帰り道
ホームに上がると、すぐに到着した電車に美羽と怜が電車に乗り込んだ。会社員の帰宅時間はとっくに過ぎていて、飲んで帰ってくるには少し早い中途半端な時間のせいか、車内は空いていた。
美羽は、お気に入りの端の席を見つけて、座るとその隣に怜が腰を下ろした。
電車が発車すると同時に激しく揺れる車両は、年季を感じさせるが、大学が密集しているこの地域に走る学生にとって要の電車だ。
学生線といわれるこの単線は、それなりの収入を得ているはずなのにエアコンの効きも悪い。それに文句を言う学生の間で話題に上がることは多い。
やけに煩いレールと車両の擦れる音を二人は聞き流していたが、怜の隣にいる美羽は、気を遣ったのか行き先を告げてきた。
「私の家。二つ先で乗り換えて、十五分くらいいったところの星丘駅」
「そうか」
怜は短い返事をしながら、チラリと美羽の横顔を見ると、元々の色白に少し青が混ざっているように見えた。酒のせいか?と思ったが、そういえば、酒席でアルコールは口にしていなかったことを思い出していた。
乗り換えを済ませ、また電車に揺られている最中も怜が時折美羽の顔を見れば、顔色は一向によくなることはなさそうだった。そんなことをしている怜の視線に耐えきれなくなったのか。美羽が怪訝な顔をして少し白くなっている唇を動かしてきた。
「……私の顔に何かついてる?」
血の気のない白い頬を擦りながら、投げ掛けてきた疑問を無視して怜は問う。
「酒は飲めないのか?」
怜の唐突な質問に美羽の顔は更に険しくさせるかと思いきや、一瞬動揺したように瞳を揺らしていた。
「えっと。私の体質でアルコールはダメなの。……どうして?」
そう聞き返してくる美羽の声。
体質とは、どのような体質なのか。アレルギーのようなものなのか、すぐに酒が回ってしまうということなのか、それとももっと他の理由があるのか聞きたかったが、怜の頭に最初に交わした約束が甦っていた。
お互い詮索はしないこと。
その約束が、それらの疑問を言葉にさせるのを押し止めていた。
「いや、別に」
と無理やり話を止めた。
唐突に投げ掛けられた質問が、また唐突に終わってしまったことに美羽は首を傾げる。
そんな中、星丘駅到着のアナウンスが流れ始めていた。電車のスピードが落ちて、駅のホームが見え始めていた。
視界に美羽を入れながら怜は席を立つ。
美羽は電車の手すりに捕まりながら、ゆっくりと立ち上がっていたが、どこかその足は頼りなさ気に見えた。
「大丈夫か?」
と怜が聞けば、微笑みながら平気だと即答してきて、手を貸そうかと思っていた左手は彷徨いながら、空を切っていた。
小さな駅の改札を出てると、寂しげな街路灯がぽつりぽつりと立ち並んでいた。美羽の住むマンションはこの人気もほとんどない、細くて薄暗い道をまっすぐ抜けてゆけば辿り着く。
夏の近さを感じる青葉の香りが混じる風に吹かれながら、美羽の歩調に合わせてゆっくりとしたペースで二人は歩き始めた。
そんな心地よい風に乗せながら、美羽の声が響いた。
「そういえば、一人暮らし?」
詮索しない約束はどこにいった?
その質問が来るのならば、さっき浮かんだ聞きたかったことも遠慮せずに聞いておけばよかった。後悔しながら、怜は素直に答えた。
「あぁ。ここから二つ先の上川駅だ」
「へぇ。大学寮じゃないんだ」
「寮は、面倒だ。人のテリトリーもあったもんじゃない」
怜は心底嫌そうな顔をしながらそういった。
人付き合い下手だと自覚のある人間が、濃密な人間臭さの漂う空間に住んだら確実にノイローゼになる。
しかも、あそこには小泉達も住んでいる。昔からあの二人とは馬が合わないのに四六時中顔を合わせていたら、おかしくなる。
怜は深いため息をつくと、美羽はこういう時だけは、わかりやすい顔をするのねと言って笑っていた。
その指摘をされたのは二回目だった。
喜怒哀楽が表情に出にくいと言われるのは日常茶飯事だが、嫌そうな顔はわかりやすいと渡に言われたのは記憶に新しい。
会って間もない美羽にすぐに自分の癖を言い当てられてしまうとは。
何とも言えない、歯痒さに怜は口の端を少しだけ上げて苦笑した。
それに見事に反応した美羽は
「今、笑ったよね? 笑えるんだ! 初めて見た」
そう言って美羽はまた笑っていた。
明るい笑い声が怜の胸の中心に届くと、柔らかく温かい何かがふわりと浮かんだ。そして、鼓動が少しだけ早まりトクリと優しく脈打つ。
些細な変化を敏感に感じとりながら、自分は一体どうしてしまったんだ?と、怜は戸惑いながら前を見据えると美羽のマンションのエントランス前に辿り着いていた。
暗い夜道とは違い、エントランスから漏れ出る明るい光が二人を照らしていた。
歩を止めた怜を少し追い越し、くるりと向き直ると肩で跳ねた毛先を揺らしながら美羽は礼を述べた。
「今日は、ありがとうございました」
「……」
エントランスの光に照らされた美羽の顔は、より一層白く見えた。これ以上光に曝されたら、白から透明に変わって消えてしまうのではないかと、訳のわからない不安が怜を襲い始めていた。
何も言わずじっと見つめてくる怜に、美羽は首を傾げながら、目の奥を読み取りにかかると、その前に怜の声が降ってきた。
「やっぱり顔色が悪い。ゆっくり休め」
怜はそういうと、すぐに踵を返し、来た道を戻っていく。
美羽は、怜の核心をつく鋭さと不安。
そして、発作のせいではない、胸のずっと奥にあった何かが脈打ち始める音に戸惑いながら、怜の背中を見送っていた。




