だしよぉ。顔立ちはよく似てるんだけど…」
主人を一瞥するとパーシヴァルは鼻頭を人差し指で掻く。
「髪や目の色云々ってよりも、雰囲気が全く違うんだよな。うんうん、そこに存在するだけで太陽の申し子のように輝いてたような立派な若者だったよ」
私から見れば、パーシヴァルも若者なのだが、物言いが年寄じみている。
西の魔女は相槌を打ちながら聞いている(ふりをしている)のだが、関心はないようだ。
主人は主人で目を瞑ったまま、顔を赤らめていた。
当事者ってバレますよ。ログレス王国の太弟。キャメロット騎士団長でもありましたよね。
「まぁ、猪退治の件も然りだけど、恩人に似てるってのも何かの縁だし。甘えてくれ」
バシバシっと主人の背中を叩くパーシヴァルは照れているのか、明後日の方向を向いている。主人の様子に気づくことはなさそうだ。
パーシヴァルが恥ずかしがり屋で良かったですね。
『パーシヴァルは諦めてなかったけどな。自分が先陣を斬ってでも、仲間を逃そうと躍起だった』
パーシヴァルに力強く叩かれた主人だが、微動だに動かず、ボソリと言葉を漏らす。
『アーサー様はこの無粋な男を覚えてらっしゃったのですか?』
私は主人を見上げて尋ねた。
『んっ?忘れてたけど』
哀れな…。パーシヴァル。
呆気なく返答する主人。拳を握り熱く物語っていたパーシヴァルに同情をしてしまう。
『戦いのときなんて無我夢中だろ?殺した人数なんて覚えてないわけだし、ましてや助けた人間なんて数えてない。けど、さっきの話で思い出した』
中指で軽く口許を抑えて笑う主人は妖艶さを増す。漆黒の前髪がハラリとこぼれる。
『血と汗と土埃で服はボロボロだったけど、確かにあれはパーシヴァルだった』
主人の脳裏に記憶が甦る。
『今と違って鳶色の目が闘志でギラついてたな。剣の腕も確かだったよ。瀕死の仲間を背負ってたりして、負け戦だとわかって立ち向かう姿は少し震えたな。まぁ、オレ達が介入した後は楽勝だったけど』
何気に自慢いれちゃいました?そこは謙遜した方が宜しいかと…。
主人は私と契約する前は自国の騎士団長で、王族の身分も隠し前線で戦っていた。
限られたものにしか王弟であることを周知されていなかったが、兄王の治世を守るため、自らを剣または盾として戦場に赴いていたのだ。当時主人の強さは国中に知れ渡るほど圧巻だった。
「死んじゃったのよね?そのアーサー様。そんな素敵な方なら、ぜひお会いしたかったわ」
西の魔女が口を挟む。
「消息不明ってやつよ。敵の要塞が跡形もなく破壊されてたさ。そこに囚われていたらしいんだけど…。酷い惨状で死体も見分けがつかなかったらしいな。王子だったことも、そんときに聞いた」
主人ほどの手練れが捕虜となったのは理由があるのだが…。
主人の顔が苦慮に歪む。主人はあの惨劇を自分が至らないせいだと一身に罪を負っている。
その大惨事を引き起こしたのは、私が勝手に段階を踏まず正式な順序をすっ飛ばして、無理矢理、主人と契約を結んだためだ。
主人は私に請われて私の名前をただ呼んだだけなのに…。
「俺が力になれたかはわからんが、その頃、戦線を離れていてな。アーサー様には恩義を報えなかったんだ。代わりと言っちゃなんだが、お前に返したい」
落ち込んでいた主人だったが、再度のパーシヴァルの申し出を聞いて困惑した。
『いやいや、本人だけど…。お前にとってはただのそっくりさんだろ?』
うーん、主人。言い得て妙。
主人の両手を自分の両手で包みこむように覆い、真顔でパーシヴァルは告げた。
「簡単に言うとだな。オレはお前が好きだ」
パーシヴァルに手を握られたまま、真っ青になり主人は狼狽えながら後退る。
「サナに怒られるわよ。あと、アーサー君?誤解している」
西の魔女は浅く笑って、パーシヴァルの言葉に付け加えた。西の魔女の言葉にパーシヴァルは主人と距離をとり、瞼を閉じて後髪を乱雑に掻きあげる。
「恋慕うってことではなくて…。そうね、一人の人間として尊重している。漢粋に惚れるってことかしらね。ごめんね、誤解を招くような表現しか言わない子で」
西の魔女は常に穏やかな笑顔で警戒心を解く。
「さてと、あなたの闇夜を思わせるような深い黒の瞳はとても魅力的ね。どんな服が似合うかしら?」
唇に人差し指を当てて軽くウインクすると主人に近づく西の魔女。
「怪我をしてるのね?」
やはり、他者から見て、痛ましく思うのだろうか。悲しそうに西の魔女は包帯を眺めている。
「それは傷痕を隠しているだけらしいぞ。俺も同じことを心配したら、アルムに言われた」
パーシヴァルが西の魔女の気持ちを慮って、説明した。西の魔女は初めて聞く名前に顔を傾けた。
「アルム?さん」
「あぁ、コイツの保護者みたいなもん」
手のひらをもう片方の手で拳を作って、ポンっと叩くと西の魔女は頷いた。そして、頭の天辺から足のつま先まで主人のスタイルを確認する。
「ふむっ、何色の服が好みかな?」
主人が魔女の質問に答える。
『貴女が着ているような黒がいい」
主人は自分の言葉が伝わらないことに気づき、西の魔女の服を指す。
一瞬考えこみ、慎ましく笑みを湛えて西の魔女は主人の目を覗き尋ねた。
「もしかして、話せないのかな?」
主人は背中に汗が滲む。思った以上に西の魔女は観察眼がある。
「いやいや、ソイツはそーとー無口なだけで…」
主人はジェスチャーで首の包帯を指で示してから、両手の人差し指でばつ印を閉ざした唇の前で作る。
「話せないのか?アルムからは聞いてない‼︎」
主人の隣で様子を窺っていたパーシヴァルの表情が強張った。西の魔女はその顔色をチラリと横目で確認する。
「必要がないと思ったんじゃない?アーサーくんが何も喋らなくても、今まであなたは気にしてなかったでしょ?」
そうそう…。パーシヴァルは主人がどのような行動を起こしても動じなかったし、一言も話さなくても気にしてなかった。ある種、寛大な対応だと言っても過言ではない。
アルムはパーシヴァルの粗雑な性格を何故か気に入っている。彼の根の部分が真っ直ぐだからだろう。悪意があって黙っているわけではないのだ。
「おいおいっ、一言ぐらいあっても良さそうだろ」
口元に人差し指を立てながら、西の魔女は子供を優しく説き伏せるよう意見を述べる。
「多分、話せないことを気にしてほしくなかったのよ。いつだって普段通りに接してほしかったんじゃない?アルムさんの本当の気持ちは分からないけど。えへっ」
西の魔女に視線を移すと、パーシヴァルはため息混じりに言葉を漏らした。
「適当だな」
「いつものことでしょ?まぁまぁ、内緒にされてたからって怒らないで」
「別に怒ってはない。悔しいだけだ」
不貞腐れたようにそっぽ向くパーシヴァルに、主人はどう対処してよいか分からないようだ。
『本当にオレ、気にならなかったんだ』
心なし主人の気持ちが沈んでしまったではないですか?
『そうですよね。別段不自由はなかったですし…』
パーシヴァルは主人の受け答えがなくても、話を完結して進めてしまう性分なので、会話に問題ないなら説明しなくてもいいんじゃない?って空気感があったのも否めない。要はパーシヴァルが懐の深い大らかな性格であったのが、一番の要因だと思われる。
ただの筋肉バカではないんですよね。人の良い筋肉バカ…。
西の魔女は両手を叩く。
「はいはいっ、当初の目的を遂行しましょ。うーんと、私を指差したってことは…ドレスが欲しいの?」
手で唇を覆ってビックリした表情の西の魔女の言葉に、主人は勢いよくかぶり振った。
「あぁー、見てみたいかも」
ガシガシと後頭部を掻き乱し、パーシヴァルが合いの手を入れる。
主人の顔色が蒼白に変わっていく。
「冗談よ、アーサーくん。案外真面目に受け取るのね」
鈴を転がすように西の魔女が吹きだす。
「黒色の服よね」
主人は服の襟で首元を隠すような仕草をする。
『この辺りまである襟ってあるのか?』
西の魔女は頷き、主人の超頭部をポンポンと柔らかく叩く。
「首が隠れた方がいいのよね?」
子供扱いされたからだろう。手首で顔の半分を隠して照れている主人。歳は親子以上、主人には敢えて伝えなかったが、何なら曽祖母以上に離れているだろうから、私から見れば違和感がない。ただ、主人は気恥ずかしいらしい。
何にせよ、最高に可愛いくいらっしゃる。申し訳ございません。私、鼻息が荒いですよね?
「今、オレの古着を着ているんだけど、ちゃんと身の丈にあった服を選んでやってほしい」
パーシヴァルは西の魔女にさりげなく要求を伝える。パーシヴァルと主人を見比べて、薄ら笑いすると西の魔女は親指を立てた。
一瞬、パーシヴァルは不快感を露わにして眉を顰める。西の魔女は気にせずに次の質問へと移る。
「体にピッタリなのがいいのかな?それとも余裕があるものが良い?」
西の魔女が尋ねると主人は剣を振る動作をして、自身の身体の線をなぞった。
「なるほど、なるほど。運動するのに、ピッタリの方が良いってことね」
それにしても、難なく主人のジェスチャーで事が進む。西の魔女は人の意を汲みやすい人物とみた。
続けて複数簡単な質問を主人へ確認した西の魔女は
「あとは、私の独断と偏見でアーサーくんに似合う服をいくつか見繕ってくるから、待ってて」
手のひらをヒラヒラと翳しながらにこやかに一番右端のドアノブへ手を伸ばして、奥へと消えていった。
独断と偏見って…。
しばらく沈黙が続く取り残された二人と一匹。
いつもならば、パーシヴァルが他愛のない話を繰り広げて、主人は僅かに口角を上げてその話を聞きいっている時間のはずなのに…。
まだ、怒ってるんですか?パーシヴァル?
「…」
『…』
『…』
お気づきだろうが、主人と私のテレパシーでの会話も途絶えている。
「悪かったよ…。おばちゃんより時間を多く過ごしてるのに、気づかなかった自分に苛ついたんだ。じいさんやましてお前が悪いわけじゃない」
口を切り、先ほどの大人気ない態度に反省の言葉を伝えるパーシヴァルは静かに両腕を胸の前で組む。
『パーシヴァル…』
主人、その表情…。
少し艶めかしいので熱く見つめないほうが御身のためです。あっほら、主人と目の合ったパーシヴァルが真っ赤な顔で狼狽えている。
「何で?」
『何で?』
「お前、女に生まれてこなかったんだぁ⁉︎」
『はいっ⁉︎』
目を両手で覆い、天井を仰ぐパーシヴァルは苦悩に打ち勝つことが出来なかった。主人の背中に手を回し強く抱きしめる。
ガバッ‼︎
主人は何事が起きたのか考える間もなく、拳を握り締め
ドンッ‼︎
パーシヴァルの抱擁攻撃に主人は咄嗟に手が出てしまった。加減なしで…。
真っ青になる主人。そりゃそうですよね。
『マーリン。すまん、回復』
『承知いたしました。アーサー様』
パーシヴァルは自業自得ですよ。反省ってものをやっぱり知らないんですね。
心なしか、パーシヴァルは意識混濁しているにもかかわらず、口許が緩んでいる。
即死ならば回復魔法は効かない。魂が肉体に宿っている状況でなければ、私の魔力も意味がない。この男は分かっていて軽はずみな行動したのだろうか。パーシヴァルは鍛えているので筋肉が強固な鎧となっているが、主人の本気攻撃を受ければ、ごく普通の人間ならば即この世にはいない。この男でさえ、命が危ういのだ。
考えたくはないが、この場を和ませようと命懸けで抱きついたのだろうか。
私は彼の脇腹に肉球をそっと押しつけた。
いやいや、それはないだらう。本能の赴くまま行動した結末だ。
小さく私が触れた箇所から光が溢れる。
しかし今度こそ、私もパーシヴァルの尻に被りつこうと牙を剥き出しにしていたのに…。
残念です。
「あらっ?どうしたの?みんな疲れた顔しているわよ」
複数用意した服をワゴンへ乗せて、西の魔女が右端の扉から戻ってくる。
「んっ、ちょっとな。からかい過ぎた」
ちょっとで済ませるあたり…。死にかけていましたけどね。
パーシヴァルは壁に体を預けて床に直接座っていたが、西の魔女の姿を認めると立ちあがる。
私は主人に伴いワゴンへ近づき、ワゴンの上をを覗きたくて首をもたげた。
『たくさんあるな』
主人も興味ありげに服を物色する。
羽を彩ったものや革素材。ベロアで光沢のある服。丁寧に美しい刺繍を施したシャツ。サテンにレース生地もある。
「レース編みの透けた黒って…」
パーシヴァルが言葉に詰まる。
言いたいことはよく分かりますよ。このまま着れば肌が透けて色っぽいですよね。
でも主人は選ばないはずだ。胸から首元を隠したいのだから…。
「ちゃんと首まで隠れるようなカットソーを下に重ねれば地肌は見えないしオシャレよ。けど、すぐ破れちゃうから運動には不向きかな?まぁ、アーサーくんに袖を通して欲しくて持ってきたんだけど」
レースの施された服を手に持ち広げて、西の魔女はサラリと願望をこぼすが、主人は手で口元を覆って視線を逸らす。
「まぁ、そうなるわよね」
西の魔女は残念そうに呟く。あっさり諦めたようだ。
『きっと、お似合いだと思いますよ』
私は主人を仰ぎ、無理だと分かりつつゴリ押ししてみる。
『着たことはある』
何と⁉︎
『兄上に熱望されて黄金色のレースが施されたものを着てみたが…。好みでない』
『いつ頃の話ですか』
私は興味津々に鼻を鳴らして尋ね、想像を思い巡らせる。
『まだ子供だったか?12か?そこらの歳ぐらいじゃなかったか…。周りは何故か響めいていた』
でしょうね。
『周りの方々は主に女性の方々ですか?』
『いや…。男女ともにかな』
私の質問に首を傾げて答える主人。
主人の子供時代…。疑う余地なく、主人は天使のような風貌だったろう。感嘆の溜息が聴こえてきそうだ。
主人の性格から思春期真っ只中でよく従ったとも思うが、兄上ということは現国王なので、逆らえなかったとも考えられる。
王は主人を溺愛してましたから見てみたかったんでしょうね。承服いたします。
『着ないぞ』
主人は私を睨みつけると全力で否定した。
『アーサー様が嫌がられることを強要したりいたしませんよ』
うーん、契約は強制しましたけど…。
主人はあれやこれや手にとって、どれを勧めるべきか悩んでいる西の魔女の傍から手を伸ばすと一つの服を指差した。
『これがいい』
それはシンプルなハイネックで何の変哲もない上衣であった。西の魔女は軽く慄いて、上擦る声で言った。
「さっ流石ね。一番高いのよ。アラクネの糸から作られたものでね。軽くて丈夫でね。だっ大丈夫かしら?パーシィー?」
首を横に振りながら主人はそっとワゴンに服を戻した。パーシヴァルはその様子をちら見して、西の魔女に問う。
「友人割あるよな?」
主人はパーシヴァルの服の袖を引っ張る。
『必要ない。首が隠れるもので着れれば何でもいい』
主人が遠慮をしているのは皆理解しているようだが、それに応えることはなく話は進む。西の魔女は唇に人差し指を当てながら答えた。
「高価なものだから余り割り引けないけど…。仕方ないなぁ。パーシィーが友人を連れてくるの。久しくないものね、特別よ」
『だから必要ないって』
今度はパーシヴァルと西の魔女の間を体で遮るが、主人の抵抗虚しくパーシヴァルは人好きのする笑顔でただ主人の髪をかき乱すだけだった。
『いいではないですか。パーシヴァルの顔を立てても』
私は頭をあげて主人を見つめる。長い髪の合間から困惑した瞳で主人は私へ訴える。
『アラクネの糸で作った衣装は桁が違うんだ』
それは私ももちろん知っている。アラクネは蜘蛛の魔物で上半身は女性の姿をしている。人と出会えばまず餌として襲われるので、放置された巣から糸を回収するのだ。万一、まだ住処としていてアラクネと遭遇した場合、ほぼ命はない。
それ故にアラクネの糸で編んだ生地が極々たまに市場に出回ることはあるが、とても稀少なもので滅多に人の目に触れることがない。
真偽は定かではないが、魔女にはアラクネと交流を持つものもいるらしい。目の前のノホホンとした魔女にその芸当はなさそうなのだが…。
「アーサーはシンプルなのが好きなんだな。じゃあ、これに合わせて同じ作りのパンツも見繕ってくれ」
主人はパーシヴァルの肩に手を乗せて多分振ろうとしたのだが、気を取り直し軽く自分の首を左右に振って否定する。
パーシヴァルは危うくまた失神するところでしたね。
「着替えは必要だろう。それに色々あって蓄えはそこそこあるんだ。貰ってくれ」
パーシヴァルがいつになく真摯な目線で訴えるので、主人も渋々それを了承せざる得なかった。
『分かった』
「ここからは具体的な値段交渉だからやりづらい。兄弟は外してくれ」
『そう言うわけには…』
顔を背ける仕草をした主人に苦笑いをすると、パーシヴァルは主人の肩を二度叩いた。
「男が一度決めたことに二言はない。分かるだろ?兄弟?お前がいると話が先に進まん」
暗澹たる空気を醸しだしつつある主人は顔を顰める。
『私がこっそり確認しておきます。アーサー様は少しお寒いでしょうが外でお待ちください』
見るにみかねて私は瞬きをしながら主人を促すと、ため息をついて主人は玄関ドアを開けて素直に出ていった。
「お前は行かなくていいのか?」
パーシヴァルは当たり前のように私に尋ねる。
私は返答を返さず、その場で伏せた。
「ふぅー、連れてきたはいいけど、あのまま後ろで仁王立ちされちゃあ、買うもんも買えね。あと、スペアを3着ほど頼む。夏用も必要か…。これの袖なしバージョンあるか?」
「半袖でなくて?」
「袖なしの方があいつには似合いそう」
彫像のような美しい白い前腕。程よい筋肉がついた上腕二頭筋。私は静かに首を縦にかぶり振る。
「反論ないわ」
私の気持ちを代弁してくれたかのように西の魔女は答えた。
「あと、何かしら、それに見合った必要なものも見繕ってくれ」
「そうね。ベルトは私がプレゼントするわ。たくさん買ってくれたしね。靴下もサービスしちゃうわよ」
「いいのか?」
「上得意様にはサービスしとかなきゃね。また来てよ?」
「俺、ここ以外で服買わねーし」
西の魔女はパーシヴァルの足元へ視線を落とす。
「靴はどーするの?」
うっかり、靴の存在を忘れていたことに気づき、二人とも目を見合わせる。
「サイズ聞くか。また、ごちゃごちゃ目で訴えてきそうだな」
「じゃあ、色は黒で統一して、ここはシンプルに素材は革で編み上げブーツなんてどう?こっそり、防水・防火と耐魔を付与している上等なもの用意するわ。決めてたらサイズだけ聞けば良い話でしょ?」
そのような対策を施さなくても、私との契約で防御は万全なのだが、正直に話せば、主人は全裸で戦っても、ヘッチャラだ。しかし、ここは二人の厚意を喜んで受けよう。もちろん、主人に裸で剣を振るわせることなどあってはならないし、王族であった高貴な主人へ最高品質の服を選んでくれた二人へ素直に感謝すべきだ。
「サクサク決めてくれるから好きだよ。おばちゃん」
「はいはいっ」
手際よく、西の魔女は服を丁寧に畳み、奥から依頼された商品を順次持ってきて、綺麗にまとめた。
「値段はこれくらい」
西の魔女が無言でカウンターに置かれた紙にスラスラと書きこむ。金額を提示したようだ。
おやっ、これはカウンターに前足をかけないと覗けない。そのような行動にいたれば、不審がられることこの上ない。
「お屋敷一つ買えちゃうんじゃない?太っ腹ね」
おおよそ王都郊外に邸を構えるぐらいの値段だろうなとは思っていたが、西の魔女が加えた一言で私の予想は当たっていたようだ。
「あれには内緒にしとけよ」
玄関の方向へ親指を示し、パーシヴァルが告げる。西の魔女は頷いた。
「アラクネの糸も結局、パーシィーが持ち込んだものじゃない?この間はガルーダの羽根を幾つか持ってきてくれたから、まぁ、心配しなくても今は財布が潤ってるわよね」
なるほど、パーシヴァルはそれで生計を立てているのですか。納得です。
主人があれだけ誉めたのだ。傭兵の腕は間違いないだろうが、元傭兵へ支給されたお金だけではここの買い物は出来ない。
「アーサーに靴のサイズ確認しなくちゃな。靴は俺のお下がりじゃぁなくて、他の奴のを貰ってたんだよな」
私は気を利かせて、主人の足サイズの靴をワゴンから咥えてテーブルの上へ乗せる。
「9インチか?」
「じゃあ、さっき話した感じの靴持ってくるわ。念のため、一度、全身の試着だけしてもらいましょう。あぁ、イケメンのコーディネートって楽しい」
「待て待て、クロが人の話を分かってるとは思っている。猪退治の時、すげぇー俺達を助けてくれたし。けど、アーサーの靴サイズの話まで分かんねーだろ?たまたまじゃね?」
散々、猪云々のときに私に語りかけていた貴方が今更それを言いますか?
私の頭を撫でながらパーシヴァルが西の魔女に問うた。頭上へ置かれた節が太い手に私は若干の苛立ちを覚えつつも、主人の大切な財布だと自身へ言い聞かせ大人しくしている。
「バカね。犬じゃないの精霊よ。ブラックドッグはとても賢いの。人の話は一言一句間違えずに理解しているわよ」
「まさか、兄弟と話が出来るってことはないよな」
訝しげな表情でパーシヴァルは私を見る。私は鼻を鳴らした。私のその仕草をどのように解釈するべきか、パーシヴァルは悩んでいるようだ。
「精神感応ってこと?そうね、それは正確に言えば魔法の類ではないのよね。うーん、普通のブラックドッグでは難しいんじゃあないかしら?ニムエ様のマーリンぐらいなら扱えるでしょうけど…。何せ魔力を桁外れに蓄えているらしいし、特殊能力を持っている可能性が高いのよね」
西の魔女はカウンターで頬杖をつきながら、パーシヴァルの質問に答えた。
「あいつはクロがマーリンだってこと、否定してたもんな。…頼む。もし、お前がここでの話を兄弟に伝えれるとしても、言わないでくれ」
パーシヴァルが私へ話しかける。
「あらっ?クロなんでしょ?冷静に考えたら、ニムエ様の元を離れてマーリンがここへ来るはずはないわ」
西の魔女が呆れたように、眉間に深い皺を刻んだパーシヴァルへ気休めの声をかける。
「保険だよ。もし、万一知られたら、あいつ、俺に金を使わせたこと悔やみそうだし」
『大丈夫ですよ。私も主人の性格を考慮して、ここでの話は有耶無耶に伝えようと思ってますから…』
二人に私の言葉は届くはずもなく、致し方ないので肯定の意味を込めて私は小さく吠えた。
「ワンッ」
全く、これではただの犬ではないか…。